花影絵

鈍次

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百日紅

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待ち合わせ時間には少し遅れていくのが私のルール。
彼に電話をすると、もう着いてるよ、という。
暑い中、お寺の境内で待たせるというのもちょっと可哀想な気もするけれど、

「だってぇ…人目につかないとこじゃないと…ねぇ?」

私の提案に、彼が絶対に反対しないことを、私は知っている。
身体を重ねることを前提に初めて顔を合わせるとき、いつだって主導権を握っているのは女の方。だから私は、今その優越感を楽しむのだ。
もっとも、これが一度出会ってしまうと、立場が逆転することもしばしばである。
しかしそれは決して敗北ではない。私を夢中にさせる男を手に入れることができた証なのだから。







私は、以前一度だけ身体を重ねた男のことを思い出していた。
その男は、出張で近くに来ていた旅の男。
ホテルのバーで声をかけられ、まあありきたりのナンパというやつだが、この田舎街ではお目にかかれない洗練された雰囲気を纏っていた。
決してお洒落という訳ではなく、おそらく体育会系で鍛えられたと思われる隆々とした筋肉がワイシャツ越しに感じられ、精悍な顔つきの奥に潜む眼差しの優しさに、私は次第に心を許していた。
会話も如才なく、話題も豊富で、私の知らないことも面白おかしく話してくれるから
「抱きたい。いいだろ?」
彼のストレートな要求に、いつもは慎重な私も素直に頷いていた。

部屋に入るなり、彼は力強い右手で私の手首を掴み、それを頭上に持ち上げ部屋の壁に押し付けた。身動きが取れない。
彼の舌が、私の耳元から首筋を這い回る。
これまでの優しい眼差しから一転、彼の目の奥に潜むのは雄だ。それも猛獣の。
掴まれた両手首が痛む。
でもこの痛み、私は嫌いじゃない。

彼の舌が私の口に入ってくる。私は右足を彼の腰に絡めながら。
「お願い…わたしを高くよじ登らせて…」
彼の耳元で囁いた。
彼の指が、私の敏感なところを弄る。
「もう我慢出来ない…来て…」

理性は本能に抗うことはできない。
私達は着衣のまま、私は壁に手を付き、彼はその後ろから、何度も何度も彼は私のの花弁を貫いた。

「嗚呼っ…すごい、すごいわ…おかしくなりそう…」
その激しさに、私は我慢出来なくて呆気なく果てたのだけれど…

「まだ!…まだだめ! もっと…」
彼のそそり立つモノを、私は離したくない。ベッドに導かれた後、悪戯っぽい表情で、下から彼の顔を覗きながら、両の足を彼の腰に絡め、執拗に腰を律動的に前後左右に揺さぶり続ける。
何度果てたかすらわからない。まさに天に昇りつめる感覚。あの時ほどの快楽は、後にも先にも経験はない。

その後。
彼とは3ヶ月後に会う約束をした。またこっちに来る用事があるから、と。けれど…
約束の場所に私は行かなかった。彼からの電話もすべて無視した。
だって怖かったから…快楽の引き換えに自分自身を失ってしまうことに。









もうすぐ待ち合わせのお寺。
目の前に百日紅が咲いている。

「百日紅 咲く世に朽ちし 伽藍かな」

龍神を倒した旅の王子が、その村の娘に恋をして、百日後には会う約束をしていたのだけれど、百日後にはもうこの世に娘はいなかった…
百日紅には、そんな悲しい言い伝えがあるのだけれど、今の私に実に相応しい。
そう…あの男にとって、私はもうこの世に居ない女…




「ごめーん、遅くなっちゃった」
遠く木陰で休んでいる彼に手を振りながら、私は駆け寄る。私の姿を認めて、屈託のない笑顔が返ってくる。精悍な顔つきの奥に潜む眼差しが優しい。どうやら私の好みは、あの時から変わっていないようだ。
恋に溺れることに抵抗はあるが、それでも、溺れてもいいと思える程の快楽を私は無意識に欲している。
そして私は、これからそれを確かめる。
境内を奥深く導くようにして、紅紫に咲き誇るサルスベリの花弁が、ほんの一瞬夏の風に揺れた。



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