狩りの時間

ビター

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 自動航行の宇宙船のなかで、ルキノはアレッシオのようすを見守っていた。
 アレッシオはコールドスリープ状態で繭のような銀色の生命維持カプセルの中だ。
 顔は紙のように白く、かすかに開いた口に拭き残した吐瀉物の緑色がひどく目立つ。
 いちばん近いといってもムルクステーションまでは四時間かかる。ルキノは狭い船内で膝を抱えた。防疫服の衣擦れの音とケースからの低いうなり音だけがあった。


「早く脱いで」
 医務室へ入ると、ルキノは躊躇なく服をすべて脱いだ。服を脱ぎ捨てたルキノの裸をガンダロフォは棒立ちになって数秒間みつめた。
 ルキノは舌打ちすると、かまわず先にシャワールームへ入り全身の消毒をした。その間に、アレッシオは医療ロボットから応急処置を受けている。
 吐き戻したものを喉に詰まらせないように、体を横に向けられて採血や検温・心拍数・脈拍・血圧のデータが取られる。それはそのままシャワールームのモニターでも確かめられる。
 シャワーと乾燥がすむと、ルキノは専用の下着をつけて防疫服を着た。頭から足のつま先まですべてを覆う。それはこのまま、最小限の隔離室だ。ルキノは感染の疑いが晴れるまで着続けなくてはならない。
 アレッシオは苦しそうに体を折り曲げる。ルキノはバイタルを確かめてから、アレッシオを病衣に着替えさせようと医療用の鋏で服を裂いた。
「な……!?」
 作業着を切り開き肌を晒したアレッシオの腹は不自然なほど膨れていた。以前見たアレッシオの体は細く腹など出ていなかった。
「どういうことなんだ」
 ルキノは思わずガンダロフォを見たが、ガンダロフォもまた青白い顔のままで立ちすくんでいた。
「ガ……ガンダロフォ……さん」
 アレッシオが苦しげにガンダロフォに手を伸ばす。アレッシオに病衣を着せようとするルキノを押し退けて、ガンダロフォがベッドの横にひざまずいた。
「離れて、感染のおそれが」
 ガンダロフォはルキノをねめつけた。
「どうせ俺はこのまま隔離されるんだろ?  少しでいい、二人で話をさせてくれ」
 ガンダロフォがアレッシオの手を両手で包むと、アレッシオの瞳はつかのま輝きを取り戻した。
「少しだけですよ」
 ルキノは二人から離れ、バイタルのモニターを確かめてから、事務室のギルに連絡を入れた。
「ステーションの医師に診てもらうべきです。船をお願いします。こちらの処置がすみ次第……そうですね一時間後には」
 ギルはすぐに船をスタンバイさせると返答してくれた。ルキノは背後の二人を伺った。ガンダロフォはアレッシオの頭を愛しげに抱き、耳元で何かをささやいている。
 苦しげに涙ぐむアレッシオは何度もうなずき、ガンダロフォの言葉を必死に聞き取っているように見えた。
 と、アレッシオの顔が固まった。まるで動作途中で電源を切られた人形のように。
「愛してるよ」
 ガンダロフォはアレッシオの額に口づけると立ち上がった。
「よろしく頼む。シャワーを浴びればいいのか」
「ええ、終わったらそこの棚の服に着替えて奥の隔離室へ」
 アレッシオは片手で顔を覆っていた。その指はかすかにふるえていた。


 ガンダロフォは今、医務室内の隔離室にいる。アレッシオが帰るまで、隔離室で待っていると言った。
 あれきり二人とも言葉を交わすことはなかった。
 もっとも、すぐにコールドスリープの処置を取ったためだけれど。
 今のところ、アレッシオからは感染症の症状は見て取れない。ただ、血圧も体温も低下している。コールドスリープで病状は止められているが、治療が始まったときに一気に悪化しなければいいが。
 そこまで高度な医療技術も知識もルキノにはない。ステーションの医師に任せるしかないのだ。
 窓の外に闇に浮かぶステーションが見えてきた。ステーションはドーナツ状の建築物が、円柱を中心に何層にも重なり交差している。まるで蛇がからみあっているようだ。周りに小さく見える光は、他の宇宙船のものだろう。やがてステーションから誘導のビームが延びてきた。船は光を伝ってステーションに取り込まれていった。



 ムルクステーションに到着すると、ただちに緊急搬送口から集中治療室へとアレッシオのカプセルは運ばれた。
 待ち受けていた医師は数人の看護師を従えた長身で目の細い若い男だった。その細い目をさらに細めてアレッシオをのぞき込む。
「彼は何か食べましたか、あるいはコロニーの外で生物に噛まれたり刺されたりは?」
「今のところ、イゴールからは他に体調不良の者はいないと連絡が来ています。彼はグリーンですが外での作業は特別ありません」
 そうか、と医師は口の中でつぶやくと腕組みをして眉を寄せた。
「ひとまず部屋に。それから吐瀉物を分析へ」
 医師は看護師のひとりにルキノが持ってきたプラスチックの袋を渡した。
「いこう」
 集中治療室は窓と反対側に個室が長く並んでいた。通路に向けて扉が開かれている部屋の患者は比較的病状やけがが軽い者たちらしかった。たち働く看護師はブルーのなかでも選ばれた精鋭だ。機敏な動作で患者たちを見てまわっている。みな頭を剃髪しており、マスクをし会話もほとんどない。多くの人がいるはずなのに、奇妙な静けさがある。
 途中のナースステーション兼ラボでは、腕や足が巨大な容器のなかで再生培養されている。体ごと再生液や高濃度治療液に浸かっている患者もいた。彼らの体の大きな縫い傷や、虚ろに開いた目を見ないようにルキノは医師たちの後について歩いた。
「来るまでに彼のデータをみせてもらったが、しょうじき難しいよ。これではレベル五の判定だ」
「はい」
 ルキノは唇をかんだ。
「せっかく連れてきた君には手間をとらせた。イゴールの事務室に補充の人員を手配するよう連絡したほうがいい」
 数値が大きくなるほど怪我や病状が重く治療が困難になる。そして残すべきか否かを医師が判定する。レベル五は「治療不可」のことだ。それはそのまま「処分」を意味する。
「分からないよ、いったいどういうことなのか」
 奥まった部屋の入り扉が閉まり、看護師がアレッシオのカプセルを室内のケーブルに接続する。医師はマスクをしてから、ふたを開いた。冷気が白い霧となって静かに床へと滑り落ちた。
「事前の画像を見ると、十二指腸と小腸がほとんど壊死している。細胞が壊れるスピードが速すぎる」
 病室のモニターが光った。医師は腰を屈めてモニターを見つめた。
「分析結果だ。これといった病原体は見あたらないそうだ。ただ、なんだこの塊は」
 医師が指さすものをルキノも見た。そこには無数の緑色の円が、重なるように映っていた。
 小さく咳をする音がして振り返ると、アレッシオがわずかに目を開いていた。
「アレッシオ……」
 アレッシオはルキノの声に反応するようにまばたきしたした。
 胸が大きく盛り上がったかと思うとアレッシオは再び吐いた。カプセルからすぐに吸引用のチューブが伸び、吐き出したものを処理した。
 半透明のチューブの中を濃い緑色が流れて消えた。
「主成分がアミノ酸? 何かの細胞か。拒否反応なのか」
 医師はモニターに釘付けになった。その間にもアレッシオの血圧は下がっていく。かすかに腐臭を感じた。アレッシオの病衣の腹部に黄色がかった体液がにじんできた。皮膚も壊死を始めたのだ。
「アレッシオ、思いあたることはないのか?」
 ルキノの問いにアレッシオはゆっくりと首を巡らせルキノを見た。
「何も……知ら、ない」
「え?」
「ジュリオ……」
 受け答えがちぐはぐだ。ルキノは医師を振り返った。
「意識が混濁してきている。内蔵が壊れてきている……手のほどこしようがない」
 ルキノは思わず防疫服のヘルメットを脱ぎ捨てた。
「教えてくれ! 何でもいいから」
 アレッシオがゆらりと腕をあげた。ルキノはガンダロフォがしたようにその手をとった。
「……知らない」
「お願いだ」
 アレッシオは焦点の合わない瞳を天井に向けている。
「ジュリオが……悪いんだ……先に好き、なったの、ぼくな……のに」
「ガンダロフォを?」
 アレッシオの顎がかすかに動いた。
「ジュリオ、およいだよ……狩に……いこ」
 握っているアレッシオの指先が冷たくなっていく。
「ね……愛してる……って……いって」
「……愛してる」
 ルキノはガンダロフォとアレッシオのやりとりを思いだし、少しでもガンダロフォに似るようにと、声を低くしてささやいた。
「あいして、る……あいしてる」
 アレッシオが薄く微笑む。と、アレッシオの黒い瞳がルキノをはっきりととらえた。
「あいって、なに?」
 ルキノはまっすぐな眼ざしに胸を衝かれた。
 ぐっと開いたアレッシオのまぶたが、ゆるゆると閉じていった。
「心臓停止、脈拍も。代わって」
 ルキノが離すとアレッシオの手はぱたりと落ちた。


 ルキノにできることは、もう何もなかった。
 アレッシオの遺体が運ばれるのを見送り、通信端末を借りてイゴールに連絡した。
 施設長のギルは沈痛な面もちでルキノと短い交信をした。
「まだ若いのに残念だ。君もご苦労だったね。帰りは慌てなくていい」
「はい、でもすぐに帰ります。船の準備もできたようなので、六時間後にはそちらに。それから、ガンダロフォさんの隔離も終わって構いません。伝染病の疑いが晴れましたから」
 そうか、と返事をするとギルはどこか落ち着かない表情をした。すぐにでも話を終わらせたいのだろうか。
「ガンダロフォは、君が帰るまで隔離室にいると言っていた」
「そうですか」
「誰にも会いたくないらしい」
 恋人を亡くしたのだ。当然のことかもしれない。ルキノは承知して通話を終えた。

 防疫服を脱いだルキノは、医務室から換えの作業着を都合してもらい、船の発着場へ行った。
 小規模のステーションは、それでも通路には人があふれていた。次の赴任地へ向かう乗り継ぎだったり、必要な物の買い出しだったり。小さいながら映画館や酒場、カジノもある。
 たまにこんな場所へ来ると、ルキノは人に酔ってしまう。人混みにいると、はやく作業室へ戻りたいと感じる。狭い作業室で人形だけを見る生活に。
 ルキノは作業着のフードを引っ張りだし、目立つ白い髪を隠して足早に歩いた。

 発着場につくと船は用意されており、アレッシオのいなくなった空のカプセルがすでに乗せてあった。
「やあやあ、ちゃあんと乗る人がいたんだな」
 首にタオルを巻いた小柄な年輩の男がルキノを見て、驚いたように声を上げた。
「なにか?」
 いやいやと男は顔の前で手を左右に振った。
「こないだライティネンの連中から、イゴールからの船がカラだったって聞いたもんだからよぅ。こっちも空のカプセルだけ乗っけて返すんかなって思ったよ」
「カラって、もしかして六月の話ですか」
「おう、そうだよ。イゴールに聞いたら、間違いだったーって言ってたらしいけんど」
 六月の船には、ジュリオが乗っていたはず。ガンダロフォが用意して。
「乗らねえのか」
 足を止めたルキノに男が声をかけた。ルキノは慌ててお辞儀をし、船に乗った。

 もしかして、と思っていた。
 ジュリオは今回と同じ病気を発症して船に乗せられ、さらにセントラルへ運ばれたのではないかと。
 イゴールには何か奇病があり、それに感染したと。
 けれど、船は空だったという。
 もとより無人だったとなれば、ジュリオはどこにいるのだろう。
 ジュリオが悪いんだ……ジュリオとガンダロフォは付き合っていたのだろうか。答えないまま、アレッシオは死んでしまった。
 遠ざかるステーションを見ながら、船の中でルキノはエーレにメールを打った。

 イゴールに帰りつくと、コロニーはすでに深夜だった。今夜はルキノが準備ができず、人形たちはすべて作業室の中だ。
 アレッシオが倒れた廊下だけではなく、全館が消毒されたようで消毒液の匂いがしていた。
 すぐにでも休みたかったが、ルキノは医務室の扉を開けた。ガンダロフォを隔離室から出すためだ。
 医務室の中は、こうこうとした明かりが白い壁に反射していた。光はルキノの疲れた目にはきつすぎ、突き刺さるように感じられた。
「ガンダロフォ、さん」
 ルキノは素通しの隔離室の扉の鍵を開けた。
 ガンダロフォはベッドに腰かけ、うなだれていた。
「残念ですけれど、アレッシオくんは亡くなりました」
 こく、とガンダロフォの頭がゆれた。
「原因は分かりませんでしたが、最後は比較的苦しまずに……」
 最後まで聞くのを拒むように、ガンダロフォは両手で顔を覆った。ルキノはガンダロフォの落胆ぶりを、ただ見ていることしかできなかった。
 すすり泣くような低い嗚咽がもれ聞こえた。
「わたしは、これで」
 いたたまれず部屋を出ようとしたルキノの手をガンダロフォが掴んだ。
 嗚咽はいつしか、忍び笑いに変わっていった。それは徐々におおきくなり、ついには高笑いになった。
「な、ガンダロフォさん!!」
 ルキノは叫んだ。目の前の光景が信じられなかった。ガンダロフォは顔を歪めて笑っていた。
「これで最良のサンプルを手に入れられた」
「何の話しですか! アレッシオが亡くなったというのに、笑うことですか」
 ガンダロフォは笑いを抑えたが、止めるられないとでも言うように、あいた手で口元を押さえた。
「アレッシオはしかるべき検査に回された。早く結果が知りたいよ」
「彼の病気の原因を知ってた? なら、どうして教えてくれなかったんですか!」
 ガンダロフォはそれには答えず、はぐらすように笑いルキノを引き寄せた。
「ああ、うるさい。口の減らないヴァイオレット」
 ルキノはガンダロフォの声と眼差しの冷たさに口を閉ざした。
「待たせたな、ルキノ」
「え?」
 ルキノの体は自分でも気づかぬうちに震えていた。
「いつも予約・予約と言うじゃないか。予約を入れるよ。明日の晩はおれのところに来い」
 ルキノはガンダロフォの手をふりほどこうとした。しかし強く掴まれた手首はがっしりとした手から逃れられなかった。
拒否キャンセルはナシだ」
 ルキノはガンダロフォの瞳が青灰色なのを初めて意識した。頬が冷たくなっていくのが分かった。


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