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帰還と侵入
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その夜。ようやく眠れると思ったのも束の間、グラントは「ヴィーネを抱きしめないと眠れないんだ」と打ち明けてきた。まさに晴天の霹靂(へきれき)という言葉がこれほど当てはまる瞬間はない。それを私に向かってどうやって説明する? どんな気持ちで思い浮かべたのか?
「……どういうこと? どうして彼女を抱きしめないと眠れないの?」
私は驚きと動揺で声が震えた。グラントはすまなそうな顔をしているが、その言葉は決定的におかしい。戦地から帰ってきて、私を差し置いて、どうして赤の他人の女性を抱きしめないと眠れないのか?
「ごめん、リリアナ。自分でもよくわからない。戦場で夜を過ごすときに、どうしても眠れなくて……震えが止まらなくなるんだ。そういうときにヴィーネがそばにいてくれた。何度も戦火に晒されて、お互いに生き延びるために……一緒に眠ったり支え合ったりしてきた。それがないと今は眠りにつくことが……難しいんだ……」
彼の言葉に思考が追いつかない。けれど、夫の声には切実な苦痛が滲んでいる。確かに戦争という極限状態によって心を壊される人は多い。夜な夜な悪夢にうなされる人だって珍しくない。けど、それを私ではなくヴィーネに求めるというのは受け入れがたかった。
「……私ではだめなの?」
絞り出すようにそう言うと、グラントは痛ましげに目を伏せる。
「リリアナを抱きしめる……それも、もちろん落ち着く。だけど……あの戦場で一緒に過ごした日々による癒やしというか……なんて言ったらいいのか……言葉にできないんだ」
グラントは辛そうに顔をしかめ、私に寄り添おうと歩み寄る。その仕草はどうにもぎこちなく、思わず一歩後ずさってしまう。
私は言葉を失った。グラントの苦しみは痛いほどわかる。けれど、妻である私よりも彼が心の救いを求めるのがヴィーネだという現実に、胸がきしむような痛みを覚える。一方で、ヴィーネだって同じように辛い経験をし、グラントと心を寄せ合ったのかもしれない。二人の間には私の知らない濃密な時間があったということ――。
絶望に似た感情と息苦しさを感じながら、それでも彼を責め立てるわけにはいかない、と自分を抑え込む。冷静を装い呟いた。
「……わかった。そうするしかなかったのよね、生き延びるには……。あなたが落ち着くなら……仕方ないわ」
本当は嫌で嫌で仕方ない。だけど、今夜は久しぶりにグラントが帰ってきた夜だ。思うように心を通わせられないまま、夫婦の寝室に私はひとりで就寝し、グラントは離れた部屋でヴィーネと共に休むことになった。
夜中、私は眠れずにいた。隣にいるはずの夫は違う女性を抱きしめている――その事実が頭から離れない。会いたくても会えなかった夫が目の前にいるのに、抱きしめ合う喜びより先に、理不尽な嫉妬と戸惑いが押し寄せるなんて想像もしていなかった。涙が止まらず、枕を濡らし続ける。けれど涙を流すばかりでは、あの戦火の地から帰ってきた夫をも救えない。自分が惨めなのか、夫が哀れなのか、ヴィーネが可哀想なのか――あまりに感情がごた混ぜになって私は途方に暮れた。
◇◇◇
翌朝、どうにかまどろんだ頃に起き上がると、家の中に朝食の香りが漂っていた。私はごしごしと涙の痕を拭い、気を引き締めて台所へ向かう。すると、そこにはエプロン姿のヴィーネが立っていた。グラントが少し申し訳なさそうな顔でその横にいる。おそらく私がやるはずの朝食作りを彼女が代わりにやっているのだろう。
「あ……おはようございます」
ヴィーネは私に向かっておずおずと挨拶をする。テーブルには焼き立てのパンとスープ、目玉焼きが並べられていた。胸に寂しさが押し寄せる。妻の役割……日々の家事をして夫を支えること。戦争へ行く前までは当たり前だったことが、まるで奪われてしまったように感じる。私の気配を感じ取ったのか、グラントがこちらを気にするように振り返った。
「リリアナ……おはよう。起こさないで、ゆっくり寝かせてあげたかったんだ。ヴィーネが朝食を作るって言ってくれて」
「そう……ありがとう」
務めて淡々と返事をする。胃が重くて食欲が湧かない。困惑や苛立ちがないまぜになった感情が湧き上がる一方、正直なところ、グラントもヴィーネも穏やかに過ごそうと私を気遣っているのはわかった。でも、その気遣いがむしろ私を孤独に追いやる気がしてならない。
食卓につくと、ヴィーネは落ち着かない様子で私の視線を伺っている。私は彼女を意地悪く見たいわけじゃないけれど、心に整理がつかない。ほんのひと口食べようとスプーンを持ち上げると、ふいにグラントが話しかけてきた。
「……どういうこと? どうして彼女を抱きしめないと眠れないの?」
私は驚きと動揺で声が震えた。グラントはすまなそうな顔をしているが、その言葉は決定的におかしい。戦地から帰ってきて、私を差し置いて、どうして赤の他人の女性を抱きしめないと眠れないのか?
「ごめん、リリアナ。自分でもよくわからない。戦場で夜を過ごすときに、どうしても眠れなくて……震えが止まらなくなるんだ。そういうときにヴィーネがそばにいてくれた。何度も戦火に晒されて、お互いに生き延びるために……一緒に眠ったり支え合ったりしてきた。それがないと今は眠りにつくことが……難しいんだ……」
彼の言葉に思考が追いつかない。けれど、夫の声には切実な苦痛が滲んでいる。確かに戦争という極限状態によって心を壊される人は多い。夜な夜な悪夢にうなされる人だって珍しくない。けど、それを私ではなくヴィーネに求めるというのは受け入れがたかった。
「……私ではだめなの?」
絞り出すようにそう言うと、グラントは痛ましげに目を伏せる。
「リリアナを抱きしめる……それも、もちろん落ち着く。だけど……あの戦場で一緒に過ごした日々による癒やしというか……なんて言ったらいいのか……言葉にできないんだ」
グラントは辛そうに顔をしかめ、私に寄り添おうと歩み寄る。その仕草はどうにもぎこちなく、思わず一歩後ずさってしまう。
私は言葉を失った。グラントの苦しみは痛いほどわかる。けれど、妻である私よりも彼が心の救いを求めるのがヴィーネだという現実に、胸がきしむような痛みを覚える。一方で、ヴィーネだって同じように辛い経験をし、グラントと心を寄せ合ったのかもしれない。二人の間には私の知らない濃密な時間があったということ――。
絶望に似た感情と息苦しさを感じながら、それでも彼を責め立てるわけにはいかない、と自分を抑え込む。冷静を装い呟いた。
「……わかった。そうするしかなかったのよね、生き延びるには……。あなたが落ち着くなら……仕方ないわ」
本当は嫌で嫌で仕方ない。だけど、今夜は久しぶりにグラントが帰ってきた夜だ。思うように心を通わせられないまま、夫婦の寝室に私はひとりで就寝し、グラントは離れた部屋でヴィーネと共に休むことになった。
夜中、私は眠れずにいた。隣にいるはずの夫は違う女性を抱きしめている――その事実が頭から離れない。会いたくても会えなかった夫が目の前にいるのに、抱きしめ合う喜びより先に、理不尽な嫉妬と戸惑いが押し寄せるなんて想像もしていなかった。涙が止まらず、枕を濡らし続ける。けれど涙を流すばかりでは、あの戦火の地から帰ってきた夫をも救えない。自分が惨めなのか、夫が哀れなのか、ヴィーネが可哀想なのか――あまりに感情がごた混ぜになって私は途方に暮れた。
◇◇◇
翌朝、どうにかまどろんだ頃に起き上がると、家の中に朝食の香りが漂っていた。私はごしごしと涙の痕を拭い、気を引き締めて台所へ向かう。すると、そこにはエプロン姿のヴィーネが立っていた。グラントが少し申し訳なさそうな顔でその横にいる。おそらく私がやるはずの朝食作りを彼女が代わりにやっているのだろう。
「あ……おはようございます」
ヴィーネは私に向かっておずおずと挨拶をする。テーブルには焼き立てのパンとスープ、目玉焼きが並べられていた。胸に寂しさが押し寄せる。妻の役割……日々の家事をして夫を支えること。戦争へ行く前までは当たり前だったことが、まるで奪われてしまったように感じる。私の気配を感じ取ったのか、グラントがこちらを気にするように振り返った。
「リリアナ……おはよう。起こさないで、ゆっくり寝かせてあげたかったんだ。ヴィーネが朝食を作るって言ってくれて」
「そう……ありがとう」
務めて淡々と返事をする。胃が重くて食欲が湧かない。困惑や苛立ちがないまぜになった感情が湧き上がる一方、正直なところ、グラントもヴィーネも穏やかに過ごそうと私を気遣っているのはわかった。でも、その気遣いがむしろ私を孤独に追いやる気がしてならない。
食卓につくと、ヴィーネは落ち着かない様子で私の視線を伺っている。私は彼女を意地悪く見たいわけじゃないけれど、心に整理がつかない。ほんのひと口食べようとスプーンを持ち上げると、ふいにグラントが話しかけてきた。
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