野良ドールのモーニング

森園ことり

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 柳子が行きそうなところを探す。正子さんの家は近すぎるからないだろう。ファミレスに行くとも思えない。『旋律』を覗いてみたがいなかった。近くの公園にもいない。コンビニにもいなかった。
 あとはどこだ?

 地域猫が集まる駐車場に行ってみると、柳子の姿があった。
 フードをかぶってしゃがみこみ、少し離れた場所で寝そべっているトラ吉に話しかけている。
 僕に気づくと、柳子は笑った。

「おなかいっぱいで眠たいみたい」
「みたいだね」

 十月も終わりになると、夜はさすがに肌寒い。

「寒くない?」

 訊ねると、柳子は首を横に振った。

「さっき、お母さん来てたみたいだね。大丈夫?」
「大丈夫じゃない、かな。私、母親のこと、小さい頃から苦手なんだよね」
「そう……」
「うん。だから夏休みとかになると、いとこのお姉ちゃんのとこに泊まりにいってたの。あそこにグレーと白の小さいマンションが見えるでしょ? あそこにお姉ちゃん、住んでたの」

 柳子が指さした先には、それらしきマンションが見えた。日が暮れていたので、はっきりとはわからなかったけど。

「じゃあ、このあたりのことはちょっと知ってたんだね?」
「ちょっとだけね。猫が好きだったから、この駐車場の存在も知ってたよ。たまに餌もあげに来てた。本当は猫を飼いたかったんだけど、母親と姉が動物嫌いだったから」
「ここに来てたの? いつ頃の話?」
「十年ぐらい前からずっとだよ」

 僕はぽかんとして柳子の顔を見つめた。
 ここにはいろんな人が猫に会いにやって来る。顔を合わせても話し込むことはない。それでも軽く挨拶を交わすことはある。

 僕は柳子に似た人を以前、ここで見かけたような気がした。いまと同じようにフードをかぶって、猫に餌を上げていたそのひとを、僕は男性だと思い込んでいた。ドライフードで地面の上に何かの図形を作っていて、ちょっと変わった人だなと思ったので、覚えている。

 そのひとは僕の方から見ると、桃に見える図形を作っていた。相手から見れば、ハートだ。
 それは、柳子が僕の部屋の前に置いていた、桃色おにぎりと重なる。

「もしかして、僕とここで会ったことある?」

 柳子は少し考えてから、小さく頷いた。

「あるよ」
「ほんとに?」
「うん。ここだけじゃなく、ファミレスで会ったこともある。いとこのお姉ちゃんと何度か食べに行った時に。私は猫に餌あげてた人だってすぐに気づいたんだけど、良ちゃんは知らん顔だった」

 その記憶は僕にはない。もしかすると、男性客だと勘違いしていたからかもしれない。よっぽど変わった人でない限り、男性客の顔をじろじろ見ることはないから。

「ごめん。覚えてない」

 柳子はふふっと笑った。

「いいよ、別に。でも私の方はこんな偶然あるんだなぁってちょっと感動したんだ。それから、なんとなく良ちゃんのことが気になりはじめた。猫が好きで、朝早くから真面目にファミレスで働いてるなんて、好感持てるから」

 トラ吉は突然立ち上がると、僕の足に体をこすりつけてからどこかへ歩き去ってしまった。でも僕らは腰を上げようとはしなかった。

「私、テーブルから手帳落としちゃったことあったのね。そうしたら、通りかかった良ちゃんが拾ってくれたの。ささっと埃を払うようにしてから、どうぞって笑顔で。それで私、やっぱりいいひとだなぁって思った」

 近くの街灯がぴかぴかっとついた。

「ある日またお店に行くと、良ちゃんの友達が来てた。樹奈さんと巧君。三人で話してるのを聞いてたら、大学の友達だってことがわかった。それと、良ちゃんは樹奈って子のことが好きなんだってことも」

 僕たちは二人の間に見えない猫がいるかのように、視線を落としたままじっとしていた。

「良ちゃんは髪が長くて可愛い感じの子が好きなんだって思った。だから、良ちゃんに助けられた時、すぐにはウィッグが取れなかったんだ」

 俯いたままの柳子を僕は見つめる。

「短い髪も似合ってるよ。いまのりゅー、好きだな。というか、どんなりゅーでも好きだよ」

 柳子は顔を上げると、フードをとった。そして泣きそうな顔で笑った。

「私も好き。良ちゃんのことが」

 僕らは見つめ合い、でも恥ずかしくてすぐに視線をそらした。
 照れ隠しに、僕はよしっと立ち上がると、腰を伸ばした。

「帰ってカレー食べない? 今度はレトルトじゃなくてちゃんと作ったから」
「ほんと? やった」

 僕は柳子に手を差し出して、立ち上がらせてあげた。
 はじめて触れた彼女の手のやわらかさは、それまでに触れたなにものとも違う感じがした。





 そのあと、僕の部屋で一緒にカレーを食べた。

「あの朝、倒れてたのは本当だからね? でも、偶然ではないかな。本当は良ちゃんの顔が見たくて、ファミレスの前で開店するのを待ってたの。だから良ちゃんに見つけてもらえなくても、私のほうから声をかけてたよ。そうするって決めてたから」

 おいしそうにカレーを食べながら、柳子はそんなことを告白してくれた。
 食後にソーダ味のアイスを食べながら、なんとなく見つめ合っていい雰囲気になっているところに、ごんごんごんとドアが叩かれた。

 一瞬、柳子の母親が戻ってきたのかと焦ったけれど違った。我らが大家、正子さんだった。
 僕がドアを開けると、正子さんは部屋の奥を鋭い目つきで覗き込んだ。そして出てきた柳子を見て、怖い顔をした。

「夕飯に来ないから心配したよ。やっぱりここだったか。なに、カレー食べたの?」

 険しい顔のまま鼻をくんくんさせる正子さん。

「あ、はい。たくさん作ったので食べてもらってたんです」

 変な汗が噴き出してきた。まるで親に女の子を連れ込んだのがバレたみたいに。

「珍しいことだこと。もう食べ終わったの?」

 柳子に訊く。

「はい」
「じゃあもう、自分の部屋に帰りなさいな」
「あ、はい」

 柳子もなんだか慌てた様子で、正子さんに伴われて部屋から出ていったのだった。

 そんなこんながあっての、ファミレス最後の日。
 朝から大勢のお客さんが店に足を運んでくれた。
 表に長い行列ができたぐらいで、店長をはじめ、僕ら従業員はみんな嬉しい驚きに包まれた。

 おなじみの常連さんたちももちろん来てくれた。
 トキコさんは朝働いたあと、お客さんとしてもお店で最後の時を過ごした。もちろんアヤメさんと一緒に。
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