花の簪

ビター

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箱庭 2

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 塔へは、いつ姫さまをお連れしようか。 
 わたしは姫さまの歌に合わせてウードを弾きながら考えた。
 地平線から昇る、まばゆい朝焼けもいい。日没から星が煌めく夜半も美しい。昼の賑やかさもまた。 
 見ていただきたいものが、たくさんある。ここを好きになってほしい。わたしはそう思った。
 姫さまは未だ部屋からお出になることに、乗り気ではないらしい。外出によい日を尋ねても口をつぐむか聞こえないふりをする。
 他の者たちと、顔を会わせたくないらしい。
 だから、できることなら姫さまをほかのお妃さまたちともお引き合わせしたい。 
 姫さまの歌声を披露できたら、どんなにか驚かれるだろう。いちど耳にしたならば、きっと姫さまを見る皆の目は変わってくる。姫さまの歌声は、かならずや皆を虜にするだろう。そうなれば姫さまご自身も、後宮での居場所を持てる。……王もまた姫の部屋まで足を運んでくださるかも。
 今日は居室のひさしの下で、姫は歌っている。長い髪は侍女に梳かれ、つややかな射干玉の黒髪は日の光をはじく。姫のお顔をいつしか見慣れたわたしには、切れ長の瞳から神秘性を感じるようになった。初めて見た時の印象はすでに塗り替えられた。
 お連れするには、もとより夜は無理であろう。姫さまは王のものだ。あらぬ疑いをかけられてはならない。では、朝はどうだろう。侍女が言うには、姫さまはあまり朝はお強くないらしい。ただ、ちかごろは以前より早めに起きて、身支度をされるそうだ。昼は……最近の街は姫さまにお見せするには、いささか物騒ではないか。
 まえよりは大人しくなったようだが、相変わらず寄せ集めの無法者たちは我が物顔で闊歩している。それに反して商人や町民は活気を失っているように見える。しなびた果物や野菜、店先の魚や肉はめっきり数を減らしている。閑古鳥の泣く酒場、宿屋の駱駝や馬を留めておく中庭は空っぽで飼葉桶は裏返されたままだ。 
 やはり、通行税を高くしたからだろうか。噂に聞くに、近隣のオアシスも足並みを揃えているらしい。王が頻繁に酒宴に招いていた領主のオアシスばかりなのが気にかかる。民人たみびとは、王は東からおとがめを受けはしないか、と不安げにささやく。
 もし、姫さまの母国との関係にひびが生じたなら、姫さまは……。
 歌い終わった姫さまは杯を手に取り、喉を潤した。
 侍女が姫さまに扇で風を送る。今日の姫さまは、丸首の襟周りから胸のあたりまで金糸で草花が刺繍されたゆったりしたブラウスに、紅色のふわりとしたスカートをお召しになっている。わずかにのぞくつま先が赤く塗られているのが愛らしい。
 侍女に玻璃の杯を差しだし、お代わりを求める。ことのほかご機嫌がよろしいようだ。
「近いうちに、東からの視察団がいらっしゃるようです」
「なにか知らせでもありましたか」
 わたしの問いかけに、侍女はわずかに目を泳がせて、ぎこちなくうなずいた。
「ええ、その、書状が……ああ、一の妃さまから柘榴を頂いておりました。お持ちしますね」
 そう言って水差しを抱え控えの間にさがって行った。
 知らせは東の隊商が運んできてくれるのかも知れない。けれど、最近はめっきり東の者たちは見かけないと聞いていたけれど。首をひねるわたしに姫が一人ごとのようにつぶやいた。
「むかし、みたい」
 杯とウードを交換すると、姫さまは懐かしむように微笑まれた。
「お国にいらしたときのようですか」
 侍女の言葉に姫はうなずいた。姫が奏で始めた調べは、わたしがまだ知らないものだった。
「にいさん弾く、ねえさん、わたし歌う」
 恐らくは故国ではきょうだい揃って、歌っていたのだろうと容易に想像できた。姫さまの年齢からして姉ぎみ、兄ぎみはすでに二十歳を超えていると思われる。
「おふたかたは、今はどうお過ごしですか」
 姫はいちどわたしを見てから、手元を見つめた。紡ぎだす音は、異国の香りがする。
「ねえさん、遠いところへ。にいさん、遠いところへ」
 胸がどきりとした。遠いところ、という表現に。もしやお二人は、すでに亡くなっているのか。
「すみません、お許しください。口がすぎました」
 思わず平伏したわたしの耳の近くで、じゃらん、と弦がかき鳴らされた。
 とん、と肩を叩かれた。恐る恐る顔を上げると、姫さまはいつもと変わらないお顔をされていた。
「ねえさん、遠く、お嫁。にいさん、遠く、馬で」
「……姉ぎみさまは、遠くにお嫁にいかれて、兄.ぎみさまは、遠くのどこかへ馬で旅立たれましたか?」
 こくん、と姫はうなずかれた。
 わたしは安堵の溜め息をもらした。亡くなっているわけではなかったのだ。
「さんにん、遠い」
 さんにんのきょうだいは、みな遠く離れているのだ。姫さまは空をみあげた。この空の遠くに、姫さまの姉ぎみと兄ぎみはいらっしゃる。
「いま、むかし、みたい」
「そうなのですか?」
 姫は元気よくうなずくと、わたしと皿一杯の柘榴を運んできた侍女とを順番に指さした。
「ねえさん、にいさん」
 ふっと、わたしと侍女は顔を見合わせた。思わずお互いに顔を見合わせた
 侍女が姉ぎみさま、わたしが兄ぎみさま、そして姫さま。誰となく、笑い声がもれた。
 王の訪れない部屋に、わたしたち三人。じぶんたちだけで小さな王国を作っているかのようだ。
「光栄にございます」
 わたしと侍女の芝居がかったお辞儀に、姫は鷹揚にうなずいたあと、可愛らしい笑い声を響かせた。
 みちがえるほど、生きいきとふるまう姫さまの姿に、わたしと侍女がどれほど嬉しくなったことか。

 安らかに日々は過ぎていくように思えた。

 あの日、王が憤怒の形相で生首を投げ込むまでは。

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