野良ドールのモーニング

森園ことり

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 喪に服しているのか、黒い上下に灰色の上着を羽織っていた。耳にはカワセさんからもらった真珠のイヤリングをつけている。
 彼女はいつもの席に腰をおろすと、僕を手招きした。

「お店、なくなるんだってね」

 アヤメさんから聞いたのだろう。僕は頷いて頭を下げた。

「すみません」
「お兄ちゃんが謝ることないわよ。でも寂しくなるわね。お兄ちゃんたちにももう会えなくなるなんて」

 彼女はモーニングのメニュー表を見ると、巨大パンケーキを指差した。

「これにするわ」
「絵とメッセージのどちらにしますか?」

 いらない、というように彼女は首を横に振った。
 注文を伝えに厨房に向かうと、途中で柳子が待っていた。

「トキコさん、来たてくれたんだね。注文は?」
「巨大パンケーキ」
「じゃあ私、メッセージ書く」
「なにも描いて欲しくないみたいだよ」
「大丈夫。私にまかせて」

 彼女は伝票を受け取ると、厨房に入っていった。
 フロアに戻ると、トキコさんはぼうっと窓の外を眺めていた。周囲の賑わいはまるで耳に入って来ないようだ。
 僕がオーダーやテーブルの片づけで忙しくしていると、柳子が出来上がったパンケーキをトキコさんの元に運んでいった。

 それに気づいた僕は慌てて自分の仕事を片付けて、彼女のあとを追いかけた。トキコさんのパンケーキになにを描いたのか、やっぱり気になる。

「これ……」

 トキコさんは目の前のパンケーキを見て、困惑の表情を浮かべている。
 僕もパンケーキを見た。


(一緒に働きませんか?)


 どういうこと?
 トキコさんも怪訝そうな顔で柳子を見た。

「トキコさん、もしよかったら、一緒にここで働きませんか?」

 柳子がそう言うと、トキコさんも僕も、えっと声を漏らした。

「働くって……私が?」
「はい。店長には話を通してあります。あと数週間ならいいそうです。朝の一時間だけ、簡単な仕事をしてみませんか?」

 ぽかんとしていたトキコさんは、柳子が本気で言っているとわかると、目を瞬きはじめた。

「私にできると思う?」
「それはやってみないとわかりませんけど、私が全力でフォローします」
「僕もフォローします」

 思わず僕も脇から口を挟むと、トキコさんは柳子と僕の顔を見くらべた。

「ちょっと考えさせて」

 彼女は驚いた表情のまま言った。





 翌日にはトキコさんから店長に、働きたいとの連絡があった。
 二日後の朝には、トキコさんは茶色い制服を着て、朝のファミレスのフロアに立っていた。
 顔は少々こわばっていたけれど、そこに悲しみの影はなかった。

 初日は簡単な食器の片づけだけ。数日たつと、料理を運んだり、ドリンクの補充などもしたりするようになった。
 一時間の予定だったが、トキコさんがもう少し働きたいと言うので、七時から九時の二時間働くことになった。

「長年、ここのひとの仕事ぶりを見てたから、知らないうちに覚えちゃってたみたい」

 トキコさんが言う通り、仕事の流れはなんとなくわかっているようだった。少し耳が遠いので、注文をとる時だけは僕らと交代する。それ以外の場面ではトキコさんは有能な店員だった。

「どうしちゃったのよ、もぅ。なんで働いてんの?」

 店にやって来たアヤメさんは、店員として働くトキコさんを見て仰天した。
 トキコさんはちょっと得意そうで、そんな彼女を見たアヤメさんはかなり羨ましそうな顔をしていた。

 他の常連客たちも、少し前まで同じ客として来ていたトキコさんが働きはじめたことに、驚きを隠せないようだった。カワセさんがいなくなり、閉店が決まったことで沈んでいた彼らも、溌溂と働くトキコさんの姿を見て、少しだけ元気を取り戻したようにも見えた。

 そうして、とうとう十月の最後の週に入った。
 僕は駅前の系列店のカレー屋で働くことが正式に決まった。来月から一週間の研修に入る。
 大さんも同じ店で働くことが決まったが、柳子と美帆さんは隣町のファミレスに行くことになった。おそらく僕と大さんの希望勤務時間が短く、柳子と美帆さんは長めだったからだと思う。

 僕は柳子と一緒に働けるものと思っていたので、かなりがっかりした。
 柳子と同じ職場で働くのもあと数日か、と思いながら珍しく夕飯にカレーを作っていた時のことだ。

 家の外の廊下から話し声が聞こえてきた。
 柳子のところに正子さんか剣太郎君が来たんだろうぐらいに思っていたが、剣のある声のやりとりに僕は動きを止めた。
 そっと鍋の火を止めて耳をすますと、柳子の声が聞こえてきた。

「もう帰ってよ」
「ちゃんと話を聞きなさい!」
「だから何度も説明したでしょ」
「大学にだけは行きなさい。こんなアパートで暮らしてファミレスの仕事? この先どうするつもりなのよ。あてつけもいい加減にしなさい!」

 どうやら柳子の母親が来たようだ。

「このままじゃ、あなたのためにならないって言ってるのよ!」
「お母さんは自分の思い通りにしたいだけでしょ。もういい加減にして!」
「待ちなさい、柳子!」

 ばたばたと駆けていく足音。それをカツカツと固い靴音が追いかけていく。
 やがて静かになると、僕は鍋の火をつけた。

 柳子、大丈夫だろうか。
 カレーが完成すると、僕は柳子の部屋に様子を見に行った。さっきの騒動から三十分はたっている。
 ドアをノックしてみたが、返事はなかった。まだ帰ってきていないみたいだ。
 どこに行ったんだろう?
 まさかまた母親から逃げ出して、ここに帰ってこないなんてことはないよね?

 外は暮れかけてきている。
 パーカーを羽織ると、僕は家を飛び出した。
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