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第一話 シフォンのデビュタント
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――街中 商店街――
「いらっしゃい、いらっしゃいっ」
「うわ~、賑やかだな。」
シフォンは初めての風景に思わず声を上げた。
見れば通りの両端に所狭しと小さな商店が並んでいる。
通りに漂う美味しそうな香りが微かに吹く風に乗って心地よい。
野菜に果物、肉に魚……お客を呼び込む声が鳴り響き市場は活気に満ちていた。
お目当ての武器屋は通りの奥の方なのだろうか。
(なんかドキドキするな。)
僕は瞳を輝かせながら歩みを進めた。
食品から衣服エリアを抜けてドンドンと奥へ突き進む。
通りの外れまで来ると床にカーペットを敷いたエリアに変わった。
訊けばその日限りの貸し出しマーケットがあるらしい。
「こんな所こそ、案外掘り出し物があるかもしれないぜ。
仕事は人がするんじゃないっ。道具がするのさ。」
この場所を教えてくれた人が言っていた。
なるほどと感心しながら、出来るだけ良い武器を買いたいと思った。
進むと右奥に小さいながらも綺麗に武器が並べられたお店があった。
小さな小箱に掛けられた赤い布。そこには数本の短剣が並べられていた。
恐る恐るそっと触れてみる。
漂う鋼鉄の香りとヒンヤリとした冷たい感触。
ゴクンッ
吸い寄せられる様に思わず目の前の短剣を手に取った。
ズシリと重い。
その重量は想像よりずっと重たかった。
「これが短剣っ、凄い。」
思わず呟くと苦笑した店主が声をかけた。
「お嬢ちゃん、短剣をお探しかい。」
(えっ)
その声に顔を上げると店主が呆れ顔で微笑んでいた。
驚いたのは急に声をかけられたからではない。
我がニコレ家は歴とした子爵である。
その子息の僕はそれなりの服装をしている筈だった。
もうすぐ成人を迎える立派な男性に見えているハズだった。
(そんなに弱々しく見えるのだろうか?)
僕は気を取り直して店主に男らしく訊ねた。
「店主、短剣を購入したいのだが……」
「ほぅ、狩りにでも行くのですかい。」
舐められないように少し咳払いをしてから僕は答えた。
「もうすぐ、僕のデピュタントがあるのです。
一人前になったからには短剣の一つも帯刀しなければと思いまして。」
そう言うと手にした革袋を広げて見せた。
「手持ちはこれなんだが、買えるだろうか?」
街での買い物なんてこれが初めてだった。
相場なんて分からない、ましてや値引き交渉など皆無だった。
そんな時はこちらの手の内を正直に明かして相手の良心に頼る他なかった。
店主は革袋の中の数枚の銀貨を見ると苦笑いを浮かべた。
「う~ん、それではこの錆びた短剣すら買えないな。」
そう言うと古びた短剣を渡して見せた。
どす黒く汚れた短剣。
鞘から引き抜いて見ると刀身にはルーン文字が刻まれていた。
確かに白銀に輝く他の短剣には美しさは程遠い。
だが、これはこれで味があった。
黒ずんだ汚れも懸命に磨けばそれなりになるのだろう。
「店主この一番安い錆びた短剣でいくらするのだろうか?
一度戻りお父様にお金を借りて来たいのだが。」
そう言う僕に店主はすまなそうに首を振った。
「悪いがもうすく店じまいなんだ。
ここを借りるのも今日が最終日でな。」
「そうですか……」
ガッカリした顔で肩を落としていると店主が声をかけた。
よっぽどショボくれた顔をしていたのだろう。
この近くの森で薬草が採れるので、それとこの銀貨全部で短剣を譲ってくれると言う。
「どうだい。閉店の夕暮れまでに一冒険してこないかい。」
(冒険?)
その言葉の響きに僕は心を躍らせた。
街外れの森の入口で薬草を摘んで来るだけの簡単な雑用。
だけど街から一人で出た事のない僕にとっては大冒険だった。
(僕に出来るだろうか?)
一抹の不安に駆られたが、憧れた冒険に出てみたい気もした。
そんな不安を察したのか店主が勇気づける。
「森と言ってもその門を出た直ぐ目の前、 森の入口なら魔物も出ないから安全だよ。
不安ならこれを持って行くといい。」
そう言うと錆びた短剣を貸してくれた。
ズシリと重いその短剣は僕の心を英雄へと変えた。
「いいかい。採ってきて欲しいのは、この形の毒消し草だ。
これは歴とした正式な契約、クエストだ。
頼むぜ小さな冒険者さん。」
その言葉と共に微かな蒼い光が全身を優しく包み込む。
僕は頷くと短剣を預かり門を出た。
――数日後、ニコレ家邸宅――
シフォンは朝から満面の笑みを浮かべながらせっせと短剣を磨いていた。
人生初の冒険で自分だけの力で手にした戦利品。
あの日、毒消し草を集めて戻って来たのは日没間近だった。
森への行き方や薬草の採集など、勝手が解らずかなりの時間がかかってしまった。
それでも何とかやり遂げて報酬の短剣を手に入れた。
正確には有り金全部と薬草で購入したのだが……
聞けばこの短剣は祭事用で切れ味は悪く戦闘には向かないらしい。
それでも丹念に磨き上げると不思議な黒光りがしていつまでも魅てられた。
汚れで隠れていた下からはルーン文字やフクロウの刻印が見えている。
(ムフフ……カッコイイな)
一人ニヤニヤしていると母が呆れ顔で話しかけた。
「シフォンそろそろ支度をしなさい。
お客様が来られますよ。」
その声に顔をあげる。
「お客様? 誰か来るのですか?」
「あらやだ、 あなたのデピュタントの準備で占い師の方が来るって言ったでしょ。」
「そうだった。 1週間後のデピュタントに向けて有名占い師が来ると言う。」
僕は慌てて短剣を片付けると支度を始めた。
暫くしてその占い師がやって来た。
「どうもパイル殿、お待ちしておりました。」
僕の成人がよっぽど嬉しいのだろう。
お父様は満面の笑みで応接間へ案内した。
見ると全身漆黒のコートに銀縁眼鏡、スラっと背の高い気難しそうな男性が現れた。
微かな微笑みを浮かべているが眼光が鋭く全てを見透かすようなオーラを放っていた。
(なんだか怖い。)
母が紅茶を出しながら訊ねる。
「パイル先生は、あの武道会の優勝者を事前に当てたとか。
そのような方に就いていただけるなんて光栄ですわ。」
「ええ、私の占いはもはや予言ですから。」
そう言うとその占い師はカップを取り紅茶をすすった。
しなやかな長い指がカップを包み、碧い指輪が怪しく光っている。
(綺麗な指……)
吸い込まれるように見つめているとふと逸らした視線がシフォンと合う。
「あっ」
その瞬間、シフォンは思わず声をあげてしまった。
服装がまるで違い気が付かなかったが、そこには先日の露店の店主が居た。
(どうして店主さんがここに?)
訊ねようとした瞬間に父が怪訝な顔で遮る。
「シフォン何を声をあげている?
失礼じゃないか。
ちゃんとパイル殿に挨拶をしなさいっ。」
父に訳を話そうするシフォンを遮るようにパイルが腕を差し出した。
「初めましてシフォン様。予言師のパイルと申します。」
握手を求めている為、両親からは見えていないが震えあがる程の視線がシフォンを睨みつけていた。
(余計なコトを言ったら殺される。)
シフォンは恐る恐る手を伸ばすと握手を交わした。
予言師パイルと名乗るその男は、デピュタントがある十日後まで客人としてニコレ家に滞在するという。
露店の店主が有名占い師な訳がない。
(僕の思い違いなのかな?)
モヤモヤした気持ちを抱えながらその日は終わった。
翌日僕達はニコレ家が補佐しているジャガード伯爵へ挨拶廻りに来ていた。
子爵はそれぞれ決められた伯爵の補佐をするのが仕事。
我がニコレ家はジャガード伯爵についていた。
以前一度だけ会った事があるが、僕はジャガード伯爵が嫌いだった。
小太りで赤髪、毛皮のガウンに常に斧を携えていた。
時折り、赤い顎鬚を撫でながらガハハハッと下品に笑う癖があった。
ガサツで横暴、野心が強く悪い噂しか聞かない。
民から高い税金を取り、気分次第で何人も使用人を殺していると言う。
どうしてお父様がこんな人間の補佐をしなければならないのか?
噂ではタフタ侯爵を陥れて侯爵の座を狙っているという。
今日は事前に伺う事を知らせておいたにもかかわらず随分と待たされている。
一向に現れないジャガード伯爵を待ちながら僕は父に訊ねた。
「お父様、いつまで待つのですか?
もう帰りましょう。」
ウンザリ顔のシフォンを見ながらお父様は困り顔で答えた。
「そう言うな。あれでも仕える伯爵様だ。
もう少し待ってみよう。
それに問いただしたい事もある。」
そう言うとお父様は真剣な顔をしてそっと胸ポケットを手で押さえた。
コンコンッ
ドアをノックする音が聞こえる。
やっと現れたかと三人が視線を送ると執事がワゴンを押して入って来た。
テーブルに紅茶を置きながら執事が話す。
「申し訳ございません。
ジャガード様は急用にて到着がもう少し遅れます。」
「えっ、邸宅内にいらっしゃるのではないのですか?」
驚き訊ねるお父様に執事は事務的に答える。
「はい、ジャガード様はこちらにはおりません。
お詫びに珍しい紅茶を御用意いたしましたので是非皆さまで御賞味下さいとの事でした。」
そう冷たく言うと執事は黙って出て行った。
余りの無礼な対応にシフォンは憤慨する。
「なんと無礼なっ、お父様もう帰りましょう。」
「まあ、シフォンそう言うな。
今日はお前のデピュタントの報告なんだ。
それに確かめたい事もある。
もう少しだけ待ってみようじゃないか。」
「そうよシフォン。
あまりお父様を困らせてはいけません。
それに帰るにしてもこの紅茶を飲んでからにいたしましょう。
お詫びの珍しい紅茶に口もつけずに帰ったとなれば後で何を言われるか。」
「分かりました。
でもこの紅茶を飲んだら帰りましょう。」
シフォンがそう言うと両親は頷き、三人は渋々、紅茶を飲み干した。
ガシャンッ
「うっ……」
その刹那、三人が床に転げ落ちた。
(まさか……毒?)
息ができない。
視界が回るシフォンは朦朧とする意識の中で扉が開く音を聞いた。
「おやおや、ニコレ子爵苦しそうですね。
さてはジャガード伯爵に毒でも盛られましたか?」
そう言うとパイルはニコレ子爵の胸ポケットから書簡を抜き取った。
「ほう、ジャガード伯爵の不正を証明する証拠ですか。
こんな物があるのなら、本人に問いただそうなどとせずにタフタ侯爵に差し出せばいいものを。
そうすればジャガードは失脚。あなたが伯爵になれるのに。」
「パイル殿っ、どうしてここに?
まさかあなたが毒を盛ったのか?」
「心外ですね、ニコレ家客人の私がそんな事をする訳がないでしょ?」
コトッ
そう言うと小瓶を目の前の床に置いた。
「いや~偶然、毒消し草を持っています……一人分だけ。
実は私は商人でしてね。
どこかの小さな冒険家が摘んで来てくれました。
買いますか? コレ。」
「頼む、助けてくれ。
金ならいくらでも出す。」
「すみませんが、お金での商売はしていなんですよ……私。」
そう言うとパイルは契約書を目の前に突き出した。
「これは?」
混乱するニコレ子爵を嘲笑うかの様にパイルはゆっくりと説明する。
「簡単なコトです。
ニコレ家を私に下さい。
この毒消し草一瓶と子爵の地位を交換です。
安い取引でしょ。
皆死ねばどうせニコレ家はつぶれるんだから。」
「何を言っている……銅貨1枚で買える薬草と子爵を交換だと?」
そう言いながらも答えはもう出ていた。
そんな気持ちを見透かす様にパイルは頷く。
「いいですか、商売の神髄は時と場所ですよ。
ダブついている場所で安く仕入れ、不足している場所で高く売る。
確かに街では毒消し草は一瓶銅貨一枚だ。
だが貴方に街まで買いに行っている時間がありますか?
必要なのは今でしょ?
迷っていると全員死にますよ。」
そう言うとパイルはニコレ子爵に署名をさせた。
その瞬間、蒼い炎が子爵を包む。
「ふぅ、これで契約完了です。
さて救えるのは一人だけ。
誰を救いますか?」
「シフォンを頼む。」
グハッ
そう言うとニコレ子爵は息絶えた。
「かしこまりました。
シフォン様を救いましょう。
ジャガードなんぞにお嬢ちゃんは殺させない。
彼女を***のはこの私ですから……」
――数日後 ニコレ家邸宅――
「シフォン様、どこへ行かれるおつもりですか?」
ベットから起きようとするシフォンへパイルは声をかけた。
「お父様達の仇を取る。」
祭事用の短剣を握りしめてシフォンは声を荒げた。
(ふふっ、そんな切れない短剣で何をしようと言うのだ。)
込み上げる笑いを押さえながらパイルは一際深刻顔で説き伏せた。
「お気持ちは分かりますが、解毒はされたとは言えまだそのお体では。」
「ジャガードの奴、絶対に許さないっ。」
そう言ってシフォンはシーツを叩いた。
「ふぅ、困ったお方だ。」
パイルは使用人達を退室させるとベットの端へ腰かけた。
「仇を取りたいのですか?」
「当たり前だっ」
「本当の両親でもないのに?」
「……っ、何を」
驚くシフォンの頬に手を当てパイルは顔を近づける。
「ニコレ家に子供はいない。
成人前だから誰も気に掛けないが、本気で調べれば直ぐに分かる事。
お前はニコレ子爵の実の子ではない。」
「ちっ、違う。」
「では養子?
それも違う、跡取りを欲しいのなら別の人間にするだろう。
何故か?
それはお前が女だからだ。」
「ちっ、違う。」
「そんな変装、社交界にデビューすれば直ぐにバレる。
では何故ニコレ子爵家は女を子息としているのか?
それは何かから貴女を隠すためだ。違いますか?」
「そっ、それは……」
口ごもるシフォンにパイルは契約書を突き付けた。
「これはニコレ子爵が死に際に署名した書状です。
ここには私を貴女の後見人とすると書かれている。
つまりは貴女が成人するまでニコレ家は私の物と言う事です。」
「そんな事あるはずがない。」
シフォンはパイルの手を振り払うと短剣を抜いて突きつけた。
「何ですか?
私を後見人として認めないと?
貴女一人で子爵家を守れるのですか?
ジャガードへの復讐は?
ニコレ子爵が何故殺されたのか理由を御存知で?
ジャガードは必ず貴女を殺しに来ますよ。
伯爵相手にどう戦うおつもりですか?」
「そっ、それは……」
「ニコレ子爵は何故殺されたのか?
それは想いが軽いからですよ。
ジャガード伯爵の欲望は限りなく深い。
全てを搾取し尽くす程に……」
(この人は何かを知っている。)
「お父様は何をしようとしていたんだ?」
そう訊ねるシフォンの声が聞こえないかのようにパイルは遠い瞳を見せた。
「貴女はニコレ子爵の仇を取ると言うが、どれ程の熱量を持っているのか?
全てを捨てても構わない程の滾る想いがありますか?
でなければジャガードの深淵の欲は越えられない。」
そう言われシフォンは黙ってしまった。
(私にそれ程の想いがあるのだろうか?)
ニコレ子爵はこんな私をかくまい優しくしてくれた。
それは夢にまで見た愛であり、両親との優しい時間。
全てを投げうっても仇を取りたいと思った。
「あなたなら仇を取れるというのですか?」
警戒しながらも訊ねる。
「私ではない、シフォン様、貴女が仇を取るのですよ。」
「私が? でもどうやって」
「契約を結びましょう。
仇を取る力と貴女自身を交換です。
私を後見人と認め成人までの三年間私の指示に従いなさい。
そうすれば仇を取る力を上げましょう。」
(そんな事出来る訳がない。)
この得体の知れない予言者と契約などしたら何をされるか分からない。
心身共に凌辱されるかもしれない。
首を振るシフォンを挑発するようにパイルが訊ねる。
「やはり、自分が一番可愛いのですね。
ニコレ子爵達など所詮は捨て駒。
貴女はいつだって自分の手は汚さずに憐みだけを押しつける。」
(そんな事はない。)
ニコレ子爵への感謝の気持ちに偽りなどなかった。
シフォンの心に今まで感じた事がない炎が滾った。
「いいだろうパイル。
契約だ。」
シフォンは叫んだ。
「勇ましい事で……それでは契約の口づけをしましょう。」
(えっ、口づけ?)
シフォンは一瞬耳を疑った。
「聞こえなかったのですか? 契約の口づけと言いました。」
私は今まで口づけをした事は一度もなかった。
でもそんな事は言っていられないっ。
シフォンは意を決してギュッと瞼を閉じた。
「たっ……たかが口づけ、したければすればいい。」
「何を勘違いしている貴女からするんですよ。」
(えっ、私から?)
その言葉に思わず頬が赤くなる。
初めてのくちづけ。
それを女性の私からするなんて……。
「どうしました?
止めますか?
所詮、貴女の決意などその程度の……」
「うるさいっ、黙れ。」
シフォンはパイルの言葉を遮った。
(私は自分可愛さに恩を忘れるような人間にはなりたくない。
たかが口づけじゃない。大した事ではないわ。)
シフォンは震える体を押し殺し顔を近づけた。
「いくぞっ、動くなよ。」
口づけとも呼べないウブな少女の稚拙なふれあい。
その刹那、シフォンの体が蒼い炎に包まれる。
(これは?)
「これは契約の蒼い炎。
アカシックレコードを知っていますか?
全ての人間の脳には太古から繋いだ祖先の様々な記憶が眠っている。
そのどの経験を呼び覚ますかでその者の能力が決まるのです。
我が箱庭の一族は生命エネルギーと引き換えにその記憶の一部を呼び覚ます。
貴女の寿命は半分減りますが太古の記憶を呼び覚まして差し上げます。」
そう言うとシフォンの脳裏に走馬灯の様に宇宙の始まりから現在までの数多
の人類のビジョンが駆け巡った……意識が飛んで行く。
ゴクンッ ハァハァ
シフォンが混乱しているとパイルが呟いた。
「ほぅ、【ピュアリティ】ですか。
貴女は混合したモノを本来のモノに分ける能力が開花したようです。
お嬢ちゃん、今は眠りなさい。 あぁ、これはサービスです。」
そう言うとパイルはシフォンにもう一度口づけをした。
その瞬間、手にした祭事用短剣が光を放ち溶けていく。
「んぅ、何を?」
突然に唇を奪われ固まるシフォンの耳元で囁く。
「あの日の自分に感謝なさい、本来なら寿命の半分と引き換えなのですよ。
貴女の短剣が身代わりになってくれますよ。自分の命と引き換えに。
もっとも発動には処女の初キスが条件ですが。
先程の口づけでは不十分で発動しませんでしたから……。
あの日、勇気を出して冒険に踏み出しておいて良かったですね。
この短剣が無ければどうなっていたことか……ほらちゃんとして。」
そう言うと深く唇を誘った。
(こんな事……)
顔を赤らめながらシフォンは自分の意識が遠のいて行くのを感じた。
――数日後 ジャガード伯爵邸――
(あんな事どうってことない。)
シフォンはタフタ侯爵の到着を待ちながら、自分にそう言い聞かせた。
目の前には憎きジャガード伯爵が踏ん反り返って座っている。
この男へ復讐出来るのなら私のファーストキスなんてどうでもいい。
『何かを得たければ、何かを差し出せ。』
あの予言者は言った。
『クラウド フェル パイル』
この男は一体何者なのだろうか?
露店の商人で、凄腕の占い師?
私がニコレ家の子息でない事を突き止めた。
私が実は女であると言う事も……。
【ピュアリティ】あの日から私には不思議な能力が身についた。
混合したモノを本来のモノに分ける能力なのだという。
私はそっと隣りに座る鬼畜眼鏡を盗み見た。
見るとパイルは不適な笑みを浮かべて紅茶を啜っている。
ガチャ突然に部屋のドアが開きタフタ侯爵が入って来た。
タフタ侯爵、剣聖卿と呼ばれ武勇にて一代名誉爵位を授かりし人徳者。
正義感が強く、不正を毛嫌いしていることでも有名だ。
スラっとした顔立ちに鋭い眼光、スマートながら筋肉質な体つきをしており
侯爵と言うより歴戦の剣士と言った風貌だった。
この地域を統べる侯爵でジャガード伯爵やニコレ家の上席に位置する侯爵だった。
一同が慌てて起立するとタフタ侯爵は座る様に手振りをした。
「さて今回集まってもらったのはニコレ子爵夫妻の毒殺についてだ。
ジャガード伯爵、事件は貴公の邸宅内で起きている。
もはや関係がないとは言うまいな。」
その問いにジャガードはヘラヘラと笑みを浮かべながら答える。
「恐れながらタフタ様、事は私が不在中に起こった事。
ましてはニコレ子爵は私の大事な部下です。
私が殺す等あろう筈がございません。」
その言葉にシフォンは思わず立ち上がる。
「嘘だっ、コイツが紅茶に毒を入れたんだ。」
いきり立つシフォンを鼻で笑いながらジャガード伯爵は話し続ける。
「誤解されるのも無理ありません。
ですが私も大事な部下を殺され憤慨しております。
それで独自に調査をしていた所、興味深い密告がございました。」
「密告とな?」
「はい、当日そこの占い師が密かに我が屋敷内に忍び込み何やらしていたらしいのです。
私はこやつこそが毒を入れたのではないかと考えています。」
「ほう、その根拠は?」
「はい、この占い師は最近突然に街に現れニコレ家の客人として潜り込んでおります。
ニコレ夫妻の死後は後見人となり子爵の財産を管理する立場に。」
その言葉でシフォンは思わずパイルを見つめた。
確かにどうしてあの日、パイルはジャガード伯爵の家にいたのだろうか?
どうして毒消し草を持っていた?
(パイルは私達が毒殺される事を予言していたのでは?)
そう思って直ぐに首を振った。
もし私達が毒殺されるのを事前に予知していたのなら三人分の毒消しを持って来た筈。
(でももしニコレ家を乗っ取る為にわざと一人分だと偽っていたら……)
「パイルと言ったか、予言師だと言う事だが間違いないか?」
そう問いかけるタフタ侯爵へパイルは恭しくお辞儀をして見せた。
「お初に目にかかります。
タフタ侯爵様 予言師のクラウド フェル パイルと申します。」
「うむ、貴公が当日ジャガード伯爵邸に居たというのは本当か?」
「はい、おりました。」
「貴公はどうしてジャガード伯爵の邸宅にいたのだ。」
「それをお答えする前に一つの予言をいたします。」
「予言だと」
「予言?」
「予言?」
「はい、私の予言によれば毒殺に使用された毒がジャガード伯爵の書庫にあると。」
「そんな苦し紛れの偽予言誰が信じるものかっ」
ジャガード伯爵が声を荒げた。
タフタ侯爵はじっとパイルを見つめた後、手にした書類に視線を落とした。
「実は私の所にも密告があった。
パイル、ダマス、ノストラ、ダウト……これらの名前に身に覚えは?」
「……」
「その密告によると貴公は様々な名前で武道会の予言をして
最終的に当たった名前を名乗り希代の予言者を振る舞ったとある。
心当たりはあるか?」
「覚えておりません。」
「妙な事を言う。
武道会と言えば最近の事ではないか。
当時の関係者に面通しをすればこれらの人物達が同一人物だと直ぐに分かるのだぞ。」
それを観ていたジャガードは勢いづいた。
「はっ、やはりお前が犯人ではないか。
この詐欺師がっ。
タフタ侯爵様コイツを処刑にいたしましょう。
子爵殺しの犯人です。」
「パイルっ、何か申し開きがあるか?」
「タフタ侯爵様、ジャガード伯爵の書庫をお調べ下さい。
私が本物の予言師だと言う事を証明いたします。
使用した毒薬がある筈です。」
「あくまで自分は詐欺師ではないと言い張るのだな。
当日、ジャガード邸に居たのも予言の導きだとでも言うつもりかな。
いいだろう。
そこまで言うのならどうだ皆で書庫を見てみようではないか。」
そんな言葉にジャガードが慌てだす。
「それは困ります。タフタ侯爵。」
「なぜだ、まさか毒があるとでも?」
毒殺に使った毒を自分の書庫に隠すなど、そんな馬鹿な事をする訳がない。
だが、あそこの隠し部屋には見られてはならない不正の品の数々があった。
「なんと言いますか、その散らかっておりますので……」
ジャガードがそう言うとタフタ侯爵は楽しそうに微笑んだ。
「同じ領地を盛り立てる仲である。散らかりなど気にするな。
侯爵と言えども他人の書庫を調べるなど異例だが
罪人を死刑にするからにはパイルが詐欺師だと言う証拠も必要でな。
ここは一つ協力してくれ。」
そう言うと歩き出し、無理やり書庫を開けさせた。
「タフタ侯爵様、お待ち下さい。」
「う~ん、やはり毒薬など無いな……んっ、これは?」
そう言うと隠し扉を発見し次々と不正の品が露見した。
「これは何だっ、ジャガード。」
「そっ、それは……その」
その後は大変な混乱がジャガード邸を包み込んだ。
タフタ侯爵の怒号が飛び、ジャガード伯爵は拘束。伯爵剥奪も免れないと言う。
トントン
混乱の中でタフタ侯爵の部屋の扉がノックされる。
「なんだ、お前か」
タフタ侯爵は入って来た者に座る様に手振りした。
「こんな状況だ。紅茶の一つも出せないぞ。」
「いえ、直ぐにお暇しますので……」
そう言うとパイルは金貨がぎっしりと詰まった革袋を差し出した。
「何か勘違いしていないか?
金が欲しくて協力した訳ではない。」
「分かっております。タフタ侯爵様
今回はたまたま利害が一致しただけ……ですね。」
その言葉にタフタ侯爵は頷く。
「ジャガード伯爵が不正に民から搾取していた事は知っていた。
だが相手は伯爵。証拠を掴むのは難しい。」
「それで内偵をニコレ子爵へ依頼していた?」
「ああ、シフォン子息には気の毒な事をした。
まさかジャガードの奴が毒殺におよぶとは。」
「後ろめたく思うのならジャガード伯爵の土地をニコレ家へ下さい。
元々ニコレ家は伯爵を補佐する役目……
空席の伯爵領を代理で治めても不都合はありますまい。」
豪胆な要求にタフタ侯爵は驚いた。
「お前は一体何者なんだ偽予言師。
ジャガードや私へ密告したのはお前だな。」
「それを分っていて不正の証拠を掴む為に乗ったのはタフタ侯爵様です。」
「今回だけだ。次は無い。
お前も不正を行えば直ちに処罰する。」
そう言われたパイルの瞳が妖しく揺らめいた。
「今回はほんの御挨拶です。
私でお役に立てる事がありましたらいつでもお申し付け下さい。」
「いや、もう会う事はないだろう。」
そうタフタ侯爵は吐き捨てると目の前の革袋を掴み部屋を出て行った。
独り部屋に残されたパイルは指にはめた碧い指輪を見つめながら呟いた。
「いいえ、貴方はきっと連絡してきます。
〇◇□を救えるのは私達だけなのだから……」
数日後、私達は旧ジャガード領へ引っ越した。
ジャガード伯爵が断罪され空席になった職務を代理で埋める為である。
私は女に戻り、ニコレ家当主シフォンの姉と言う事になっている。
「それでお前の本当の名前は何と言うのだ?」
パイルに問われて少し私は少し躊躇した。
本当の名前を明かしても、きっと差支え等ないのだろう。
だってこの名前は幼少期にお母様にしか呼ばれた記憶なないのだから。
私の名前は『リプル』お母様はリプと呼んでいた。
皇女は子を産むと世界樹に命を捧げて人間界を魔界から守る人柱となる。
それが代々巫女姫として生まれた皇女の宿命だった。
お母様が去ってからは皆が私の事を巫女姫様と呼んだ。
リプルと呼ばれた事は一度も無い。
閉鎖された宮殿で限られた人々としか接触を持たず顔も見せない。
巫女姫という記号でしか呼ばれない私は生きた屍だった。
それを『あの人』は救い出してくれた。
私に救われた一族の恩返しだと言っていた。
(あの人はあの後、どうなったのだろう?)
「おいっ、聞いているのか?」
そんなパイルの声に私は現実に引き戻された。
「あぁ、リプルです。
ニコレ フォン リプル。」
「リプルか。
ではリプル。お前はドワーフ村へ行ってこい。」
「ドワーフ村ですか?」
「ああ、この地域ではミスリル鉱山がある事は知っているか?」
「いいえ。
ミスリルとは貴重な金属の事ですよね。」
「ああ、ジャガードの奴はそのミスリルを隣国のドワーフ達へ横流ししていたらしい。
タフタ侯爵にバレて流出は止められたがドワーフ達はその事実をまだ知らない。」
「それでどうして私がドワーフ村へ?」
「お前はジャガードの密使のフリをして交渉へ行ってこい。
秘密裏に別ルートにて引き続きミスリルの取引を続けると言うんだ。」
「そんな事をしても直ぐにバレるのではないのですか?
密輸なんて、タフタ侯爵が許すとは思えません。」
「ああ、だからチャンスは一回。
リプルはドワーフ達を騙しマジックミスリルを根こそぎ盗って来い。」
「マジックミスリル?
よく分かりませんがパイルさんが行けばいいのでは?」
「その間に私は偽のシフォンを調達してくるとしよう。
正真正銘、男のシフォンをな。」
そう言うとパイルは悪戯っぽく微笑んだ。
「いらっしゃい、いらっしゃいっ」
「うわ~、賑やかだな。」
シフォンは初めての風景に思わず声を上げた。
見れば通りの両端に所狭しと小さな商店が並んでいる。
通りに漂う美味しそうな香りが微かに吹く風に乗って心地よい。
野菜に果物、肉に魚……お客を呼び込む声が鳴り響き市場は活気に満ちていた。
お目当ての武器屋は通りの奥の方なのだろうか。
(なんかドキドキするな。)
僕は瞳を輝かせながら歩みを進めた。
食品から衣服エリアを抜けてドンドンと奥へ突き進む。
通りの外れまで来ると床にカーペットを敷いたエリアに変わった。
訊けばその日限りの貸し出しマーケットがあるらしい。
「こんな所こそ、案外掘り出し物があるかもしれないぜ。
仕事は人がするんじゃないっ。道具がするのさ。」
この場所を教えてくれた人が言っていた。
なるほどと感心しながら、出来るだけ良い武器を買いたいと思った。
進むと右奥に小さいながらも綺麗に武器が並べられたお店があった。
小さな小箱に掛けられた赤い布。そこには数本の短剣が並べられていた。
恐る恐るそっと触れてみる。
漂う鋼鉄の香りとヒンヤリとした冷たい感触。
ゴクンッ
吸い寄せられる様に思わず目の前の短剣を手に取った。
ズシリと重い。
その重量は想像よりずっと重たかった。
「これが短剣っ、凄い。」
思わず呟くと苦笑した店主が声をかけた。
「お嬢ちゃん、短剣をお探しかい。」
(えっ)
その声に顔を上げると店主が呆れ顔で微笑んでいた。
驚いたのは急に声をかけられたからではない。
我がニコレ家は歴とした子爵である。
その子息の僕はそれなりの服装をしている筈だった。
もうすぐ成人を迎える立派な男性に見えているハズだった。
(そんなに弱々しく見えるのだろうか?)
僕は気を取り直して店主に男らしく訊ねた。
「店主、短剣を購入したいのだが……」
「ほぅ、狩りにでも行くのですかい。」
舐められないように少し咳払いをしてから僕は答えた。
「もうすぐ、僕のデピュタントがあるのです。
一人前になったからには短剣の一つも帯刀しなければと思いまして。」
そう言うと手にした革袋を広げて見せた。
「手持ちはこれなんだが、買えるだろうか?」
街での買い物なんてこれが初めてだった。
相場なんて分からない、ましてや値引き交渉など皆無だった。
そんな時はこちらの手の内を正直に明かして相手の良心に頼る他なかった。
店主は革袋の中の数枚の銀貨を見ると苦笑いを浮かべた。
「う~ん、それではこの錆びた短剣すら買えないな。」
そう言うと古びた短剣を渡して見せた。
どす黒く汚れた短剣。
鞘から引き抜いて見ると刀身にはルーン文字が刻まれていた。
確かに白銀に輝く他の短剣には美しさは程遠い。
だが、これはこれで味があった。
黒ずんだ汚れも懸命に磨けばそれなりになるのだろう。
「店主この一番安い錆びた短剣でいくらするのだろうか?
一度戻りお父様にお金を借りて来たいのだが。」
そう言う僕に店主はすまなそうに首を振った。
「悪いがもうすく店じまいなんだ。
ここを借りるのも今日が最終日でな。」
「そうですか……」
ガッカリした顔で肩を落としていると店主が声をかけた。
よっぽどショボくれた顔をしていたのだろう。
この近くの森で薬草が採れるので、それとこの銀貨全部で短剣を譲ってくれると言う。
「どうだい。閉店の夕暮れまでに一冒険してこないかい。」
(冒険?)
その言葉の響きに僕は心を躍らせた。
街外れの森の入口で薬草を摘んで来るだけの簡単な雑用。
だけど街から一人で出た事のない僕にとっては大冒険だった。
(僕に出来るだろうか?)
一抹の不安に駆られたが、憧れた冒険に出てみたい気もした。
そんな不安を察したのか店主が勇気づける。
「森と言ってもその門を出た直ぐ目の前、 森の入口なら魔物も出ないから安全だよ。
不安ならこれを持って行くといい。」
そう言うと錆びた短剣を貸してくれた。
ズシリと重いその短剣は僕の心を英雄へと変えた。
「いいかい。採ってきて欲しいのは、この形の毒消し草だ。
これは歴とした正式な契約、クエストだ。
頼むぜ小さな冒険者さん。」
その言葉と共に微かな蒼い光が全身を優しく包み込む。
僕は頷くと短剣を預かり門を出た。
――数日後、ニコレ家邸宅――
シフォンは朝から満面の笑みを浮かべながらせっせと短剣を磨いていた。
人生初の冒険で自分だけの力で手にした戦利品。
あの日、毒消し草を集めて戻って来たのは日没間近だった。
森への行き方や薬草の採集など、勝手が解らずかなりの時間がかかってしまった。
それでも何とかやり遂げて報酬の短剣を手に入れた。
正確には有り金全部と薬草で購入したのだが……
聞けばこの短剣は祭事用で切れ味は悪く戦闘には向かないらしい。
それでも丹念に磨き上げると不思議な黒光りがしていつまでも魅てられた。
汚れで隠れていた下からはルーン文字やフクロウの刻印が見えている。
(ムフフ……カッコイイな)
一人ニヤニヤしていると母が呆れ顔で話しかけた。
「シフォンそろそろ支度をしなさい。
お客様が来られますよ。」
その声に顔をあげる。
「お客様? 誰か来るのですか?」
「あらやだ、 あなたのデピュタントの準備で占い師の方が来るって言ったでしょ。」
「そうだった。 1週間後のデピュタントに向けて有名占い師が来ると言う。」
僕は慌てて短剣を片付けると支度を始めた。
暫くしてその占い師がやって来た。
「どうもパイル殿、お待ちしておりました。」
僕の成人がよっぽど嬉しいのだろう。
お父様は満面の笑みで応接間へ案内した。
見ると全身漆黒のコートに銀縁眼鏡、スラっと背の高い気難しそうな男性が現れた。
微かな微笑みを浮かべているが眼光が鋭く全てを見透かすようなオーラを放っていた。
(なんだか怖い。)
母が紅茶を出しながら訊ねる。
「パイル先生は、あの武道会の優勝者を事前に当てたとか。
そのような方に就いていただけるなんて光栄ですわ。」
「ええ、私の占いはもはや予言ですから。」
そう言うとその占い師はカップを取り紅茶をすすった。
しなやかな長い指がカップを包み、碧い指輪が怪しく光っている。
(綺麗な指……)
吸い込まれるように見つめているとふと逸らした視線がシフォンと合う。
「あっ」
その瞬間、シフォンは思わず声をあげてしまった。
服装がまるで違い気が付かなかったが、そこには先日の露店の店主が居た。
(どうして店主さんがここに?)
訊ねようとした瞬間に父が怪訝な顔で遮る。
「シフォン何を声をあげている?
失礼じゃないか。
ちゃんとパイル殿に挨拶をしなさいっ。」
父に訳を話そうするシフォンを遮るようにパイルが腕を差し出した。
「初めましてシフォン様。予言師のパイルと申します。」
握手を求めている為、両親からは見えていないが震えあがる程の視線がシフォンを睨みつけていた。
(余計なコトを言ったら殺される。)
シフォンは恐る恐る手を伸ばすと握手を交わした。
予言師パイルと名乗るその男は、デピュタントがある十日後まで客人としてニコレ家に滞在するという。
露店の店主が有名占い師な訳がない。
(僕の思い違いなのかな?)
モヤモヤした気持ちを抱えながらその日は終わった。
翌日僕達はニコレ家が補佐しているジャガード伯爵へ挨拶廻りに来ていた。
子爵はそれぞれ決められた伯爵の補佐をするのが仕事。
我がニコレ家はジャガード伯爵についていた。
以前一度だけ会った事があるが、僕はジャガード伯爵が嫌いだった。
小太りで赤髪、毛皮のガウンに常に斧を携えていた。
時折り、赤い顎鬚を撫でながらガハハハッと下品に笑う癖があった。
ガサツで横暴、野心が強く悪い噂しか聞かない。
民から高い税金を取り、気分次第で何人も使用人を殺していると言う。
どうしてお父様がこんな人間の補佐をしなければならないのか?
噂ではタフタ侯爵を陥れて侯爵の座を狙っているという。
今日は事前に伺う事を知らせておいたにもかかわらず随分と待たされている。
一向に現れないジャガード伯爵を待ちながら僕は父に訊ねた。
「お父様、いつまで待つのですか?
もう帰りましょう。」
ウンザリ顔のシフォンを見ながらお父様は困り顔で答えた。
「そう言うな。あれでも仕える伯爵様だ。
もう少し待ってみよう。
それに問いただしたい事もある。」
そう言うとお父様は真剣な顔をしてそっと胸ポケットを手で押さえた。
コンコンッ
ドアをノックする音が聞こえる。
やっと現れたかと三人が視線を送ると執事がワゴンを押して入って来た。
テーブルに紅茶を置きながら執事が話す。
「申し訳ございません。
ジャガード様は急用にて到着がもう少し遅れます。」
「えっ、邸宅内にいらっしゃるのではないのですか?」
驚き訊ねるお父様に執事は事務的に答える。
「はい、ジャガード様はこちらにはおりません。
お詫びに珍しい紅茶を御用意いたしましたので是非皆さまで御賞味下さいとの事でした。」
そう冷たく言うと執事は黙って出て行った。
余りの無礼な対応にシフォンは憤慨する。
「なんと無礼なっ、お父様もう帰りましょう。」
「まあ、シフォンそう言うな。
今日はお前のデピュタントの報告なんだ。
それに確かめたい事もある。
もう少しだけ待ってみようじゃないか。」
「そうよシフォン。
あまりお父様を困らせてはいけません。
それに帰るにしてもこの紅茶を飲んでからにいたしましょう。
お詫びの珍しい紅茶に口もつけずに帰ったとなれば後で何を言われるか。」
「分かりました。
でもこの紅茶を飲んだら帰りましょう。」
シフォンがそう言うと両親は頷き、三人は渋々、紅茶を飲み干した。
ガシャンッ
「うっ……」
その刹那、三人が床に転げ落ちた。
(まさか……毒?)
息ができない。
視界が回るシフォンは朦朧とする意識の中で扉が開く音を聞いた。
「おやおや、ニコレ子爵苦しそうですね。
さてはジャガード伯爵に毒でも盛られましたか?」
そう言うとパイルはニコレ子爵の胸ポケットから書簡を抜き取った。
「ほう、ジャガード伯爵の不正を証明する証拠ですか。
こんな物があるのなら、本人に問いただそうなどとせずにタフタ侯爵に差し出せばいいものを。
そうすればジャガードは失脚。あなたが伯爵になれるのに。」
「パイル殿っ、どうしてここに?
まさかあなたが毒を盛ったのか?」
「心外ですね、ニコレ家客人の私がそんな事をする訳がないでしょ?」
コトッ
そう言うと小瓶を目の前の床に置いた。
「いや~偶然、毒消し草を持っています……一人分だけ。
実は私は商人でしてね。
どこかの小さな冒険家が摘んで来てくれました。
買いますか? コレ。」
「頼む、助けてくれ。
金ならいくらでも出す。」
「すみませんが、お金での商売はしていなんですよ……私。」
そう言うとパイルは契約書を目の前に突き出した。
「これは?」
混乱するニコレ子爵を嘲笑うかの様にパイルはゆっくりと説明する。
「簡単なコトです。
ニコレ家を私に下さい。
この毒消し草一瓶と子爵の地位を交換です。
安い取引でしょ。
皆死ねばどうせニコレ家はつぶれるんだから。」
「何を言っている……銅貨1枚で買える薬草と子爵を交換だと?」
そう言いながらも答えはもう出ていた。
そんな気持ちを見透かす様にパイルは頷く。
「いいですか、商売の神髄は時と場所ですよ。
ダブついている場所で安く仕入れ、不足している場所で高く売る。
確かに街では毒消し草は一瓶銅貨一枚だ。
だが貴方に街まで買いに行っている時間がありますか?
必要なのは今でしょ?
迷っていると全員死にますよ。」
そう言うとパイルはニコレ子爵に署名をさせた。
その瞬間、蒼い炎が子爵を包む。
「ふぅ、これで契約完了です。
さて救えるのは一人だけ。
誰を救いますか?」
「シフォンを頼む。」
グハッ
そう言うとニコレ子爵は息絶えた。
「かしこまりました。
シフォン様を救いましょう。
ジャガードなんぞにお嬢ちゃんは殺させない。
彼女を***のはこの私ですから……」
――数日後 ニコレ家邸宅――
「シフォン様、どこへ行かれるおつもりですか?」
ベットから起きようとするシフォンへパイルは声をかけた。
「お父様達の仇を取る。」
祭事用の短剣を握りしめてシフォンは声を荒げた。
(ふふっ、そんな切れない短剣で何をしようと言うのだ。)
込み上げる笑いを押さえながらパイルは一際深刻顔で説き伏せた。
「お気持ちは分かりますが、解毒はされたとは言えまだそのお体では。」
「ジャガードの奴、絶対に許さないっ。」
そう言ってシフォンはシーツを叩いた。
「ふぅ、困ったお方だ。」
パイルは使用人達を退室させるとベットの端へ腰かけた。
「仇を取りたいのですか?」
「当たり前だっ」
「本当の両親でもないのに?」
「……っ、何を」
驚くシフォンの頬に手を当てパイルは顔を近づける。
「ニコレ家に子供はいない。
成人前だから誰も気に掛けないが、本気で調べれば直ぐに分かる事。
お前はニコレ子爵の実の子ではない。」
「ちっ、違う。」
「では養子?
それも違う、跡取りを欲しいのなら別の人間にするだろう。
何故か?
それはお前が女だからだ。」
「ちっ、違う。」
「そんな変装、社交界にデビューすれば直ぐにバレる。
では何故ニコレ子爵家は女を子息としているのか?
それは何かから貴女を隠すためだ。違いますか?」
「そっ、それは……」
口ごもるシフォンにパイルは契約書を突き付けた。
「これはニコレ子爵が死に際に署名した書状です。
ここには私を貴女の後見人とすると書かれている。
つまりは貴女が成人するまでニコレ家は私の物と言う事です。」
「そんな事あるはずがない。」
シフォンはパイルの手を振り払うと短剣を抜いて突きつけた。
「何ですか?
私を後見人として認めないと?
貴女一人で子爵家を守れるのですか?
ジャガードへの復讐は?
ニコレ子爵が何故殺されたのか理由を御存知で?
ジャガードは必ず貴女を殺しに来ますよ。
伯爵相手にどう戦うおつもりですか?」
「そっ、それは……」
「ニコレ子爵は何故殺されたのか?
それは想いが軽いからですよ。
ジャガード伯爵の欲望は限りなく深い。
全てを搾取し尽くす程に……」
(この人は何かを知っている。)
「お父様は何をしようとしていたんだ?」
そう訊ねるシフォンの声が聞こえないかのようにパイルは遠い瞳を見せた。
「貴女はニコレ子爵の仇を取ると言うが、どれ程の熱量を持っているのか?
全てを捨てても構わない程の滾る想いがありますか?
でなければジャガードの深淵の欲は越えられない。」
そう言われシフォンは黙ってしまった。
(私にそれ程の想いがあるのだろうか?)
ニコレ子爵はこんな私をかくまい優しくしてくれた。
それは夢にまで見た愛であり、両親との優しい時間。
全てを投げうっても仇を取りたいと思った。
「あなたなら仇を取れるというのですか?」
警戒しながらも訊ねる。
「私ではない、シフォン様、貴女が仇を取るのですよ。」
「私が? でもどうやって」
「契約を結びましょう。
仇を取る力と貴女自身を交換です。
私を後見人と認め成人までの三年間私の指示に従いなさい。
そうすれば仇を取る力を上げましょう。」
(そんな事出来る訳がない。)
この得体の知れない予言者と契約などしたら何をされるか分からない。
心身共に凌辱されるかもしれない。
首を振るシフォンを挑発するようにパイルが訊ねる。
「やはり、自分が一番可愛いのですね。
ニコレ子爵達など所詮は捨て駒。
貴女はいつだって自分の手は汚さずに憐みだけを押しつける。」
(そんな事はない。)
ニコレ子爵への感謝の気持ちに偽りなどなかった。
シフォンの心に今まで感じた事がない炎が滾った。
「いいだろうパイル。
契約だ。」
シフォンは叫んだ。
「勇ましい事で……それでは契約の口づけをしましょう。」
(えっ、口づけ?)
シフォンは一瞬耳を疑った。
「聞こえなかったのですか? 契約の口づけと言いました。」
私は今まで口づけをした事は一度もなかった。
でもそんな事は言っていられないっ。
シフォンは意を決してギュッと瞼を閉じた。
「たっ……たかが口づけ、したければすればいい。」
「何を勘違いしている貴女からするんですよ。」
(えっ、私から?)
その言葉に思わず頬が赤くなる。
初めてのくちづけ。
それを女性の私からするなんて……。
「どうしました?
止めますか?
所詮、貴女の決意などその程度の……」
「うるさいっ、黙れ。」
シフォンはパイルの言葉を遮った。
(私は自分可愛さに恩を忘れるような人間にはなりたくない。
たかが口づけじゃない。大した事ではないわ。)
シフォンは震える体を押し殺し顔を近づけた。
「いくぞっ、動くなよ。」
口づけとも呼べないウブな少女の稚拙なふれあい。
その刹那、シフォンの体が蒼い炎に包まれる。
(これは?)
「これは契約の蒼い炎。
アカシックレコードを知っていますか?
全ての人間の脳には太古から繋いだ祖先の様々な記憶が眠っている。
そのどの経験を呼び覚ますかでその者の能力が決まるのです。
我が箱庭の一族は生命エネルギーと引き換えにその記憶の一部を呼び覚ます。
貴女の寿命は半分減りますが太古の記憶を呼び覚まして差し上げます。」
そう言うとシフォンの脳裏に走馬灯の様に宇宙の始まりから現在までの数多
の人類のビジョンが駆け巡った……意識が飛んで行く。
ゴクンッ ハァハァ
シフォンが混乱しているとパイルが呟いた。
「ほぅ、【ピュアリティ】ですか。
貴女は混合したモノを本来のモノに分ける能力が開花したようです。
お嬢ちゃん、今は眠りなさい。 あぁ、これはサービスです。」
そう言うとパイルはシフォンにもう一度口づけをした。
その瞬間、手にした祭事用短剣が光を放ち溶けていく。
「んぅ、何を?」
突然に唇を奪われ固まるシフォンの耳元で囁く。
「あの日の自分に感謝なさい、本来なら寿命の半分と引き換えなのですよ。
貴女の短剣が身代わりになってくれますよ。自分の命と引き換えに。
もっとも発動には処女の初キスが条件ですが。
先程の口づけでは不十分で発動しませんでしたから……。
あの日、勇気を出して冒険に踏み出しておいて良かったですね。
この短剣が無ければどうなっていたことか……ほらちゃんとして。」
そう言うと深く唇を誘った。
(こんな事……)
顔を赤らめながらシフォンは自分の意識が遠のいて行くのを感じた。
――数日後 ジャガード伯爵邸――
(あんな事どうってことない。)
シフォンはタフタ侯爵の到着を待ちながら、自分にそう言い聞かせた。
目の前には憎きジャガード伯爵が踏ん反り返って座っている。
この男へ復讐出来るのなら私のファーストキスなんてどうでもいい。
『何かを得たければ、何かを差し出せ。』
あの予言者は言った。
『クラウド フェル パイル』
この男は一体何者なのだろうか?
露店の商人で、凄腕の占い師?
私がニコレ家の子息でない事を突き止めた。
私が実は女であると言う事も……。
【ピュアリティ】あの日から私には不思議な能力が身についた。
混合したモノを本来のモノに分ける能力なのだという。
私はそっと隣りに座る鬼畜眼鏡を盗み見た。
見るとパイルは不適な笑みを浮かべて紅茶を啜っている。
ガチャ突然に部屋のドアが開きタフタ侯爵が入って来た。
タフタ侯爵、剣聖卿と呼ばれ武勇にて一代名誉爵位を授かりし人徳者。
正義感が強く、不正を毛嫌いしていることでも有名だ。
スラっとした顔立ちに鋭い眼光、スマートながら筋肉質な体つきをしており
侯爵と言うより歴戦の剣士と言った風貌だった。
この地域を統べる侯爵でジャガード伯爵やニコレ家の上席に位置する侯爵だった。
一同が慌てて起立するとタフタ侯爵は座る様に手振りをした。
「さて今回集まってもらったのはニコレ子爵夫妻の毒殺についてだ。
ジャガード伯爵、事件は貴公の邸宅内で起きている。
もはや関係がないとは言うまいな。」
その問いにジャガードはヘラヘラと笑みを浮かべながら答える。
「恐れながらタフタ様、事は私が不在中に起こった事。
ましてはニコレ子爵は私の大事な部下です。
私が殺す等あろう筈がございません。」
その言葉にシフォンは思わず立ち上がる。
「嘘だっ、コイツが紅茶に毒を入れたんだ。」
いきり立つシフォンを鼻で笑いながらジャガード伯爵は話し続ける。
「誤解されるのも無理ありません。
ですが私も大事な部下を殺され憤慨しております。
それで独自に調査をしていた所、興味深い密告がございました。」
「密告とな?」
「はい、当日そこの占い師が密かに我が屋敷内に忍び込み何やらしていたらしいのです。
私はこやつこそが毒を入れたのではないかと考えています。」
「ほう、その根拠は?」
「はい、この占い師は最近突然に街に現れニコレ家の客人として潜り込んでおります。
ニコレ夫妻の死後は後見人となり子爵の財産を管理する立場に。」
その言葉でシフォンは思わずパイルを見つめた。
確かにどうしてあの日、パイルはジャガード伯爵の家にいたのだろうか?
どうして毒消し草を持っていた?
(パイルは私達が毒殺される事を予言していたのでは?)
そう思って直ぐに首を振った。
もし私達が毒殺されるのを事前に予知していたのなら三人分の毒消しを持って来た筈。
(でももしニコレ家を乗っ取る為にわざと一人分だと偽っていたら……)
「パイルと言ったか、予言師だと言う事だが間違いないか?」
そう問いかけるタフタ侯爵へパイルは恭しくお辞儀をして見せた。
「お初に目にかかります。
タフタ侯爵様 予言師のクラウド フェル パイルと申します。」
「うむ、貴公が当日ジャガード伯爵邸に居たというのは本当か?」
「はい、おりました。」
「貴公はどうしてジャガード伯爵の邸宅にいたのだ。」
「それをお答えする前に一つの予言をいたします。」
「予言だと」
「予言?」
「予言?」
「はい、私の予言によれば毒殺に使用された毒がジャガード伯爵の書庫にあると。」
「そんな苦し紛れの偽予言誰が信じるものかっ」
ジャガード伯爵が声を荒げた。
タフタ侯爵はじっとパイルを見つめた後、手にした書類に視線を落とした。
「実は私の所にも密告があった。
パイル、ダマス、ノストラ、ダウト……これらの名前に身に覚えは?」
「……」
「その密告によると貴公は様々な名前で武道会の予言をして
最終的に当たった名前を名乗り希代の予言者を振る舞ったとある。
心当たりはあるか?」
「覚えておりません。」
「妙な事を言う。
武道会と言えば最近の事ではないか。
当時の関係者に面通しをすればこれらの人物達が同一人物だと直ぐに分かるのだぞ。」
それを観ていたジャガードは勢いづいた。
「はっ、やはりお前が犯人ではないか。
この詐欺師がっ。
タフタ侯爵様コイツを処刑にいたしましょう。
子爵殺しの犯人です。」
「パイルっ、何か申し開きがあるか?」
「タフタ侯爵様、ジャガード伯爵の書庫をお調べ下さい。
私が本物の予言師だと言う事を証明いたします。
使用した毒薬がある筈です。」
「あくまで自分は詐欺師ではないと言い張るのだな。
当日、ジャガード邸に居たのも予言の導きだとでも言うつもりかな。
いいだろう。
そこまで言うのならどうだ皆で書庫を見てみようではないか。」
そんな言葉にジャガードが慌てだす。
「それは困ります。タフタ侯爵。」
「なぜだ、まさか毒があるとでも?」
毒殺に使った毒を自分の書庫に隠すなど、そんな馬鹿な事をする訳がない。
だが、あそこの隠し部屋には見られてはならない不正の品の数々があった。
「なんと言いますか、その散らかっておりますので……」
ジャガードがそう言うとタフタ侯爵は楽しそうに微笑んだ。
「同じ領地を盛り立てる仲である。散らかりなど気にするな。
侯爵と言えども他人の書庫を調べるなど異例だが
罪人を死刑にするからにはパイルが詐欺師だと言う証拠も必要でな。
ここは一つ協力してくれ。」
そう言うと歩き出し、無理やり書庫を開けさせた。
「タフタ侯爵様、お待ち下さい。」
「う~ん、やはり毒薬など無いな……んっ、これは?」
そう言うと隠し扉を発見し次々と不正の品が露見した。
「これは何だっ、ジャガード。」
「そっ、それは……その」
その後は大変な混乱がジャガード邸を包み込んだ。
タフタ侯爵の怒号が飛び、ジャガード伯爵は拘束。伯爵剥奪も免れないと言う。
トントン
混乱の中でタフタ侯爵の部屋の扉がノックされる。
「なんだ、お前か」
タフタ侯爵は入って来た者に座る様に手振りした。
「こんな状況だ。紅茶の一つも出せないぞ。」
「いえ、直ぐにお暇しますので……」
そう言うとパイルは金貨がぎっしりと詰まった革袋を差し出した。
「何か勘違いしていないか?
金が欲しくて協力した訳ではない。」
「分かっております。タフタ侯爵様
今回はたまたま利害が一致しただけ……ですね。」
その言葉にタフタ侯爵は頷く。
「ジャガード伯爵が不正に民から搾取していた事は知っていた。
だが相手は伯爵。証拠を掴むのは難しい。」
「それで内偵をニコレ子爵へ依頼していた?」
「ああ、シフォン子息には気の毒な事をした。
まさかジャガードの奴が毒殺におよぶとは。」
「後ろめたく思うのならジャガード伯爵の土地をニコレ家へ下さい。
元々ニコレ家は伯爵を補佐する役目……
空席の伯爵領を代理で治めても不都合はありますまい。」
豪胆な要求にタフタ侯爵は驚いた。
「お前は一体何者なんだ偽予言師。
ジャガードや私へ密告したのはお前だな。」
「それを分っていて不正の証拠を掴む為に乗ったのはタフタ侯爵様です。」
「今回だけだ。次は無い。
お前も不正を行えば直ちに処罰する。」
そう言われたパイルの瞳が妖しく揺らめいた。
「今回はほんの御挨拶です。
私でお役に立てる事がありましたらいつでもお申し付け下さい。」
「いや、もう会う事はないだろう。」
そうタフタ侯爵は吐き捨てると目の前の革袋を掴み部屋を出て行った。
独り部屋に残されたパイルは指にはめた碧い指輪を見つめながら呟いた。
「いいえ、貴方はきっと連絡してきます。
〇◇□を救えるのは私達だけなのだから……」
数日後、私達は旧ジャガード領へ引っ越した。
ジャガード伯爵が断罪され空席になった職務を代理で埋める為である。
私は女に戻り、ニコレ家当主シフォンの姉と言う事になっている。
「それでお前の本当の名前は何と言うのだ?」
パイルに問われて少し私は少し躊躇した。
本当の名前を明かしても、きっと差支え等ないのだろう。
だってこの名前は幼少期にお母様にしか呼ばれた記憶なないのだから。
私の名前は『リプル』お母様はリプと呼んでいた。
皇女は子を産むと世界樹に命を捧げて人間界を魔界から守る人柱となる。
それが代々巫女姫として生まれた皇女の宿命だった。
お母様が去ってからは皆が私の事を巫女姫様と呼んだ。
リプルと呼ばれた事は一度も無い。
閉鎖された宮殿で限られた人々としか接触を持たず顔も見せない。
巫女姫という記号でしか呼ばれない私は生きた屍だった。
それを『あの人』は救い出してくれた。
私に救われた一族の恩返しだと言っていた。
(あの人はあの後、どうなったのだろう?)
「おいっ、聞いているのか?」
そんなパイルの声に私は現実に引き戻された。
「あぁ、リプルです。
ニコレ フォン リプル。」
「リプルか。
ではリプル。お前はドワーフ村へ行ってこい。」
「ドワーフ村ですか?」
「ああ、この地域ではミスリル鉱山がある事は知っているか?」
「いいえ。
ミスリルとは貴重な金属の事ですよね。」
「ああ、ジャガードの奴はそのミスリルを隣国のドワーフ達へ横流ししていたらしい。
タフタ侯爵にバレて流出は止められたがドワーフ達はその事実をまだ知らない。」
「それでどうして私がドワーフ村へ?」
「お前はジャガードの密使のフリをして交渉へ行ってこい。
秘密裏に別ルートにて引き続きミスリルの取引を続けると言うんだ。」
「そんな事をしても直ぐにバレるのではないのですか?
密輸なんて、タフタ侯爵が許すとは思えません。」
「ああ、だからチャンスは一回。
リプルはドワーフ達を騙しマジックミスリルを根こそぎ盗って来い。」
「マジックミスリル?
よく分かりませんがパイルさんが行けばいいのでは?」
「その間に私は偽のシフォンを調達してくるとしよう。
正真正銘、男のシフォンをな。」
そう言うとパイルは悪戯っぽく微笑んだ。
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