スリーピング・サーガ~世界が眠りに堕ちる前に~

秋月流弥

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第3章:【世界で一番働き者の爪の垢】

18.誘惑

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「初日のわりによくやったな。お前らはあがっていいぞ。屋敷の奥に風呂があるから先に入ってこい」
「ディルたちは休まないのか」
「休む?  バカを言え。これからが真骨頂じゃねェか。夜中の原稿作業、体力的精神的にすり減らされた自分がどれだけ限界に挑んでいけるか」

ふふふふふ……。

不気味に笑う危ない集団がそこにいた。
夜中も眠らず原稿を進めるとは恐れ入った。


お言葉に甘え作業室を出て風呂場に向かう。
長い板張りの廊下を進んでいくと奥に風呂場があった。男湯と女湯の暖簾がそれぞれかけられている。
「じゃあごゆっくり」
「早くあがった方は先に戻ってるということで」
「了解~」

マースと別れ暖簾をくぐると脱衣場があった。

「おお!  露天風呂!」
脱衣場を後にしスライド式の扉を開けると風呂はなんと外にあった。

「話で聞いたことがあるものの、実際入るのは初めてだな……」

湯につかりふうっと息を吐く。
温度はちょうど良い。湯船には柑橘類か黄色い果実がぷかぷかと浮かんで芳しい香りがした。

夜空には星が煌めき吹く風は涼しく今日の疲れを吹き飛ばしてくれる。

「しかし変わってるんだよな、ここ」

テツヤ村に来た時から思ったがここはどの国や町より変わったなものが多い。レンガでない家に変わった木、そしてこの露天風呂。
独特の文化を感じさせた。


「あーそれ【ジャパニカ】の影響だと思う」
風呂からあがりディルに聞いてみると彼は答えた。
「ジャパニカ?」
「極東にある島国さ。伝説の漫画大国といわれててな、大昔テツヤ村の住民がジャパニカを訪れた際感銘を受けて村にジャパニカの文化を催したらしい。家の屋根に瓦カワラ。庭の木に松マツ。露天風呂には柚ユズを浮かべる、といった感じで。ちなみにお前らが着てるそれは着物キモノな。風呂あがり用の簡易的なやつだけど」

「へえ~面白いなその文化」
「趣のある国ですねー。旅行とか行ったら楽しそう」

ね~。ほかほか。

二人でのほほんと花を飛ばしていると「気が散るからやめれ」とディルがぺしぺし浮かんだ花を落とす。
「それよかはよ寝ろ。朝も早いから」


仮眠室はそこな。
ディルが指差す方にはドアが横に二つ並んだような扉がある。
木製ではなく厚い紙でできたようなそれは、
「襖フスマだ。横にずらせば開く」
椅子から立ちあがり二人の前に立ちフスマを開けてくれる。

部屋の中にマットレスらしきものが詰めるように敷かれていた。

「なにこれマットレス?」
「布団フトン知らねえのか?  お前らどうやって寝てんだよ」
「いや普通にベッド……」
「ベッドか。よくあんな落ち着かないので寝れるな。畳タタミの良さを知ったらもうあれで眠れないぜ」

タタミ?  
この緑の床のことか。
たしかにほのかに芳ばしくどこか懐かしい良い香りがする。

「皆で布団くっつけて寝る“雑魚寝”もいいもんだぜ。大人数で寝るとイビキや歯ぎしりで悲惨なことになるけど。今日はお前ら二人だけだから静かだろ」


それじゃおやすみー。


ぴしゃん!  と足でフスマを閉められた。

とたん闇。


「うわ暗っ」

「何か灯りになるもの……」

突然暗くなった視界に思わずマースの裾を掴んでしまう。

「っ」

一瞬彼の身体が小さく跳ねた。



マースは片腕でダミ子を支えながら空いた片腕で闇のなかを掻き分ける。空を這う手が二、三回闇を彷徨うと上から垂れる紐に当たった。

「……あ、これかな」

引っ張ると朝の夜明けを思わせるようなぼんやりとした淡い光が上で灯った。

「なにからなにまで違う文化だな」

マースからぱっと離れダミ子はさっそくフトンの一つにもぐり込む。
「うむ、寝心地は悪くない」
「そうですか」
「ベッドから落ちる心配もないしいいなこれ。畳タタミの香りも好ましい。癒される」
「それはよかった」
「しかし今日は慣れないこと続きで疲れたな。慣れてよかったものの明日も早い。疲れがとれればいいんだが」
「そうですね……」

「どうしたマースくん?」

返事をするマースはどこか気まずそうに落ち着かない様子をしている。

「えっ?」

「さっきから生返事ばっか。それにいつまでフトンの前で立っている」

ポンポンと隣のフトンを叩く。

が。彼はうつむくばかりでフトンに入ろうとしない。
薄暗くてよく分からないが少し顔が赤い気がする。
「大丈夫か?  顔が赤いぞ」
「あ、いえ大丈夫です……ていうか、なんか……その、これってこの位置のまま寝るんですかね」
「?  そりゃ並べてあるのを乱す必要もないだろ」
「で、ですよね。でもちょっとフトンとフトンの距離が近いっていうか……その、」

「!」

ははーん?

そういうことか。



「思春期だな。照れてるのか」

「なっ!  いや別にやましいこととか考えてるんじゃなくてっ」


赤面して首を振る助手の姿。


慌てふためく彼が可愛く面白くてダミ子の意地悪モードのスイッチがONになる。


「なんなら一緒のフトンで寝るか?」


未だフトンに入ろうとしないマースにダミ子はフトンから出て彼の前に立ちあがる。

そのままゆっくりと戸惑う彼の首に優しく腕を絡める。


「え……」


近くなる距離。

輪郭をなぞるように顎から頬にかけて撫でる。時折指にあたる髪は滑らかで心地好い。


「……」

眼鏡を外しているため彼の輪郭がボヤけている。

着物ごしに伝わる彼の体温は高い。触れる頬も熱い。

「えっいや、ダミ子さん……それは、だって、ダミ子さんにはセージ殿がいるし……だから、」

「……」

吐息が唇にかかる。
触れあうまで数センチ。

「ダミ……っ」

「動物と一緒に寝るのって楽しそうだよな」


「えっ?」

「マースくんがネズミに変身すればぬいぐるみと同じ安心感を得られそうだな」
ニンマリと笑うダミ子にマースは豆鉄砲喰らった鳩よろしく呆けた顔をした後、次は茹でダコのように顔を真っ赤に染めた。
「からかったでしょう!」
「初々しくて眼福だったよ。ごちそうさま」
「本当に、本当に焦ったのに!」
「動物と一緒に寝たいのは本当だよ。おいで。枕元くるか?」
「もうノせられませんよ」
隣のフトンに入りマースはそっぽを向いて横になる。

あちゃー、怒っちゃったか。

「マースくん」
「……」
ダミ子は黙りこむ助手の背中を見つめ言う。

「なにかあったのならいつでも聞くからな」

ネムーニャのことで彼が何かを抱え込んでいるのは今朝の反応でわかった。


それでも“なんでもない”と笑ってしまう君だから力になりたいと思った。

穏やかで誰にでも優しい笑顔を向けるのに、同時に不安定さや危うさを抱える君を支えたいと思っている。

「無理には聞かないけどさ、助手が困っているときに頼りにされないのは切ないかな」

意地をはる背中に声をかけるとその背中がぴく、と動いた。


「……また、話します」

「うん。そのとき聞くね」

「おやすみなさい……」

「おやすみ」


それからお互い話すことなく二人は眠りに落ちた。

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