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49.似た者同士
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宇宙組織のはじまりまであと少し。
空に近づくその日はミルクを零したような青い空に雲のレースがあしらわれていた。
オルメアがそこに旗をなびかせるまであと一時間。生徒たちは期待に胸を躍らせる来訪者たちをもてなすために、風船で子犬を模ったり、子どもたちと簡単なゲームをする。
早くも広場はあちこちから軽やかな笑い声が聞こえてくるようになった。
クライアントたちと最後の打ち合わせを終え、手の空いた私はお祭りのようなその光景に緊張感が緩和されていく。学院に入って幾度となく見てきた眺めは、何度目だろうと初心に帰らせてくれる。
私たちは張本人ではない。けれど、依頼人たちの求めていた景色を忘れてはいけないのだと胸に刻まれていく。
望みを完璧に揃えることはできないかもしれない。
それでも、同じ方向を向くことはできる。本心から望んでいることは、同じはずだから。
きょろきょろと辺りを見回し、それぞれの役割についている仲間たちの顔を順にみる。
探し人は見当たらず、また心臓が縮み上がりそうになった。でも、今日こそはちゃんと伝えよう。
建物の近くに行くと、そこはまだ人影が少なく、急に皆の声が遠くなったような気がした。レンガ造りの埃を残した壁の向こうを覗き込むと、思いがけず花壇が見えた。
コの字型になっている建物の中庭部分に佇む花壇はすでに雑草が涼しい顔をして揺れているけれど、残された花の巡りはまだ続いていて、いくつかのつぼみが開きかけている。鼻をくすぐる愛らしい香りが微かに届く。
その傍らに座り、そっと花びらに触れようとする指が、私の声に呼ばれてそこで止まってしまう。
「ニア、こんなところにいたの?」
ニアは私の方を見て「見つかっちゃった」と悔しそうに笑う。
彼のもとに近づいて、私は花を覗き込んだ。
「こんなところでも、花は咲くのね。すっかり人の手を離れてしまったのに」
「そうだよロミィ。花は咲くんだよ。彼らは自由気ままだからね」
触れようとしていた手を下げ、ニアは座ったまま私を見上げる。
「準備は終わった?」
「ええ。ニアはどうなの?」
「俺は……ちょっと休憩。こんな場所を見つけちゃったからね」
そう言って特別な宝物を見渡すように花壇を見下ろす。ニアを歓迎するように恵風が花を揺らして微笑みかける。
その横顔に、また私の胸は小さく痛む。睫を伏せた彼の大きな瞳が捉えている花は、余韻に揺られたまま視線に照れたようにそっと向きを変えた。
花壇に近づいたからだろうか。さっきよりも広がる香りが感情とは裏腹に気分を高揚させていく。
ニアの隣に並んで座り、私を誘う陽気な花々をちらりと見やる。
「なんだか不思議な場所ね。前にニアがクタルストンで教えてくれた秘密の泉みたい。ここは軍事施設の跡なのに、こんなに安らぎを感じてしまうなんて、変ね」
「うん。そうかもね。でもどこにだって、憩いの場所はあるはずだから」
「ニアは特別な場所を見つける天才ね。ちょっと休憩してしまいたくなるのも分かる気がするわ」
胸いっぱいに広がる柔らかな香りに、私はつい緊張感を忘れて頬を緩めた。
ニアはそんな私の顔を見て、クスリと笑う。
「でも俺の特別な場所は、ロミィがいるところだけどね」
挑戦的な笑みをするニアのいたずらな瞳は、油断した私にとっては刺激が強かった。だから私は咄嗟にニアから目を逸らして、自分の足元に目を落とす。
「ニア……あの……あのね……」
伝えると決めたのだ。
大事な友人でもあるニアのことを、これ以上縛り付けておくことなんてできない。いくら我儘な私でも、誰かのマリオネットの糸を紡ぐことだけはしたくない。自由になった彼らの意思は、誰にも縛り付けることなど出来ないのだから。
「……わ、私、ね……」
それなのに、ニアの顔も見れずにもごもごと言葉が詰まってしまう。なんて情けない。私は自分が恥ずかしくなって次第に肩を落としていく。
するとニアの笑う声が耳を通る。
「ロミィ、知ってるよ。君は甘い一瞬に騙されるような人じゃないってね」
「……え?」
恐る恐る視線を上げると、彼の表情は何かを吹っ切ったように爽やかに見えた。
「ロミィが好きなのは、オルメアだろ?」
そのまま真っ直ぐに私の瞳を見て、ふふ、といたずらに笑う。
また気づかれていた。
図星の一言に、私は一気に耳まで赤くなる。
「ロミィの近くにいて、気づかないはずがないだろ?」
「え……で、でも……」
「それでも俺はロミィのことが好きだから、だから、ちゃんと伝えたかった。そうしないと、いつまでも後悔する。素直になれなくて、君と一緒にいるのが辛くなる。それだけは嫌だったんだ」
ニアはまだ心臓がバクバクしている私を置いてニコッと微笑みかけてくる。
「ごめんねロミィ。君が辛そうにしていたのを知ってたのに」
「ううん……そんなのいいの……」
放心状態のまま首を横に振る。ニアは私がオルメアを好きなことを承知で気持ちに向き合ってくれた。それに翻弄されている私に気づいて、こうやってすべてを打ち明けてくれる。
「ニア……」
じわりと目尻に涙が浮かぶ。ニアは眉を下げてもう一度「ごめん」と口を開く。
「謝らないで。ニア。私だって、ニアの気持ちにすぐ向き合えなかった。ニアが謝る必要なんてない」
少し表情に真剣さを取り戻したニアは、ゆっくりと頷いて私の意見を受け入れてくれた。
「私ね、怖かったの。ニアのこと、好きだから。友だちとしてとても大切な人だから。だから、これからもその関係を壊したくなくて……ニアのこと失いたくなかったの。我儘だよね。でも、でも私は、それを望んでしまったの。本当にごめんなさい、こんなに我儘で」
「ロミィ」
私の声を遮るように、ニアはそっと私の手を握る。
「俺のことは気にしないで、ロミィ。俺は大丈夫だから」
「……ニア」
穏やかな彼の瞳を見つめ、そのまま彼の手を握り返す。
「ニア、あなたは私に似ているの」
「え……?」
「嘘が、下手なのね」
ニアの目が徐々に開いていき、つられるようにして口角も緩やかに上がる。次の瞬間には、風船が割れた弾みに驚いた後のように、彼は声をあげて砕けて笑った。
「はははっ。そうか、ロミィには誤魔化しがきかないのか」
彼の笑い声に誘われて、私も次第に可笑しくなって笑ってしまう。
「ええ、そうよ、ニア。ふふふ、強がりは良くないわ」
「意地悪だなぁ、ロミィ。ちょっとくらい良い格好をさせてくれよ」
「そんな必要ないでしょう?」
ニアが笑った反動で出てきた涙を拭っているから、私はその顔を覗き込む。
「ニアはいつだって格好いいよ」
私の素直な言葉に、また二人して笑い声を響かせた。
ずっと気まずかったニアとのわだかまりが溶けたところで、私はイベントの会場へと戻る。ニアはちゃんと自分の役割を思い出し、お得意の愛嬌でゲストたちの相手をした。
途中で教えてくれたのだけれど、ニアは前にエレノアにこのことを相談していたらしい。二人が私の前でよそよそしかったように見えたのは、私のことを話していたからだ。
「ロミィ!」
ベラの声が聞こえてそちらを向くと、ちょうどオルメアが複葉機に乗り込むところが見えた。
活気づいた楽器隊の演奏に合わせて、もうじきオルメアがオープニングアクトとして飛び立つ。
ベラの隣に駆け寄り、操縦席からこちらを見て敬礼をするオルメアに対して二人して敬礼を返す。
緊張感に包まれたゴーグルの下に隠れたオルメアの瞳が、ほんの僅かに緩んだ気がした。
そのまま、練習の時みたいにエンジン音が轟き、暴れる風を纏って複葉機がゆっくりと浮上していく。観客たちの歓声が渦のようにその場を包み込み、オルメアの操縦する複葉機は滑らかに空へと飛び立っていった。
彼がなびかせる横断幕のような旗を見上げ、太陽の眩しさを避けようと額に手をかざす。
赤い翼は清々しいほどの空に一筋の希望を描き、私たちの今学期の集大成となるイベントの開始を告げた。
空に近づくその日はミルクを零したような青い空に雲のレースがあしらわれていた。
オルメアがそこに旗をなびかせるまであと一時間。生徒たちは期待に胸を躍らせる来訪者たちをもてなすために、風船で子犬を模ったり、子どもたちと簡単なゲームをする。
早くも広場はあちこちから軽やかな笑い声が聞こえてくるようになった。
クライアントたちと最後の打ち合わせを終え、手の空いた私はお祭りのようなその光景に緊張感が緩和されていく。学院に入って幾度となく見てきた眺めは、何度目だろうと初心に帰らせてくれる。
私たちは張本人ではない。けれど、依頼人たちの求めていた景色を忘れてはいけないのだと胸に刻まれていく。
望みを完璧に揃えることはできないかもしれない。
それでも、同じ方向を向くことはできる。本心から望んでいることは、同じはずだから。
きょろきょろと辺りを見回し、それぞれの役割についている仲間たちの顔を順にみる。
探し人は見当たらず、また心臓が縮み上がりそうになった。でも、今日こそはちゃんと伝えよう。
建物の近くに行くと、そこはまだ人影が少なく、急に皆の声が遠くなったような気がした。レンガ造りの埃を残した壁の向こうを覗き込むと、思いがけず花壇が見えた。
コの字型になっている建物の中庭部分に佇む花壇はすでに雑草が涼しい顔をして揺れているけれど、残された花の巡りはまだ続いていて、いくつかのつぼみが開きかけている。鼻をくすぐる愛らしい香りが微かに届く。
その傍らに座り、そっと花びらに触れようとする指が、私の声に呼ばれてそこで止まってしまう。
「ニア、こんなところにいたの?」
ニアは私の方を見て「見つかっちゃった」と悔しそうに笑う。
彼のもとに近づいて、私は花を覗き込んだ。
「こんなところでも、花は咲くのね。すっかり人の手を離れてしまったのに」
「そうだよロミィ。花は咲くんだよ。彼らは自由気ままだからね」
触れようとしていた手を下げ、ニアは座ったまま私を見上げる。
「準備は終わった?」
「ええ。ニアはどうなの?」
「俺は……ちょっと休憩。こんな場所を見つけちゃったからね」
そう言って特別な宝物を見渡すように花壇を見下ろす。ニアを歓迎するように恵風が花を揺らして微笑みかける。
その横顔に、また私の胸は小さく痛む。睫を伏せた彼の大きな瞳が捉えている花は、余韻に揺られたまま視線に照れたようにそっと向きを変えた。
花壇に近づいたからだろうか。さっきよりも広がる香りが感情とは裏腹に気分を高揚させていく。
ニアの隣に並んで座り、私を誘う陽気な花々をちらりと見やる。
「なんだか不思議な場所ね。前にニアがクタルストンで教えてくれた秘密の泉みたい。ここは軍事施設の跡なのに、こんなに安らぎを感じてしまうなんて、変ね」
「うん。そうかもね。でもどこにだって、憩いの場所はあるはずだから」
「ニアは特別な場所を見つける天才ね。ちょっと休憩してしまいたくなるのも分かる気がするわ」
胸いっぱいに広がる柔らかな香りに、私はつい緊張感を忘れて頬を緩めた。
ニアはそんな私の顔を見て、クスリと笑う。
「でも俺の特別な場所は、ロミィがいるところだけどね」
挑戦的な笑みをするニアのいたずらな瞳は、油断した私にとっては刺激が強かった。だから私は咄嗟にニアから目を逸らして、自分の足元に目を落とす。
「ニア……あの……あのね……」
伝えると決めたのだ。
大事な友人でもあるニアのことを、これ以上縛り付けておくことなんてできない。いくら我儘な私でも、誰かのマリオネットの糸を紡ぐことだけはしたくない。自由になった彼らの意思は、誰にも縛り付けることなど出来ないのだから。
「……わ、私、ね……」
それなのに、ニアの顔も見れずにもごもごと言葉が詰まってしまう。なんて情けない。私は自分が恥ずかしくなって次第に肩を落としていく。
するとニアの笑う声が耳を通る。
「ロミィ、知ってるよ。君は甘い一瞬に騙されるような人じゃないってね」
「……え?」
恐る恐る視線を上げると、彼の表情は何かを吹っ切ったように爽やかに見えた。
「ロミィが好きなのは、オルメアだろ?」
そのまま真っ直ぐに私の瞳を見て、ふふ、といたずらに笑う。
また気づかれていた。
図星の一言に、私は一気に耳まで赤くなる。
「ロミィの近くにいて、気づかないはずがないだろ?」
「え……で、でも……」
「それでも俺はロミィのことが好きだから、だから、ちゃんと伝えたかった。そうしないと、いつまでも後悔する。素直になれなくて、君と一緒にいるのが辛くなる。それだけは嫌だったんだ」
ニアはまだ心臓がバクバクしている私を置いてニコッと微笑みかけてくる。
「ごめんねロミィ。君が辛そうにしていたのを知ってたのに」
「ううん……そんなのいいの……」
放心状態のまま首を横に振る。ニアは私がオルメアを好きなことを承知で気持ちに向き合ってくれた。それに翻弄されている私に気づいて、こうやってすべてを打ち明けてくれる。
「ニア……」
じわりと目尻に涙が浮かぶ。ニアは眉を下げてもう一度「ごめん」と口を開く。
「謝らないで。ニア。私だって、ニアの気持ちにすぐ向き合えなかった。ニアが謝る必要なんてない」
少し表情に真剣さを取り戻したニアは、ゆっくりと頷いて私の意見を受け入れてくれた。
「私ね、怖かったの。ニアのこと、好きだから。友だちとしてとても大切な人だから。だから、これからもその関係を壊したくなくて……ニアのこと失いたくなかったの。我儘だよね。でも、でも私は、それを望んでしまったの。本当にごめんなさい、こんなに我儘で」
「ロミィ」
私の声を遮るように、ニアはそっと私の手を握る。
「俺のことは気にしないで、ロミィ。俺は大丈夫だから」
「……ニア」
穏やかな彼の瞳を見つめ、そのまま彼の手を握り返す。
「ニア、あなたは私に似ているの」
「え……?」
「嘘が、下手なのね」
ニアの目が徐々に開いていき、つられるようにして口角も緩やかに上がる。次の瞬間には、風船が割れた弾みに驚いた後のように、彼は声をあげて砕けて笑った。
「はははっ。そうか、ロミィには誤魔化しがきかないのか」
彼の笑い声に誘われて、私も次第に可笑しくなって笑ってしまう。
「ええ、そうよ、ニア。ふふふ、強がりは良くないわ」
「意地悪だなぁ、ロミィ。ちょっとくらい良い格好をさせてくれよ」
「そんな必要ないでしょう?」
ニアが笑った反動で出てきた涙を拭っているから、私はその顔を覗き込む。
「ニアはいつだって格好いいよ」
私の素直な言葉に、また二人して笑い声を響かせた。
ずっと気まずかったニアとのわだかまりが溶けたところで、私はイベントの会場へと戻る。ニアはちゃんと自分の役割を思い出し、お得意の愛嬌でゲストたちの相手をした。
途中で教えてくれたのだけれど、ニアは前にエレノアにこのことを相談していたらしい。二人が私の前でよそよそしかったように見えたのは、私のことを話していたからだ。
「ロミィ!」
ベラの声が聞こえてそちらを向くと、ちょうどオルメアが複葉機に乗り込むところが見えた。
活気づいた楽器隊の演奏に合わせて、もうじきオルメアがオープニングアクトとして飛び立つ。
ベラの隣に駆け寄り、操縦席からこちらを見て敬礼をするオルメアに対して二人して敬礼を返す。
緊張感に包まれたゴーグルの下に隠れたオルメアの瞳が、ほんの僅かに緩んだ気がした。
そのまま、練習の時みたいにエンジン音が轟き、暴れる風を纏って複葉機がゆっくりと浮上していく。観客たちの歓声が渦のようにその場を包み込み、オルメアの操縦する複葉機は滑らかに空へと飛び立っていった。
彼がなびかせる横断幕のような旗を見上げ、太陽の眩しさを避けようと額に手をかざす。
赤い翼は清々しいほどの空に一筋の希望を描き、私たちの今学期の集大成となるイベントの開始を告げた。
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