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第二部
ビビアンside⑮
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「ヒッ」
後ろから声にならない小さな悲鳴が聞こえた。
フローラ? 誘拐? 未遂? 重要参考人? エマ?
騎士から聞かされた内容が消化できず、頭の中をぐるぐる回る。読み上げた書状をコートの内ポケットにしまった騎士が後ろに控えていた騎士達に合図を送った。
「い、いや、ちが……あ、あっ……」
言葉にならない声を出し、後ずさるエマ。靴のかかとが絨毯にひっかかって尻もちをついてしまった。頭を左右に振りながらなおも逃れようと必死に体を動かしている。
「エマ」
恐怖で腰を抜かして立てないのだろうと思い助け起こそうと腰を浮かせると
「ビビアン。やめなさい」
お父様の制する声が飛んだ。青白い顔をしたお父様の目は余計なことはするなと訴えていた。ただ、わたくしのメイドを助けたかっただけなのに。仕方なく椅子に座り直した。
「エマ・ウィルソンだね」
目の前まで近づいた騎士達。エマの顔にスッと影が差して、名前を呼ぶ声がした。
「えっ……あ、い、やっ……」
追い詰められてしゃべることさえできぬほどガタガタと震えるエマの身体。
「連れていけ」
冷然な声が響き、若い騎士達がエマの両脇を抱えて身体を起こして立たせた。支えられてやっと足を地につけるエマ。
「い、いや。わ、わたし、は……」
引きずられるように連れていかれるエマをどうすることもできない。お父様達は成り行きを見守っているだけ。
何が起きているのかさえ把握できていない。何をどうすればよいのか……
「お嬢様……」
部屋から出て行く瞬間、振り返って助けてと言わんばかりに、すがるような悲愴な目でわたくしを見たエマ。
黙って連れ去られるのを見ることしかできなかったわたくし。今のわたくしに何ができたのだろうか。
「シュミット公爵閣下、ご協力感謝いたします。それではこののち、呼び出しがありました際には、可及的速やかにご登城なさいますようにお願い申し上げます」
「ああ、承知した」
「では」
残っていた年上の騎士がお父様に敬礼をして部屋を去って行った。
いったい、何が起きたのか。何故、エマが連れていかれたのか。いったい、何が起きたの?
一瞬にして、天国から地獄へ落ちた気分。
シンと静まり返った部屋の中。深い深い沈黙が落ちる。
「お父様、いったい、何があったのですか?」
強張った空気が緩み始めた頃、状況を聞くために口を開いた。
「数週間前にフローラ・ブルーバーグ侯爵令嬢の誘拐未遂事件が起きた。その時の犯人の盗賊達は全員捕まり、捜査が行われていたんだ」
「知らなかったわ」
誘拐未遂なんて重大な事件。噂一つ流れてこなかった。
「厳重な緘口令が敷かれ秘密裏に捜査が行われていたようだからな。わしたち、大臣でも聞かされたのはレイニー殿下とフローラ嬢の婚約のあとだった。事前に明かされれば殿下との婚約に水を差すことになる。そこを憂慮しての事だろう」
レイニー殿下とフローラの婚約。
心の奥がズキっと痛んだけれど過ぎたことよ。そう思い直すと心に蓋をして話を進めた。
「でも、何故、エマが?」
「犯人の供述に共犯をうかがわせるような疑わしいことが出たらしい。それで、取り調べをすると騎士が言っていた」
「共犯?」
フローラの誘拐にエマがかかわっているですって? そんな……
「ああ。そなたが一番そばにいたのだから、最近のエマの言動におかしな点とか不審な点とか気づくところとかなかったのか?」
「そんなのあるわけありませんわ。エマはずっと変わらず、いつものエマでしたわ」
そうよ。わたくしの世話に献身的で忠実なわたくしのメイド。
わたくしの話を熱心に聞いてくれて、笑ってくれたり悲しんでくれたり、時には怒ってくれる。そんな心優しい人。
わたくしの話? まさか、そんなはずはないわよね。
「そうか……」
落胆したのかホッとしたのか、複雑な表情で嘆息したお父様。お母様は口を引き結んでテーブルを見つめていた。
「なに。うちのメイドが誘拐事件にかかわるなどとそんな大それたことをするはずはない。すぐに容疑が晴れて釈放されるだろう。二、三日もすればエマも帰ってくるだろうから、ビビアンもあまり力を落とさないようにな」
わたくしの肩をポンポンと軽く叩いたお父様は明るい口調で元気づけてくれた。
そうよね。お父様の言う通り。何かの間違いよ。きっと、人違いなのよ。
そうよ、すぐに帰ってくる。その時は温かく迎えてゆっくりと休ませてあげるわ。
エマの笑顔を思い出しながら、訪れてほしいその日を想像する。言い知れぬ不安に押しつぶされそうになる気持ちを奮い立たせて、わたくしは無実である可能性に追い縋った。
後ろから声にならない小さな悲鳴が聞こえた。
フローラ? 誘拐? 未遂? 重要参考人? エマ?
騎士から聞かされた内容が消化できず、頭の中をぐるぐる回る。読み上げた書状をコートの内ポケットにしまった騎士が後ろに控えていた騎士達に合図を送った。
「い、いや、ちが……あ、あっ……」
言葉にならない声を出し、後ずさるエマ。靴のかかとが絨毯にひっかかって尻もちをついてしまった。頭を左右に振りながらなおも逃れようと必死に体を動かしている。
「エマ」
恐怖で腰を抜かして立てないのだろうと思い助け起こそうと腰を浮かせると
「ビビアン。やめなさい」
お父様の制する声が飛んだ。青白い顔をしたお父様の目は余計なことはするなと訴えていた。ただ、わたくしのメイドを助けたかっただけなのに。仕方なく椅子に座り直した。
「エマ・ウィルソンだね」
目の前まで近づいた騎士達。エマの顔にスッと影が差して、名前を呼ぶ声がした。
「えっ……あ、い、やっ……」
追い詰められてしゃべることさえできぬほどガタガタと震えるエマの身体。
「連れていけ」
冷然な声が響き、若い騎士達がエマの両脇を抱えて身体を起こして立たせた。支えられてやっと足を地につけるエマ。
「い、いや。わ、わたし、は……」
引きずられるように連れていかれるエマをどうすることもできない。お父様達は成り行きを見守っているだけ。
何が起きているのかさえ把握できていない。何をどうすればよいのか……
「お嬢様……」
部屋から出て行く瞬間、振り返って助けてと言わんばかりに、すがるような悲愴な目でわたくしを見たエマ。
黙って連れ去られるのを見ることしかできなかったわたくし。今のわたくしに何ができたのだろうか。
「シュミット公爵閣下、ご協力感謝いたします。それではこののち、呼び出しがありました際には、可及的速やかにご登城なさいますようにお願い申し上げます」
「ああ、承知した」
「では」
残っていた年上の騎士がお父様に敬礼をして部屋を去って行った。
いったい、何が起きたのか。何故、エマが連れていかれたのか。いったい、何が起きたの?
一瞬にして、天国から地獄へ落ちた気分。
シンと静まり返った部屋の中。深い深い沈黙が落ちる。
「お父様、いったい、何があったのですか?」
強張った空気が緩み始めた頃、状況を聞くために口を開いた。
「数週間前にフローラ・ブルーバーグ侯爵令嬢の誘拐未遂事件が起きた。その時の犯人の盗賊達は全員捕まり、捜査が行われていたんだ」
「知らなかったわ」
誘拐未遂なんて重大な事件。噂一つ流れてこなかった。
「厳重な緘口令が敷かれ秘密裏に捜査が行われていたようだからな。わしたち、大臣でも聞かされたのはレイニー殿下とフローラ嬢の婚約のあとだった。事前に明かされれば殿下との婚約に水を差すことになる。そこを憂慮しての事だろう」
レイニー殿下とフローラの婚約。
心の奥がズキっと痛んだけれど過ぎたことよ。そう思い直すと心に蓋をして話を進めた。
「でも、何故、エマが?」
「犯人の供述に共犯をうかがわせるような疑わしいことが出たらしい。それで、取り調べをすると騎士が言っていた」
「共犯?」
フローラの誘拐にエマがかかわっているですって? そんな……
「ああ。そなたが一番そばにいたのだから、最近のエマの言動におかしな点とか不審な点とか気づくところとかなかったのか?」
「そんなのあるわけありませんわ。エマはずっと変わらず、いつものエマでしたわ」
そうよ。わたくしの世話に献身的で忠実なわたくしのメイド。
わたくしの話を熱心に聞いてくれて、笑ってくれたり悲しんでくれたり、時には怒ってくれる。そんな心優しい人。
わたくしの話? まさか、そんなはずはないわよね。
「そうか……」
落胆したのかホッとしたのか、複雑な表情で嘆息したお父様。お母様は口を引き結んでテーブルを見つめていた。
「なに。うちのメイドが誘拐事件にかかわるなどとそんな大それたことをするはずはない。すぐに容疑が晴れて釈放されるだろう。二、三日もすればエマも帰ってくるだろうから、ビビアンもあまり力を落とさないようにな」
わたくしの肩をポンポンと軽く叩いたお父様は明るい口調で元気づけてくれた。
そうよね。お父様の言う通り。何かの間違いよ。きっと、人違いなのよ。
そうよ、すぐに帰ってくる。その時は温かく迎えてゆっくりと休ませてあげるわ。
エマの笑顔を思い出しながら、訪れてほしいその日を想像する。言い知れぬ不安に押しつぶされそうになる気持ちを奮い立たせて、わたくしは無実である可能性に追い縋った。
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