野良ドールのモーニング

森園ことり

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「よかったらお写真撮りましょうか?」

 僕がそう声をかけると、トキコさんが真っ先にスマホを差し出した。

「お願い。美人に撮ってね」
「がんばります」

 巨大パンケーキと笑顔の三人の姿をカメラにおさめた。
 若い子にうけると思ったパンケーキは、意外にも常連の高齢者たちに人気が出た。メッセージやイラストを見た彼らは、嬉しそうに僕らに話しかけててくれた。いままでちゃんと言葉を交わしたことがなかった常連さんと話が弾めば、僕らも自然と笑顔になる。

 店を温かい雰囲気にしてくれた(パンケーキモーニング)のあとは、(ビッグピザモーニング)がはじまった。
 たっぷりとチーズを使った食べ応えのあるピザは、通常の二人前のサイズ。ドリンクバー付きで490円。
 これも出足は好調で、若い人を中心に注文が入った。これは僕らスタッフの間でも評判がよくて、休みの同僚が食べにくることもあったぐらいだ。かくいう僕も、水曜や週末の朝に食べに行ってしまった。

 怖いぐらいにモーニングは順調で、他の時間帯の客も以前よりずっと増えていた。店は活気にあふれ、僕らは少しだけ浮かれていた。
 だからその知らせを耳にしたとき、僕は言葉を失った。

 九月最後の日、昼頃にふらりと店に現れたアヤメさんが柳子に伝えた。
 カワセさんが亡くなってしまったと。





 カワセさんは腰痛の他にいくつも持病を抱えていたらしい。
 先週の日曜の朝、目覚めた時に気分が悪かった彼は自分で救急車を呼んだ。意識を失った状態で搬送され、その日の夜には病院で息を引き取ってしまったそうだ。

 トキコさんは連絡がつかないカワセさんのことを心配して、ずっと電話をかけ続けた。
 カワセさんの親戚からトキコさんに連絡があったのは、それから四日後のことだった。葬儀は内内ですませたとのことで、最後のお別れをすることもできなかった。

「トキコさんから連絡があって、慌てて一緒にカワセさんの家に行ったんだけど、もう誰もいなかったの。本当にカワセさん、亡くなっちゃったのかな? もういないなんて、信じられない……」

 そう言って、柳子の前でアヤメさんは泣き崩れたという。
 九月の最後の週は三人とも店に来ていなかった。仲のいい彼らのことだから、一緒にどこかへ出かけているのかもしれないと僕は思っていた。

 柳子はすぐにそのことを僕に電話で伝え、彼女の仕事が終わると一緒にトキコさんの家に向かった。
 インターホンを何度鳴らしても、トキコさんは出てこなかった。

「留守なのかな?」

 洗濯物も干されていない。新聞紙も郵便受けに何日分も突っ込まれたままだ。玄関先には蝉の亡骸が転がっていた。

「中で倒れてないといいけど」

 僕の言葉に柳子の表情がこわばった瞬間、かちりと鍵が開く音がした。
 そっとドアが開く。顔を覗かせたトキコさんは、腫れぼったい目で僕らを見上げた。パジャマ姿のままだ。髪も寝ぐせがついていて、今まで横になっていたように見える。

「お兄ちゃん……」
「トキコさん、大丈夫ですか? 心配で様子を見にきました」

 トキコさんは入れというように手招きすると、奥に引っ込んだ。僕らが玄関の中に入ると、彼女は疲れたように上がり框に腰かけて俯いた。一回り小さくなったように見える。

「カワセさんのこと、アヤメさんから聞きました。とても残念です。悲しいです」

 柳子がそう言って声を詰まらせると、トキコさんは小さく頷いた。

「私もまだ信じられなくて。頭がぼうっとしてるのよ」
「ご飯、ちゃんと食べてますか?」

 僕が訊ねると、トキコさんは小さく頷いた。

「大丈夫よ。適当に食べてるから」
「あのこれ、よかったらどうぞ。柳子さんからもらったおにぎりなんですけど」

 連絡をもらってから慌てて桃色おにぎりを解凍して、たくさん持って来た。
 それと、ここに来る途中にコンビニに寄って、いろいろみつくろって買って来た。お茶やスポーツ飲料、お弁当やお惣菜、缶詰、果物やアイスなどを。
 僕が渡した袋を受け取っても、トキコさんは中を覗く気力もないようだった。ただ小さく頭を下げる。

「どうもありがとう。心配かけてごめんね」

 廊下は薄暗く、空気はこもっていた。まったく窓を開けていないのだろう。この家でずっと一人でいるのはよくない気がした。

「ご飯、お店に食べに来てください。待ってますから」

 柳子がそう言うと、トキコさんは顔を手で覆って泣きはじめた。

「でも、あのひとのこと思い出しちゃうから……」

 柳子はトキコさんの隣に腰をおろすと、肩をぎゅっと抱きしめた。

「私たち、待ってます。私たちに会いに来てください」

 トキコさんはすすり泣きながら小さく頷いた。
 アパートへの帰り道、僕らは黙ったまま歩いた。しばらくして柳子を見ると、彼女は目に涙を浮かべていた。

「大丈夫?」

 僕が声をかけると、柳子は涙を拭って頷いた。拭ったそばからまた涙があふれていた。
 その夜はうまく眠れなかった。
 眠ろうとすると、どうしてもカワセさんのことを思い出してしまう。

 多くを語らず、いつもマイペース。自分の世界を持っていた。シンプルなモーニングと苦いコーヒーが似合う、格好いい男性だった。
 僕は泣きながら、いつの間にか眠りに落ちていた。





 十月に入ってすぐ、もう一つショックな出来事があった。

「本社から正式に閉店すると連絡がありました」

 開店前に従業員が集められて、店長からそう告げられた。

「力及ばず、申し訳ありません」

 店長が深く頭を下げると、みんなは首を横に振った。
 いくら売り上げがよくなっても、一度決まったことが覆ることがないことは僕らもわかっていた。そりゃ、少しは期待したけれど。

「店長のせいじゃありませんよ。しかたないです。でも、悔いなくやりきりましたよね、私たち」

 美帆さんが落胆を抑えてそう言うと、みんなも大きく頷いた。

「モーニングを工夫しただけで、あんなにお客さんが来てくれたことは、いい経験になりましたよ」

 料理スタッフの小鹿さんもそう言って笑った。
 店長は悔しさを滲ませながらまた頭を下げる。

「閉店まで残り少ないですが、皆さん、最後まで一緒に頑張りましょう。よろしくお願いします」

 よろしくお願いします、とみんなも頭を下げた。
 解散したあと、柳子と目が合った。意外とけろっとした顔をしている。

「柳子さんはカレー屋に希望出したの?」

 彼女は苦笑した。

「良ちゃんさ、さんづけ、もうそろそろやめない?」
「じゃあ……柳子ちゃん?」
「りゅーでいいよ。りょーちゃんとりゅー」
「りゅー……」
「それでよろしい」

 笑いながら柳子はドリンクバーの準備に取り掛かった。
 りゅー、か。呼べる気がしない。

 その朝も多くのお客さんが来店してくれた。
 十月のモーニングは、これまでやってきたモーニングを全開放することになった。
 人気があったカレーやスイーツ、肉、韓国、パンケーキにチーズ。厨房は大変だが、最後だからと頑張ってくれることになった。

 店長が閉店することをSNSで伝えると、以前来てくれたお客さんたちが再訪してくれて、初日から賑わった。
 特に常連さんたちは残念がって、僕らに声をかけてくれた。

「これから私たち、どこへ行けばいいの?」

 途方に暮れたみたいに、そう訊ねてくる人もいた。
 すみませんと僕らは謝るばかりだった。このあたりにはかわりになりそうな別のファミレスもない。

 傷心のアヤメさんも家から遠いにもかかわらず、週に何回もやって来てくれた。ぽつんと一人で座っていると、いろんな思いが込み上げてくるようで、時折ハンカチで目頭を押さえる。少しでも気がまぎれるようにと、僕らはこまめに彼女に声をかけた。

 トキコさんが現れたのは、十月の二周目に入った月曜日だった。
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