【完結】35回目の離婚公爵と、話を聞いてない嫁

かおり

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第10話:叔母さま、また怒る。そして……

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 フォルヴァン邸の長い廊下は、どこか静けさが張り詰めていた。

 その空気を感じながら、リュシアは今日もぽやぽやと歩いていた。手には小さなスケッチ帳。視線はそこに描かれた蝶の羽模様に注がれている。

「奥様……本当に、おひとりで大丈夫ですか?」

 控えめな声で付き従う侍女が問う。

「はい~。ユヴェールさんの今日のお洋服、襟のラインがとっても綺麗だったので、じっくり見てこようと思ってるんです~」

 侍女は「……はぁ」と曖昧な声を漏らすしかなかった。

 

 ⸻

 応接間の扉を開けたとたん、空気が張り詰めた。

 ユヴェールは、背筋をぴんと伸ばして椅子に座り、扉が開くなり開口一番、言い放った。

「あなた、何もわかっていない!」

「……わかってないんですか?」

 リュシアは静かに扉を閉め、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。

「そうです! この家の格式も、あの子の将来も、公爵家の重みも!あなたには、何も!」

「“あの子”って、レイくんのことですか~? 最近、土いじりが好きみたいですねぇ」

 にこにこしながらそう返すリュシアに、ユヴェールのこめかみがピクリと跳ねた。

「あなたはいつも、そうやって! 真面目に向き合おうとしない!」

「そうなんですか~……」

 もはや怒気すら飲み込みそうな勢いで、ユヴェールが椅子から立ち上がる。

「いい加減にしなさい! ちゃんと話を聞きなさい!!」

 その瞬間――リュシアの中で、何かがカチッと音を立てた。

 ユヴェールは、リシュアの“反射”をまたもや再生してしまう。

 彼女はすっと立ち上がり、表情を変えず、すらすらと口を開く。

「聞いてますよ」

 ユヴェールが言葉を呑む。

「聞こえてはいます、聴力は健全です。中身については、もう一度話していただければ、お聞きしますよ。内容の理解が必要であればetc、、、」

 それは、相変わらず感情の一片も乗っていない――完璧に構築された“定型応答”。

「……あなたのような人は、ここには不要です! 出ていきなさい!!」

 怒鳴ったのはユヴェールだったが、その声はどこか虚しかった。

 

 ⸻

 リュシアはふと窓の方を見やり、目を細める。

「……あらあら、関係ない蝶々がふわふわ飛んでるわ」

 ゆっくりと、扉へと歩いてゆく。

 ユヴェールを一瞥もせず、ただ淡々と。

「それでは、このお部屋からは退出させていただきますねぇ~。お気をつけてお帰りください~」

 にこりと微笑んだまま、扉を開けてスッと出ていった。

 

 ⸻

 応接間に一人残されたユヴェールは、その場に座り込んだ。

 怒りの余韻だけが体に残る、重たい疲労感が全身を支配する。

「なぜ……なぜあの人に、何も届かないの……」

 そんなつぶやきが、重く沈む。

 

 ⸻

 その扉の向こう。

 廊下の陰で、小さな影がその様子を見ていた。

 レイ・フォルヴァン。彼は誰にも気づかれず、ただひとり、呟いた。

「……怒るって、疲れるんだなぁ」

 

 ⸻

 リュシアは自室に戻り、スケッチ帳を開く。

 そこには蝶の羽の輪郭が、銀で描かれるのを待っていた。

「今日の蝶々の羽、綺麗だったなぁ。……銀で、再現できるかなぁ」

 彼女の世界は、いつだって美しいものに向かっていた。

 怒気も、格式も、主張も――そこには存在しない。

 ただ、自分が作りたいものと、穏やかな日々だけが、そこにあった。

 
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