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47.透けない雲
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ついに最後の課題に取り組む時が来た。
学期末の課題は、個人でのものではなく、大勢のチームで取り組むものになっている。まさに一年の中で皆が最も気合いを求められるものともいえるだろう。
今年度のクライアントは宇宙開発の研究機関立ち上げを盛り上げるためのイベントを開催して欲しいとのことだった。ちょうどオルメアの家の事業と親交があるらしく、私たちのような若者向けにイベントをやろう、と思いついたのがきっかけだった。
そのためか、オルメアはこの案件でも何かと役割を任されることが多く、本格的に課題に取り組み始めてからはいつも忙しそうにしている。
だからせっかく同じ課題に挑めるけれど、なかなかオルメアと話すことはできなかった。
このイベントでは、宇宙と言えば空、空と言えば飛行、という単純な連想から空にちなんだ催しをやることになっている。オルメアの協力もあって、エアレースで活躍している選手を呼ぶこともできて、飛行パフォーマンスをいくつか行う予定だ。
空は思ったよりも遠くない。だから、宇宙だってすぐに行けるようになる。皆で未知の果てのロマンを見よう。
そうやって始まったイベントの呼びかけは思ったよりもすぐに話題を呼び、私たちの最後の課題の滑り出しは順調だった。
私は今回、当日の工程表を組むのが主な仕事だった。先方との調整が落ち着いてしまった今はそこまでやることもなくて、仕上がった工程表に粗はないかをひらすら確認するばかりだ。
オープニングの項目に目を向け、その文字を指でなぞる。
複葉機が旗をなびかせることでイベントの開始を告げることになっていた。そして、その操縦をするのがオルメアだった。オルメアは小型飛行機の免許を持っていて、飛行の経験もある。プロにお願いする予定だったけれど、その人がどうしても都合が合わなくなってしまい、オルメアに白羽の矢が立ったのだ。
オルメアが操縦するなんて、絶対様になるに決まっている。私もイベントの主催側の人間なのだけど、その姿が見られるのだと思うと密かに胸がときめいた。
けれど同時に胸が痛む。ニアともちゃんと話したい。彼にときめいていいのはそれからだ。
工程表を畳み、賑やかな様子の窓の外を覗き込む。
見下ろすと、オルメアがチームの皆と共にわいわいと話しながら設営の資料を読み込んでいる。
皆の中心で毅然とした表情のオルメアは不意にその頬を緩ませたり、声をあげて笑ったりしていた。
コートやマフラーの誘惑から逃れた空の下で、軽やかな制服を着た彼の姿を忘れたくなくて、瞬きをするのが惜しくなった。疲れているだろうに、そんな素振りを見せないことには脱帽する。私ならすぐに疲れた表情が出てしまうだろう。
変わらない彼の笑顔を瞳に映していると、ふと柔らかな太陽が陰る。
同じくして、私の瞼も数回閉じては開いた。ぱちぱちと、何度か睫を合わせてみても、見えてくるのは彼のいつもの笑顔だ。
「……オルメア」
彼のことを目で追うのが癖になっていたせい。
さっき、ほんの一瞬だけれど彼の表情が曇った気がした。
太陽が隠れたせいだろうか。見慣れた彼の表情の変化に敏感な私は、ひとさじの違和感を溶かすことができなかった。
「オルメア、何か手伝えることはない?」
翌日、放課後を迎える前に私は隣に座るオルメアに明るく声をかける。
「ん。大丈夫だよ。ロミィはもう工程をまとめてくれたし。あとは皆、問題なさそうだ」
「そう?」
「ああ。ありがとう、ロミィ」
にこっと笑うオルメアは、あまり眠れていないのかもしれない。微かに目の下に隈が見える。
「オルメアは、大丈夫なの?」
「ん……? 僕……?」
「やることがいっぱいあるのに、操縦までするんでしょう? 疲れていない?」
「ははっ。大丈夫だよロミィ。僕、そんなに元気なく見えた?」
「……いいえ」
嘘をついてしまった。
確かに元気がなさそうな感じではない。でも、昨日見た僅かな軋みが気になってしまう。
「……無理はしないで? なんでも、話してくれていいから」
オルメアが何もかも話してくれることに期待はしていなかった。
ずっと前から垣間見えていた彼の瞳の奥の気持ちに、私は触れることが許されていないから。
それでもまだ望んでしまうのは、皆の夢の話を聞いたからだろう。オルメアが抱えているものが何なのかは分からない。けれど、何もないとは思わない。
ねぇオルメア、お願いだから、教えて。
「ありがとうロミィ。本当に君は、優しいね」
嬉しいはずの言葉なのに、今は真逆に感じてしまった。
オルメアの優しい言葉の壁は、その先に進む希望を遮ることだってできる。
「あ! オルメア!」
そこに元気な声が割り込んできた。ベラだ。
「ねぇ、明日飛行の練習するんだよね? 私、見に行ってもいいかな?」
「もちろん。ベラは進行役だから、動きを確認して欲しい」
「やったぁ! ありがとうオルメア。すごく楽しみ……あ、そうだ」
ベラは私のことをこっそり見ると、軽くウィンクをした。
「ロミィも一緒に行っていい?」
「え?」
もう一度ベラは私とアイコンタクトを取る。
「大丈夫。いいよ」
「ありがとう! 一人だと迷いそうで……。ロミィ、よろしくね」
ぴょんっと跳ねたベラは、私が口を開く隙も与えないまま肩を叩き、耳元で「お礼はいいよ」と囁いて席へと戻った。
「ロミィ」
「はっ……はい!」
嵐のように去って行ったベラの姿を追いつつも、何が起こったのか分からない私から出た声は裏返っていて、おまけに掠れていた。
「そういうことみたいだから、明日、よろしくね」
「……うん。よろしく……」
オルメアはそのまま鞄の中を探り始めた。あと一分で授業が始まる。
私は狐につままれたような気分のまま、その横顔を光に溶かした。
学期末の課題は、個人でのものではなく、大勢のチームで取り組むものになっている。まさに一年の中で皆が最も気合いを求められるものともいえるだろう。
今年度のクライアントは宇宙開発の研究機関立ち上げを盛り上げるためのイベントを開催して欲しいとのことだった。ちょうどオルメアの家の事業と親交があるらしく、私たちのような若者向けにイベントをやろう、と思いついたのがきっかけだった。
そのためか、オルメアはこの案件でも何かと役割を任されることが多く、本格的に課題に取り組み始めてからはいつも忙しそうにしている。
だからせっかく同じ課題に挑めるけれど、なかなかオルメアと話すことはできなかった。
このイベントでは、宇宙と言えば空、空と言えば飛行、という単純な連想から空にちなんだ催しをやることになっている。オルメアの協力もあって、エアレースで活躍している選手を呼ぶこともできて、飛行パフォーマンスをいくつか行う予定だ。
空は思ったよりも遠くない。だから、宇宙だってすぐに行けるようになる。皆で未知の果てのロマンを見よう。
そうやって始まったイベントの呼びかけは思ったよりもすぐに話題を呼び、私たちの最後の課題の滑り出しは順調だった。
私は今回、当日の工程表を組むのが主な仕事だった。先方との調整が落ち着いてしまった今はそこまでやることもなくて、仕上がった工程表に粗はないかをひらすら確認するばかりだ。
オープニングの項目に目を向け、その文字を指でなぞる。
複葉機が旗をなびかせることでイベントの開始を告げることになっていた。そして、その操縦をするのがオルメアだった。オルメアは小型飛行機の免許を持っていて、飛行の経験もある。プロにお願いする予定だったけれど、その人がどうしても都合が合わなくなってしまい、オルメアに白羽の矢が立ったのだ。
オルメアが操縦するなんて、絶対様になるに決まっている。私もイベントの主催側の人間なのだけど、その姿が見られるのだと思うと密かに胸がときめいた。
けれど同時に胸が痛む。ニアともちゃんと話したい。彼にときめいていいのはそれからだ。
工程表を畳み、賑やかな様子の窓の外を覗き込む。
見下ろすと、オルメアがチームの皆と共にわいわいと話しながら設営の資料を読み込んでいる。
皆の中心で毅然とした表情のオルメアは不意にその頬を緩ませたり、声をあげて笑ったりしていた。
コートやマフラーの誘惑から逃れた空の下で、軽やかな制服を着た彼の姿を忘れたくなくて、瞬きをするのが惜しくなった。疲れているだろうに、そんな素振りを見せないことには脱帽する。私ならすぐに疲れた表情が出てしまうだろう。
変わらない彼の笑顔を瞳に映していると、ふと柔らかな太陽が陰る。
同じくして、私の瞼も数回閉じては開いた。ぱちぱちと、何度か睫を合わせてみても、見えてくるのは彼のいつもの笑顔だ。
「……オルメア」
彼のことを目で追うのが癖になっていたせい。
さっき、ほんの一瞬だけれど彼の表情が曇った気がした。
太陽が隠れたせいだろうか。見慣れた彼の表情の変化に敏感な私は、ひとさじの違和感を溶かすことができなかった。
「オルメア、何か手伝えることはない?」
翌日、放課後を迎える前に私は隣に座るオルメアに明るく声をかける。
「ん。大丈夫だよ。ロミィはもう工程をまとめてくれたし。あとは皆、問題なさそうだ」
「そう?」
「ああ。ありがとう、ロミィ」
にこっと笑うオルメアは、あまり眠れていないのかもしれない。微かに目の下に隈が見える。
「オルメアは、大丈夫なの?」
「ん……? 僕……?」
「やることがいっぱいあるのに、操縦までするんでしょう? 疲れていない?」
「ははっ。大丈夫だよロミィ。僕、そんなに元気なく見えた?」
「……いいえ」
嘘をついてしまった。
確かに元気がなさそうな感じではない。でも、昨日見た僅かな軋みが気になってしまう。
「……無理はしないで? なんでも、話してくれていいから」
オルメアが何もかも話してくれることに期待はしていなかった。
ずっと前から垣間見えていた彼の瞳の奥の気持ちに、私は触れることが許されていないから。
それでもまだ望んでしまうのは、皆の夢の話を聞いたからだろう。オルメアが抱えているものが何なのかは分からない。けれど、何もないとは思わない。
ねぇオルメア、お願いだから、教えて。
「ありがとうロミィ。本当に君は、優しいね」
嬉しいはずの言葉なのに、今は真逆に感じてしまった。
オルメアの優しい言葉の壁は、その先に進む希望を遮ることだってできる。
「あ! オルメア!」
そこに元気な声が割り込んできた。ベラだ。
「ねぇ、明日飛行の練習するんだよね? 私、見に行ってもいいかな?」
「もちろん。ベラは進行役だから、動きを確認して欲しい」
「やったぁ! ありがとうオルメア。すごく楽しみ……あ、そうだ」
ベラは私のことをこっそり見ると、軽くウィンクをした。
「ロミィも一緒に行っていい?」
「え?」
もう一度ベラは私とアイコンタクトを取る。
「大丈夫。いいよ」
「ありがとう! 一人だと迷いそうで……。ロミィ、よろしくね」
ぴょんっと跳ねたベラは、私が口を開く隙も与えないまま肩を叩き、耳元で「お礼はいいよ」と囁いて席へと戻った。
「ロミィ」
「はっ……はい!」
嵐のように去って行ったベラの姿を追いつつも、何が起こったのか分からない私から出た声は裏返っていて、おまけに掠れていた。
「そういうことみたいだから、明日、よろしくね」
「……うん。よろしく……」
オルメアはそのまま鞄の中を探り始めた。あと一分で授業が始まる。
私は狐につままれたような気分のまま、その横顔を光に溶かした。
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