公主のひめごと

濱田みかん

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第一章

妖怪と滑稽な接吻

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 きらびやかに舞う宮廷歌妓たちを眺めながら、葡萄酒を片手に談笑する兄に、我はそっといとまをこう。

「兄上―。あちらの御簾の奥で、少し休んでもよろしいですか。何だか胸が重くて」
「あぁ。無理をさせてすまないね。落ちつくまで、外しておくれ」
「ありがとうございます。では、後程」

 普段から身体が弱いフリをしているお陰か、兄の仲璇ちゅうせいに疑う気配はない。
 スッと立ち上がり、兄の後ろの席から後方の部屋に移動する。

「ほんと、疲れるわ…」
「公主、聞こえますよ。お声を下げて」
「ごめん」

 付き従う梅梅に注意され、首をすくめる。
 御簾で囲われた部屋からは外の様子が見えるが、反対からは薄っすら影が透ける程度。
 せっかくなので、本当に休ませてもらおう。

「しばらく外すよ。あとをお願い」
「はい。では、こちらをお召しに」

 彼女も慣れたもので、侍女が来ていた羽織を脱がせ、我の絢爛豪華な衣と取り替える。身代わり役を頼んで、我はひとり、宴席を離れた。

 温泉宮に来て二日。
 案の定、昨日も今日も、朝から晩までなんの興味も無い宴席に引っ張り出され、心身ともに疲労が最高潮に達している。

 仲璇兄上は仲の悪い兄姉の中では唯一、普段から関わりのある人物。聡明で人望も厚く、今日の宴席にも彼を支持する官僚たちが大勢集まっている。
 自信に満ち溢れたその姿は、未来の天子たる覇気を感じさせる。
 それが余計に、事情をややこしくしているのだけど。

「あ~あ、疲れるわぁ…」

 せっかく大切にしている香を衣に焚き染めたのに、繊細な香りでは、このどんよりと鬱屈した気分を晴らすまでには至らないみたいだ。
 静かな場所で、ひと息つきたい。
 夜風に当たろう。あと一刻2時間で終宴になるはず。それまでに戻ればいい。

 灯籠の並んだ回廊を、衣擦れの音を押さえながら静々と歩く。
 宮女は走ったりしない。彼女らの歩き方を真似して足音を刻む。静まり返った回廊に、自分の足音だけが響く。
 重い胸の靄が、背中まで覆い尽くしていく。
 ここにいると、生きている心地がしない。
 水鏡に映る自分の姿は亡霊のようだ。

「おっと、どちらへ?紫水しすいさまよ」

 げっ…。
 天井に響いた声に、喉から出そうになった音をどうにか飲み込む。
 聞き覚えのある、低くかすれた声。嫌な予感に、ピタッと足が止まる。

「いやはや、主役が離席とは、貴方を目当てにきた男共が気の毒でならないなぁ」

 振り返っても姿はない。周囲に気配もないが、幻聴ではない。
 散々聞いたあの声を、我が聞き違えるはずはない。

「仰る事の意味が分かりませぬ。いかがなさいました?我が老師先生

 誰もいない回廊に向かって声を張ると、見計らった様に白髪交じりの細身な男が柱から姿を現わした。

「ばれていたか」
「相変わらず、ご冗談がお好きですね」

 団扇を口元に寄せ、優雅に微笑んで見せる。が、影に隠した頬はどうにも強張ってしまう。

「こぼれる宝玉の如きお姿を拝見しに参ったこの老いぼれを『老師』など、畏れ多い。御慈悲溢れるお言葉…、涙で前が見えなくなってしまいますわ」
「まぁ、相変わらず社交辞令がお上手ですこと」

 見えないのは単に老眼のせい。
 涙を拭うフリをする人物に、大きなため息が出る。

「お世辞を越えて嫌味だろっ!」
 と罵りたいところだが、我もあの苦い経験から多少の学習をした。

 口笛を吹いておどけるのは、我が今、最も会いたくない男、魏延ぎえん
『国老』と称され、現帝から全幅の信頼を置く重鎮であり、太子の指南役を務める政界きっての策士。かつ、我の『暗黒の3年間』の元凶を作った張本人だ。
 この人の前ではボロを出してはいけない。あくまで品位を保った振る舞いに注力する。

「…教科書を毎回隠す、何時ぞやの家庭教師に鍛えられたのしょう。もう、お忘れでございますか」
「ンハッハハ。相変わらず、口先だけはキレの良いこと」

 楽しそうなのが腹立たしい。

「師に似たのでしょうね」
「あの謎かけを解くのはさぞ、楽しかっただろう」
「思い出したくもございません」

 宮廷人の必須科目、四書五経の講師としてあてがわれたこの男の講義は、毎度どこかに隠された教科書を見つけ出すことから始まる。
 都度周到に仕込まれる、妙に手の混んだ課題に辟易しながら、殿舎内を探し回った。
 悪ふざけに付き合わされるこっちは、たまったものじゃない。

「ところで魏老師、こんなところで油を売っていてよろしいのです?」

 この人と関わるとろくな事がない。早くどっかに行って欲しい。

「なんだ、その追い払おうという風情は。久方ぶりというのに、薄情だなぁ」
「御身を案じての事でございます。どうぞ、私めにお構いなく」
「ご降嫁の前にお顔を拝見したく、馳せ参じたというのに、つれないお言葉じゃのぅ」

 聞きたくない単語を敢えて口にしてみせる。最近話題が無かったので忘れたフリをしていたが、改めて聞くとやはり嫌な響きだ。

「当分予定はございませんので、ご安心を」
「―だから甘いのじゃ」

 彼は急に声色を変えると、蕨色の衣を大きく振って、朱色の欄干の上に腰掛けた。

「そなたも、もう17だ。時間は無いぞ」
「…」

 浅黒い頬に幾重にも皺を重ねた、妖怪のような相貌がこちらに向けられる。茶色の小さな瞳は灯籠の灯りを映して金色に揺れている。

「…どういう意味、ですか」

 この男の真意を読み取れるほど、我は聡い人間でない。

「…」

 目を細めた彼はしばらく黙って我を見ていたが「ンハッ」という奇っ怪な笑い声をひとつ出して、ニヤニヤし始めた。気色悪い。

「そなた、この宴に何の意味があるか、知っているか?」
「いつも通り、兄上の基盤づくり、でしょう?」

 御多分に漏れず、3人の兄同士もそろって不仲だ。
 長男で太子の伯枢はくすうと次男の秦王・仲璇ちゅうせいはバチバチの勢力争い中。
 今夜も各々が宴席を催し、派閥固めに力を注いでいるのは周知の事実だ。

「そうだな、間違いない。現状、どちらの勢力も均衡を保っているが、命運を左右する程の人材は水面下での熾烈な争奪戦の最中だ」

 立ち上がると、我の周りをゆっくりと歩いて講釈をたれる。

「治世者が求めるのは王佐の才。その人物を、違えること無くなく見定めるのは可能か?あぁ、簡単ではない。そして臣下にとっても、主君を選ぶ事は運命の選択と同義…」

 年寄りの話は長い。早く言って。

「太子と秦王、どちらに女神が微笑むのかー。官僚どもも笑顔の下で潮目を読もうと視線を走らせる。が、難しい時期に、態度を決めかねる者もいる。しかし―」
「しかし?」

 思わせぶりに、流し目でこちらをチラと見る。

「秦王が王手をかけた。今宵の宴で」
「ん…」
「最強の手駒を披露した」

 言わんとする事を察し、我は団扇の下で唇をキュッと噛む。

「末妹公主の婿選び―。今宵の宴の本題」

 ピクッと我の肩が揺れたのを、彼が見逃すはずはない。

「不本意か。だがな、政とはそういうものだ―。官僚が自分の妻に公主を迎え入れる。次期皇帝の義弟として、宮廷での地位は確固たるものとなる。…こんな確実で、美味しい話は滅多に無かろう」

 利用価値。
 自分の預かり知らぬ所で、いつも話は進んでいく。

「…まだ、その時ではありませんよ」

 あと一年。嫁入りなんて、考えている暇はないんだ。

「期限は刻々と迫っている」

 じっとこちらを見るその視線は鷹のように鋭く、魑魅魍魎が跋扈する宮廷を悠々と渡り歩く狡賢ずるがしこさが透けて見える。

「私はどなたとも、添い遂げる気はございません」
「知ってるだろう?そなたに権限など無い事くらい」
「そうは思いません」

 いくつか方法はある。のらりくらり、時間いっぱい逃げ回って、どうにか持ちこたえてみせるつもりだ。

「面白い事をいうな。さすが我の謎かけを解くだけはある―。しかし、甘く見るなよ。そなたは権力闘争の真っ只中にいる。望まなくとも、だ」

 聞きたくもない話。
 興味も関係もない争いに巻き込まれるなんて、迷惑でしかないのに。
 それに、伴侶くらい自分で選べる。

「なんなら、私が逆指名します」

 世の中、色んな人間がいることをこの二年で学んだ。
 官位なんて、宮廷の中の格付けに過ぎない。官服の色なんて、人対人として向き合う時には重要な問題じゃない。
 本当に大切なのは、相手を尊敬できるか、だ。

「相手にも選ぶ権利があるだろう。特に、我のように有能な男は」
「戸籍真っ白なくせに」
「美女がみな寄ってくるから、ひとりに選べないんだ。罪な男だ、我ながら」
「単なるカネ目当てでしょうに」

 どこの美女が好き好んで、こんな奇怪な爺にすり寄るというのか。

「今日も舌鋒が冴えとるな。我の指導の賜物だな」
「お陰様で」

 得意げな様子の爺に、ついイラッとしてしまう。

「どうせ選ぶなら、我のように眉が太く、目元の凛々しい美男子にするんだな」
「ご自宅に鏡をお送りしますわ」
「見惚れてしまうだろう」
「老眼ですね」

 このジジイの精神は一体、何で出来ているんだろう?
 その構造に疑問しかない。

「では我は、袖の内から探り合う彼奴等を冷やかしに行くとするか」
「夜道にお気を付けくださいね」
「この爺に返り討ちに合いたい者がいるかな」

 またしても「ンハッ」と奇妙な音で笑った。本当に妖怪なのかもしれない。

「忘れるなよ、我が子弟!」

 袖を高く振り上げると、妖怪は高笑いを響かせながら回廊の奥に消えていった。


 ◇


「はぁぁ~」

 やってられない。
 大きなため息をひとつ落として、欄干に身体を預けた。
 宴席から遠く離れた、沈丁花の香りが漂う湖畔の四阿あずまや
 風に流れる楽器の音がかすかに聞こえるだけで、辺りは静まり返っている。

 ここなら誰にも遭遇しない。
 素行をとやかく言われることもない。

 だらんと膝を折って欄干に顎を載せ、灯籠が揺らめく水面に視線を落とした。
 水鏡に映るのは滑稽な程に着飾り、結い上げた髪には仰々しい簪が幾つも飾られた、借り物のような姿。

「似合わないの」

 絶世の美女にでも生まれれば、何か違ったのだろうか。
 …なんて、考えてもしょうがない、か。

 それにしても、頭が重い。首が凝る。
 どうしてこんなに、これでもかっていう量の簪を挿すんだろう。歩く須弥壇しゅみだんみたいだ。
 どこかに本尊でも乗っかているのだろうか。おかげで肩も背中も、バキバキに張っている。

「痛っ」

 首を傾けたら、距離を見誤って、柱に簪がぶつかった。
 ゴンっと衝撃が頭に響き渡る。最悪だ。ほんと最悪だ。

「くぅ…」

 揃えた前髪が、さららと揺れた。
 白い花に囲まれ、ひとり気落ちする我の横を、まだ冷たい風が素知らぬふりして通り過ぎていく。

『そなたに権限など無い』

 どうしてか、あの爺の声が、何度も頭の中を行き来する。
 聞きたくないものほど、耳の奥にまとわりついて離れない。

 気づいてるよ。言われなくても。

 もう子供という年齢じゃない。
 立場とか事情とか都合とか、全部理解してるつもり。
 そんなこと投げうって、どうにかしようともがいてるのに。
 現実は、どこに行っても執拗に追いかけてくる。

「だけどね」

 あちこちから湧き出す温泉の煙が、徐々に濃さを増していく。

「女だからなの?それって、理不尽過ぎる」

 熱気にあてられ、身体が熱くなる。
 握りしめた手のひらに、力がこもる。

「我は黙って聞いてるだけの、操り人形にはならないから」

 そう。言いなりなんて、まっぴら御免だ。

「我だって、必死なんだ」

 見えないこの先を、ただ待っているのはツラい。

「我の人生、これ以上、他人に左右されたくなんかない」

 男だけが人生かけて、生きてるわけじゃない。

「これでも毎日、汗流して駆け回って、転んでも、めげずに頑張ってるんだよ」

 それなのに、どうして。

「誰かに迷惑かけたりした?なんか悪い事した?」

 そんなことない。

「毎日仕事頑張って、毎日失敗して、怒られて、それで雀の涙ほどの給金貰って、どうにか自立しようとしてるのに。それさえも邪魔するの?」

 噛みしめていた感情を、言葉に出す。
 ただそれだけで、気持ちが徐々に昂ぶるのがわかる。

「父君も兄上達も、自分の事ばっかりで、何でも勝手に決めて、突然止めたと思ったら妖怪を送り込んできたり、どこまで我は振り回されないといけないの?」

 思いが溢れて、言葉がマグマのように腹の奥底から吹き上がる。

「だいたい何でも思い通りに行くと思ってるのが間違いなのよ。自分の欲を満たす手段に身内を利用して、用が済んだら使い捨て。一体何だと思ってるの?人を駒にして、地位と名誉を手に入れて、みんなそれで満足なの?こんな金や宝玉なんて、重いだけじゃない。何の役に立つのよ。こんな肩凝るだけのお仕着せの飾りなんかいらないよ。我は自力で生きていくよ。貧しくったっていい。貴方たちの権力の道具に使われたくなんかない。十何年も人の人生勝手に振り回して、タダで済むと思うなよ。こんな家、絶対に、抜け出してやる―っ!」

 最後はほぼ、絶叫。
 怒りに任せてぶちまけると、全身から力が抜けた。肩から崩れ落ちるように、だらんと干された布団のごとく、欄干に身を預けた。
 興奮の残滓で肩が大きく上下している。全力疾走の後のように、息が上がっていた。

「なんで…」

 胸で息をする横顔に風が当たる。ふはぁっと大きく息を吐きだすと、視界がじんわりと曇った。

「もう、やだ…」

 こぼれ落ちた何か。
 それはうつむいた視線の先の水面に、音もなく消えていく。
 どうせならこの音のない夜に、存在ごとかき消されたいのに。
 所詮叶わぬ願いか。鼻の奥がツンと震えた。

「演説は終わりですか?」

「えっ!?」

 不意に聞こえた声に、内臓が吹っ飛びそうな程驚いてバッと顔を上げる。

 き、聞かれた―っ⁉

 慌てて欄干から身を乗り出し、声の方に顔を向ける。
 ほの暗い景色の中に、人影は見えない。

「誰ですっ!?」

 裏返った声が水面に響くと、沈丁花の香りと共にクスクスという笑い声が広がった。

「貴女の名を私はたずねません。その方が、お互いによいのでは?お疲れの宮女・・殿」

 暗闇の中、四阿のすぐ横に咲く薄黄色の蝋梅を背にして佇む男が、こちらを見ていた。
 目を凝らしても顔ははっきりと見えないが、その立ち姿は悠然としていて、話す声は落ち着きはらっている。不審者ではないらしい。
 言葉を選んで、返事をする。

「えぇ。そうですね―。お心遣い、痛み入ります」

 衣を変えていたお陰だ。恥はかいたが、正体がバレなかった事は不幸中の幸いだ。

「美女の嘆き、胸中お察し致します」
「お上手ですね。きっと常套句なのでしょう」

 簡単に美女とか言える神経の持ち主、好きじゃない。

「本心でございます。月に誓って」
「軽口は不要です。どうぞお気遣いなく」
「信じていただけませんか?」

 ゆったりと話す声は低音が穏やかに伸びて、心地よく耳にそよぐ。
 普段なら紳士的に感じる声が、今宵は逆に、小馬鹿にされているように聞こる。
 決して被害妄想ではない。

「まともに顔を見せない方の言葉など、誰が信じます?」
「それでしたら」

 それだけ言うと、彼はこちらに向かって歩を進めた。
 四阿の軒先に下がる灯籠が風に揺らいで、その姿を朧げながらに照らし出す。
 銀糸の刺繍が繕われた藍色の衣が、甘い香りと共に広がる。地味でも華美でもない、控え目ながら品のある衣を纏った男は、思ったより若かった。

「お目にかかれて光栄です」

 目尻を緩めた彼の薄い唇が開いて、白い歯が覗いた。

「以後お見知りおきを」

 恭しく跪き、頭を下げる。
 優雅な仕草。それだけでそれ相応の出自の者だと分かる。

「…お顔を、上げて下さいませ」
「恐縮です」

 身を起こし、我を見上げた視線に、思わず息を飲む。
 整った目鼻立ちに、意志の強さを感じる切れ長の目。
 黒い瞳は泉のように深々として、深い静けさの中にくっきりと我の輪郭を映している。

「…」

 涼し気な目元から真っ直ぐ注がれる視線。艶やかな微笑みに射貫かれて、不覚にも頬が熱くなる。

「月夜に現れた天女よ、貴方のお心をお慰めしたい」

 使い古した台詞を、爽やかな笑顔にのせて口走る。
 駄目だ。
 こういう人物は、やっぱり好きじゃない。

「軽薄な人は苦手です。よそでどうぞ」
「冷たいですね」
「人を選ぶので」
「正直な人だ」

 袖を口元によせ、クスクスと笑う。本当に楽しそうな顔。
 なんか腹立たしい。

「放っておいてください」

 ぶっきらぼうに言う我に、またしても爽やかな笑顔で彼が言う。

「宴は退屈ですか?」
「えぇ。面白い事など、何も」
「これほどに贅を尽くした宴はそうない。楽しまれては?」
「興味ありません。早く終わればよいのです」
「だいぶお疲れのようですね」
「おかげさまで」
「―では、一緒に抜け出しませんか?」
「…」

 意外な提案に、思わず言い淀んでしまう。
 それを察したらしい彼はすくっと立ち上がると、近づいて我の左手を取った。

「貴女のお望みの場所へ、お連れしますよ」

 初対面の相手にこの距離感。兄とはまた違った種類の、自信に溢れ立ち居振る舞い。
 きっと、この外見を最大限に活用して生きてきたんだろう。
 自分の価値を、彼は知っている。

「同情は無用です」

 握られた手を払う。
 弱っている人間に付け込むのは、詐欺師の常套手段だ。

「もう戻ります。ごきげんよう」
「お待ちを」

 彼が行く手を遮った。揺れた袖から涼し気な香が立ち、鼻先をくすぐる。

「どいてください」
「いいえ。まだ貴女と話していたい」

 こうやって口説かれてるのか、宮女たちは。
 楽しそうな職場で何よりだわ。

「今日の事は忘れて下さい。貴方に話す事などありません」
「私は諦めが悪いのです。狭い宮廷、逃げても貴女を見つけますよ、きっと」
「迷惑です」

 くだらない恋愛ごっこに用は無い。
 社交辞令も要らない。
 わざと顔を逸して、つとめて冷たく言い捨てる。

「どうしてです?」
「余計なことを吹聴されては、迷惑ですから」

 仮病使って工作してるのに、わざわざ探さないで。迷惑です。

「では、口止めして下さい。―貴女の唇で」

 彼の発した不穏な言葉に、不覚にも反応が遅くなってしまった。伸ばされた右手を避けきれず、彼の手が首に触れる。

「な、に―」

 身体ごと力強く引き寄せられると、突如目の前が暗くなり、唇に柔らかな温度が重なった。

 驚きのあまり硬直する身体にもう一方の腕が伸びて腰に巻き付き、ふたつの身体が隙間なく密着する。

「―」
 
 熱い。
 長い沈黙が時間を奪い去っていく。
 心臓が捻じれる感覚に身をよじるが、硬い腕がそれを阻んだ。
 息を吐く事も出来ず苦しさに囚われたまま、侵食する熱に体が震える。

「―んくっ…」

 呼吸が解放されると同時に、何もなかった視界に光が差し込む。だが動転した我の目には何も見えていない。ただ端正な顔が自分を見下ろしているだけ。
 しばらく絶句したまま、ただ息を取り込もうと胸を上下させていると、艶めいた唇から白い歯がこぼれた。
 その様子にはっと目が覚め、同時に足元から熱が駆け上がり、怒りに変わっていく。

「ふざっ、け―っ!」

 末語まで言い終わらないうちに、ドンッと両手で相手の身体を思いっきり押しのけると、四阿を飛び出した。

 回廊を走りながら、唇に残った余韻を袖で拭い去る。

「なんなのっ―!」

 信じられない。
 簡単にあんなこと、初対面の相手にするなんて―。

 最悪な日は更に悪夢を送りつけてきた。
 もうこんなところにいたくない。

「絶対に、こんな家、出ていってやる―っ!!」

 新春の風が白い花びらを巻き上げる夜。
 悔しさに破裂しそうな我は、ぼんやり昇った月に向かって、またしても大声で叫んだ。


*****:***:***::::::**

こんにちは、作者です。
ここまでご覧いただき、ありがとうございます。

恋愛のシーン、これから増える予定なのですが、どの程度まで書いていいのか若干、悩むところです。 
小学生じゃないので、おててつないで~って訳にはいかなくて。

十代は心もカラダも成長期。女の子も、色々な変化に敏感な頃かと思います。
それは恋愛にも言えて、彼とどこまで進んだか~、なんて話もしちゃうお年頃ですよね。
徐々に色んなものが見えてきてしまう世代。
紫水にも、そんな経験がこのあとやってきます。

心だけじゃ足りなくなる恋愛も理解できるし、綺麗ごとだと話が薄くなっちゃうかなぁ…と。

そういう描写が好きじゃない方が地雷を踏まないように、題名は「匂わせ」?するので、読み飛ばしていただけたらと思います!

ほんとは、それさえも美しい文章で書けたらいいのですが、筆力がまだまだ及ばないです。頑張ります。 

そんな訳で、今回もここまでお読み頂き、ありがとうございました!!

感謝です。作者でした。
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