操り人形の外の世界

冠つらら

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50.ドレスは譲れない

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 最後の課題を無事に終えた私たちは、真の関門である学期末の試験に向けて勉学に励んだ。
 課題の評価も大事だけれど、もちろん学業だって疎かにしていいわけではない。成績の評価はすべてを総合してつけられるからだ。
 夏の休暇前にオルメアにSSを取るって宣言したからには、そちらの方も気を抜くわけにはいけない。私は放課後の楽しい時間もそこそこに、試験に向けて問題を解く。
 机にすべての意識を向けていると、トントン、と控えめに扉が叩かれる。

「ゾイア、いいよ」

 ひょっこり顔を覗かせるゾイアは、最近試しているという新しい化粧を施した目元を細め、勉強にばかり集中している私を恨めしそうに見た。

「ロミィ、また勉強してる」
「もう試験はすぐだもの。ゾイアの方はどうなの?」

 当然、ゾイアも試験を控えている。しかし彼女はいつものことながら余裕の表情を保っている。昔から、勉強で焦るところは見たことがない。試験の結果がそれなりでも、特に不満はなさそうに得意げに笑うのだ。

「私は大丈夫。落第点さえ取らなければ問題ないわ」

 ベッドに腰を掛け、ゾイアはそんなことより、と腕を組む。

「試験の後にはジュニアプロムでしょう? お姉ちゃん、そっちの対策はできているの?」

 むむむ、と訝しげに私のことを見るゾイアは、言い訳を許さないだろう。

「まだ、だけど。試験が終わってからでも余裕はあるわ」
「そんなこと言って。勿体ないよ」

 まるでベラみたいに口を尖らせる。

「ドレスは決めたの? 妥協は絶対に許さないからね」
「まぁ、自分事みたいに思ってくれるのね。嬉しいわ」

 もちろん私だって妥協なんて許さない。
 来年もプロムはあるけれど、ジュニアプロムだって一度きり。
 皆、ドレスやお気に入りの服を纏ってとびきりの自分を演出する。自らを最大限に表現する良い機会だ。そんな場所に、ミヨンレ・プロストの娘の私が気合いを入れないわけがない。

「まだ決めてないの。でも、候補はあって……」
「まぁ本当? おばあ様のクチュールかしら?」
「そうね。デザイナーの方に相談は始めているわ。けど……」

 すっかり机から顔を上げた私は、先ほどまで見ていた数式を頭の彼方に追いやってしまった。

「まだ迷っているのよ……」
「ふぅん。私のアドバイスが効くかしら?」

 待ってましたとばかりにゾイアは目を輝かせる。
 ゾイアのプロムはまだ先だ。多分、本人はもう待ちきれないのだろうけれど。だから私のことなのにこんなに前のめりになってしまうのだ。

「そうね。今度工房へ行くから、一緒に来てくれる?」
「もちろん! ふふっ、楽しみ!」

 喜びが抑えきれずに立ち上がったゾイアは、そのままスキップしながら扉に手をかける。

「お邪魔しましたっ。勉強頑張ってねー」

 望んでいた約束を取り付けたゾイアは、鼻歌を歌いながら部屋を出て行く。

「……もう」

 騒がしい妹が去り、彼女が来る前に戻ったはずの部屋の中は、異様に静まり返っているように感じた。
 ドレス選びのための工房訪問は、ゾイアが急かすのもあって予定よりも早い日程になった。まだ試験は始まっていない。どうせなら終わってから集中したかったけれど、もうこれは仕方がない。
 ゾイアは、ドレス作りを見てみたいと話していたというドンナも一緒に連れてきて、私たち三人は街にある工房へと足を踏み入れる。工房は一見すると殺風景な倉庫のような建物の中にある。レンガ造りではあるけれど、平屋作りで平坦な建物だ。
 中には大量の布とミシンが敷き詰められていて、職人たちが忙しなく働いていた。中に入ると、久しぶりに数多のミシンの音が連なって耳に届き、重機が稼働しているのではないかと錯覚する。

 私は、工房の責任者に挨拶をした後、約束をしていたデザイナーさんと洋裁師さんのもとへと向かう。母がジュニアプロムのことを気にかけてくれて、ドレスをお願いするのはすぐに叶った。こればっかりは、私たちの特権だと思う。だからありがたくその機会に甘えることにした。
 デザイナーさんは、前に伝えていた要望を元に、いくつかの案を提示してくれた。線の細い繊細なデザイン画をゾイアとともに覗き込んで、その後ろからドンナが控えめに顔を出す。
 ドンナがデザイン画にとても興味を示しているのはすぐにわかった。

「どのデザインがいいと思う?」

 熱心な彼女なら、きっと自分の意見を述べてくれるだろう。そう思い、私は彼女に尋ねてみた。

「えっ、えっと……」

 私なんかが……、そんな顔をしながら、ドンナは遠慮がちに一枚のデザイン画を指差す。片方の肩が出ているデザインで、もう一方にはパフスリーブがついている。流れるようなスカートの裾は、主張を抑えながらもふんわり広がっているイメージだ。

「あら、すごくいいデザインよね。ドンナ、私も気になっていたのよ」

 デザインを決めかねている私も、ドンナの選んだそれは気になっていた。それと、胸元がもう少し開いたデザインのものと迷っていたのだ。

「ねぇ? ドンナもセンスあるでしょう?」

 ゾイアが得意げに笑うと、ドンナは照れたように頬を温める。
「ええ。本当、迷ってしまうわ。どうしようかしら」
「デザインもそうだけど、色はどうするの?」
「うーん……それも迷っているわ」
「やっぱりピンクなの?」

 工房に並ぶカラフルな布が並んだ棚の方を向き、最近特に受注が増えているピンク系統のグラデーションの列をゾイアはぼんやりと眺めた。
 私が小首を傾げると、ドンナがちょんっと袖をつまむ。

「ピンクもたくさん色があって綺麗。でも、私はブルーもいいと思います」

 上目で私を見るドンナの愛らしい提言に、再び私の心は揺らぐ。
 この前ベラとエレノアにドレスのことを聞いてみたら、ベラは大好きな赤色。そしてエレノアは緑と白を混ぜたような色を予定していると話していた。
 彼女たちと色が被ることはなさそうだけど、あまり暗い色にはしたくないし、それでいて明るすぎない色の方が今回なりたいイメージにぴったりだ。
 そうなると、やっぱり淡いブルーかピンクにしておきたいところ。やっぱり定番のブルーなのかと思ったけれど、ここのところピンクも注目されている。どのデザインも、どちらの色も似合うことだろう。やっぱりなかなか決められない。たかが色、されど色。

「ロミィ、どう? デザイン決まりそう?」

 デザイナーさんが、洋裁師さんと生地の物色をし終えて戻ってきた。彼女は眼鏡をかけ直して興味津々に笑いかける。ミヨンレ・プロストで最近活動を始めたデザイナーさんで、これまでのスタイルと新たなスタイルを見事に融合させる素晴らしいデザイナーの一人だ。

「デザインは、こっちのスカートの感じを取り入れたいの。でも、上半身はこっちの方が私に合うかなって……」

 迷っているデザイン画を二つ並べて、彼女に提案をしてみる。

「この二つを合わせたデザインは、難しいかな……?」
「いいえロミィ。そんなことないわ。掛け算は得意なんだから」

 しっかりとまとめた彼女の高い位置に留まるお団子が艶やかに光った気がした。

「本当?」
「ええ。ロミィの特別な日だもの。全力で協力させてちょうだい」
「ありがとう……! すごく嬉しい……!」

 頼もしい彼女の言葉に、私は背中を押されたような気がした。やっぱり、服は身を纏う鎧みたい。どんな気持ちにもさせてくれるし、想像しただけで心が躍ってしまう。
 期待に胸が開いていく私に、ゾイアは冷静に首を傾げてくる。

「で、生地は?」

 ピンクを勧めるゾイアは、私の答えが待ちきれないようだ。

「今日決めちゃわないと、裁縫だって間に合わなくなっちゃう」
「そ、そうよね……」

 ゾイアは正しかった。予定より早いとはいえ、それでも忙しい洋裁師さんのことを思えば結構ギリギリだ。途中、調整なんかも必要なんだから。

「ブルーとピンクで迷っているの……。どちらも捨てがたくて……」
「まぁそうなの? それなら、ロミィの要望を叶えてあげるわ」
「……え?」
「どちらも大切にしたいのよね? ふふ、言ったでしょう? 私に実現できないデザインはないの」

 デザイナーさんは洋裁師さんの肩をポンッと叩く。不意に肩を叩かれたベテランの彼女は、眠たげな瞳をしっかりと開いて大きく頷く。

「最高のプロムにしましょうね」
「……はい!」

 分かってはいたことだけれど、今日私は改めて確信した。ミヨンレ・プロストが今も多くの人たちの心を彩ることが出来ているのは、間違いなく彼女たちのような唯一無二の職人さんたちが支えてくれているおかげだ。
 この場所を、私は守りたい。
 そのための可能性は諦めたくはない。

「ドレスはなんとかなりそうね。……あ、でもそういえば、相手は決まっているの?」
「え?」

 ドンナが洋裁師さんに生地についての疑問を尋ねると、それを横目にゾイアが大事なことを思い出したように小さく顔を跳ねさせた。

「プロムの相手。こっちもぐずぐずしていられないよね?」
「……ええ、そうね」

 ギクリと勝手に笑顔が強張る。

「お目当ての人がいるなら、誘ってもらうのを期待していては駄目よ?」
「……アドバイスをありがとう、ゾイア」

 ゾイアが言いたいのはオルメアのことだろう。
 ジュニアプロムでも、皆、ダンスの相手を誘って参加する。誰と一緒に行くのか、ドレスに負けず劣らず盛り上がる重大な要素だ。
 学院外の人も呼べるけれど、やっぱり同じ学院生徒同士での参加が多く、私たちの学年は試験前の緊張感と、互いの様子を窺うようなそわそわとした気持ちが入り乱れている。

 希望としては、オルメアと一緒にプロムでダンスをしたい。
 糸を切ったあの日、私が夢に見た光景だ。
 ゾイアの言う通り、待っているだけでは駄目なはず。夢を叶えるためには、自分が動かなければ。それは分かっているけれど、オルメアはもう誰かを誘っていたりするのだろうか。
 今の私たちにとってはなかなかセンシティブな話題でもあるから、気軽に聞くのもなんとなくできない。些細な会話で尋ねた流れで気負うことなく誘うことが出来たらなんていいことか。

「ロミィ、ラフ画なんだけど、こんなのはどうかしら?」

 デザイナーさんは早速新しいドレスの案をスケッチしてくれて、じゃーん、と見せてくれる。

「わぁ、すごい……! 本当に……素敵なドレス」

 自然とふやけてしまう私の表情を見て、理想のドレスを描き出したデザイナーさんは誇らしげに鼻を掻く。
 準備は整った。
 あとは私自身で夢の世界にオルメアを誘うだけ。
まだ見ぬドレスを胸に抱きかかえ、私はそっと深呼吸をする。

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