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動揺と衝突
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ハーブティーを用意し、グラントに運ぶと少しだけ落ち着いたのか彼は軽く息を吐いた。私は彼の汗ばんだ髪を撫でながらそっと問いかける。
「戦争のことを思い出してる? 夜、時々うなされてるみたいだけど」
「……ああ。夜になるとどうしても音が聞こえるんだ。あの爆撃の音、人々の叫び……周りが静かになればなるほど逆に耳に響いてきて……」
グラントは唇を噛みしめながら言葉を絞り出す。私は彼を抱きしめるようにして、ただ静かに見守る。戦争の恐怖はそう簡単に消えるものではない。私はその事実を突きつけられ言葉に詰まった。
「酷いのは、その思い出に“必ずヴィーネがいてくれる”っていうイメージが頭に浮かぶんだ。あの時、ずっと一緒だったから……彼女と離れた場所にいると、いつまた爆撃が起こるか、いつ敵兵が襲ってくるかと不安が増して……」
その言葉を聞くと、やるせない気持ちになる。妻である私ではなくヴィーネが支えとなっているという事実が、また私を苛立たせると同時に自己嫌悪を呼ぶ。彼が訴える苦しみを理解したいのに、どうしても嫉妬心が先に立ってしまうのが悲しかった。
「グラント、私もあなたを支えたいと思ってる。でも……あなたは私ではなく、ヴィーネとじゃないと眠れないんでしょう?」
思わず本音がこぼれると、グラントは申し訳なさそうに目を伏せた。
「そういうわけじゃないんだ。リリアナを抱きしめても安心する瞬間はもちろんある。でも、あの戦場で何度も死線を越えたのはヴィーネだった。だから、今の俺の心は彼女に頼ってしまう部分があるんだと思う。すまない……」
「謝らないで。私だってわがままばかり言っているつもりはない。わかってるの、あなたが辛いってことくらい。それにヴィーネの苦しみも……立場も……」
実際にはわかりたくてもわからないことばかりだ。それでも言わずにはいられなかった。グラントは私の言葉をどう受け止めたのか、黙り込んでしまった。沈黙の中、聞こえるのはかすかな呼吸音だけ。この無為な時間がやけに長く感じられた。
◇◇◇
グラントの体調はその後、徐々に落ち着きを取り戻したようで、昼前には起き上がってきた。「ありがとう、リリアナ。少し楽になった」と言い、己の無力さを噛みしめるように頭を垂れる。
その姿を見て、私は微笑みかけながら「気にしないで。まだ無理はしないでね」と声をかけた。するとそこへ、ヴィーネが遠慮がちにスープを運んできた。
「グラント、これ……暖かいうちにどうぞ。お腹の調子もよくなると思うから」
「ありがとう」
グラントがスプーンを手にして一口すすると、目を伏せて静かに息を吐く。自分の作ったスープを「どう?」と問われるわけでもなく、ただ黙って彼の回復を願うヴィーネの横顔をそっと眺めていた。彼女にはどこか「自分にはこれしかできない」という悲壮感というか、献身のようなものが宿っている。
その一方で、私の中にわだかまる感情は小さくなく、午後になるとどうしても落ち着かず、ひとりで裏庭に出た。裏庭には季節の花が少し咲いている。久しぶりに土いじりでもしてみようと手袋をはめるが、どうにも気分が乗らない。スコップを握っても土を掘り返す力が湧いてこない。
「どうして、こんなに胸が苦しいの……」
自問自答するように呟いたとき、ふと背後から足音が聞こえた。ヴィーネだった。どうやら私の姿を見かけて声をかけようと思ったらしい。私は反射的にその手を止め、彼女を見つめる。
「リリアナさん、お庭を手入れされるんですか?」
「ええ、少し気分転換に。あなたは? 何か必要なものがあるの?」
「いえ……ちょっと、私こそ気分転換がしたくて……」
戦地での苦しみを抱えながら、まだ見知らぬ土地で暮らすのは相当のストレスだろう。同じ女性として、そうした不安を察しないわけにはいかない。だけど私の心にはある種の警戒心があり、どう接すればいいのか戸惑う。
しばしの沈黙の後、私は花壇のほうを指さしてみせた。
「そこの花はあなたの故郷にも咲いていた花かしら? 戦地は遠い場所って聞いてるけれど、気候が違うから見たことあるかわからないわね」
自分でも妙な質問だと思ったが、何気なく会話のきっかけが欲しかったのだ。ヴィーネは少し戸惑いながらも、遠い目をして花を見つめる。
「私の故郷は町外れに野花が咲いてました。名前はわからないけど、水辺に近いところで白い花を見た記憶があります。あの頃はまだ両親が元気で一緒に散歩したり、買い物に行ったり……」
そこで言葉を切ったヴィーネは唇を噛み締めて俯く。両親の思い出がまだ生々しく胸を苦しませているのだろう。それを見てやはり彼女を恨むべきではないと改めて感じる。一方、どうしても癒せない“夫を奪われた”という嫉妬心の残滓は消えず、自己否定と同時に悲しみがこみ上げてくる。
「ごめんなさい、変なこと聞いたわね。辛いことを思い出させてしまったなら」
「いえ、リリアナさんが気遣ってくださるのは嬉しいです。実は、私……自分の気持ちを誰かに話すなんて、あまりないので……」
ヴィーネの言葉が意外だった。彼女は私よりも何歳か若い女性だ。そんな彼女が戦為による痛手を抱え、なおかつグラントと特別な絆を築いている――その現状が複雑すぎる。だけど今ここで彼女を無理に拒絶しても、何も解決しないのもわかっていた。
「私、リリアナさんがどんなに苦しんでいるか、薄々わかっています。でも……グラントと離れることを考えると怖いんです。あの頃に戻ってしまうようで誰にも守られない、あの地獄をひとりでさまようことになる気がして……」
ヴィーネの声は震えていた。彼女を追い出すようなことをしたら壊れてしまうかもしれない――そんな不安が私の心にも広がる。だけど、だからといって自分の立場はどうなるのか。この家の主婦であり、グラントの妻である私の居場所は? その葛藤が激しく渦巻いた。
「戦争のことを思い出してる? 夜、時々うなされてるみたいだけど」
「……ああ。夜になるとどうしても音が聞こえるんだ。あの爆撃の音、人々の叫び……周りが静かになればなるほど逆に耳に響いてきて……」
グラントは唇を噛みしめながら言葉を絞り出す。私は彼を抱きしめるようにして、ただ静かに見守る。戦争の恐怖はそう簡単に消えるものではない。私はその事実を突きつけられ言葉に詰まった。
「酷いのは、その思い出に“必ずヴィーネがいてくれる”っていうイメージが頭に浮かぶんだ。あの時、ずっと一緒だったから……彼女と離れた場所にいると、いつまた爆撃が起こるか、いつ敵兵が襲ってくるかと不安が増して……」
その言葉を聞くと、やるせない気持ちになる。妻である私ではなくヴィーネが支えとなっているという事実が、また私を苛立たせると同時に自己嫌悪を呼ぶ。彼が訴える苦しみを理解したいのに、どうしても嫉妬心が先に立ってしまうのが悲しかった。
「グラント、私もあなたを支えたいと思ってる。でも……あなたは私ではなく、ヴィーネとじゃないと眠れないんでしょう?」
思わず本音がこぼれると、グラントは申し訳なさそうに目を伏せた。
「そういうわけじゃないんだ。リリアナを抱きしめても安心する瞬間はもちろんある。でも、あの戦場で何度も死線を越えたのはヴィーネだった。だから、今の俺の心は彼女に頼ってしまう部分があるんだと思う。すまない……」
「謝らないで。私だってわがままばかり言っているつもりはない。わかってるの、あなたが辛いってことくらい。それにヴィーネの苦しみも……立場も……」
実際にはわかりたくてもわからないことばかりだ。それでも言わずにはいられなかった。グラントは私の言葉をどう受け止めたのか、黙り込んでしまった。沈黙の中、聞こえるのはかすかな呼吸音だけ。この無為な時間がやけに長く感じられた。
◇◇◇
グラントの体調はその後、徐々に落ち着きを取り戻したようで、昼前には起き上がってきた。「ありがとう、リリアナ。少し楽になった」と言い、己の無力さを噛みしめるように頭を垂れる。
その姿を見て、私は微笑みかけながら「気にしないで。まだ無理はしないでね」と声をかけた。するとそこへ、ヴィーネが遠慮がちにスープを運んできた。
「グラント、これ……暖かいうちにどうぞ。お腹の調子もよくなると思うから」
「ありがとう」
グラントがスプーンを手にして一口すすると、目を伏せて静かに息を吐く。自分の作ったスープを「どう?」と問われるわけでもなく、ただ黙って彼の回復を願うヴィーネの横顔をそっと眺めていた。彼女にはどこか「自分にはこれしかできない」という悲壮感というか、献身のようなものが宿っている。
その一方で、私の中にわだかまる感情は小さくなく、午後になるとどうしても落ち着かず、ひとりで裏庭に出た。裏庭には季節の花が少し咲いている。久しぶりに土いじりでもしてみようと手袋をはめるが、どうにも気分が乗らない。スコップを握っても土を掘り返す力が湧いてこない。
「どうして、こんなに胸が苦しいの……」
自問自答するように呟いたとき、ふと背後から足音が聞こえた。ヴィーネだった。どうやら私の姿を見かけて声をかけようと思ったらしい。私は反射的にその手を止め、彼女を見つめる。
「リリアナさん、お庭を手入れされるんですか?」
「ええ、少し気分転換に。あなたは? 何か必要なものがあるの?」
「いえ……ちょっと、私こそ気分転換がしたくて……」
戦地での苦しみを抱えながら、まだ見知らぬ土地で暮らすのは相当のストレスだろう。同じ女性として、そうした不安を察しないわけにはいかない。だけど私の心にはある種の警戒心があり、どう接すればいいのか戸惑う。
しばしの沈黙の後、私は花壇のほうを指さしてみせた。
「そこの花はあなたの故郷にも咲いていた花かしら? 戦地は遠い場所って聞いてるけれど、気候が違うから見たことあるかわからないわね」
自分でも妙な質問だと思ったが、何気なく会話のきっかけが欲しかったのだ。ヴィーネは少し戸惑いながらも、遠い目をして花を見つめる。
「私の故郷は町外れに野花が咲いてました。名前はわからないけど、水辺に近いところで白い花を見た記憶があります。あの頃はまだ両親が元気で一緒に散歩したり、買い物に行ったり……」
そこで言葉を切ったヴィーネは唇を噛み締めて俯く。両親の思い出がまだ生々しく胸を苦しませているのだろう。それを見てやはり彼女を恨むべきではないと改めて感じる。一方、どうしても癒せない“夫を奪われた”という嫉妬心の残滓は消えず、自己否定と同時に悲しみがこみ上げてくる。
「ごめんなさい、変なこと聞いたわね。辛いことを思い出させてしまったなら」
「いえ、リリアナさんが気遣ってくださるのは嬉しいです。実は、私……自分の気持ちを誰かに話すなんて、あまりないので……」
ヴィーネの言葉が意外だった。彼女は私よりも何歳か若い女性だ。そんな彼女が戦為による痛手を抱え、なおかつグラントと特別な絆を築いている――その現状が複雑すぎる。だけど今ここで彼女を無理に拒絶しても、何も解決しないのもわかっていた。
「私、リリアナさんがどんなに苦しんでいるか、薄々わかっています。でも……グラントと離れることを考えると怖いんです。あの頃に戻ってしまうようで誰にも守られない、あの地獄をひとりでさまようことになる気がして……」
ヴィーネの声は震えていた。彼女を追い出すようなことをしたら壊れてしまうかもしれない――そんな不安が私の心にも広がる。だけど、だからといって自分の立場はどうなるのか。この家の主婦であり、グラントの妻である私の居場所は? その葛藤が激しく渦巻いた。
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