夜食屋ふくろう

森園ことり

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7 マシュマロココア am0:05

7 マシュマロココア am0:05(5)

「まだ注文入ってなかったし、今夜は臨時休業にしたから大丈夫。どうせ紅もいないし」

 祭はマグカップに花の角砂糖を入れると、牛乳をとぷとぷと注いだ。静かにスプーンでかきまぜる彼を見つめながら、昴流は訊ねた。

「夜食屋はいつから始めたの?」
「今年の春頃かな。喫茶店の経営がやっぱり厳しくて、どうにもこうにもいかなくなったから、苦肉の策でやってみたんだ」

 笑いながら話す祭を見た昴流は視線を落とした。

「知らなかった。大変だったんだね」

 いや、自分は知っていたんだと昴流は思う。
 近くの工房がなくなってお客が減っているのは、わかっていた。客が来なければ収入はゼロ。開店休業状態が続けば、その先にあるのは閉店しかない。

 でもこの一年半、自分のことで精一杯で、梟の経営のことまでは気が回らなかった。もしかしたら店がなくなっているかもしれない、と思ったことはあった。でも、心のどこかで諦めていた気がする。自分も、他のことすべても。

「……なにもできなくてごめん」
「昴流が元気だっただけでいいよ」

 祭は笑い飛ばすと、廊下を指差した。

「ちょっくら電子レンジ使ってくる」
 マグカップを持って祭は部屋を出て行った。
 ココアか。なんでココアなんだろう?
 特にココアが好きなわけじゃないのに、と昴流は少し不思議に思った。
 五分ぐらいして祭は戻ってきた。

「マグカップ、あちぃ。昴流、バッグから例のもの出して」
「例のもの?」

 怪訝に思いながら昴流が黒いバッグを開けると、中にマシュマロの袋が入っていた。

「これのこと?」

 マシュマロの袋を手に取ると、祭はさんきゅと手を差し出す。

「これをこうしたら出来上がり」

 袋を開けて真っ白なマシュマロを三つ取り出すと、湯気をたてているココアの上にのせていった。

「お待たせしました。マシュマロココアです」

 差し出された熱いマグカップを受け取った昴流は、すぐに溶け始めたマシュマロをじっと見つめた。

「なんでマシュマロココアなの?」

 何を言ってるんだ、という顔で祭は昴流を見返す。

「だって、好きなんでしょ?」
「僕が? いや、別に……」

 むしろ甘い飲み物は苦手なほうだ。ココアだって自分で買ったことはない。

「あれぇ、そうだっけ? 紅がいつも言ってたからさ。昴流はマシュマロココアが大好きだって」
「え?」

 記憶を遡ってみても自分がマシュマロココアを好きだった時期はない。紅の勘違いだろうと昴流は思った。

「小学生ぐらいの時だったっけなぁ……紅、よくうちのお店でマシュマロココアを作ってたんだよね」
「お客さんに出すやつ?」
「まさか。自分とか僕たちに飲ませる用に。そっか……マシュマロココアは紅が好きだったんだよ。自分が好きだから昴流にも飲ませてた」
「でも飲んだ記憶ないな……」
「あの頃は絶対昴流にも飲ませてたはずだけど」
「祭が言うならそうなんだろうけど」

 幼い時の記憶はけっこうあやふやだ。くっきりし始めるのは中学生頃からで、小学生ぐらいまでの記憶はぼこぼこと抜け落ちているのを自覚している。

 記憶から抜け落ちてしまったマシュマロココアを飲むと、甘ったる過ぎて喉に詰まる感じがした。
 それでもマシュマロを指でつまんで口に押しこむ。マシュマロってこんなに弾力性があったっけ? いかにも女の子が好きそうな代物だ。苦いコーヒーが飲みたくなった。

「昴流、おかわりしてた時もあったよ。いまみたいにあんまりおいしそうな顔はしてなかったけど、『もう一杯作ってよ』って紅に頼んでたのを覚えてるから。紅が嬉しそうに笑ってさぁ。おじいちゃんがそれを見て、『昴流が甘えるのはじめて見た』って言ったら、昴流むっとしてたっけ。そんで、しばらくおじいちゃんのこと無視してたよ。あの頃の昴流はけっこうストレートに感情出してたなぁ」

 そんなことはなおさら記憶にない。
 自分が憶えてないことを事実として話されるのはとても違和感がある。
 昴流は疑い深そうに、マシュマロごとココアを飲み込もうとしている祭を見つめた。

「本当にまったく記憶にないよ」
「じゃあ紅に聞いてみれば。たぶん、おかわりした時のこと覚えてて、(昴流はマシュマロココア好き)って思いこんだんだろうから」

 納得のいかないまま昴流はマグカップの中身を覗き込んだ。
 マシュマロココアのおかわりを紅にねだったことも、おじいちゃんを無視したことも憶えていない。今後思い出せる気もしない。

「祭は森で遊んだこと憶えてる?」
「憶えてるよ。どんぐりとかまつぼっくり、大量に拾ったよね」
「かくれんぼとかもよくしたよね」
「そうそう。あのころ楽しかったなぁ」
「工房の子たちとも遊んだこと憶えてる?」

 祭の記憶にないことを掘り出したやろう、と少し意地悪な気持ちになって昴流は訊ねた。

「憶えてる! 一人可愛い女の子いたよね? 髪が長くていつもリボンのカチューシャしてた子。なんか父親がイギリス人とかで……名前なんだったっけ?」

 かえって自分が覚えていないことを返されて、昴流は呆然とし、おとなしくココアをすすりはじめた。

「メイだかマイだか日本風の……」

 記憶にない少女の話を聞きながら、昴流はココアを飲み干し、マシュマロもすべて食べた。
 口の中に残る甘さを洗い流しに洗面所に行って軽くうがいをする。
 戻ってくると、祭も飲み終えたようで空の二つのマグカップをビニール袋に入れてバッグにしまうところだった。
 ちらりと振り返った祭は、さりげない感じで訊いた。

「なんで、『花染めやりたいから淡路島行く』って一言言わなかったの? そうしてたらみんな心配しないですんだのに」

 そこがやっぱり引っかかっているようだ。
 無理もない。
 家族も祭もやさし過ぎて、誰も昴流を怒鳴りつけるようなことはしなかった。
 それに甘えて、まだちゃんと謝ってなかったことを昴流は思い出した。

「言わなかったんじゃなくて、言えなかったんだ。家族には言おうとしたけど、できなかった。本当にごめん」

 祭は五秒ほど昴流を見つめたあと、小さく頷いた。

「そっか。言えなかったのか。昴流も苦しかったんだね」

 不安げに昴流が顔を上げると、祭はもういつもの笑顔に戻っていた。

「でも、なんでいま連絡くれたの?」
「それは……さっき紅の夢を見たんだ」
「紅の? どんな夢?」
「まだみんなが小さい時、森で紅がいなくなったことがあっただろ。そのときの夢」

 祭は目をぱちぱちと瞬き、首を傾げた。

「いなくなったのは紅じゃなくて昴流でしょ」

 今度は昴流が驚いた。

「え、僕が? 違うよ、紅だよ」
「迷子になって大騒ぎになったじゃん。覚えてないの?」

 呆れたような祭の顔を見ているうちに、昴流は自信がなくなってきた。言われてみれば、現実の記憶だと思っていた頭の中の映像がぼんやりとしている。再現シーンに出てくる役者みたいに、幼い紅の顔も本物とは違っているように思えた。

「記憶違いか……」

 幼い自分を取り囲んでいる大人たち。泣いている自分。そんな記憶が頭のずっと奥の方にあるようが気もした。確かではないが。

「僕、ずっと前からみんなに迷惑かけてるね」

 ぽつりと昴流が言うと、祭は長い腕を伸ばしてぽんと彼の腕を叩いた。

「迷惑じゃないよ。迷子になったことないひとなんている? 僕はあるし紅もあるよ。それに、記憶なんていい加減であたりまえじゃん。自分に都合よく編集したっていいんだよ。僕だってたぶんそうしてる。知らないうちにね」

 昴流は少し笑うと、手を伸ばして祭の腕を軽く叩きかえした。

「そうだね。祭の言う通りだよ」
「でしょ?」

 祭はにっこり笑うと腰を上げた。

「昔、昴流は森の奥から一人でちゃんと戻ってきたんだよ。そして今夜もまた、淡路島から戻ってきた。僕は全然心配してないよ。だって昴流は大丈夫だから」



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