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51.臆病な回り道
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「えっ!? ルージー来るの?」
今日はベラが本格的に店での展開を始めたパンを私たちのためにも持ってきてくれていた。そのおかげで、少し贅沢なランチを楽しむことができた。
「ええ。思い切って誘ってみて良かったわ」
エレノアが嬉しそうに頬を緩ませると、ベラが小さく拍手をする。
「すごい! やったねエレノア。試験を前に、一つ課題をクリアだね」
周りの生徒達の声にかき消されることのないベラの声は、その場の空気を明るくした。
「ありがとう、ベラ。ええ、そうね。確かに、ほっと一息ついた気がしてしまうわね。本番はこれからなのだけど」
きりっと眉を上げ、エレノアは自らに渇を入れる。
ジュニアプロムに向けて、学院内では暇あれば準備の進捗について語り合う場面が増えてきた。学院を歩いているだけで、プロムに誘い合う生徒たちを目にする機会も少なくない。
今も、エレノアがルージーをジュニアプロムに誘ったと教えてくれたところだ。前だったら、ルージーがプロムに来るはずなんてないと思っただろう。でも、彼が秘めていた苦しみを知った私は、素直に喜ばしいことだと思えた。首を縦に振ったルージーの姿をぜひ見たかったものだ。きっと、とても幸せな顔が見れたはず。
「ベラはどうなの?」
「私?」
自分に話題の矛先が向く前に、私はベラに話を振る。
「私はね、誰かと行くつもりはないの」
「どういうこと?」
ふふん、と鼻を鳴らすベラは、にっこりと華やかに笑った。
「プロムって友だちだろうと恋人だろうとペアで行くものだけど、別に決めなくてもいいかなって。そう思ったの。……おかしいかな?」
きょとんとした目で私たちを見るベラは数回瞬きをする。
「いいえ、そんなことはないわ。すごくかっこいい」
「本当?」
「ええ。誰かと行くことだけが大事じゃないもの。ベラはそのままでも十分に主役だものね」
エレノアの返事に続いて私もベラの目を見て答えた。
「えへへ。ありがとう。そう言ってもらえると思った、二人には」
三つ編みの毛先をいじりながら、ベラは照れ臭さを隠す。
「でも会場では、一緒に踊ってね?」
「もちろんよ。ベラに会えるのが楽しみ」
その日はいつもと違った皆が見れるのだと私は期待していた。見慣れた学校のホール、そこにいるのは毎日顔を合わせてきた人たちのはずなのに、別世界に来てしまったように思えるのだと。
「そういうことだから、私のことはいいの。それより……ロミィ?」
ベラはニヤリと笑って歯を見せた。
「あなたはどうなの?」
「……あっ」
避けられるはずがなかった。エレノアもベラに倣って私にじっと注目している。二人の友人の視線がじわじわと胸を刺してきて、私は冷や汗をかいてきた。
「ま、まだ……何も決まってないよ……」
「ほらぁ、やっぱり」
ベラはぐにゃりと上半身を崩して机に寄りかかる。
「そんなことだと思った。ロミィ、思ったよりも奥手なんだもの」
「うっ……」
ベラの的確な分析に、私は何も言い返せない。あまりにも正しい。
「ロミィ、オルメアはもう何人も声をかけられているって聞くわ。まだ決まっていないとは思うけれど」
エレノアはハラハラとした様子で心配そうに眉を下げる。
「でも、なんだか聞いたらロミィのこと仄めかしてしまいそうで、直接は聞けていないの。だけど、あまり悠長なことは言っていられないわ」
「……エレノア……う、うん……確かに、そうね」
彼女が私の恋路の心配をしてくれるなんて、夢にも思わなかったことだろう。封じられた記憶と、実際に目の前にいるエレノアとのちぐはぐな関係のギャップが余計に胸に迫ってくる。
真剣に私のことを考えてくれている彼女の想いが嬉しくて。
「ロミィ、言ってみないと伝わらないわ。私もルージーを誘うのは勇気が必要だった。でも、実際に彼が承諾してくれた時、本当に嬉しかったの。勇気を出して良かったって思えたわ。素直でいるのが一番よ」
「そうそう、ロミィらしく、ね」
二人が私のことを真剣に応援してくれていることが分かる。今なら、ちょっと勇気が出せるかもしれない。
「うん……ありがとう、二人とも」
「ふふっ。ロミィは試験以外にもまだ課題が残っていますねぇ」
ベラはからかうようにそう言うと、時計を見上げて背伸びをする。
鐘が鳴る前に教室に戻らなくては。
午後の授業に向かおうと立ち上がった二人に続いて、私もゆっくりと支度を整えた。
その日の残りの授業は、あまり集中できなかった。ルージーを誘ったエレノアのことを思うと、自分も頑張らないとと鼓舞される。脳内で何度かシミュレーションをしてみたけれど、そのどれも言葉を噛んでしまって上手く言えない。
妄想くらいスムーズにできないものかと苦い顔を繰り返す私は、談話室の入り口にふと目を向ける。
中を覗くと、試験前だからか生徒の姿は全然見えなかった。けれど窓際の指定席に、一人チェス盤に向かうオルメアの姿があった。
どうやらチェスの戦術を練っているようで、難しい顔をして考え込んでいる。
黒のルークを手に取り、静かな音を立てて盤の升目に置く。
するとオルメアは腕を組んで首を傾げた。次の策を思案しているのだろうか。
集中している彼は、私が見ていることにも気づかない。その横顔の隣で手を取ることが出来たらどんなにいいだろう。窓の外は分厚い雲が空を覆い、電気をつけていても少し部屋の中に暗く陰を落としているせいか、フライトの練習をしていた時の彼の表情を思い返してしまう。
穏やかで人に弱いところは決して見せないオルメア。皆に求められる自分を築き上げるために、誰も見ぬ間に努力を重ねてきたことだろう。彼がチェスが得意なのだって、ただの偶然なんかじゃない。
強い意志なくして理想は作れない。
彼が私に見せてくれる夢は、ある日突然魔法のように姿を現すわけではなくて、その裏には、希望を託した情熱の力がある。オルメアは苦悩を表に出すこともなく、一人で戦ってきたのだ。
私は彼ではないから、彼の気持ちは分からない。
けど、もし、彼が孤独を感じているのであれば、悩みを抱えているのであれば、私は彼の力になりたい。
もがき苦しむ気持ちはよく分かる。忘れることなどないだろう。
募らせた想いが頂点まで達し、頭の先から噴火してしまいそうになった。
「……オルメア!」
気づけば私は、震える手を握りしめて彼の名前を呼んでいた。
駒と睨み合っていたオルメアは顔を上げ、不意を突かれたように驚いてこちらを向く。
「ロミィ、君もまだ残ってたの?」
優しい声が喉元を締める。
「ええ。そうなの……。ふふ、勉強しなくちゃいけないのにね」
「息抜きも必要だよ」
責める私の網を解くように、彼は繊細な微笑みを見せる。
「……そうね、うん、そう」
くらくらと目が眩みそうになりながら、勇気を出して彼に近づいた。前よりも心臓が高鳴っているのを感じる。皆の悪夢に触れ、気持ちを知ってからというもの、私の彼に対する気持ちは張りつめていく一方だ。
「だから、ね、オルメア」
「ん?」
彼が私の瞳を捉えることが嘘のような奇跡に思える。あの日目覚めた時に感じた喜びが新鮮な感情となって甦った。
「……ちょっと、出かけない?」
「……? いいよ?」
伝えられるだろうか。
プロムに一緒に行きたいという私の願いを。
今日はベラが本格的に店での展開を始めたパンを私たちのためにも持ってきてくれていた。そのおかげで、少し贅沢なランチを楽しむことができた。
「ええ。思い切って誘ってみて良かったわ」
エレノアが嬉しそうに頬を緩ませると、ベラが小さく拍手をする。
「すごい! やったねエレノア。試験を前に、一つ課題をクリアだね」
周りの生徒達の声にかき消されることのないベラの声は、その場の空気を明るくした。
「ありがとう、ベラ。ええ、そうね。確かに、ほっと一息ついた気がしてしまうわね。本番はこれからなのだけど」
きりっと眉を上げ、エレノアは自らに渇を入れる。
ジュニアプロムに向けて、学院内では暇あれば準備の進捗について語り合う場面が増えてきた。学院を歩いているだけで、プロムに誘い合う生徒たちを目にする機会も少なくない。
今も、エレノアがルージーをジュニアプロムに誘ったと教えてくれたところだ。前だったら、ルージーがプロムに来るはずなんてないと思っただろう。でも、彼が秘めていた苦しみを知った私は、素直に喜ばしいことだと思えた。首を縦に振ったルージーの姿をぜひ見たかったものだ。きっと、とても幸せな顔が見れたはず。
「ベラはどうなの?」
「私?」
自分に話題の矛先が向く前に、私はベラに話を振る。
「私はね、誰かと行くつもりはないの」
「どういうこと?」
ふふん、と鼻を鳴らすベラは、にっこりと華やかに笑った。
「プロムって友だちだろうと恋人だろうとペアで行くものだけど、別に決めなくてもいいかなって。そう思ったの。……おかしいかな?」
きょとんとした目で私たちを見るベラは数回瞬きをする。
「いいえ、そんなことはないわ。すごくかっこいい」
「本当?」
「ええ。誰かと行くことだけが大事じゃないもの。ベラはそのままでも十分に主役だものね」
エレノアの返事に続いて私もベラの目を見て答えた。
「えへへ。ありがとう。そう言ってもらえると思った、二人には」
三つ編みの毛先をいじりながら、ベラは照れ臭さを隠す。
「でも会場では、一緒に踊ってね?」
「もちろんよ。ベラに会えるのが楽しみ」
その日はいつもと違った皆が見れるのだと私は期待していた。見慣れた学校のホール、そこにいるのは毎日顔を合わせてきた人たちのはずなのに、別世界に来てしまったように思えるのだと。
「そういうことだから、私のことはいいの。それより……ロミィ?」
ベラはニヤリと笑って歯を見せた。
「あなたはどうなの?」
「……あっ」
避けられるはずがなかった。エレノアもベラに倣って私にじっと注目している。二人の友人の視線がじわじわと胸を刺してきて、私は冷や汗をかいてきた。
「ま、まだ……何も決まってないよ……」
「ほらぁ、やっぱり」
ベラはぐにゃりと上半身を崩して机に寄りかかる。
「そんなことだと思った。ロミィ、思ったよりも奥手なんだもの」
「うっ……」
ベラの的確な分析に、私は何も言い返せない。あまりにも正しい。
「ロミィ、オルメアはもう何人も声をかけられているって聞くわ。まだ決まっていないとは思うけれど」
エレノアはハラハラとした様子で心配そうに眉を下げる。
「でも、なんだか聞いたらロミィのこと仄めかしてしまいそうで、直接は聞けていないの。だけど、あまり悠長なことは言っていられないわ」
「……エレノア……う、うん……確かに、そうね」
彼女が私の恋路の心配をしてくれるなんて、夢にも思わなかったことだろう。封じられた記憶と、実際に目の前にいるエレノアとのちぐはぐな関係のギャップが余計に胸に迫ってくる。
真剣に私のことを考えてくれている彼女の想いが嬉しくて。
「ロミィ、言ってみないと伝わらないわ。私もルージーを誘うのは勇気が必要だった。でも、実際に彼が承諾してくれた時、本当に嬉しかったの。勇気を出して良かったって思えたわ。素直でいるのが一番よ」
「そうそう、ロミィらしく、ね」
二人が私のことを真剣に応援してくれていることが分かる。今なら、ちょっと勇気が出せるかもしれない。
「うん……ありがとう、二人とも」
「ふふっ。ロミィは試験以外にもまだ課題が残っていますねぇ」
ベラはからかうようにそう言うと、時計を見上げて背伸びをする。
鐘が鳴る前に教室に戻らなくては。
午後の授業に向かおうと立ち上がった二人に続いて、私もゆっくりと支度を整えた。
その日の残りの授業は、あまり集中できなかった。ルージーを誘ったエレノアのことを思うと、自分も頑張らないとと鼓舞される。脳内で何度かシミュレーションをしてみたけれど、そのどれも言葉を噛んでしまって上手く言えない。
妄想くらいスムーズにできないものかと苦い顔を繰り返す私は、談話室の入り口にふと目を向ける。
中を覗くと、試験前だからか生徒の姿は全然見えなかった。けれど窓際の指定席に、一人チェス盤に向かうオルメアの姿があった。
どうやらチェスの戦術を練っているようで、難しい顔をして考え込んでいる。
黒のルークを手に取り、静かな音を立てて盤の升目に置く。
するとオルメアは腕を組んで首を傾げた。次の策を思案しているのだろうか。
集中している彼は、私が見ていることにも気づかない。その横顔の隣で手を取ることが出来たらどんなにいいだろう。窓の外は分厚い雲が空を覆い、電気をつけていても少し部屋の中に暗く陰を落としているせいか、フライトの練習をしていた時の彼の表情を思い返してしまう。
穏やかで人に弱いところは決して見せないオルメア。皆に求められる自分を築き上げるために、誰も見ぬ間に努力を重ねてきたことだろう。彼がチェスが得意なのだって、ただの偶然なんかじゃない。
強い意志なくして理想は作れない。
彼が私に見せてくれる夢は、ある日突然魔法のように姿を現すわけではなくて、その裏には、希望を託した情熱の力がある。オルメアは苦悩を表に出すこともなく、一人で戦ってきたのだ。
私は彼ではないから、彼の気持ちは分からない。
けど、もし、彼が孤独を感じているのであれば、悩みを抱えているのであれば、私は彼の力になりたい。
もがき苦しむ気持ちはよく分かる。忘れることなどないだろう。
募らせた想いが頂点まで達し、頭の先から噴火してしまいそうになった。
「……オルメア!」
気づけば私は、震える手を握りしめて彼の名前を呼んでいた。
駒と睨み合っていたオルメアは顔を上げ、不意を突かれたように驚いてこちらを向く。
「ロミィ、君もまだ残ってたの?」
優しい声が喉元を締める。
「ええ。そうなの……。ふふ、勉強しなくちゃいけないのにね」
「息抜きも必要だよ」
責める私の網を解くように、彼は繊細な微笑みを見せる。
「……そうね、うん、そう」
くらくらと目が眩みそうになりながら、勇気を出して彼に近づいた。前よりも心臓が高鳴っているのを感じる。皆の悪夢に触れ、気持ちを知ってからというもの、私の彼に対する気持ちは張りつめていく一方だ。
「だから、ね、オルメア」
「ん?」
彼が私の瞳を捉えることが嘘のような奇跡に思える。あの日目覚めた時に感じた喜びが新鮮な感情となって甦った。
「……ちょっと、出かけない?」
「……? いいよ?」
伝えられるだろうか。
プロムに一緒に行きたいという私の願いを。
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