【完結】婚約破棄したのに「愛してる」なんて囁かないで

遠野エン

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壊れた約束と愛の囁き

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いつものアランと違う。何かよほど重い話があるのだろう――胸の奥底を冷たい何かが掻き立てるような嫌な予感がした。

「ええ、わかったわ。じゃあ少し席を外しましょう」

会場の喧騒から離れた小さなバルコニーへと足を向けた。扉を抜けるとほんのりと薔薇の香りが漂う。不安を感じつつも、こんなにも美しい夜気の中で、彼に愛の言葉を囁いてもらえるかもとどこか期待していた。


だけどアランの表情は暗く、頑なにわたしから目を逸らしている。

「……アラン?」

名前を呼ぶと、触れることを恐れるかのように距離を取り、押し黙る。そして、意を決したように口を開く。


「リリーナ……婚約を破棄したい」


一瞬、その言葉がちゃんと聞き取れなかった。脳が拒絶したのかもしれない。

「……え? な、何を言っているの?」

「君と僕とでは家格が違いすぎる。君は由緒ある伯爵家の令嬢、僕はしがない子爵家の子息。これまで気にしていないように振る舞ってきたけれど、埋められない身分の差は大きい。だから婚約はここでなかったことにしたい」

淡々としつつ、一方的に告げられる非情な台詞。それを告げているアランの顔は冷たく、感情を抑えているように見えた。

わたしは言葉を失った。

「家格? ……今まで一度だって問題にしたことはなかったじゃない!アラン、どうして急にそんなことを言うの? わたし、何かあなたに不満を抱かせるようなことをした?」

手の中のグラスではついさっきまで、宝石のようにきらめいていたシャンパンの泡が今はただ虚しく揺れているだけに見えた。数えきれない疑問符が頭を埋め尽くす。

「……もう決めたんだ。君とは合わない。だからこれで終わりにしたい」


声にならない叫びを胸の奥で噛み殺す。今ここで取り乱したら、伯爵家の令嬢としての誇りを失う気がした。気持ちを落ち着かせ、どうにか問いかける。

「本当に、それがあなたの出した結論なの?」

「そうだ」

アランはきっぱりと答える。それを聞いて頭が真っ白になり、足元の床がぐにゃりと歪むような感覚に襲われた。嘘よ、こんなの嘘。夢であってほしい。何度も心の中で叫んだ。でも、目の前のアランは冷たい現実のまま、もう一度繰り返す。

「この婚約はなかったことにしてくれ」

わたしは両手を握りしめて唇を噛んだ。それしかできなかった。声が出ない。だけど、涙だけは流すまいと必死にこらえる。伯爵令嬢としての最後の意地だった。わたしが動けずにいると、ふいに背後から聞こえる足音。さっきバルコニーで一緒にいたあの謎の女性――いつの間にか扉の影からこちらを窺っていたらしい。


毒を含んだような艶やかさで唇を歪め、アランの隣へと滑るように寄り添った。その仕草はあまりにも慣れていて、わたしの胸をえぐる。

「紹介がまだだったわね。ルネア・フォードよ。ふふ、ひょんなことからアラン様とは親しくさせていただいてるの」

彼女はそう言って品定めするように、そして明確な嘲 (あざけ)りを込めて視線を走らせた。その顔にはどこか底知れない冷たさが潜んでいるように感じた。

「アラン様はこれからわたしと共に歩んでいくの。つまりあなたはもう用済みということ。……お払い箱ってわけ」


その言葉にがくりと膝が崩れそうになる。アランはそんなわたしの姿を見ても何も言わず、ただ俯いたままルネアの隣にいることを肯定している。こんな仕打ちがあっていいの? 

「アラン、あなたは……この人とそういう関係になったというの?」

「……ああ、そうだ。これからは彼女が僕の隣に立つにふさわしい女性だ。身分だけではなく、いろいろな面でね」

ああ、これまで何を見ていたのだろう。ずっと愛し合っていると信じてきた相手に、こんな言葉を投げつけられるなんて。

「……そう。わかったわ。なら、わたしは――」

もう耐えられなくて、わたしは彼らに背を向けた。この場にいたら押さえていた感情が決壊してしまう。中途半端な取り繕いなどできない。一度堰が切れたら、この夜会の中心で見苦しく泣き叫んでしまうかもしれない。早く、一刻も早く、この屈辱的な場所から逃げ出したい。ただそれだけを思った。


あふれそうになる涙を必死にこらえ、わたしは踵を返した。

けれど――まさにわたしがそこを離れようとした瞬間。

「……愛してる」
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