紅玉宮妃(予定)の後宮奮闘記~後宮下女ですがわたしの皇子様を皇帝にします~

福留しゅん

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第2-2章 後宮下女→皇后(新版)

「追っ手から逃げ切れましたね」

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 帝都を出発してかなりの日数が経過した。けれど当初わたしが想定していたよりもずっと進みが遅い。夜間も突き進むような強行日程は始めから選択肢に無かったけれど、思わぬところで問題が発生したわけだ。

「大丈夫か? 辛かったら兄ちゃんに言ってね」
「ううん、大丈夫だよお兄ちゃん……。だから早く行こうよ」
「……文月」
「顔色が優れませんね。今日のところはここで休み、明日に備えましょう」

 暁明様の妹君、第四皇女こと翠蘭様の体力が長旅についていけないんだ。

 帝都から離れれば公共交通手段は無く、夜鈴の故郷を出発した時点で自力での移動を余儀なくされた。道が舗装されていないので馬車も使えず、河も南北に流れていないので船も駄目。自分の足で歩くか馬に乗るかしかなかった。

 勿論無策で旅立ったわけじゃない。体力の無い翠蘭様と歩き慣れていない魅音のために馬を用意した。暁明様が翠蘭様を抱っこして馬の手綱を握り、魅音には出発前に馬術を覚えてもらった。

 けれど一日中馬車に乗りっぱなしでも結構体力を消耗するもの。翠蘭様のために途中で何度か休憩を挟み、日が沈みそうになったら野宿の準備をする、日が昇ったら出発、を繰り返して進んでいた。

「今のところ追っ手は来ていないようだな」
「まだ北伯侯の勢力範囲から離れていますし、この地で追いつかれたら一巻の終わりです。帝都での不在の発覚がどれぐらい遅れ、西に旅立った囮でどれだけ時間を稼げるか、にかかっていますね」
「今日は紅玉宮妃様が先だったか。時間になったら起こしてくれ」
「分かりました。お休みなさい」

 夜はわたしと文月が交代で見張りをする。狡猾な野盗や獰猛な野生動物への対処もあるけれど、やはり一番は帝都から差し向けられた追っ手に対応するためだ。さすがに寝ずの番は長旅に支障が出るとの判断で、一晩半分ずつにした。

 虫の音が鳴る夜の世界の下、わたしは火が消えないよう適度に小枝などを追加、天空に広がる星座から現在位置と時刻を割り出す。同時に周囲に耳を傾けて警戒も怠らない。疲れが溜まって眠気が増してきているけれど、活を入れて我慢する。

「ねえ、雪慧」

 そんな一人きりのわたしに声をかけてきたのは暁明様だった。彼は寝袋にくるまったままで顔をこちらに向けていた。
 わたしは腰を上げて彼に近づき、額にかかる前髪をなでた。

「暁明様。明日も早いんですからすぐに寝てください」
「ごめん。本当だったら男の僕が歩くべきなのに」
「体力的にわたし達が歩くのは当然です。全員分の馬を用意すれば怪しまれますし。暁明様は菫青宮殿下をお守りするよう徳妃様にも言われていますでしょう」
「……何だか、僕が足を引っ張っているみたいだ」
「そんなことはありません。暁明様はその時が来るまで体力を温存しないと」
「その時って……母上が言ってた、皇帝になれって話のことだよね」

 出発前、わたしは後宮でも何番目かに高い徳妃様のお屋敷二階で、暁明様が天下を握ったら面白いでしょうね、と語った。彼もまた兄皇子達の欠点、そして宮廷での混乱を見過ごせず、これまでの方針を捨てて皇帝になろうとの決意を抱き始めた。

 ただ、徳妃様には申し訳ないけれど、別にそんな大きな夢は叶わなくてもいい。わたし達は夫婦水入らずで平穏に過ごしたいだけだし。そこそこ働いて衣食住さえ確保されればなお良し。帝都脱出はそんなささやかな幸せすら潰されかねなかったからだ。

「どうやって皇帝になればいいのかな? 今更宮廷内の支持を集めるのなんて僕には無理だよ」
「それは兄様と合流してからゆっくりと考えましょう」

 それに新たに北伯侯となった兄様の真意も聞かなければ。本当に第一皇女である義姉様を担ぎ上げて皇帝とするつもりなのかしら? それとも単に軍部を掌握する第二皇子を牽制するため?

「眠れないのでしたらわたしが子守唄を歌って差し上げましょう。何を隠そう、わたしは寝かしつけの達人ですから」
「……前もそんなことがあったね。随分と遠い昔のような気がするよ」
「あの頃は子供の皇子様と下女って関係でしたね。今は互いに大人の男女、夫婦です」
「じゃあ今だけは子供に戻って雪慧に甘えることにするよ……」

 わたしは暁明様の耳元で囁くように子守唄を歌う。以前の時から特に曲目は増えていない。だってまさかまた出番があるなんて思ってなかったもの。……もしわたしが暁明様との子宝に恵まれたら別のを覚えましょう、と先送りしちゃえ。

 よほど疲れていたのか、それとも興奮が止んで落ち着いたからか。子守唄を何曲か歌い終えた頃には暁明様は静かな寝息を立て始めた。わたしは彼の頬に手を当て、その唇に軽く口付けをした。

「お休みなさい。良い夢を」

 ■■■

 ようやく距離的に目的地の半分を過ぎた辺りで、わたし達は異様な光景を目にした。

 例えば、街道に列を成して移動する大荷物を背負った民百姓。次に、その脇を全速力で馬車を飛ばす地方豪族。そして、軽装備を身に纏って深刻な面持ちで行進する兵士達。いずれも平時で見られる光景ではなかった。

 比較的余裕のありそうな人を選んで事情を尋ねると、北部からの侵略に備えて近くの城に避難するとのことだった。北方の遊牧民族共が攻めてくれば北伯侯が迎え撃つ筈なので、北部というのは本来北を守護すべき北伯侯勢力を指すんでしょう。

 春華国の各地には城塞都市が点在している。地方を管轄する役所が置かれたり治安維持軍が配備されていたり、その地域を統治するに欠かせない。もし地方豪族が反乱を起こしたり蛮族の侵略があれば村や町に済む民百姓は城塞都市に避難することになる。

 つまり、この現状は戦争が近づいていることの証なんだ。

「これでは滞在を予定していた都市は避けた方が良さそうだな」
「そうですね。避難民がいっぱい押し寄せている中で出発する怪しい連中なんて、一発で通報モノです」

 わたし達は人目につかないよう側道から北へと向かうことにした。道沿いに点在する村は既に大半が避難済み。残ったのはもはや動かすことすら出来ない病人や老人とその家族ぐらいだった。

「つい昨日まで平和に暮らしてたのに、どうしてこんなことに……」
「天は私達を見放したの……?」

 村人達は不安と恐怖で嘆き悲しんだ。その原因の一端を担うわたし達は何も言葉をかけられなかった。

 北へ進めば進むほど人影は見えなくなった。どさくさに紛れて盗みを働く野盗すら出現しなくなり、人が消えた町は寂しい以上に恐怖を感じさせた。まるで全てが死に絶えた異世界に迷い込んだかのようだった。

 けれどそれは嵐の前の静けさに過ぎない。それを実感したのは北伯侯領まであと数日の距離までやってきた辺りだった。

「……まずいな。追っ手が迫ってきている。帝都からの脱出がバレたかもしれない」

 この頃になると二頭の馬には翠蘭様を除いて交代で乗るようになっていた。主な理由は歩き詰めだったわたしの疲労が限界にまで達して歩行速度が目に見えて落ちたからだ。男装しているからって荷物を多く背負っていたのもある。

 で、文月が乗る馬に魅音がわたしに後ろから抱きつく形で同乗、わたしが翠蘭様を抱きながら手綱を握り、二人して周囲を警戒していた。すると後方を確認していた文月が深刻な面持ちで報告してきたんだ。

「掲げられた旗はどの軍のものですか?」
「……旗は掲げていない。速度重視で差し向けた先遣隊かもしれない」
「単に早とちりでわたし達を素通りしていく可能性は……捨てた方が良さそうですね」
「どうする? 隠れるか、迎え撃つか、逃げるか。私はこの地域には疎いからな。紅玉宮妃様の意見を聞きたい」

 わたしは唸りながらどうしようか考えを巡らせ……進行方向に何やら煙を立てて向かってくる集団が視界に入った。目を凝らしてその正体が何なのかを確かめて……わたしは思わず歓喜の声をあげてしまった。

「前方に北伯侯軍の先遣隊が見えます! あっちに全力で逃げれば大丈夫です!」
「なら、短くない距離だが走るしかないな!」

 文月は身を翻して下馬すると夜鈴を代わりに馬を乗せ、魅音に手綱を持たせた。わたしも暁明様と交代を、と思ったのに彼ったら一番最初に駆け出した。仕方がないのでわたしは彼に馬を追走させた。

 騎馬兵でまとまった追っ手との距離は段々と狭まっていく。とうとう威嚇する矢がこちらへと飛び始めた。幸いにも誰にも当たらず地面に突き刺さるばかりだけれど、矢の数が徐々に増え始めた。

「……あれ?」

 ようやく目を凝らさなくても向こうから迫る北伯侯軍の部隊が見えるようになって、わたしは違和感を覚えた。

 先頭で馬を駆る者は鎧兜具足篭手等あらゆる装備が趣向を凝らしていた。正直凱旋や儀礼の時ぐらいしか出番の無い、実用性はあるけれど芸術品に分類される代物。蛮族との戦争が頻繁に発生する北方の戦士が好まないのに、と断言出来た。

 更に驚いたのがわたし達が逃げ切り、彼……いや、彼女達とすれ違った時だった。そう、先遣隊を率いていたのはなんと女性だった。しかも兜の隙間から覗けた顔から察するに、わたしと同年代の。

「蹂躙せよ!」

 彼女の指令が下り、北方の戦士達は勇猛なる戦闘集団と化した。逃げ惑う軟弱な皇子を捕らえればいい、とでも命令されていたのか、追っ手はまるで相手にならずに蹴散らされていった。あまりに一方的で相手が可愛そうになってくるぐらいだった。

 小競り合いを見届けたわたし達一行に向けて彼女は部隊を引き連れて近づき、槍の間合いに入らない程度の距離で停止。彼女の手の合図一つで一斉に馬から降りた。そして指揮官の女性を除いた全ての戦士達がわたし達に跪いた。

 そして、女性もまた兜を脱ぎ、ようやく見せた正体に皆が驚きの声を上げた。
 彼女は満足そうに微笑みながら、部下と同様に跪いた。

「紅玉宮殿下、菫青宮殿下、並びにその御一行様。お迎えに上がりました」
「姉上……!?」
「義姉様……!」

 なんとその人物こそ現北伯侯の妻にして第一皇女、藍玉宮殿下だったのだから。
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