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若い客が多いせいかドリンクの減りが異様に早い。スピーディにドリンクやマグカップなどを補充していると、背後から声をかけられた。
「お兄ちゃん、ちょっとちょっと」
振り返るとトキコさんが手招きしている。
急いで補充を終えると、なんでしょうと彼女の元に行った。
今日も一人だ。
「忙しいとこ、ごめんね」
わははははと笑う女子たちの声にかき消されそうな彼女の声。
「すみません、賑やかで」
僕が小声で謝ると、いいのよというようにトキコさんは笑った。そして小さくため息をつく。
「カワセさん、最近来ないわね」
「あぁ、そうですね……体調、崩されてなければいいんですけど」
「腰が悪いって前から言ってたからね。それにこの暑さでしょ。なかなか外に出られないんじゃないかしら」
「一人暮らしなんですよね、カワセさん。ご飯とかどうしてるんでしょう」
トキコさんはちらりとまわりを見てから、僕に顔を寄せるようにした。
「お兄ちゃん、カワセさんの家がどこか知らないわよね?」
それが知ってたりする。トラ吉の駐車場の裏手に小さな庭付きの一軒家がある。そこからカワセさんが出てくるのを偶然見かけたことがあるのだ。
そのとき、彼も僕に気づいて、挨拶をしてくれた。ここにお住まいだったんですねと言うと、そうだと答えた。モミジの木が形よく植えられていたのを覚えている。
「知ってます」
僕はトキコさんに彼の家の場所を教えた。勝手に教えるべきではないのだろうけど、トキコさんは彼に迷惑をかけるようなことはしないだろう。それに、本当に彼は体調を崩して困ってるかもしれない。
「そこならよく通る場所だわ。私は通りを一つ挟んだ小学校の隣に住んでるの」
トキコさんはしばらく見なかった明るい笑顔を浮かべた。
「ありがとうね、お兄ちゃん。恩に着るわ」
その日、いつもよりだいぶ早く彼女は店をあとにした。
*
週末の朝、僕は柳子の部屋のドアをノックした。
「池間良です」
笑い声と共にドアが開いた。顔を覗かせた柳子は早朝にも関わらず、きれいに髪を整え、爽やかな青いワンピースを着ている。
「フルネームで言わなくても」
さりげなくドアの隙間から中を覗きこんだ。玄関に男物の靴はないし、奥の部屋にも人の気配はないようだ。
「どうしたの?」
「これ、おにぎりのお礼」
コンビニアイスを五個入れたビニール袋を差し出す。
「ありがとう。わざわざ」
僕の視線を辿って柳子は部屋を振り返る。
「あがる?」
「え、いや……」
「一緒にアイス食べようよ。冷たいお茶も出すから」
返事をする前に柳子は台所に立った。小型の冷蔵庫を開けて、茶色い飲み物が入ったピッチャーを取り出す。
「アイス、どれにする?」
「じゃあ……レモン味のやつ」
「私はイチゴ味にしよ」
お邪魔します、と僕はサンダルを脱いで部屋にあがった。
奥の部屋はクーラーがきいていて涼しい。小さな音でラジオが流れている。当然だが男はいない。僕以外には。
「暑いね、毎日」
そうだね、と柳子がくすくす笑う。
麦茶が入ったグラスをテーブルに置いて、彼女は僕の前に座った。
「アイス、おいしそ。いただきまーす」
イチゴ味のかき氷を食べはじめる。
「スイーツモーニングだけど、いい感じだよね。朝来てる若い子たちが、午後は親と一緒に来てパフェとか食べてるらしいよ」
へえ、と相槌をうちながら、再び室内をチェックする。スウェットとかの男物の服や持ち物は見当たらない。あれは彼氏じゃないのか? じゃあなんなんだ。
「なに、じろじろと。どうかしたの?」
柳子が手を止めて訝し気に僕を見る。
どうかしたのはそっちだ。あんな怪しげな男を家にあげたりして。
「……このまえ、男がここに入ってくところを見たんだけど」
「え?」
柳子はぽかんとして僕を見ていたが、突然はっとしたような表情を浮かべた。
次の瞬間声を出して大笑いをはじめる。
「あぁ……それは誤解」
「誤解?」
「あれは、いとこ。いとこのお兄ちゃん」
「いとこ?」
いとこと仲がいいなんて初耳だ。
「いとこがなんの用だったの? 随分リラックスした格好だったけど」
リラックス、と呟きながら柳子はかき氷を食べ続ける。
「ただ近くに用があったから寄っただけ。もしかして、心配してくれたの?」
「いや……」
「それなら安心して。心配するようなことはなにもないから。ほんとに」
ほんとにそうなら、いいけど。
アイスを食べ終わった頃に、神輿の掛け声が聞こえてきた。
「あれなに?」と柳子が音の方を振り向く。
「お神輿が町内をまわってるんだよ」
「え、そうなんだ。見に行きたい」
柳子はぱっと立ち上がると、部屋からそのまま出ていった。僕も慌ててついていく。
神輿はちょうどアパートの前の通りを過ぎていくところだった。
正子さんや剣太郎君も縁側から外を覗いている。
わっしょいわっしょいという威勢のいい掛け声に惹きつけられるように、ふらふらと柳子は神輿のあとをついていった。
「お兄ちゃん、ちょっとちょっと」
振り返るとトキコさんが手招きしている。
急いで補充を終えると、なんでしょうと彼女の元に行った。
今日も一人だ。
「忙しいとこ、ごめんね」
わははははと笑う女子たちの声にかき消されそうな彼女の声。
「すみません、賑やかで」
僕が小声で謝ると、いいのよというようにトキコさんは笑った。そして小さくため息をつく。
「カワセさん、最近来ないわね」
「あぁ、そうですね……体調、崩されてなければいいんですけど」
「腰が悪いって前から言ってたからね。それにこの暑さでしょ。なかなか外に出られないんじゃないかしら」
「一人暮らしなんですよね、カワセさん。ご飯とかどうしてるんでしょう」
トキコさんはちらりとまわりを見てから、僕に顔を寄せるようにした。
「お兄ちゃん、カワセさんの家がどこか知らないわよね?」
それが知ってたりする。トラ吉の駐車場の裏手に小さな庭付きの一軒家がある。そこからカワセさんが出てくるのを偶然見かけたことがあるのだ。
そのとき、彼も僕に気づいて、挨拶をしてくれた。ここにお住まいだったんですねと言うと、そうだと答えた。モミジの木が形よく植えられていたのを覚えている。
「知ってます」
僕はトキコさんに彼の家の場所を教えた。勝手に教えるべきではないのだろうけど、トキコさんは彼に迷惑をかけるようなことはしないだろう。それに、本当に彼は体調を崩して困ってるかもしれない。
「そこならよく通る場所だわ。私は通りを一つ挟んだ小学校の隣に住んでるの」
トキコさんはしばらく見なかった明るい笑顔を浮かべた。
「ありがとうね、お兄ちゃん。恩に着るわ」
その日、いつもよりだいぶ早く彼女は店をあとにした。
*
週末の朝、僕は柳子の部屋のドアをノックした。
「池間良です」
笑い声と共にドアが開いた。顔を覗かせた柳子は早朝にも関わらず、きれいに髪を整え、爽やかな青いワンピースを着ている。
「フルネームで言わなくても」
さりげなくドアの隙間から中を覗きこんだ。玄関に男物の靴はないし、奥の部屋にも人の気配はないようだ。
「どうしたの?」
「これ、おにぎりのお礼」
コンビニアイスを五個入れたビニール袋を差し出す。
「ありがとう。わざわざ」
僕の視線を辿って柳子は部屋を振り返る。
「あがる?」
「え、いや……」
「一緒にアイス食べようよ。冷たいお茶も出すから」
返事をする前に柳子は台所に立った。小型の冷蔵庫を開けて、茶色い飲み物が入ったピッチャーを取り出す。
「アイス、どれにする?」
「じゃあ……レモン味のやつ」
「私はイチゴ味にしよ」
お邪魔します、と僕はサンダルを脱いで部屋にあがった。
奥の部屋はクーラーがきいていて涼しい。小さな音でラジオが流れている。当然だが男はいない。僕以外には。
「暑いね、毎日」
そうだね、と柳子がくすくす笑う。
麦茶が入ったグラスをテーブルに置いて、彼女は僕の前に座った。
「アイス、おいしそ。いただきまーす」
イチゴ味のかき氷を食べはじめる。
「スイーツモーニングだけど、いい感じだよね。朝来てる若い子たちが、午後は親と一緒に来てパフェとか食べてるらしいよ」
へえ、と相槌をうちながら、再び室内をチェックする。スウェットとかの男物の服や持ち物は見当たらない。あれは彼氏じゃないのか? じゃあなんなんだ。
「なに、じろじろと。どうかしたの?」
柳子が手を止めて訝し気に僕を見る。
どうかしたのはそっちだ。あんな怪しげな男を家にあげたりして。
「……このまえ、男がここに入ってくところを見たんだけど」
「え?」
柳子はぽかんとして僕を見ていたが、突然はっとしたような表情を浮かべた。
次の瞬間声を出して大笑いをはじめる。
「あぁ……それは誤解」
「誤解?」
「あれは、いとこ。いとこのお兄ちゃん」
「いとこ?」
いとこと仲がいいなんて初耳だ。
「いとこがなんの用だったの? 随分リラックスした格好だったけど」
リラックス、と呟きながら柳子はかき氷を食べ続ける。
「ただ近くに用があったから寄っただけ。もしかして、心配してくれたの?」
「いや……」
「それなら安心して。心配するようなことはなにもないから。ほんとに」
ほんとにそうなら、いいけど。
アイスを食べ終わった頃に、神輿の掛け声が聞こえてきた。
「あれなに?」と柳子が音の方を振り向く。
「お神輿が町内をまわってるんだよ」
「え、そうなんだ。見に行きたい」
柳子はぱっと立ち上がると、部屋からそのまま出ていった。僕も慌ててついていく。
神輿はちょうどアパートの前の通りを過ぎていくところだった。
正子さんや剣太郎君も縁側から外を覗いている。
わっしょいわっしょいという威勢のいい掛け声に惹きつけられるように、ふらふらと柳子は神輿のあとをついていった。
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