野良ドールのモーニング

森園ことり

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「ごちそうさま。先に戻ってるね」

 灰野さんが時蔵さんに声をかけて腰を上げた。ここにいればまた何か食べさせられると恐れているかのように。食べ残しを入れたタッパも忘れずに持っていく。
 時蔵さんはスマホを取り出すと、僕に画面を見せた。

「こんなのあるけど、どうかな」

 エッセイ漫画、賞、の文字が目に飛び込んできた。
 有名な出版社がエッセイ漫画を募集しているらしい。締め切りは十一月で、受賞すれば電子書籍化の可能性もある。賞金も少し出る。

「いや、賞なんて無理です。ほんとに単なる落書きなんで」
「だとしても応募するのはタダだよ」
「そうですけど、落ちるとわかってて出すのは……」
「そう」

 ごめんね、というように笑って時蔵さんは西瓜にかぶりついた。
 僕も西瓜を取って一口齧る。

「時蔵さんは美大とか出てるんですか?」
「あぁ、一応ね。でも普通に就職して会社員してたよ」
「そうだったんですか」
「うん。絵は趣味でやるつもりだったんだけど、先生の絵画教室に通うようになって、気持ちが変わった。実は小学生の時に、先生のワークショップに参加したことがあったんだ。彼女はそのとき三十歳だったよ」

 遠い目をして笑う時蔵さん。じゃあ、当時彼はまだ小学生だったんだ。

「そんな昔からの付き合いだったんですか」
「絵画教室に通うまでは全然会ってなかったけどね。再会できて嬉しかったなぁ」
「もしかして、灰野さんが初恋だったりして」
「はは、そうかもね。先生はきらきらしてたからな。いまもだけど」

 いまも? いぶし銀ではなくて?
 時蔵さんを見てたら、やっぱり昨日のことが気になってきた。

「あの、時蔵さん。昨日、柳子さんと『旋律』にいましたよね?」

 驚いた顔を一瞬彼は浮かべたが、西瓜を食べ続けた。

「一緒に出てくるところを見かけて」
「あぁ、そう」

 時蔵さんはその一言だけで、特にその話を広げようとはしない。黙々と西瓜を食べ続けている。

「一緒にお茶飲むほど仲良くなったんですね」
「いやぁ」

 ちょっと困ったような表情を浮かべる。

「珍しい組み合わせだったので」

 あはは、と時蔵さんは笑うと、食べ終えた西瓜の皮を皿においた。

「あぁ、お腹いっぱい。じゃ、戻って絵を描くね」

 そそくさと、まるで逃げるように時蔵さんは部屋から出ていった。
 
 その夜、僕は正子さんの家に焼肉を食べに行ったが、柳子の姿はまたしてもなかった。

「夕飯食べてくるんだって」

 遅くなるので夕飯はいらないと連絡があったらしい。
 灰野さんと時蔵さんも外に食べに行ったとかで、夕飯は僕と正子さん、剣太郎君の三人だけだった。
 灰野さんと時蔵さんの分の肉も買ってしまったとかで、正子さんは僕にとにかく肉を食わせようとした。剣太郎君はゲームをすると言って、要領よくさっさと自分の部屋に引き上げてしまったので、僕は限界まで肉を食べさせられるはめになった。

 正子さんの目を盗んでなんとか逃げ出すと、腹ごなしに夜の町を散歩した。
 どこかで猫が鳴いている。
 トラ吉はどうしてるだろう。
 足を駐車場に向けてみたが、そこに彼の姿はいなかった。
 誰かがあげた餌が皿に残っている。夕飯を終えてみんな寝床に引き上げたのだろう。

 他の猫でもいいからちょっと遊びたいなと探してみたけれど、そういう時には見つからないものだ。
 自販機で冷たいコーラを買って、公園のベンチで飲んでから家に帰った。
 絵に描いたようなパッとしない一日だった。





 月曜日からはじまったスイーツモーニングは、出足から好調だった。
 中高生らしき女子グループが、何組も朝一番にやって来て賑わった。
 いつもは高齢客で占められていた店内に飛び交う十代の甲高い声。
 僕だけじゃなく店長も驚いていた。

「こんなにも反響があるとは」

 夏休みのはじまりとタイミングよく重なったことが大きかったのだろう。
 たった数百円で甘いスイーツが食べられ、ドリンクは飲み放題。友達とおしゃべりして長時間過ごすには最適の場所だと判断されたらしい。
 賑わう店内をじっと見ていた店長の目は、いつになく輝いている。

「この分だと、月末いっぱいはこんな光景が続きそうだな」

 来月からは肉メインのモーニングの予定だ。

「カレーみたいに、スイーツモーニングも残せばいいじゃないですか」

 僕が囁くと、店長はうんと小さく頷いた。

「こうなったらなんでもありかな」

 カレー目当ての男性客もちゃんと来ている。
 午後も客が増えた、とこのまえ柳子も話していた。ということは売り上げも増えているんじゃないだろうか。

「お店の売り上げ、いい感じですか?」

 ちらりと僕を見た店長は頷く。

「多少はね」

 多少、か。まあ、モーニングは安く提供しているから、それほど売り上げには影響していないのかもしれない。

「でも、この分だと右肩上がりで伸びてくかもね」

 店長はそう言ってにこりと笑った。
 フロアの盛況ぶりをもう一度見渡してから、軽い足取りで事務室に戻っていく。
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