公主のひめごと

濱田みかん

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第一章

調書係は本日も残業中

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 祝日を前に、いつも以上にごった返す街路を、泳ぐようにすり抜ける。



 屋台に集まる人々。

 頭陀袋を山のように積んだ馬車。

 肩を寄せ微笑みあう若い男女。

 籠からあふれる野菜。

 都城百万の民の胃袋を満たすこの市場は、今日も熱気に満ち溢れている。



「ふふふんっ、ふふん~」



 広いはずの道を真っ直ぐ歩けない程の人出。

 でも、そんなの全然気にならない。

 押し寄せる人の波を華麗に避けながら、戦利品を片手に雑踏の中、袖をなびかせ歩く。



 えぇ。

 我は今、とってもご機嫌なのです。



 ちょっと浮かれ過ぎじゃない?

 いえいえ、そんなことは御座いません。

 至極当然、然るべき、なんです。

 なんたって、やっと買えたんですから。



 目を付けていた、今、話題の店。

 午時正刻十二時を知らせる鐘と同時に職場を飛び出し、爆速で買いに走った。

 柔らかい餅が評判の生菓子は、開店後すぐ売り切れる、人気の品。

 行列は必至。今日こそは買うんだと決め、終業の30分前から書類を整理するふりをして、身支度を済ませていた事はもちろん内緒。



 全力で走った甲斐もあり、列に並んだ時には残り少なくなっていたけど、白と紅の2色とも最後の陳列分を購入できた。



「いい天気だなぁ」



 本日も晴天なり。

 春の気配を知らせる穏やかな陽射しに、鼻歌交じりで街路をゆく。

 こちらを振り返る人もいない。

 誰の視線も気にせず、気ままに道草が出来る自由。



 こんな時間があるから、あの牢獄のような実家に戻っても、どうにか病まずに生きていけるのだ。



 果物らしき荷を積んだ驢馬ろばが、のんびりと街路の真ん中を歩いていくのを見て、ふっと一息つく。



 行き交う人々で賑わう、昼下がりの西市。

 煩わしいはずの喧騒も、我にとっては現実を忘れさせてくれる音楽となる。



「さて。今日くらいは、早めに帰りますか…」



 今回は六日連続の外泊。

 お留守番の梅梅めいめいはきっと今頃、首を長くして我の帰りを待っているはず。



 出かける前に猛烈に頼まれていた、小話小説の最新作もちゃんと入手した。

 今帰れば、夕餉の前にお茶を飲む時間もある。

 梅梅の好きなあの店の焼菓子も、折角だから買って帰ろう。



「うん。そうしよう」



 高い日差しが眩しい街路を、また早足で歩き始める。



 途中で棗飴の屋台を見つけ、ひとつ手に取る。

 今年の棗は粒が大きい。

 天の恵みに感謝しつつ、大きく口を開けてかぶりつく。



 西市に無いものはない。

 砂漠を越えて運ばれた目新しい品々。

 きらびやかな絨毯や薄く透ける硝子の器。

 南から届いた濃い香りの花々と、色鮮やかな果物。

 屋根を重ねて立ち並ぶ露店と、そこから漂う美味しそうな匂いといったら。

 ありとあらゆる物が集まるこの市場は、食いしん坊には最高の娯楽場パラダイスだ。



「あ~、おいしーわぁ…」



 頬っぺたが落ちる、とはこの事。食欲も満たされて上機嫌。軽い足取りで街路を曲がった、その時だった。



「い~やぁぁ~あっ」



 少し間の抜けた叫び声が、棗飴を頬張り歩く我の耳に飛び込んできた。



「だ、誰かぁぁぁ~!」



「ん―?」



 口に棗を入れたまま声の方角に振り向くと、川岸に続く道の奥に人垣が出来ている。

 その奥からだろうか。

 間抜け声の主は人の背に隠れて、こちらからは見えない。



「なんだろ…?」



 仕事柄、つい気になってしまう。踵を返し、棗をかじりながら歩を進める。



「い―やぁぁ~」



 相変わらずのけったいな声と、どうやら制止に入っている数名の男性の声が辺りを賑わせている。

 野次馬も既に、かなりの数が集まっている。人数からして、今に起こったことではないらしい。



 人の輪を遠巻きに眺めていると、しばらくして右金吾衛うきんごえいの騎馬隊もやって来た。

 その中に見慣れた甲冑姿を見つけ、人ごみに分け入る。



「すみませ~ん、通ります~」



 人の肩をよけ、前へ前へと出る。

 騎馬の並ぶ先に抜け、大きな背中に声をかける。



そん班長」

「あぁ、九瑶くようか」



 馬上の人、孫英そんえいはこちらを見ると鞍から飛び降りた。

 右金吾衛・巡警第三班、孫班長。

 日焼けした肌に、彫りの深い無骨な顔立ち。くぼんだ奥に覗く、厳しい眼差し。いかにも軍人という見た目の男は我の前までつかつかとやって来ると、鉄兜を取って言った。



「今日は非番か?」

「いえ。買い物の帰りで、たまたま見かけて…。どうしたんです?」

「ご婦人が川に飛び込みそうだと、通報があってな」

「あの奇声の主、ですかね」

「あぁ」



 そう言うと、彼はひとつ苦笑いをした。



「ありゃ手こずりそうだな―。九瑶、少し、時間あるか?」

「えぇ。もちろん」



 にこっと表情を作ると、彼は「すまんな」と言って、腰に佩いていた横剣を取り、我に差し出した。



「助かる。では、これを」

「はい」



 受け取った剣を胴巻ベルトに差す。

 衛士の剣は関係者の目印のようなもの。

 私服に着替えていた我への配慮だ。ありがたい。



「行くぞ」

「はい」



 周囲に響く調子を狂わせる声に一抹の不安を抱きつつ、彼と共に現場へ向かった。



 ◇



 バシャバシャと派手な飛沫しぶきを上げてもがくご婦人を、四人の男が網で曳き上げたのは、つい半刻一時間前のこと。

 水場で手を洗い、剣を返して自分も官服に着替える。



「結局、残業になっちまったな。悪い」

「平気ですよ、班長。あとは帰るだけですから」

「すまんな、任せたぞ」

「はぁい。じゃあ、聴取してきますね」



 こうなることは、予想はしていた。事件があれば出勤するのが、金吾衛公安のさだめ。そこは理解している。孫班長に手を振り、我は奥の庁舎へと向かう。



 ここは右金吾衛府うきんごえいふ―。

 都城の中心を走る承天門街大通りから西半分の、通称『右京』の治安維持を司るこの部隊は、西市の北側、官公庁街である皇城の西門の前に庁舎を構える。

 千人を超える衛士を擁するこの大所帯は、都の安心安全の為、24時間体制で城門の石垣から辻の隅々までに目を光らせている。



「これ、お願いします」



 巡回から戻ってきた衛士たちが粛々と片付けを始めるその横で、不規則勤務の届け出を反故紙に書きつけ、府士職員に渡す。仕事するからには、稼働時間に追加してもらわねば。



「了解。今日も働くねぇ」

「他にすることも無くて」

「若い娘が気の毒に」

「ほっといて」



 いつものように軽口を一戦交えてから、職場に向かう。 



「おっと、九瑶。ん、ご苦労さん!」

「あ、徐郭じょかく、いいところにいたっ!」



 馬の嘶きを聞きつけ様子を見に来た童顔の青年は、我を見るなりすべてを悟ったらしい。



「ごめん。これ本家に届けて。『急ぎ梅梅に回送して』って。お願い」



 餅が柔らかいうちに渡したい。買った小話と共に菓子の入った布袋を彼に渡す。



「了解―。て、あれ?九瑶。明日は実家じゃないの?」

「うん。さすが事情通だわ、ご明察」



 「まぁね」と素直に頷く彼さ、多くの官僚を顧客に抱える、都城で最も予約の取れないと有名な薬師の息子。私的で繊細な内容に触れる父君の仕事を切り盛りする、今年18になるやり手だ。

『本家』と呼ぶ陸りく将軍の屋敷で我々が出会ったのは、もう10年以上前の事。

 人懐こくて頭の切れる彼は、イザという時に頼りになる幼馴染みだ。



「本家もバタバタだったよ。今から仕事なんでしょ?大丈夫か」

「暮鼓ぼごが鳴る前には、ここを出るよ。間に合うように頑張る」



 ほんとは実家なんて、帰りたくもないけど。



「九瑶も連行されるの?温泉宮華清池の行幸」

「ご多分に漏れずにね―。しかも、あの最悪の面子が勢揃いだって。まじで出奔したい」

「ほんと、九瑤は『実家嫌い』だよね…」

「当たり前だよ。この国で最も性悪な一家、だよ?」



 ほんとにそう。

 聖人扱いされている父親は昔は腕が経つ武人だったらしいけど、今は単なる色ボケの老害。その上、八人いる兄姉はことごとく自己中で、みんな保身しか考えていない。

 お陰で家族仲は氷点下だ。



「名家も大変だな。うちは気楽な庶民でよかったわ」

「徐家に生まれたかったよ、我も」

「ははは。深窓の令嬢が何言ってんだ」

「好きでお嬢様なんじゃないよ。それに今は、一介の調書係だし」

「そっちの方が合ってる。九瑤がお嬢様とか、片腹痛い」

「我もそう思う」



 まったく、人生は思い通りにいかないらしい。性格に見合った立場が欲しいと何度願ったことか。



「そうだねぇ。でも、生まれは変えられないしねぇ」

「昔は良かったなぁ、なんて」



 みんなで朝から夕方まで走り回って遊んだのは、幸せな思い出の一場面。

 陸家は貴賤関係なく、優秀な人材には門戸を開く家風。親に連れられ、その子弟たちも陸家に集まる。

 広い陸家の庭は幼い子供の絶好の遊び場だった。



「…九瑶が突然、実家に帰るってなって、また戻って来た時にさ」

「あ、二年前ね」

「別人みたいに真っ白になってて、まじで誰かわかんなかった」

「あ~。あの暗黒の3年間、日に当たってないからね…」

「あれ以来、煎餅売ってる屋台を見ると、九瑤を思い出すんだよね…」



 徐郭は渡した包みから煎餅を取り出し、おもむろに食べ始めた。



「焼く前の生地か、我は」

「今はそう見える。白肌もちもち。前は真っ黒に焦げた猿だったのに」




 12歳になる春。

 それまで何の音沙汰もなかったのに、突然実家に呼び戻され、そこから花嫁修行という地獄の日々が始まった。

 当時は政略結婚の話があったらしい。

 15歳で笄礼成人の儀を迎える頃には、噂されていた婚姻話も立ち消えていたので事なきを得たが、我の中には猛烈な自立心が芽生えた。

 経験は人を賢くする。

 あれこれ手を尽くした結果、陸将軍の計らいで今の職を得た。

 縁故採用万歳。使えるものは使いますよ。なんだって。



「よく焼いてるほうが、好みだな」



 不服そうな顔で煎餅を裏返し、何度も見返す。焦げ色が薄い煎餅。自分もひとつ手にして食むと、サクッと軽い音がした。



「勝手に食べておいて文句なの?高いんだよ、ここの」

「運送料だよ」

「そっか。まぁ、いいよ。梅梅の為ならしょうがない。―さ、そろそろ仕事に戻りますか」



 小腹を満たした事だし、そろそろ働こう。



「おおぅ、頑張れよ~。これは届けとくから」

「ありがと。じゃ、またね」



 右手を振り、徐郭と別れた我はまた石畳を奥に進んだ。





 ◇





 右金吾衛は都城内で事件事故が起こると真っ先に駆け付け、事態の収拾を図る。

 場合によっては被疑者を捕縛し、収監する。その被疑者を聴取して調書を作成し、尚書省の刑部単語検察に送るまでが担当範囲。いわば一時対応の部門だ。

 いわゆる『現場』と呼ばれるところは、どこも忙しいのは言わずもがな。右金吾衛府も、もれなく常にバタバタだ。

 大体、事件と言うものは、予定通りにやって来ない。九瑶も仕事が予定通りに進むことがないと気づいたのは、入府して半年した頃だ。



 今日も予定外の残業。まぁ、致し方無い。

 商売道具を持って取調室に入ると、既に本人への聞き取りは進んでいた。身元確認が済んだところで前任と交代する。



「すみません。ここからは私が担当します」



 机の上で溶けたような体勢をしたご婦人が、首から上だけをこちらに向けた。



「まぁ、ちいさいお坊ちゃんじゃないの。貴方が担当なの?」

「えっと、お嬢ちゃんかもです…」



 苦笑いをしながら、渡された戸籍に素早く目を通す。



 名は玉嬰。よわい30、前科無し。

 右京で綿織物を仕入れる夫と二人暮らし。

 西市で買い物の帰りに、鴉からすに手提げ袋をひったくられ、追いかけたところ川に袋が落ちているのを見つけ、飛び込もうとした―。



 文字をひと通り、視線でなぞった我は安堵した。

 明らかに事件性は低い。聴取の時間はかからないだろう。

 調書を作ったら夫に保釈金を用意してもらい、案件終了。で済みそうだ。



「調書係の陸です。これからお話、聞かせていただきますね」

「ねぇ、話したら帰れるの?夕餉の時間に間に合わなくなると困るの」

「そうですね、無事に手続きが終わったら、大丈夫ですよ。ご協力いただければ早く終わるので、こちらも助かります」



 にっこり笑って言う。

 そして、四半刻30分を過ぎた頃。



「―だったのよ~。ほんと、信じられないわ」



 ようやく結論までたどり着いた。長い旅路だった。相槌を打ち過ぎて、肩が凝った。迂闊だった。



「では、まとめると、西市で待ち合わせた友人と甘味を食べ、かかりつけ医に行って持病の薬を貰い、夕餉用にいつも買う焼餅を買って帰ろうとした所、鴉カラスに襲われた…、となりますかね?」



「そんな感じよ」

「ありがとうございます。よく分かりました。―それで袋は見つかりました?」

「それが、川に落ちたのを見たのよ!だから取ろうとして、桟橋に行ったら、止められたのよ、金吾衛に!」

「そうでしたかぁ。災難でしたね」



 むしろ巻き込まれた三班が、災難なんだけど。



「違うの、市の角から飛び出してきたのよ」

「ん?人ですか?」

「鴉よ」

掏摸スリみたいですね」

「そう。きっと他にも盗んでるわ。捕まえて」

「そーですね…。善処します」



 残念ながら、我らが遵守すべき律令法律には、動物の犯行について言及した文言は存在しない。

 役所は規則に無い事は対応出来ないのだ。



 早く引き取りに来てくれないかな、ご主人…。



 心のつぶやきは正直だ。でも、言えるはずもない。ため息替わりに、視線を遠くに投げる。

 外に立つ衛士と目が合う。彼は我の顔を見ると察したらしい。気を利かせて、収拾に入ってくれた。



「御婦人、取調が終わりなら、あちらに移動しましょう」

「あら、もういいの?」

「えぇ。ご協力助かりました。以上です」

「あら、そう。よかったわ」



 恭しく頭を下げる我に、御婦人の声が高くなる。



「はい。では、私はここで。ご機嫌よう」



 軽く会釈し、部屋を出る。

 後は様式に起票して、孫班長に確認依頼したら今日は終わり。

 鴉が犯人なら、我らの出番は無い。

 地味な仕事だが、気力も体力もかなり使う。口の中は乾いてパサパサだ。



「とにかく、今日はこれを終わらせないとね」



 温泉宮の前に、どうにか片づけたい。自分に発破をかける。



「もう少しだ…。よし、頑張ろ!」



 少し傾いた太陽を肩に乗せ、我はまた内府に戻った。









******:*:::::*::::



ここまでご覧いただき、ありがとうございます。作者です。



思いつきで今回、小説を書いているのですが、いや、日本語って難しいですね…。仕事では大量の文書を作成するのですが、事実を完結に書く事が重要なので、あまり悩まなかったのですが、こういった物語風の文章は、書いてみて驚くほど難しい!

文を書くことを生業にされている方、今更ながら尊敬します。



中華風、というマニアックな舞台を選んだのは、唐という国にちょっとした憧れがあったというすごく利己的な事情だったりします。 



当時の女子が着ていた、ロングワンピースみたいな、ひらひらとした袖やパステルカラーの服がとっても可愛くて、好きなんです。



カテゴリーはファンタジーとなってますが、社会に出て悩みながらも頑張る女の子の成長を書きたくて、稚拙ながら書き進めております。



実家や恋愛、仕事と、今も昔も、女子の悩みはつきません。

それでも、「自分の人生、これでいいんだ」と思えるような話を書きたいなと思ってます。 



ここまでご覧いただき、ありがとうございました。



はまだでした。
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