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4.名前を教えてください

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 お粥を食べて、暖かいものでお腹がいっぱいになったら、眠ってしまったようだった。生贄にされると言いながら、我ながら迂闊すぎる。目が覚めると、またご飯に連れられて、気が付けばまた最初に眠っていた部屋にいる。この繰り返しだ。ずいぶん太ったはずだ、ちゃんと肉付きがよくなっている気がする。(胸の辺りがスカスカなのは成長期前だからだ)
「おはようさん。はよ、おいで」
 慣れた手つきで手招きされて、少しでも私が動けば抱き上げられる。そろそろ歩けるのではないかと、部屋の中を動き回ってずっこけたのは昨夜の出来ごとだ。
「あの、えっと……鬼さん」
「……人間さん、なんですか?」
「ごめんなさい。あの、名前聞いてもいいですか?」
 私のことをお世話してくれている様子から、女将さんの言う「若様」ではないのだろうと思った。世話係の人にしては美形すぎるけど。
「ええよ。大和って言うねん」
「え」
「やーまーと」
 私が驚いた顔をしたのを、聞こえなかったと判断したのだろう。繰り返された言葉に、私は慌てて頷いた。
「大和さん……ですね。私は……」
 アカリは、前世の名前だ。でも、今の私は生贄様と呼ばれるばかりで名前なんて呼ばれたことは無い。前世の記憶の方が強くて、いかに今の私に思い出がないのかがわかる。
「なんて、呼んで欲しい?」
 切れ長の、よく見れば髪の毛と似た綺麗な赤色の眼球が私をじっと見つめた。
「え?」
「ここにくる人間は名前なんて無い。せやから俺らが拾ってどう扱ってもいい。だいたいが名前も無くて、言葉もほとんど喋らんと言うか、知らんのやろな……なあ、なんて呼んで欲しい?」
 そっと大和さんの大きな手のひらが私の頬を撫でた。親指が唇に触れる。
「えっ、えっと、あの、私……」
「ん?」
「あかりっ、灯って呼ばれたいです。それから、何でもします。お掃除とか、体力ついたら出来ると思うんです。料理はあんまりだけど、覚えますし、頭はあんまりよくないけど、頑張るから……ここに置いてください」
 勢いよく頭を下げたら、畳に頭をぶつけた。沈黙が怖くて頭を上げられない。
「ははっ、なんやねんそれ。灯な、ええよ。ちゃんと、世話してやるから、気にせんでええけど……そうやな。もうちょっと健康になったら、してもらおか」
 にんまりと笑った大和さんは、妖艶と言うよりは悪戯っぽい表情を浮かべた。真っ赤な髪の毛が太陽の光にキラキラと光る。
「そ、掃除とかですよね……」
「さあなあ。なんやと思う?」
 遠慮のない手が、私の頭を撫でて耳の裏を擽った。
「ひえっ……」
「ひえっ…って何や。ハハハッ子供に手ぇ出したりせえへんから安心せえ」
 またくしゃくしゃと雑に撫でられる。嫌ではないが、不満はある。絶対にからかわれている。確かに私は所謂つるぺたな体をしているが、そこまで子供ではない……はずだ。
「そりゃ、大和さんの美貌なら不自由してないでしょうが、私は慣れてないので意地悪しないでください!」
 つい、大きな声が出た。それに驚いたように大和さんは私をじっと見つめた。少しだけ怖くなる。優しいから調子に乗ってしまったのだろうか。
「……あの、ごめ、んなさい」
「ああ、怒ったんとちゃうで。あんまり元気やから、びっくりしただけや」
 クスクスとまた笑いだした大和さんに、私はほっとする。大丈夫、いきなり殴られたりはしない。数日ではあるが、今までの人生で一番丁寧に扱われている。それは確かだ。
「でもなあ、意地悪は……したなるわ」
「なんでですか?」
「可愛らしすぎんねん」
 抗議の言葉を上げる前に、私の体はまたひょいと抱き上げられた。いい加減歩けると言うより、歩く練習がしたい。
「あの、私歩きたいです」
「あかんよ。俺の仕事やからな」
 ぎゅっ。と、回った大和さんの手が私を抱きしめたのは気のせいだろうか。
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