逆説

ササラギ

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一章

青木快の話

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君は『愛』って何だと思う?僕はね、執着だと思うよ。どうしてそう思うか気になる?いいよ。僕のお家の話、してあげる。
 僕のお家は、お父さんとお母さんと僕の三人家族。お母さんはとっても優しくて、お父さんはいっぱい遊んでくれた。僕たちはみんな仲良しで、毎週日曜日はみんなでピクニックに行っていた。お父さんとキャッチボールをして、お母さんの美味しいお弁当を食べて、お父さんとサッカーをする。お父さんはキャッチボールもサッカーも上手くてかっこいい。お母さんはお料理がとっても上手で、いつもお弁当を楽しみにしていた。しかし、僕ははっきり覚えている。3年前の6月8日、僕らはいつも通りピクニックに行っていた。この日はたまたま近くで歩行者天国があって、お父さんが見せてやるっていうからついていった。ものすごい人だかりだったから、はぐれそうで怖かった。しばらく歩いていると突然、女の人の悲鳴が聞こえた。
「キャー!!」
僕もお父さんもお母さんもびっくりして声のするほうを向いた瞬間、目の前にいた男の人が溶けたように崩れ落ち、僕の目の前に刃物を持った男が現れた。僕は何が起こっているのかわからず固まっていたが次の瞬間、横から何か重くて温かいものが飛んできた。それと同時にうめき声が聞こえた直後、僕の右足に鋭い痛みが走った。
その後のことはよく覚えていない。気づいたら隣で泣いているお母さんと、目の前にお父さんの写真があった。それからすぐのことだった、お母さんがおかしくなったのは。
「ねぇ快。あなたは私のこと置いていかないわよね?」
「ねぇ快。お母さんとずっと一緒にいてくれるわよね?」
「ねぇ快。お母さんと一緒にお父さんのところ行きたくない?」
初めは素直に答えていた僕も、だんだん怖くなっていった。でもお父さんの代わりに、僕がお母さんを守らなきゃ。お父さんの分も僕が一緒にいてあげなきゃ。これ以上お母さんの寂しそうな顔を見たくなくて、僕はお母さんのそばに居続けた。そんな生活も、次第にエスカレートしていった。友達と遊ぶにも門限が厳しくなり友達とは少しずつ疎遠になっていった。それでも門限はどんどん厳しくなり、ついには外出禁止になった。あんなに美味しかったお母さんの手料理も買ったものになっていき、食事の回数も減っていった。家には得体のしれない薬が散乱し、お母さんの自傷行為を僕が止める度心中を持ち掛けられた。そんな生活が2年以上続いたある日、お母さんはこう言った。
「ねぇ快。お母さん、どうしてもお父さんのところに行かなきゃいけないの。お父さんが呼んでるの。快も一緒に行ってくれるわよね?」
「お母さん、何回も言ったけど僕は行かないよ。お母さんも行かないで。お父さんだって呼んでない。僕が一緒にいてあげるから。」
いつものようにそう言ったが、その日のお母さんはいつもと違っていた。いつもの何倍も怖くて、遠かった。
「どうして…」
「えっ?」
「どうしてわかってくれないの!?私はあなたをこんなに愛しているのに!あなたも私を一人にするの!?私のことがそんなに嫌いなの!?」
お母さんは何かが爆発したようにいきなり暴れだした。僕は怖くなって、よくわからなくなって、自分の意志とは無関係に気が付いたら怒鳴っていた。
「いい加減にしてよ!!いつまでお母さんに付き合えばいいの!?お母さんのせいで友達と遊べなくなって、友達がいなくなって、それをもとに戻そうとしても外にすら出られないんだよ!?お腹空いても何も食べられないし、毎日お母さんが死んじゃうのを引き留めて、僕もう疲れたよ!!」
そして、数秒の沈黙があった。やっとわかってくれたのかと安心した直後、お母さんが飛びかかってきた。
「私のせいじゃない!!私は何も悪くない!!あの人が私を一人にするから!あなたも私を一人にするから!!私のせいじゃない!!」
時折声を裏返しながら叫び散らかすお母さんの右手には、いつに間にか包丁が握られていた。僕はパニックになった。怖くなった。もう駄目だと思った。必死に足掻いて、藻掻いて、暴れまわった。それでもまだ子どもの僕は、大人のお母さんから逃げることができなかった。とうとうお母さんが包丁を振り上げて、もう1秒も経たないうちに僕の心臓めがけて降ってくるところだった。
 
僕は最後の力を振り絞り、全力でお母さんを押しのけた。
「やめて!!」
すると突然体が軽くなり、鈍い音が響いた。
きっと、5秒もない沈黙だっただろう。しかし僕には、10分にも1時間にも感じられるほど長い沈黙だった。目を開けると、少し離れたところにお母さんが狂った顔のまま仰向けに倒れていた。
「お母さん…?お母さん!?」
打ちどころが悪かった。本来、僕なんかの力では到底傷をつけられないお母さんの頭に大きな傷がつき、あたりには血が飛び散っていた。僕の恐怖が、憎しみが、悲しみが、一斉にお母さんに飛びかかっていた。
「お母さん…」
ふと横を見ると、お母さんが大切にしていた三面鏡があった。僕は笑っていた。お父さんがいなくなってから、ずっと家になかった笑顔が生まれた。僕はどうなっているのかわからなかった。しかし僕の中に確かに存在していたのは、解放感と歓喜だった。憎しみもない、悲しみもない、屈託のない純粋無垢な笑顔をその鏡は映していた。お父さんがお母さんにプレゼントしたその鏡。お父さんが何百と向けた笑顔、お母さんが何千と向けた笑顔、それと同じ笑顔が、そこに残っていた。
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