【完結】死ぬ運命を変えた盲目の音楽家は、秘密の庭園で氷の貴公子に恋をする

かおり

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第18話:君のために、僕は弾く

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空気が、張りつめていた。

 耳を澄ますまでもなく、広場に集まる数百人の気配が伝わってくる。
 衣擦れの音、ざわめき、控えめな咳払い、服の端が擦れるわずかな揺れ――
 盲目の僕には、それが“観客の視線”よりも確かな情報だった。

 

 でも、怖かった。

 心臓の音がうるさくて、呼吸が浮く。

 

 そのとき、手が触れた。

 大きくて、温かくて、指先まで神経の行き届いた――
 何度も僕を導いてくれた、彼の手。

 

 「……いつでも、傍にいる」

 

 ユリシス様の声は、風の音に溶けそうなくらい小さかったのに、
 僕の鼓膜には、世界のどんな音よりも強く響いた。

 

 それだけで、足元の震えが少しだけ止まった。

 



 

 舞台の中央に置かれたピアノ。

 足音を頼りに、慎重に歩を進める。

 

 歩幅は狭く、数えるように。
 一歩、一歩。

 それでも確かに、僕は“自分の足でここに立っている”。

 

 ピアノの前に座ると、深く息を吐いた。

 鍵盤に触れる。

 冷たくて、なめらかで、懐かしい。

 

 僕の世界は、目ではなく“音”でできている。

 だから、この鍵盤は、僕にとって“光”だった。

 



 

 音が始まる。

 ゆっくりと、指が鍵を押す。

 最初の一音。

 誰かが息を呑む気配。

 

 風が、音を運んでいく。

 空気の振動が、目に見えない波紋となって広場に広がっていく。

 

 僕は、誰の顔も見えない。

 でも、“彼”の気配だけはわかる。

 

 あの庭園で、ユリス様がただそばに立ってくれていた日のように――
 僕の音は、彼に向かって流れていく。

 



 

 僕はもう、“ただの導火線”じゃない。

 死ぬことで姉を目覚めさせる存在じゃない。

 

 今、ここで――僕の意思で、僕の音で、世界に触れている。

 

 指先が鍵盤を跳ね、低音が唸り、高音が祈るように響く。

 

 風が揺れる。

 気配が震える。

 音の波が、聞こえない人にも届くように――そう願って、僕は弾いた。

 



 

 音が終わる。

 最後の鍵を押したあと、ほんの一瞬、世界が止まったようだった。

 

 そして、次の瞬間――

 

 拍手。

 拍手の嵐。

 ざわめき、歓声、誰かが泣いている気配。

 

 僕には何も見えないけれど、
 この音だけでわかった。

 

 僕の音は、届いた。

 

 彼に、姉に、王太子に、
 この国の、どこかで差別に怯えていた誰かに――

 

 届いたんだ。

 



 

 そっと手を伸ばす。

 ユリシス様の袖に触れた。

 

 彼の手が、迷わず僕の指を握る。

 

 「……君の音は、誰よりも、自由だった」

 

 その言葉だけで、胸がいっぱいになった。

 

 涙が出るかもしれないと思ったけれど、
 今は、ただ、笑いたかった。

 

 生きていて、よかった。
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