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13.小さな別れと涙の味

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 蘭さんの料理を手伝うようになって、大和さんと同じ部屋で眠るのも慣れた頃、がるちゃんがいなくなった。
「灯、これは死んだとかそういうんとちゃうからな」
 大和さんが私を心配して言葉を選んでくれているのがわかる。
「はい……大丈夫です。あの、これは涙じゃないんで……」
 わかっている。最初からそう聞いていたし、がるちゃんの頭から角が落ちるのもこの目で見た。「がるう」なんて甘える様な声を出して、空気に溶けていった。残ったのは抜け落ちた角。わかっていても寂しいものは寂しい。
「後な、お前の後ろにもう新しいのおんねん……」
「……はい」
 やわらかな感触が私の足首を擽る。そっくりと言うか、多分同じ存在なんだろう。赤茶色の毛並みとつぶらな瞳。「がるぅ」なんて鳴き声で私に甘えるのは間違いなくがるちゃんだ。
「うっ……悲しいやらほっとしたやらで」
 ポロポロと涙が流れて止まらない。私ここにきてから涙腺壊れた気がする。
「泣いてばっかりで、ごめんなさい」
「……やから、そういうことで謝らんでええって」
 大和さんの大きな手が私の目じりに触れて涙を掬う。
 少しだけぼやけた視界でその様子を見つめれば、大和さんが口端を吊り上げた。
「へ?」
 ぺろり。大和さんが指を舐める。
「甘いなあ、灯の涙は」
「へぁ?そんなわけないですよね!涙はしょっぱいんですよ!」
 混乱した結果、何か違う言葉が口から出て行った。
「そうなん。鬼の涙はしょっぱくても、人の涙は甘いんやろ」
 大和さんはそう言いながら、今度は私の頬に手を伸ばしてぐいっと指を擦った。涙を掬ったのだとわかる。
「ちょっと、待ってください。人は食べないって言ったじゃないですか」
 わりと本気で焦ったのに、大和さんは面白そうに私を見降ろしている。
「……あの、聞いてますか?」
 聞こえているのはわかってる。けど、これは聞いておかないと、今後が困る。
「……」
 私は大和さんの返事を待っていて、大和さんは私のリアクションを待っているのだろう。お互いに譲らないから間が出来る。
 にらめっこ弱いんだよね、私。沈黙も苦手だ。
「……私、蘭さんのお手伝いに行ってきます」
「あっ…灯待って」
 さっと伸ばされた大和さんの手に私はあっさり捕まった。ひょいと持ち上げられて抱えられる。いつものことながら、まったく逃げられない。
「なんですか……意地悪な大和さんより優しい蘭さんのところ行きます」
 持ち上げられる直前掴んだがるちゃんを抱え込んで、顔の前に突き出せばふかふかの毛並みが気持ちいい。
「……俺が悪かったから、怒らんで」
「ふふっ……嫌です」
「笑っとるやん」
 耳元で響く大和さんの声はいつも通り優しくて、私はほっとする。揶揄われていただけなのはわかっている。けど、まだ少しだけ怖い。
「だって、大和さん焦った顔するから」
「あんまり灯を泣かせたないねん」
「……まさか。笑わせようと思って涙舐めたんですか?」
 あんないかがわしい感じで。
「大和さん……?」
「いや、美味しそうやなって思って」
「食べるんですか」
「食べへんって……あんまりしつこいと齧るで」
 少し大きく口を開いた大和さんの歯は、当たり前だけど人とは違う。人の肉を裂ける牙があった。
「それは痛そう!」
 いやいやと首を振れば、大きな笑い声につられて笑う。
「はあ……灯は、ほんま可愛い」
 ぐりぐりと、撫でられながら。子ども扱いだなあ。なんて、嬉しい気持ちともやっとした胸の重さに私はそっと息を吐いた。
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