【完結】死ぬ運命を変えた盲目の音楽家は、秘密の庭園で氷の貴公子に恋をする

かおり

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第7話:沈む水音、叫ぶ心

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 ――外に、出ていない。

 そんなことをふと自覚したのは、ユリシス様の屋敷に移って、四日目の朝だった。

 広くて、静かで、穏やかで。
 食事も丁寧に用意されて、誰も嫌なことは言わない。

 でも、何かが――足りなかった。

 

 玄関に向かう廊下には、いつも誰かが立っている。
 「お怪我があるといけませんから」と笑いながら、先回りされる。

 裏庭へ出ようとすれば、「そちらは危険ですので」と鍵が掛かっている。

 誰も、はっきりとは言わない。
 でも、僕は“閉じ込められている”のだと、ようやく気づいた。

 

「……守られてるのかな」

 そんなことを口の中で転がしながら、窓辺に手を伸ばす。

 音が、ない。
 風の揺れも、人のざわめきも、遠すぎて届かない。

 この屋敷は静かすぎる。
 その静けさが、まるで“誰かのために作られた牢”のようで――息苦しかった。

 

「……ユリスに、会いたいな」

 ふと、ぽつりと呟いた。

 名も、顔も、知らない人。
 でも、あの人は、音のある場所にいた。風に包まれて、笑っていた。

 ――会いたい。
 ただ、少しだけでいい。
 その気配に、また触れたい。

 



 

「……あの、レオ様」

 声をかけられたのは、昼食のあとだった。

 給仕にしては幼い、見習いらしい少年の声。
 でも、何となく――聞いたことのない響きだった。

 

「裏庭の風が気持ちよくて……もし、少しだけでしたら、ご案内できます」

 迷っている僕に、彼はそっと囁いた。

「ユリシス様には、内緒で。すぐ戻れば、きっと……」

 

 足元に、風の音がふれた。
 開かないはずの扉が、少しだけ、軋んで開いていた。

 

 ……すぐ戻れば、問題ない。

 ほんの少しだけ。音を感じて、風にあたって、戻ってくるだけ。

「……お願いします」

 そう言った自分の声が、わずかに震えていたことに、そのときは気づいていなかった。

 



 

 手を引かれて、廊下を抜けた。

 見えない世界を進むには、誰かの手が必要だった。
 けれど、その手が――さっきよりも、少しだけ、冷たかった。

 

 歩く音が増えていく。

 風の匂いが変わっていく。

 足元の石畳が、次第に湿ってくる。

 ――あれ?

「すみません、どこに……?」

 尋ねた声に、返事はなかった。

 

 その代わりに、背後から何かが覆いかぶさる。

 ぴしゃり、と布の感触。

 突然、布が頭を覆った。音も、風も、匂いも遠のいて――まるで、世界との繋がりを断たれたようだった。

 鼻と口が塞がれる。
 息が、できない。

 身体が、持ち上がった。

 

 何が起きているのか、分からない。

 でも、ひとつだけ――理解した。

 

 これは、“誘拐”だ。

 

 足をばたつかせても、誰も助けてくれない。

 叫びたいのに、声が出ない。
 手を伸ばしても、誰にも届かない。

 

 耳の奥で、遠くで揺れる水の音がした。

 どこかで聞いたことのある音――
 そうだ、これは……湖の、音。

 原作の記憶が、雷のように頭を貫いた。

 ここで僕は――捨てられる。

 

 いやだ。

 死にたくない。

 まだ、何もできていないのに。

 

 ユリスに――もう一度、会いたかったのに。

 



 

「レオがいないだと?」

 ユリシスの声が、低く唸ったように響いた。

 部下が慌てて頭を下げる。「見習いの少年が散歩に誘って……」

 頭の中で、冷たい計算が弾けた。

 あり得ない。

 そんな命令は出していない。
 見習いの少年など、正式には登録されていない。

 これは――罠だ。

「馬を。湖だ。今すぐだ」

 ユリシスは部下に命じると、自らの剣を手に取り、屋敷を飛び出した。

 風が、冷たい。

 嫌な予感が、背筋に突き刺さる。

 レオの手を離したことを、
 この時ほど、悔いたことはなかった。
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