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承 その②
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「……っ!? ど、どうして!?」
トーマス様はひどく驚かれて立ち上がりました。拍子に彼が座っていた椅子が大きな音を立てて倒れ、テーブルの上の飲み物が器からこぼれてしまいます。トーマス様は謝罪の言葉を口にしながら座り直し、テーブルを拭いて深呼吸なさり、再びわたくしを見つめました。
「わたくしにはここを離れられぬ理由があるのです」
「もしかして、ここに愛着が湧いたとか……?」
「それもありますが……失礼ながらトーマス様は貧民街の事情を全く分かっていないご様子で。でなければこんな場違いな来訪の仕方はしませんし、そのような提案もしなかったでしょう」
「事情とか言われても、単に経済的に恵まれない人達が集まった区画じゃないの?」
わたくしが深くため息を漏らした時でした。部屋にわたくしよりも若い修道女がやってきました。
断りを入れてこなかったどころか息を切らしてとても焦った様子で、顔色を伺うだけでも良からぬ事態が起こったのだと察せました。
「どうしましたの? お客様がいらっしゃっていますのよ」
「あの、ごめんなさい。ですが……」
その時、数名の屈強な男性が修道女を押しのけて部屋に無遠慮に入ってきました。
礼儀や上品さのかけらもなく、ガラの悪い彼らは我が物顔でわたくしに近寄り、断りもなくわたくしの肩に触れてきました。そして下品な顔をしながら強引に自分の方へと引き寄せたのです。
「お前、ガラテアさんからその手を離せ!」
いきなり怒鳴り声をあげて立ち上がったトーマス様にやっと気づいた男共は眉を吊り上げて彼を睨みました。威圧された彼は情けない声をもらして怯んだものの、すぐに鋭く睨み返しました。凄みが全くありませんけれどね。
男に「コイツは誰だ」と男に聞かれたので「やんごとなき家のお坊ちゃま」と答え、「逃げる気か?」と聞かれたので「逃げられないのは貴方が一番ご存知でしょう」と返事します。
男に強く掴まれて揉まれたとある部位を痛みが走ります。苦痛と嫌悪感で顔を歪めてしまいましたが、口を押さえて悲鳴や叫び声は漏らさずに済みました。向かい側でこの光景を目の当たりにしたトーマス様が怒りを必死に堪えているのを見て、恥辱で顔が熱くなります。
「貧民街には貧民街なりの秩序があるんですの。無法地帯は誰も望みませんし。けれど国の治安はここまで届きません。ではどうやって我が身を守るか? 自衛しかありませんわ」
「じゃあコイツ等は自警団だって言うの……!?」
「調和を司る組織、という点ではそうですわね。ここでは『ギャング』と呼ばれる者達の庇護下に入ることで理不尽な暴力や略奪を受けずに済みます。安心、安全を得るための必要な経費ですわね」
「経費って、それでガラテアさんは……!」
トーマス様はその先の言葉を紡げませんでした。わたくしが彼らにどのような奉仕をしているかを想像したようですが、それを口にするのを貴族としての誇りが許さないのでしょう。もはや今のわたくしとは無縁の概念ですね。
「で、貴方様は先程わたくしをここから連れ出すとおっしゃりましたが、残されたこの教会はどうなるか分かりますか?」
「まさか……」
わたくしが瞳だけ動かすとトーマス様は胴を捻ってわたくしの視線の先を見つめました。そちらにいた若き修道女が怯えたように身体を震わせます。その拍子に扉と当たって予想以上に大きな物音が出ました。
「そう、食指が他に伸びるだけのこと。貴方様は面と向かって言えますか? これからはわたくしの代わりにお前に犠牲になれ、と」
「それ、は……」
「お帰りくださいませ。ささやかな善意などわたくしには迷惑でしかありませんわ」
愕然とするトーマス様を余所にわたくしは立ち上がり、愉快だと嗤うならず者達へと歩み寄ります。連中はわたくしの腰に手を回し、思いっきり抱き寄せました。まるでコイツは俺達のモノだ、とトーマス様に見せつけるかのように。
「でも、ガラテアさんはそれでいいんですか……!? 好きでもない人と、その、仲良くするなんて……!」
「……くだらない。とっくに割り切りましたわ」
わたくしはトーマス様の顔を見る事ができず、背を向けたまま男達に連れられて部屋を後にしました。彼らが満足するまで奉仕してから一応戻ってきましたが、既に部屋には誰もいませんでした。
これでいいのです。わたくしにはトーマス様の慈悲を得る資格はありません。それは公爵令嬢でなくなったからでも、ロクサーヌさんを虐げたからでも、王太子殿下の婚約者でなくなったからでも、この身が汚れたからでもありません。
そう、だってわたくしは――。
「わたくしは、ガラテア様ではないのだもの」
トーマス様はひどく驚かれて立ち上がりました。拍子に彼が座っていた椅子が大きな音を立てて倒れ、テーブルの上の飲み物が器からこぼれてしまいます。トーマス様は謝罪の言葉を口にしながら座り直し、テーブルを拭いて深呼吸なさり、再びわたくしを見つめました。
「わたくしにはここを離れられぬ理由があるのです」
「もしかして、ここに愛着が湧いたとか……?」
「それもありますが……失礼ながらトーマス様は貧民街の事情を全く分かっていないご様子で。でなければこんな場違いな来訪の仕方はしませんし、そのような提案もしなかったでしょう」
「事情とか言われても、単に経済的に恵まれない人達が集まった区画じゃないの?」
わたくしが深くため息を漏らした時でした。部屋にわたくしよりも若い修道女がやってきました。
断りを入れてこなかったどころか息を切らしてとても焦った様子で、顔色を伺うだけでも良からぬ事態が起こったのだと察せました。
「どうしましたの? お客様がいらっしゃっていますのよ」
「あの、ごめんなさい。ですが……」
その時、数名の屈強な男性が修道女を押しのけて部屋に無遠慮に入ってきました。
礼儀や上品さのかけらもなく、ガラの悪い彼らは我が物顔でわたくしに近寄り、断りもなくわたくしの肩に触れてきました。そして下品な顔をしながら強引に自分の方へと引き寄せたのです。
「お前、ガラテアさんからその手を離せ!」
いきなり怒鳴り声をあげて立ち上がったトーマス様にやっと気づいた男共は眉を吊り上げて彼を睨みました。威圧された彼は情けない声をもらして怯んだものの、すぐに鋭く睨み返しました。凄みが全くありませんけれどね。
男に「コイツは誰だ」と男に聞かれたので「やんごとなき家のお坊ちゃま」と答え、「逃げる気か?」と聞かれたので「逃げられないのは貴方が一番ご存知でしょう」と返事します。
男に強く掴まれて揉まれたとある部位を痛みが走ります。苦痛と嫌悪感で顔を歪めてしまいましたが、口を押さえて悲鳴や叫び声は漏らさずに済みました。向かい側でこの光景を目の当たりにしたトーマス様が怒りを必死に堪えているのを見て、恥辱で顔が熱くなります。
「貧民街には貧民街なりの秩序があるんですの。無法地帯は誰も望みませんし。けれど国の治安はここまで届きません。ではどうやって我が身を守るか? 自衛しかありませんわ」
「じゃあコイツ等は自警団だって言うの……!?」
「調和を司る組織、という点ではそうですわね。ここでは『ギャング』と呼ばれる者達の庇護下に入ることで理不尽な暴力や略奪を受けずに済みます。安心、安全を得るための必要な経費ですわね」
「経費って、それでガラテアさんは……!」
トーマス様はその先の言葉を紡げませんでした。わたくしが彼らにどのような奉仕をしているかを想像したようですが、それを口にするのを貴族としての誇りが許さないのでしょう。もはや今のわたくしとは無縁の概念ですね。
「で、貴方様は先程わたくしをここから連れ出すとおっしゃりましたが、残されたこの教会はどうなるか分かりますか?」
「まさか……」
わたくしが瞳だけ動かすとトーマス様は胴を捻ってわたくしの視線の先を見つめました。そちらにいた若き修道女が怯えたように身体を震わせます。その拍子に扉と当たって予想以上に大きな物音が出ました。
「そう、食指が他に伸びるだけのこと。貴方様は面と向かって言えますか? これからはわたくしの代わりにお前に犠牲になれ、と」
「それ、は……」
「お帰りくださいませ。ささやかな善意などわたくしには迷惑でしかありませんわ」
愕然とするトーマス様を余所にわたくしは立ち上がり、愉快だと嗤うならず者達へと歩み寄ります。連中はわたくしの腰に手を回し、思いっきり抱き寄せました。まるでコイツは俺達のモノだ、とトーマス様に見せつけるかのように。
「でも、ガラテアさんはそれでいいんですか……!? 好きでもない人と、その、仲良くするなんて……!」
「……くだらない。とっくに割り切りましたわ」
わたくしはトーマス様の顔を見る事ができず、背を向けたまま男達に連れられて部屋を後にしました。彼らが満足するまで奉仕してから一応戻ってきましたが、既に部屋には誰もいませんでした。
これでいいのです。わたくしにはトーマス様の慈悲を得る資格はありません。それは公爵令嬢でなくなったからでも、ロクサーヌさんを虐げたからでも、王太子殿下の婚約者でなくなったからでも、この身が汚れたからでもありません。
そう、だってわたくしは――。
「わたくしは、ガラテア様ではないのだもの」
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