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第二部
すれ違う心Ⅱ
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準備が整ってレイ様の部屋の前へと案内されました。
お会いするのは祝賀会以来。
バクバクと大きな心臓の音がうるさいくらいに耳に響いてきます。部屋に入るだけで緊張するのは、レイ様に会うのが怖いから。こうやって部屋に招いてくださるのも今日限りかもしれません。
レイ様はこの国の王子です。
独り占めしているとは思いませんが、良くして頂いていることを当たり前だと思ってはいけない。
レイ様は誰でも選べる立場。
好きだからといって報われるとは限らない。報われることを望んではいけない。
何日もベッドの中で考えました。何度考えても同じところをぐるぐると回るだけで、希望を見出すことはできませんでした。
だって、レイ様が私のことを好きだとは思えなかったから。好きになってもらえる要素などどこにもないもの。
いよいよ扉が開きました。これが最後かもしれない。深呼吸をして、私は部屋の中に入っていきました。
挨拶をと身構えていた私の視界が陰ったと思ったら、シトラスの香りがふわっと鼻を掠めて、温かい体温に包まれました。
「あ、あの……レイ様?」
まだ二、三歩です。扉が閉まるのも待たずに駆け寄ってきた来たレイ様に抱きしめられていました。ただならぬ様子に困惑している私。
「挨拶を……」
「……いらない。もうしばらく、このままで」
くぐもった声が聞こえてきて、抱きしめていた腕に少しだけ力が込められたように感じました。言われる通り、もうしばらく、このままで。
レイ様の腕の中。
心地よさに慣れてしまった自分がいて、会えなくなったらどんな気持ちになるのかしら。当たり前だったものが当たり前でなくなる。悲しいのか、寂しいのか、どんな思いでレイ様の元を離れたらいいのか。
その時が来たら、笑顔で……せめて、笑顔で。
「ローラ。今日はゆっくりできるよね?」
抱きしめたまま、レイ様の声が降ってきました。
ゆっくり……
「はい」
「この前みたいに、急に帰るのはナシだよ」
「はい」
また、念を押されました。よほどショックだったのかしら。本当に申し訳なかったわ。
「仕事も絶対に入れないから」
「は……。いえ、仕事はしてくださっても」
仕事は大事ですから、緊急なものであれば仕方がありません。
「いやだ。今日の分は終わらせてるから、絶対に受け付けない」
駄々をこねる子供のようで、可愛らしいレイ様。
「わかりました。今日はゆっくりとお付き合いいたします。レイ様、よろしくお願いします」
最後かもしれないですものね。レイ様と一緒にいたいのは私の方だわ。ゆっくりと、時を刻むようにレイ様との時間を慈しむように大切にするわ。
「うん。約束だからね」
「はい」
私の返事にホッと安心してくださったのか、やっと、腕の中から解放されました。
人肌の体温がなくなった体にちょっとだけ淋しさを感じてしまいましたが、それもまた贅沢な事だったのだと思い直しました。
♢♢♢♢♢♢♢♢
「体はもう大丈夫?」
レイ様の腕に手を添えて庭園をゆっくりと散策していると気遣ってくださいます。
「はい、すっかりよくなりました。ご心配かけて申し訳ありません。それから、お見舞いの品をありがとうございました」
「たいしたものでなくてごめんね。何がいいかわからなくて……先日のハンカチを思い出して、お礼も兼ねてそれにしたんだ」
「百合の刺繍がまるでお手紙をいただいた時のようで、とても元気づけられました。ありがとうございました」
サリーが『ハンカチの色がお嬢様の瞳の色と同じですね』って言っていたわ。たまたまだったのかもしれないから、都合のいい夢は見たらいけない、そう思いつつも深読みすれば、私の瞳に映る百合を模したものなのかしら? なんて想像してみたりして……ありえないことを、勝手に自己満足な夢を見ていました。それが精神的な支えでした。
百合は私にとってとても大事な花になりました。
プレゼントされたハンカチは今も箱の中。とてもじゃないけど使えないわ。部屋の棚に大切に飾って毎日眺めています。
「そう思ってくれると嬉しい。食事は? ちゃんと食べてる? 眠れてる?」
顔を覗き込むレイ様に
「食べてますよ。睡眠も十分です」
健康診断でも受けてるかのような質問を受けて、苦笑いしました。
「よかった。夕食一緒に食べよう。シェフ達も張り切っているって聞いているから、楽しみにしてて」
「夕食?」
「ダメだった?」
怪訝そうにした私を見たレイ様の顔が曇ってしまいました。そういうつもりではなく……私は慌てて否定しました。
「違うのです。夕食もご一緒できるのだなあっと思っただけですよ」
嬉しくて。私のために、時間を取って下さるのが嬉しくて。
「よかった。帰ると言われたらどうしようかと思った」
安心したように息を吐いた様子にトラウマにさせてしまったのかもと申し訳ない気持ちになりました。
あの時の自分の気持ちを打ち明けたら、レイ様はどんな顔をするのかしら。きっと、困らせてしまうわね。
「大丈夫ですよ。夕食楽しみにしています」
これが最後かもしれません。
時間をかけて庭園を回りながら、レイ様との会話を楽しみました。
もう少し、もう少し、ゆっくりと時間よ、過ぎていって。いえ、時間よ、止まって。願っても、楽しい時間はあっという間で、無情に過ぎていきました。
お会いするのは祝賀会以来。
バクバクと大きな心臓の音がうるさいくらいに耳に響いてきます。部屋に入るだけで緊張するのは、レイ様に会うのが怖いから。こうやって部屋に招いてくださるのも今日限りかもしれません。
レイ様はこの国の王子です。
独り占めしているとは思いませんが、良くして頂いていることを当たり前だと思ってはいけない。
レイ様は誰でも選べる立場。
好きだからといって報われるとは限らない。報われることを望んではいけない。
何日もベッドの中で考えました。何度考えても同じところをぐるぐると回るだけで、希望を見出すことはできませんでした。
だって、レイ様が私のことを好きだとは思えなかったから。好きになってもらえる要素などどこにもないもの。
いよいよ扉が開きました。これが最後かもしれない。深呼吸をして、私は部屋の中に入っていきました。
挨拶をと身構えていた私の視界が陰ったと思ったら、シトラスの香りがふわっと鼻を掠めて、温かい体温に包まれました。
「あ、あの……レイ様?」
まだ二、三歩です。扉が閉まるのも待たずに駆け寄ってきた来たレイ様に抱きしめられていました。ただならぬ様子に困惑している私。
「挨拶を……」
「……いらない。もうしばらく、このままで」
くぐもった声が聞こえてきて、抱きしめていた腕に少しだけ力が込められたように感じました。言われる通り、もうしばらく、このままで。
レイ様の腕の中。
心地よさに慣れてしまった自分がいて、会えなくなったらどんな気持ちになるのかしら。当たり前だったものが当たり前でなくなる。悲しいのか、寂しいのか、どんな思いでレイ様の元を離れたらいいのか。
その時が来たら、笑顔で……せめて、笑顔で。
「ローラ。今日はゆっくりできるよね?」
抱きしめたまま、レイ様の声が降ってきました。
ゆっくり……
「はい」
「この前みたいに、急に帰るのはナシだよ」
「はい」
また、念を押されました。よほどショックだったのかしら。本当に申し訳なかったわ。
「仕事も絶対に入れないから」
「は……。いえ、仕事はしてくださっても」
仕事は大事ですから、緊急なものであれば仕方がありません。
「いやだ。今日の分は終わらせてるから、絶対に受け付けない」
駄々をこねる子供のようで、可愛らしいレイ様。
「わかりました。今日はゆっくりとお付き合いいたします。レイ様、よろしくお願いします」
最後かもしれないですものね。レイ様と一緒にいたいのは私の方だわ。ゆっくりと、時を刻むようにレイ様との時間を慈しむように大切にするわ。
「うん。約束だからね」
「はい」
私の返事にホッと安心してくださったのか、やっと、腕の中から解放されました。
人肌の体温がなくなった体にちょっとだけ淋しさを感じてしまいましたが、それもまた贅沢な事だったのだと思い直しました。
♢♢♢♢♢♢♢♢
「体はもう大丈夫?」
レイ様の腕に手を添えて庭園をゆっくりと散策していると気遣ってくださいます。
「はい、すっかりよくなりました。ご心配かけて申し訳ありません。それから、お見舞いの品をありがとうございました」
「たいしたものでなくてごめんね。何がいいかわからなくて……先日のハンカチを思い出して、お礼も兼ねてそれにしたんだ」
「百合の刺繍がまるでお手紙をいただいた時のようで、とても元気づけられました。ありがとうございました」
サリーが『ハンカチの色がお嬢様の瞳の色と同じですね』って言っていたわ。たまたまだったのかもしれないから、都合のいい夢は見たらいけない、そう思いつつも深読みすれば、私の瞳に映る百合を模したものなのかしら? なんて想像してみたりして……ありえないことを、勝手に自己満足な夢を見ていました。それが精神的な支えでした。
百合は私にとってとても大事な花になりました。
プレゼントされたハンカチは今も箱の中。とてもじゃないけど使えないわ。部屋の棚に大切に飾って毎日眺めています。
「そう思ってくれると嬉しい。食事は? ちゃんと食べてる? 眠れてる?」
顔を覗き込むレイ様に
「食べてますよ。睡眠も十分です」
健康診断でも受けてるかのような質問を受けて、苦笑いしました。
「よかった。夕食一緒に食べよう。シェフ達も張り切っているって聞いているから、楽しみにしてて」
「夕食?」
「ダメだった?」
怪訝そうにした私を見たレイ様の顔が曇ってしまいました。そういうつもりではなく……私は慌てて否定しました。
「違うのです。夕食もご一緒できるのだなあっと思っただけですよ」
嬉しくて。私のために、時間を取って下さるのが嬉しくて。
「よかった。帰ると言われたらどうしようかと思った」
安心したように息を吐いた様子にトラウマにさせてしまったのかもと申し訳ない気持ちになりました。
あの時の自分の気持ちを打ち明けたら、レイ様はどんな顔をするのかしら。きっと、困らせてしまうわね。
「大丈夫ですよ。夕食楽しみにしています」
これが最後かもしれません。
時間をかけて庭園を回りながら、レイ様との会話を楽しみました。
もう少し、もう少し、ゆっくりと時間よ、過ぎていって。いえ、時間よ、止まって。願っても、楽しい時間はあっという間で、無情に過ぎていきました。
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