紅玉宮妃(予定)の後宮奮闘記~後宮下女ですがわたしの皇子様を皇帝にします~

福留しゅん

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第1-2章 後宮下女→徳妃付侍女(新版)

「雑巾がけって楽しいですよね」

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「雑巾がけをしようと思う」
「はい?」

 まだ昼になっていない時刻、突然暁明様はそんな突拍子もない一言を発した。
 わたしが飾られていた花瓶を拭いている最中に、だった。

「床も定期的に拭いてるんだよね?」
「勿論です。箒で払うだけじゃあ不十分ですからね」
「ここに来る間に他の場所が目に映るんだけどさ、女官達が廊下の隅の方を跪きながら拭いてるんだよね」
「人が頻繁に行き来する廊下は端の方に埃が溜まりますからね」
「でも雪慧って廊下を走って一気に拭いちゃうじゃん」
「そうですね」

 誤解を招きかねないから一応弁明しておくと、わたしはいつも天井付近の埃をはたき落として窓や柱を掃い、最後に床を拭くやり方を取っている。そんな頑固な汚れを落とすわけじゃあないから、ごしごし擦らなくても充分ってわけだ。

「アレ、楽しそう」
「……えー?」

 初めのうちは丁寧に拭いていたのだけれど、段々と適度で良いんじゃないかって考えだして、今はこう廊下を駆けながら拭いているわけだ。当たり前だけれど一回拭いて終わりじゃなくて汚れが無いかは確認してるけれど。

「廊下を何度も行ったり来たりしててさ」
「面倒なだけですよ。無駄に長いんですもの」

 正一品の妃であらせられる徳妃様の御住まいは後宮内でもかなり広く設けられている。なものだから自然と徳妃様お付きの侍女ないしは女官が管理する区画もそれ相応。一通り掃除するだけでも一苦労ってものだ。

 かと言っていつ皇帝のお渡りがあるかも分からない。かの方が来られた際に埃や汚れがあってみなさい。掃除担当の者が罰せられればまだいい。徳妃様が失望されて寵愛を失うかもしれないのだ。

「文句言うなら他の妃みたいに女官に任せちゃえばいいのにさ。侍女は妃の身の回りの世話をするのが役目でしょう?」
「働き者なんですよ、皆さん。かくいうわたしだって別に他の人の手は借りなくてもいいかなーって思いますし」

 けれど、だ。手を抜かずに一通り日常の業務を終わらせるのに正直そんなに時間は要らない。侍女頭や文月方も各々居住空間の掃除や整頓に従事しているし。
 不測の事態が無い限りは一日の半分ほどは徳妃様の御側に仕えているだけだったりする。

 そう。はっきり言ってしまおう。後宮生活は退屈なのだ。

 皇帝に愛されるために己の芸を磨く妃はまだいい。練習に費やせばいいから。
 女官は雑用を押し付けられるせいでほぼ休みが無い。
 けれど妃付きの侍女は妃の身の回りの世話が仕事。
 わたしに限って断言すれば、精力を持て余すのよね。

「本当ならわたしって護衛も兼ねて雇われてますから、四六時中お傍に仕えてないといけないんでしょうけどね」
「文月と交代で母上を守ってるならそれでいいよ」
「ま、そんなわけでいい暇つぶしになっていますので、わたしの仕事を奪わないでもらえませんか?」
「嫌だよ。僕がやりたいって言ってるんだ」

 まただよ、とは思ったものの暁明様の欲求を叶えて差し上げるのも徳妃様付き侍女の務め。精一杯こなしてみせましょう。
 わたしは作業の手を止め、暁明様に微笑みかけつつ傅いた。

「分かりました。新しい雑巾を持ってきますからそこで待っててくださいね」
「雪慧が使ってる奴でいいんだけど?」
「駄目です。使い古した雑巾の臭いって嗅いだことありますか? 鼻がもげるんじゃないかってぐらい臭いんですからね」
「うへえ、お昼ご飯がまずくなりそう」

 そんなわけで新しい雑巾を用意して戻ってくる。勿論桶の中の水も入れ替えてきた。

 暁明様は水仕事をやったことの無い白くて艶のある肌をした手で雑巾を濡らす。搾り方を教えるとすぐに会得してくださった。

「毎日やるんでしたら乾拭きでいいんですけどね。わたしは気持ちよくなりたいんで水拭きばっかです」
「これ、いちいちかがまないといけないの面倒くさくない? 腰悪くしないかな?」
「故郷だと雑巾に棒を付けて立ったまま拭いたりしてますね。帽を伸ばせば天井まで踏み台無しで届きますし」
「ん? じゃあどうして便利な道具を使わないの?」
「単純に好みの問題ですね。暁明様は棒付きでもいいんですよ」
「いや、それだとつまんなそうだから遠慮しとく」

 喋りながらわたし達は廊下の端に移動してきた。
 ここから他の妃の居住区画まではそれなりに長い。一往復だけなら大したことないけれど、廊下の幅全部を拭き切るまで往復し続けると結構な運動になる程だ。

 暁明様はしゃがんでから雑巾を地面に置き、その短くない廊下を一気に駆け出した。
 さすがに走るよりははるかに遅いけれど、その姿勢は明らかに初めての人のものじゃない。もしかして経験が……いや、もしかしてわたしの見まねか?

 少し待っていると暁明様が戻ってきた。やりきったって感じに笑顔を見せてくださる。
 額に滲み出た汗を拭きとる仕草もまた可愛らしい。その額にでこぴんを食らわせたら一体どんな反応をしてくれるんでしょうね?

「こんな感じでいいのかな?」
「暁明様。残念ながら全然駄目です。侍女長が雷を落としてきますよ」
「ええっ? どうして?」
「ちゃんと幅方向を揃えて拭いてくださいましたか?」
「あ」

 そう、暁明様は残念ながらただ廊下を拭いただけ。それでは掃除とは言えない。端から一定の間隔を保ってまんべんなく拭かなきゃいけないでしょうよ。

「わたしは右端からやりますから暁明様は左端からお願いしますね」
「分かった。……後から僕がやった範囲をもう一回拭くなんて無しだからね」
「約束は出来ませんよ。暁明様がやりましたって報告しても怒られるのはわたしなんですから」
「そうなの?」
「そうなんです」

 わたしも改めて自分の雑巾を水で濡らした。軽く絞って廊下の隅を拭いて回り、改めて前方を見据える。
 暁明様も続いて同じように準備に入ったようだ。
 わたしが駆け出すと暁明様も走り始めた。

「あれ、雪慧って意外に遅いんだね」
「競争じゃないんですからそこまで速度は出してませんよ。暁明様こそ隅に溜まった埃を取り損ねないでくださいまし」
「うぐ、わ、分かったよ」

 暁明様はわたしの注意に従って少し速度を落とした。こういった素直なところは評価できると考える。

 曲がり角に差し掛かると暁明様は減速し始めた。その隙にわたしは彼を抜き去り、勢いをそのままに廊下の角にぶつかる――前に壁を蹴り、直角に曲がった。速度を維持したまま角を抜けたので暁明様との距離は広がる一方だった。

「お先に失礼しちゃいますー」
「あ、ちょっと待ってよ!」

 そんなじゃれ合う感じで一往復、二往復とこなしていった。
 最初はぎこちなかった暁明殿下も要領を掴んだらしく、わたしと付かず離れずで並走するようになった。
 両端から始めたのもあって二人そろって中央に寄り始める。

 終いには肩と肩が密着し始めた。
 わたしは暁明様の腕邪魔だな、ぐらいにしか思わなかったけれど、彼にとっては違うらしかった。わたしを意識しているのか知らないけれど、わずかな戸惑い、照れ、恥ずかしがっているを感じた。

「これで終わりだね」
「ええ、そうですね」

 廊下の中央を拭いていくわたし達は最後の角に差し掛かり――。

「暁明様。ちょっと失礼します」
「えっ?」

 咄嗟に触れ合っていた彼の腕に自分の腕を絡ませ、思いっきりこちら側に引っ張り込んだ。思いがけない行動をされた彼は抵抗する余裕もなく私の胸の中に納まる。
 わたしは暁明様を抱いたままで停止、すぐに廊下の端に寄る。

 直後、向こう側から徳妃様と侍女頭が現れた。

「雪慧よ。今日も元気いっぱいなようじゃな」

 座ったまま首を垂れるわたしに気付いた徳妃様は立ち止まった。

「はい。おかげさまで」
「ところで、どうして我が息子を抱き締めておるのじゃ?」
「殿下が徳妃様とぶつかりそうだったので思わず止めたらこうなりました。不可抗力です」
「ふぅん。そうか。危ない所じゃったな。大義であるぞ」

 徳妃様は笑いながらわたし達を横切っていった。
 ……徳妃様に付き従う侍女頭の目が笑っていなかったのは気が付かなかったふりをしておこう。怒られるのは確定っぽいけれどそれまでは最低限の平穏は保ちたいので。

 おっといけない。ようやくわたしは暁明様から手を離す。支えを失った暁明様は一旦床に転がった後、ゆっくりと起き上がった。とっさとはいえ不敬を働いたわたしを怒るようでもなく、むしろ興味津々に見つめてきた。

「ねえ、どうして母上が向こうから来るって分かったの?」
「話声と足音が聞こえてきたもので。むしろわたしは殿下が不注意だった件に文句言いたいんですけど?」
「うぐっ。は、反省してます……」
「はいよろしい。次からは気を付けてくださいね」
「はーい」

 こうして普段とは違った雑巾がけは終了した。
 また暁明様との距離が縮まった。……ような気がした。
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