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留守宅の新妻 ②
しおりを挟む「結婚されたばかりなのに旦那さまがお留守にされるなんて、さぞかしおつらいことと存じます。本当にご遠慮なさらず、なんでもおっしゃってくださいませ」
「あ、ありがとう」
そういう落ち込みではなかったのだけど、冷たくあしらわれるよりはずっといい。
実家のエリクソン公爵家では、三人兄姉妹の末娘として大切に育ててもらった。
優しい父におっとりとした母、しっかり者の兄と、ちょっと妹が好きすぎる姉。笑顔にあふれた家庭のあたたかさはよく知っている。
それに比べて、ここ、ラーシェン伯爵家はとても静かだ。
クリストフの両親はもう亡く、ひとりっ子で兄弟姉妹もいない。わたしが嫁いでくるまで、主の一族はクリストフだけ。
しかも、彼は仕事中毒の気があってなかなか家に帰ってこないし、帰ってきてもほぼ食べて寝るだけだ。せっかくの大きな屋敷は、豪華な宿泊所のようになっていた。
わたしはエミリの手伝いを受け、身支度を整えつつ考えていた。
(もしクリストフさまがわたしを嫌っているとしても、わたしはクリストフさまを嫌いになれるかしら?)
いや、無理だ。
わたしの心は八歳のあの日、世界一素敵な騎士さまに捧げてしまった。
(もし今後ずっと白い結婚のままだとしたら、わたしはこのしんと静まり返ったお屋敷で一生、ひとりむなしく生きていくの?)
そんなのは、つまらない。
わたしは自分が育ててもらった公爵家を理想の家庭だと思っていた。
家庭はにぎやかであたたかく、帰ってくる人を迎える場であってほしいのだ。
さらに自分自身に問いかける。
(ねえ、ミルドレッド、それならやることは決まっているのではないかしら?)
……うん、決めた。
どうせこの屋敷で暮らすのなら、ここでの生活を快適にしよう。
そして、彼が戻ってきたときに少しでも疲れを癒してもらえるよう、〝宿泊所〟を〝家庭〟として整えよう。
クリストフが帰ってくるまでに、どこまでできるだろうか。ただ待っているのではなくて、その間に挑戦できる課題があると考えると、なんだか楽しくなってきた。
いつまでもしょんぼりしているのも、わたしらしくない。
まずは形からだ。
「ねえ、エミリ。わたくし、まだこの広いお屋敷を全部は見ていないの」
「そうでございますね。奥さまがお輿入れした際に本館の主な部分はご案内しましたが、あとはいずれということになっていましたから」
「今日、すみずみまで案内してもらえるかしら。クリストフさまがお留守の間に、この家のことをきちんと把握しておきたいわ」
意気込んでお願いすると、エミリは少し驚いた顔をしてから、にこりと笑った。
「奥さまが興味を持ってくださって、とてもうれしゅうございますわ。朝食のあとでご案内しますね」
そして一日かけて確認したラーシェン伯爵邸は、シンプルで男らしい雰囲気の屋敷だった。想像以上に質実剛健……はっきり言えば殺風景だ。
ふだんよく使う場所は、わたしとの結婚が決まってから少しは手を入れたらしい。
けれど、それ以外の部屋は家具に埃よけの布がかぶせられたままで、まるで時の止まったような様子だった。
先に立って歩いていたエミリが振り返って、静かにつぶやく。
「先代の奥さまがご病気で亡くなられたあと、当時の伯爵さまが大変悲しんで、奥さまを思い出すものをすべて片づけてしまわれたのです」
「まあ……。そんなにショックだったのですね」
「はい、大旦那さまは大奥さまをとても大切にされていたのです。それからしばらくして、ご自身も病に倒れ他界されました」
ご両親が亡くなってからクリストフはひとり、このさびしい屋敷で暮らしてきたのか。
強い人だから、たぶん孤独なんて感じていないだろうけれど、やっぱり家ではゆったりとくつろいで過ごしてほしい。
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