野良ドールのモーニング

森園ことり

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 翌日の日曜。

 地域猫が集まる駐車場に行くと、柳子の姿があった。
 トラ吉を含めた三匹の猫たちが、彼女が用意したらしい餌をがつがつと食べている。

「りょーちゃん、おはよ」

 トラ吉は餌を食べるのに夢中で僕に気づいていない。彼女が手にしているのは、トラ吉が大好物のウェットフードだ。

「おはよ。その子がトラ吉だよ」

 僕が指さして教えると、「そうなんだ」と柳子はトラ吉の頭に手を伸ばした。
 おとなしく撫でられるトラ吉。臆病な子なので、人間に撫でさせることは普通ない。僕だって数回撫でることに成功したぐらいだ。しかも餌を食べてる最中なのに。

「よく来るの? 猫たち、慣れてるね」 
「最近ちょくちょくね」

 他の猫たちも柳子には気を許しているようだ。
 彼女の手が届く場所で夢中で餌を食べていることからそうとわかる。
 僕も彼女の隣に座って猫たちが餌を食べるのを見守った。彼らがまだお腹が空いているようなら、持参した餌を出そうとしたけれど、食べ終わった猫たちは満足そうにその場から立ち去っていく。
 トラ吉だけがその場でごろんと横になると毛づくろいをはじめた。餌のお礼にちょっと付き合ってやるといわんばかりに。

「そうそう。昨日、スポーツ公園で猫を探してる人に会ったんだよ。茶色い猫なんだけど、このへんで見たことある? 赤い首輪をしてるみたいなんだけど」
「見てないな。首輪してる子いたら記憶に残るから」

 どこかの家からピアノの音色が聞こえてきた。つたない演奏だ。

「正子さんちで子供にピアノ教えてなかった? このまえ」

 餌の皿をビニール袋に片付けながら柳子は頷いた。

「近所の子にちょっとだけ教えたよ。ピアノ習いたいんだけど迷ってるらしくて」
「柳子さんが教えてあげれば?」
「教えて欲しいとは言われたけど」
「教えるの?」

 柳子は首を横に振る。

「教えない。正子さんはお小遣い稼ぎにやればって言ってるけど」
「やればいいじゃん」
「あんまりピアノ好きじゃないんだよね」
「どうして? あんなにうまいのに」
「うまい自分が嫌いなの」

 柳子は意味のわからないことを言うと、先に帰るねと腰を上げた。





 樹奈に会えたのは次の木曜日だった。
 週のはじめからずっと忙しいらしくて、授業を終えたらすぐに帰ってしまっていたのだ。

 僕と巧と茉美の三人で学食にいる時、樹奈は久しぶりに姿を見せた。
 長かった髪は肩につかないぐらい短くなり、毛先が青く染まっている。服装もメンズっぽいぶかぶかのパーカーに穴の開いたデニムパンツ。キャップにリュックサックにスニーカー。ネイルも派手でカラフルになっている。
 僕以外の二人は、この姿の彼女に既に免疫があるらしく、なにも触れない。僕だけが樹奈の変貌ぶりに驚いていた。

「良ちゃん、久しぶり。あ、驚いた?」

 樹奈は笑いながら僕の隣に腰をおろす。

「イメチェン?」

 僕の言葉にこくこくと彼女は頷いた。

「そんなとこ。バイトはじめたから、ちょっと雰囲気も変えてみたんだ」
「バイト?」
「スケボーショップの店員さん。今度お店に遊びに来てよ」

 ちらっと巧と茉美を見ると、二人ともスマホをいじって知らん顔。

「今日もバイトだからもう行くね」

 そう言うと、樹奈はカードのようなものを僕にくれた。スケボーショップのものだ。場所は渋谷。

「茉美と巧もまたね」

 茉美は顔を上げると、笑顔で「また連絡する」と手を振った。巧も手を上げて「またなー」と笑う。
 樹奈が行ってしまうと、茉美は僕をちらっと見た。

「驚いたでしょ」

 僕が頷くと、巧が笑い出した。

「良の顔、めっちゃ面白かったな」
「気づいた?」

 茉美が僕に訊く。

「なにが?」
「指輪。たぶん、クサカさんからもらったんだよ。樹奈の趣味じゃないごついやつ。付き合ってるのかもね、もう」

 指輪のことまで気づかなかった。

「付き合ってるかどうか訊かないの?」
「あっちが言わないなら訊かないでもいいかなーって。来週にはカラコンとかタトゥー入れてきそう」

 茉美はスマホに視線を落とした。

「これ先月の樹奈」

 そう言って彼女は、浅草に行った時に撮った樹奈の画像を僕に見せた。華やかで可愛い着物姿の樹奈が恥ずかしそうに微笑んでいる。

「樹奈は素直だから、男の好みに染まっちゃったんだろうなぁ。でも別れたらまた元に戻るっしょ」

 巧はそう言うと、慰めるように茉美の肩をぽんと叩いた。茉美は浮かない表情でスマホを眺めている。
 樹奈からもらったお店のカードを僕が財布にしまおうとすると、茉美はそれをちらっと見咎めて嫌そうな顔をした。





 新しいモーニングは三種類に決まった。
 (野菜たっぷりピザトースト)と(生クリームたっぷりフルーツ添えパンケーキ)、(チーズがけ特大ホットドッグ)だ。
 柳子が熱心に提案した、メッセージ付きパンケーキは却下された。一人一人に異なるメッセージを書くのは難しいと判断されたようだ。

 ご近所向けに割引クーポン付きのチラシも配られ、準備も万端。
 六月に入って、いよいよ新しいモーニングのお披露目となった。
 割引クーポンの効果があったのか、初日の朝には多くのお客さんがやって来てくれた。

「なんなのこれは?」

 騒がしい店内に一歩入るなり、常連のトキコさんは顔をしかめた。
 いつもの席は既に陣取られている。しかも、カワセさんはその日姿を見せなかった。アヤメさんも。
 満席になるほど混雑して、わいわいと賑やかな他のテーブルを横目に、トキコさんはずっと不機嫌そうな顔をしていた。
 新しいピザトーストのモーニングを僕が薦めてみても、白い目で見てくるだけ。

「私、チーズ嫌いなの。いつものにしてちょうだい」

 もちろん、いつものモーニングもご用意できます。

「どうせこんなの最初だけでしょ。すぐに元に戻るわ」

 ぼそっと憎まれ口のようなものを呟いた。

 二週間を過ぎると、彼女の予言通り、ぱたりと客足が途絶えた。ちょうど割引クーポンの期限が切れた頃でもあった。
 元の閑散とした店内に戻ると、トキコさんはほっとしたように機嫌をなおした。
 混雑を避けていたらしいカワセさんも元通りやって来るようになったが、アヤメさんはほとんど姿を見せなくなってしまった。

「あのアヤメって人、最近来てる?」

 僕がドリンクバーでマグカップを補充していると、いつの間にか背後にいたトキコさんにそう訊ねられた。

「いえ、見てないですが」
「そう。具合でも悪いのかしら」
「さあ……」
「お兄ちゃんが知るわけないか」

 あんなに毛嫌いしてたのに気にはなるんだ、と僕は少し意外に感じた。
 確かに、いつも来ていた人が突然来なくなれば、どうかしたんだろうか、と心配にはなるものだ。
 僕はこのことを柳子や美帆さんに話してみた。二人ともアヤメさんのことは何も知らなかった。
 それよりも柳子は、モーニングの失敗がけっこう堪えているようだった。

「なんでだめなんだろう? 自信のあるメニューだったのにな」
「そもそも、モーニングってそれほど注目されないものなのかもよ。ランチとかならまた別だろうけど」

 美帆さんはそう言って柳子を慰めた。メニューがだめなんじゃない、モーニング自体に集客力がないのだ、と。
 確かに忙しい朝は、家にあるもので適当にすます人がほとんどだろう。
 ファミレスだって十時半を過ぎればランチメニューを頼める。ランチならもっといろんな料理を選べるしボリュームもある。コスパもいい。
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