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幕間一
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「私、女の子が欲しかったのよ、上がお兄ちゃんだから、下は女の子」
母子家庭の母は子に頻繁にそう繰り返した。
「ああ、可愛い。女の子みたい。ううん、その辺の女の子より可愛い」
頬に手を当て、満面の笑みで愛の言葉を囁く。反転、指先に力が入り、爪が食い込む。
「美人に産んでやったのに」
「せめて男でさえなければ」
「どうして女の子じゃないの」
「女の子じゃなくちゃ、顔がよくたって意味がない」
恨み言。男であることを呪う言葉。自分では変えようのない事実を責める、呪いの言葉。
「成長したらあの男に似てくる。せめて女の子だったらよかったのに」
力のこもったまま髪を引っ張り上げ、耳元で囁く。
「お前なんか産まなければよかった」
それ以来、女の子に産まれるべきだった、さもなくば産まれてくるべきではなかったと思いながら生きている。
*
今でこそ身体中に痣の絶えない小山内ではあるが、物心つく前から暴力を受けていた訳ではない。それまでも男であることを責められることはあっても、暴力を振るわれることはなかった。小学三年生の時、スカートを履いているところを母に見られてから、精神的虐待は身体的虐待へとエスカレートしていった。
彼を女装に駆り立てたものは何だったのか?
小学二年生の時である。クラスの女子が落としたピン留めを拾ったのがきっかけだった。戯れに、一度だけ付けて鏡を見た。周囲の大人が可愛いと言うのも納得するほど、クラスの女子より似合う、と幼心に感じた。ピン留めを外し、ランドセルのポケットに入れた。時折それを眺めては、自分が女の子だったら、と夢想した。
女の子だったら、母は兄と同じように扱ってくれただろうか。
女の子だったら、母は僕を愛してくれただろうか。
想像の中の自分は母に愛されていて、兄とも仲が良い。両親は離婚せず、大きい家で父と家族四人で暮らしている。兄と違う服を買ってもらえるし、クラブにも入れてもらえる。両親の離婚が覆らないとしても、きっと今より愛されているはずだ。夢想にふければふけるほど、次第に女の子になりたい、という想いが肥大化していった。
高校生になった兄は新しい制服に身を包み、毎日部活に明け暮れていた。兄が着なくなった服だけを着ることが許された。オーバーサイズの服は膝が隠れるほど大きく、まるでワンピースのようだった。サイズがちょうどよくなる頃には毛玉ができ、布は薄く擦り切れていた。
「家族だと思われたくないから、近寄ってくるな」
兄と直接話したのはそれくらいだった。その他は舌打ちされるか無視されるかのどちらかだった。兄は小学生の頃からサッカークラブに所属しており、中学校に入ってからもサッカーを続けていた。
「勉強をしていい学校に進学しなさい。高校生になったらアルバイトをして家にお金を入れるのよ。大学には行かせてあげるわ。そのかわりいいところに就職してね。就職をしてからも家にお金を入れてね。たとえ家から出たとしても。それが産んでもらったお礼でしょう?」
百点以外は意味がない。常々から言い聞かされてきた。その上、母は帰ってきたらすぐに家事をしろと命じた。食事は兄と母が食べ終わって余った分だけ。宿題に手を付けるのはその後で、終わる頃には日付が変わっていることもあった。早く寝るために、授業中に睡眠を取り、休み時間に予習をするようになった。クラブに入りたいなんて言えなかったし、入る時間も存在しなかった。
三年生になった。その日は兄が部活で帰りが遅く、母が仕事から帰ってくるまでにはまだ少し時間があった。少し遠くにあるスーパーの衣料品売り場へ向かった。試着室へ持って入ったのは、クラスの女子が履いているようなフリルのついた、パステルピンクのスカート。それが初めて自分で選んだ服。
試着室から周囲を見渡す。客も店員もまばらで、こちらに意識を向けている人影は見当たらなかった。小山内は試着室の中でハサミを取り出すと、タグを切り取り、そのまま試着室を出た。
そこから家に着くまでの記憶がない。なるべく人目につかないよう、息を切らせながら走って帰ったのだろう。扉を閉めたあと、玄関にへたりこんだ。
母が帰って来る前に、隠さなければ。そう思いながらも、まだ着ていたいという欲望が少年の身体に渦巻いていた。初めて自分だけの所有物となった服だった。靴を脱ぎ、姿見の前に立つ。
女の子みたいね。母の言葉が甦る。母が見たらそう言うだろうか。女の子になりたい、嘘でもそう言ったなら喜んでくれるだろうか。今すぐには無理でも、いつか、大きくなったら。
姿見の前で固まっていると、玄関が開く音がした。母が帰ってきてしまった。隠れるほどの時間もなく、リビングに入ってきた母と鉢合わせた。
「僕は男です、でも、」
女の子の服を着て、女の子のようになったら、
僕のこと、愛してくれますか?
その言葉は殴打の音に掻き消された。
母子家庭の母は子に頻繁にそう繰り返した。
「ああ、可愛い。女の子みたい。ううん、その辺の女の子より可愛い」
頬に手を当て、満面の笑みで愛の言葉を囁く。反転、指先に力が入り、爪が食い込む。
「美人に産んでやったのに」
「せめて男でさえなければ」
「どうして女の子じゃないの」
「女の子じゃなくちゃ、顔がよくたって意味がない」
恨み言。男であることを呪う言葉。自分では変えようのない事実を責める、呪いの言葉。
「成長したらあの男に似てくる。せめて女の子だったらよかったのに」
力のこもったまま髪を引っ張り上げ、耳元で囁く。
「お前なんか産まなければよかった」
それ以来、女の子に産まれるべきだった、さもなくば産まれてくるべきではなかったと思いながら生きている。
*
今でこそ身体中に痣の絶えない小山内ではあるが、物心つく前から暴力を受けていた訳ではない。それまでも男であることを責められることはあっても、暴力を振るわれることはなかった。小学三年生の時、スカートを履いているところを母に見られてから、精神的虐待は身体的虐待へとエスカレートしていった。
彼を女装に駆り立てたものは何だったのか?
小学二年生の時である。クラスの女子が落としたピン留めを拾ったのがきっかけだった。戯れに、一度だけ付けて鏡を見た。周囲の大人が可愛いと言うのも納得するほど、クラスの女子より似合う、と幼心に感じた。ピン留めを外し、ランドセルのポケットに入れた。時折それを眺めては、自分が女の子だったら、と夢想した。
女の子だったら、母は兄と同じように扱ってくれただろうか。
女の子だったら、母は僕を愛してくれただろうか。
想像の中の自分は母に愛されていて、兄とも仲が良い。両親は離婚せず、大きい家で父と家族四人で暮らしている。兄と違う服を買ってもらえるし、クラブにも入れてもらえる。両親の離婚が覆らないとしても、きっと今より愛されているはずだ。夢想にふければふけるほど、次第に女の子になりたい、という想いが肥大化していった。
高校生になった兄は新しい制服に身を包み、毎日部活に明け暮れていた。兄が着なくなった服だけを着ることが許された。オーバーサイズの服は膝が隠れるほど大きく、まるでワンピースのようだった。サイズがちょうどよくなる頃には毛玉ができ、布は薄く擦り切れていた。
「家族だと思われたくないから、近寄ってくるな」
兄と直接話したのはそれくらいだった。その他は舌打ちされるか無視されるかのどちらかだった。兄は小学生の頃からサッカークラブに所属しており、中学校に入ってからもサッカーを続けていた。
「勉強をしていい学校に進学しなさい。高校生になったらアルバイトをして家にお金を入れるのよ。大学には行かせてあげるわ。そのかわりいいところに就職してね。就職をしてからも家にお金を入れてね。たとえ家から出たとしても。それが産んでもらったお礼でしょう?」
百点以外は意味がない。常々から言い聞かされてきた。その上、母は帰ってきたらすぐに家事をしろと命じた。食事は兄と母が食べ終わって余った分だけ。宿題に手を付けるのはその後で、終わる頃には日付が変わっていることもあった。早く寝るために、授業中に睡眠を取り、休み時間に予習をするようになった。クラブに入りたいなんて言えなかったし、入る時間も存在しなかった。
三年生になった。その日は兄が部活で帰りが遅く、母が仕事から帰ってくるまでにはまだ少し時間があった。少し遠くにあるスーパーの衣料品売り場へ向かった。試着室へ持って入ったのは、クラスの女子が履いているようなフリルのついた、パステルピンクのスカート。それが初めて自分で選んだ服。
試着室から周囲を見渡す。客も店員もまばらで、こちらに意識を向けている人影は見当たらなかった。小山内は試着室の中でハサミを取り出すと、タグを切り取り、そのまま試着室を出た。
そこから家に着くまでの記憶がない。なるべく人目につかないよう、息を切らせながら走って帰ったのだろう。扉を閉めたあと、玄関にへたりこんだ。
母が帰って来る前に、隠さなければ。そう思いながらも、まだ着ていたいという欲望が少年の身体に渦巻いていた。初めて自分だけの所有物となった服だった。靴を脱ぎ、姿見の前に立つ。
女の子みたいね。母の言葉が甦る。母が見たらそう言うだろうか。女の子になりたい、嘘でもそう言ったなら喜んでくれるだろうか。今すぐには無理でも、いつか、大きくなったら。
姿見の前で固まっていると、玄関が開く音がした。母が帰ってきてしまった。隠れるほどの時間もなく、リビングに入ってきた母と鉢合わせた。
「僕は男です、でも、」
女の子の服を着て、女の子のようになったら、
僕のこと、愛してくれますか?
その言葉は殴打の音に掻き消された。
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