逆説

ササラギ

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一章

佐々木拓真の話

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 ねぇ、君は『信じる』ってなんだと思う?僕はね、期待だと思うよ。でも、期待なんて所詮は根拠のない望みであって、他人にする期待は必ず裏切られることが決まっている。だって、人間なんてみんな、自分が何よりも大切なんだ。たとえ愛する人がひどい目にあっていようと、自分がそれと同じか、それ以上のひどい目にあうと分かれば、その愛は自分へ向かう。そうやって、簡単に裏切るんだ。今、君の目の前にいる人は本当に期待に値する人かな?根拠なんてあるのかな?どうしてそんなこと言うのかって?それはね、僕の話を聞けばわかるよ。
「どうして大人しく寝てることもできないんだ!!」
お父さんの怒鳴り声と同時に灰皿が飛んでくる。それが僕のすぐ横を通り過ぎ、背後の壁で鈍い音を立てる。たばこの匂い、散らかったビール瓶、お父さんの鋭い目線。毎日訪れるこの空間に、未だ慣れることができない。
「怖い夢…見ちゃったから…」
「うるせぇ!そんなことで俺の手を煩わしてるんじゃねぇ!!」
大きな足音と鬼のような形相でこちらに向かってくる。目の前に来たと思うと、顔を殴られ、勢いでその場に倒れこむ。そのまま腹部を蹴られると、僕は胃酸が逆流する感覚を覚えた。
「ごめん…なさい…っ」
「おい立てよ、早く立てよ!!」
立って殴られ、立てなければ殴られ僕はボロボロになった。一時間程殴られ続け、お父さんの気が済むと部屋から追い出される。
「二度と起きてくんな!早く戻れ!!」
僕は痛みと苦しい呼吸を抑え、ゆっくり立ち上がった。おぼつかない足取りで何とか歩き出すと階段を上り、ベッドに入った。
 翌朝、朝ごはんを作る音と同時に僕は目を覚ました。昨日、殴られた痛みでなかなか寝付けず、十分な睡眠が取れずに朝を迎えてしまった。まだ痛む腹部を抑えながら、なんとか起き上がる。ゆっくり階段を降り、リビングに行くと台所に立つお母さんと目が合った。
「あ、拓真。起きたんだね、おはよう。」
「おはようお母さん。」
僕はいつも通りの笑顔を向ける。
「今ご飯できるからね。ちょっと待ってて。」
「うん。」
僕はソファに座ってなんとなくテレビをつける。しばらくすると、テーブルの上に食器が置かれる音がした。
「はい、ご飯できたよ。一緒に食べよう!」
テレビを消して、椅子に座るといつも通りの美味しそうなご飯が並んでいた。正直あまり食べる気にはなれないが、残すわけにもいかない。僕は進まない気持ちに蓋をして、箸を手に取った。
「いただきます!」
温かいお茶碗を持ち、箸を動かす。食べる気持ちにはならなくても、ご飯の美味しさは健在だった。少しするとお母さんが僕に話しかけてきた。
「あれ?その痣どうしたの?」
お母さんは僕の頬を撫でる。昨日お父さんに殴られた場所だ。僕は慌てて嘘を吐く。
「あっ、これね!昨日ぶつけちゃったんだ!」
「そうなの?そしたら口の中、切れちゃったりしてるんじゃない?大丈夫?」
お母さんはとても心配そうな顔をして僕のことを見る。
「ううん!大丈夫だよ!もう痛くない!」
「そっか。それならいいけど気を付けてね?」
「うん、気を付ける!」
なんとか笑顔で誤魔化し、食事に戻る。
 僕のお母さんはすごく優しい。ご飯も美味しいし、昔からよく遊んでくれていた。専業主婦のため常に家にいて、寂しい思いをしたことはなかった。僕はそんなお母さんのことが大好きだった。大好きだからこそ、僕がお父さんにいじめられていることは言えなかった。言ってはいけないような気がした。それはお父さんに殴られる恐怖からではなく、お母さんを傷つけたくない、その一心だった。
「…お父さんは?」
「お父さんはね、もうお仕事に行ったよ。今日は早めに行かないといけないんだって。」
「そっか…。美味しかった!ごちそうさまでした!」
なんとか朝ご飯を完食すると、僕は部屋に戻った。
 翌日からも、お父さんの暴力は続き、僕はそれを隠し続ける。そんな生活をしていたある日、僕は夜中、トイレに目が覚めた。階段を降り、リビングの前を通ろうとすると中からお母さんとお父さんの話し声が聞こえた。なんとなく聞いてはいけない気がしたが、耳を傾けずにはいられなかった。
「おい、あいつの具合はどうだ?」
「ええ、今のところ目立った不調はないみたいだけど、ヒ素の残りはもう少ないからそろそろだと思うわ。」
「そうか。一応死ななかったときのために、もう一本くらい頼んでおくか。」
「そうね。そうしましょう。」
僕は初め、何のことを言っているのかわからなかった。ヒ素?死ぬ?よくわからなかったが『あいつ』というのは、おそらく僕のことだろうと察しがついた。しかし、ヒ素という言葉はどこかで聞いたことがあるような気がした。そうだ、あの時、朝ごはんの前に見ていたテレビだ。あの時つけたテレビでは朝のニュース番組をやっていた。あの日のニュースにはヒ素という毒物を使った殺人事件の情報があった。つまり、お母さんとお父さんはヒ素を使って僕を殺そうとしている?
「いよいよあいつがいなくなるんだな~!清々するな!」
「ええ、私もすっきりするわ。」
止まっていた思考が徐々に動き始める。いなくなる…。お母さん…?嘘だよね?僕のことが邪魔だって、そんなこと思ってないよね?しかし、思い返せば不信な点がいくつかあった。最近、美味しかったはずのお母さんの料理に変な味が混ざっていたこと。僕の体調が、少しずつ悪くなっていたこと。お母さんの優しさが、笑顔が、作られたもののように感じるときがあったこと。あれだけ毎日大きな音を立てて、あれだけ毎日傷を作っていたのに、僕の咄嗟の嘘が通じすぎていたこと。今までの不信点を思い出すと、それら全てが繋がってしまった。その瞬間、僕の中に張っていた細い糸がプツンと切れた。毎日毎日お父さんの理不尽な暴力を受けて、痛みに耐えて。どんなに苦しくても、どんなに辛くても、お母さんをただ傷つけたくなくて、必死にその事実を隠して。何度も逃げ出したくなったけど、大好きなお母さんがいるから耐え続けた。何度殴られようが、何度蹴られようが、お母さんがいるから大丈夫だって。お母さんの優しさ、笑顔、存在を思えば生きていくことができた。お父さんには「お前なんていらない」「どうして生まれてきたんだ」「生きてるだけで迷惑だ」そんなことを散々言われたけど、お母さんはそんなこと思ってないって、きっと僕が生まれて嬉しかったって、そう思ってた信じてた。だけどそれも全部僕の思い過ごし。優しいお母さんも、笑顔のお母さんも、全部作られたもので嘘だった。僕の我慢も、痛みも、気遣いも、全部無駄だった。僕はずっと、見え見えの嘘を馬鹿みたいにつき続けていた。そのことに気が付き、僕は静かに二階へ上がった。
 
 その後、二人が寝静まったのを確認して、僕はキッチンへ向かった。包丁を持ち出し、二人の寝室へ入る。二人の存在を確認し、僕は包丁を突き刺した。目が覚めることのないよう心臓に一突き。二人の心臓を確実に仕留めた後、無心で二人を切り刻む。切る度に血が噴き出し、ドロドロしたものが僕の体中に纏わりつく。赤く染まっていく布団、服、皮膚。しかしそんなことは一切気にせず、ただひたすらに、無心に、一心に、二人をボロボロにした。殺される前に殺してやりたかった。
 お母さん、大好きだったよ本当に。お母さんの優しさも笑顔も全部、大好きだったよ。僕のこの気持ちを、本当の気持ちを、受け取ってくれるお母さんの存在が、本当のものだったらね。気が済むまで切り刻み、ふと窓のほうを見ると、少し空いたカーテンから月明りが漏れていた。今日は満月だったみたいだ。その光を確認し、僕はその場に倒れた。
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