野良ドールのモーニング

森園ことり

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 僕はすぐに暑さにやられて自分の部屋に戻った。
 水を飲んでごろんと横になる。
 そのまま眠ってしまったようで、目が覚めた時には昼を過ぎていた。

 朝に柳子作の桃色おにぎりとレモンアイスを食べただけだから、異様にお腹が空いている。
 ハンバーガーでも食べに行くかと、キャップをかぶって外に出た。この暑さの中、駅前まで行くのはきついが仕方ない。

 少し歩いていると、ぴーひょろてこてんと笛や太鼓の音が聞こえてきた。
 音のするほうを探すと、右手の方がなんだか騒がしい。ちょっと遠回りになるけどせっかくだから、と方向転換した。
 きゃっきゃと子供たちの楽し気な声が大きくなっていく。
 少し先に人だかりができていて、その中心に山車があった。
 山車に乗った人々が、太鼓を叩き笛を吹いている。それを縄で引く大勢の子供たち。

 小さい頃、僕も山車を引いたことがあった。休憩で山車をとめる度に、アイスやジュースをくれるのが嬉しかった。最後に神社にたどり着くと、お菓子の詰め合わせももらえた。それが目当てで、毎年山車を引くのを楽しみにしてたっけ。

 喉が渇いたなぁと汗を拭いながら顔を上げると、小学校の建物が視界に入った。
 そういえば、トキコさんは小学校の隣に住んでるとか言ってたような。
 カワセさんの家は無事に見つかっただろうか。訪ねて行って無事に会えただろうか。彼は元気だっただろうか。
 あれからトキコさんも店に現れない。
 小学校の裏門の脇にある細長い家を見た時、二階のベランダに人影があるのに気づいた。

 トキコさん?
 彼女に似た人影が、額に手をかざして山車を見下ろしている。
 じっと見ていると、視線を感じたのか、相手はくるりと振り返ってこちらを見た。そして手を振る。僕も慌てて手を振り返した。
 すぐにそのベランダの人影は消える。しばらくすると、家から帽子をかぶったトキコさんが出てきた。

「やっぱりお兄ちゃんだ。山車を見にきたの?」

 笑顔のトキコさんの顔を見て、ほっとした。

「はい」

 本当はお昼を食べに行く途中だけど、まあいいや。

「暑いのに子供は元気よねぇ」
「トキコさんもお元気そうで。最近お店にいらっしゃらないから心配してました」

 僕がそう言うと、トキコさんはあら、と微笑んだ。

「心配してくれたなんて嬉しいこと。最近、毎朝カワセさんのところに行ってるのよ」
「え、そうなんですか。カワセさん、どこか悪いんですか?」
「軽い熱中症だったみたい。いまはもう大丈夫よ」
「それならよかったです」
「最初の日に、スポーツドリンクと食べ物を差し入れたらすごく喜んでくれてね。それをいまも毎日続けてるというわけ」

 苦笑いしながらも嬉しそうなトキコさん。なんか雰囲気も変わった。いつも沈んだ色を着ていたのに、いまは白いブラウスに青いスカートという服装。口紅も少し塗ってるみたいだ。

「もう元気になったみたいだから、また来週から一緒にモーニング食べに行くわね」
「それなら良かったです。お待ちしてますね」

 彼女は僕の汗ばんだ腕をぽんぽんと叩いた。

「外で会うとなんか変な感じね。そうだ。西瓜買ったから持ってきなさい」

 断ろうとした時には既に家の中に消えていた。
 汗をかきながら待っていると、想像より大きめのビニール袋を持って彼女は現れた。

「ちょっと重いけど家近いんでしょ?」

 受け取ると、半分に割った小玉西瓜が入っていた。
 ありがとうございますとお礼を言って、ハンバーガー屋を目指す。西瓜がえらく重いけど仕方がない。
 気づけば太鼓や笛の音はずいぶん遠ざかっていた。





 月曜日の朝、トキコさんの言葉通りにカワセさんは店に現れた。
 少し痩せたようにも見えるけれど、雰囲気はいつもと変わらない。だが、先に来ていたトキコさんに気づくと、柔らかな笑顔が浮かんだ。

「おひさしぶりです」

 二人のテーブルに行って声をかけると、カワセさんはやあと笑った。

「暑さにやられてしばらく来られなかったよ」
「お元気になられたみたいでよかったです」
「このひとが色々世話をやいてくれたから助かった」

 そう言ってトキコさんを手で示す。彼女は珍しくはにかむと、いいのよと言うように手を振った。

「その帽子素敵ですね」

 夏素材の涼し気な帽子が、カワセさんの横の椅子に置いてある。

「これ、トキコさんがくれたんだよ。日差しをよけたほうがいいって」

 確かにカワセさんは夏でも鳥打帽をかぶっていた。つばありのこの帽子のほうが真夏にはよさそうだ。

「今度お礼しないとね」
「いいのよ、気にしなくて」

 微笑み交わす二人。以前よりぐっと距離が近くなっている。
 普段はあまり喋らないカワセさんだけど、その日は新聞も読まずにトキコさんとずっとお喋りをしていた。

 その日から、トキコさんは少しずつ変わっていった。いつもきつくまとめていた髪を短く切って、ふんわりとカールさせた。服装も明るくて女性らしいものにどんどん変化していく。
 恰好だけでなく、性格も少し変わってきた。アヤメさんが自分の話ばかりしても苛々しないし、若い客たちが騒いでも目を吊り上げない。
 聖母のごとく穏やかなまざなしをたたえて、常に口角を上向きにしている。

「ねえ、ここって若い子に人気のかき氷屋さんなんでしょ?」

 七月も終わりの朝、久しぶりに顔を見せたアヤメさんが、目を輝かせながらスマホ画面を僕に見せてきた。
 空になった皿を下げながら画面を覗く。そこにはレトロな外観のカフェと、山盛りの豪華なかき氷が写っていた。
 残念ながら僕はそういう方面に疎い。

「僕はそういうのに詳しくないので……すみません」

 なあんだそうなの、と言いながらもアヤメさんは楽し気に肩を揺らす。

「このあと三人で行こうって話してたの」

 そうなのよ、という風にトキコさんも頷く。
 三人はどうやら最近、ファミレスを出たあとも行動を共にしているらしい。

「八月は花火を見にいくのよ」

 アヤメさんが身をくねくねさせる。

「みんなで浴衣着ていくのよん」
「カワセさんが花火を見ながら食事できるお店を予約してくれたの」

 嬉しそうにトキコさんは言い、カワセさんをちらっと見る。カワセさんもトキコさんを見て、少し照れたように耳の裏をかいた。

「いつもお世話になってるから、お礼ぐらいしないとね」

 二人の様子を見ていたアヤメさんが、目を細めて拗ねた顔をする。

「なぁんかつまんない」

 慌ててアヤメさんのご機嫌をとろうとするトキコさん。カワセさんもアヤメさんの服を褒めたりして。
 そんな三人を見ていて、僕は素直に羨ましいと思ってしまった。かき氷に花火大会。夏を満喫している。
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