【完結】幽霊令嬢は追放先で聖地を創り、隣国の皇太子に愛される〜私を捨てた祖国はもう手遅れです〜

遠野エン

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29.屍の王

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エリオット王国の王太子アッシュは生ける屍のようだった。
誰もいなくなった王宮をふらふらとさまよい、ただ過ぎ去った日々に思いを馳せる。あの日の惨劇の跡がそこかしこに生々しく残っていた。乾いて黒ずんだ血痕は拭おうとすればするほど輪郭を際立たせ、呪いの紋様のように床や壁にこびりついている。

彼は父と母だったものが転がっていたその場所に、毎日飽きもせず足を運んだ。
豪華な絨毯は引き裂かれ、窓ガラスは割れたまま。
隙間から吹き込む冷たい風がアッシュの頬を刺した。
その風は時折、遠い日の記憶を運んでくるような気がした。

(もし、あの時フィーナを愛していたなら……未来は変わっていただろうか)

そんなあり得ない仮定が頭の中で何度も繰り返される。
愛? 自分があの女に抱いていたのは軽蔑と苛立ちだけだったはず。
それなのに、なぜ。

「フィーナ……。お前がいた頃は少なくともこの国は……生きていた……」

誰に届くでもない呟きが虚しく響く。
失って初めて気づいた。
彼女がいた日々がいかに平穏で満ち足りていたか。
自分たちが『欠陥品』と蔑み、切り捨てた彼女こそがどれほど尊い存在だったかということに。

「はは……あははははは!」

乾いた笑いが込み上げてくる。
笑っているのに、目からは涙がこぼれ落ちた。

『出来損ない』と呼ばれた少女が築いた平和の上にあぐらをかき、その恩人を追放し、国を滅ぼした自分たちこそが真の『出来損ない』――――――。

なんという喜劇。
なんという滑稽な悲劇。

「イリス……お前も愚かだったな……。俺も……父上も母上も、みんな、みんな……」

彼女の顔を思い出そうとする。
けれどその顔は聖女の輝きではなく、結界に飲み込まれる直前の、絶望と恐怖に歪みきった形相しか思い浮かばなかった。『国のための尊い犠牲』――そんな建前で塗り固めたところで、彼女を見殺しにした事実は変わらない。

アッシュはよろめきながら血に汚れた玉座へと歩み寄り、そこに崩れるように座った。
王の座。
栄光の象徴。
父が座り、いつかは自分が座るはずだった場所。
今となっては少し高い場所から広間を見渡せる…というだけの椅子。

「はは……俺は王だ……滅びゆく国の……屍の王だ……!」

彼は狂ったように虚空に向かって手を振った。

「見ろ! 臣下ども! 俺の治世の幕開けだ! 祝杯をあげよ! 血の酒で! 腐肉を喰らい! 骸と踊れ!」

誰もいない玉座の間に彼の甲高い声だけがこだまする。
壁に映る自分の影をフィーナだと見間違え、優しく語りかけた。

「フィーナ……見てくれ、俺は王になったぞ。お前を妃にするはずだったこの国の王に。なぜそこにいる? 寂しいのか? 寒いのか? ああ、そうか……。俺が、俺がお前をあんな不毛の地へ追いやったから……」

懇願するように両手を伸ばす。
その手は冷たい石壁にぶつかるだけだった。
ゴツン、と鈍い音が響き、拳から血が滲む。
痛みで現実に引き戻され、馬鹿さ加減に耐えきれず頭を掻きむしった。


―――その時。

不意に二つの人影が立った。
コツ、コツ、と足音が玉座の間に響く。
この死の世界には不釣り合いな気高い響き。
それはアッシュの幻聴が生み出す音ではなかった。

「……誰だ」
彼は重い頭を持ち上げた。
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