狩りの時間

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霜魚の森 1

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 エーレはひとつの物語だ。
「おまえは知らないだろうが」
 と、ガンダロフォは前置きした。
 エーレ以前のヴァイオレットのお披露目は好事家たちのあいだで、ごく内輪的に行われていた。
 しかし、エーレが最初の相手と恋に落ちたことにより、事態は変わった。
「恋愛そのものがほとんど消滅した世界で起きた奇跡さ。ブライトの連中は色めきたった。自分と恋に落ちる運命の相手がいるんじゃないか」
 みんな政府から『妻』を支給されているのにバカげている、と吐き捨てるようにガンダロフォは言った。
「おかげて、お披露目へ参加するためのチケットが作られて法外な値段で取り引きされるようになった。ついでにオークション単語ルビ形式になった」
 そして初物のヴァイオレットを抱くために必要な金は、天井知らずに。
「とくに、おまえ。エーレの双子の弟が出されると情報が流れたときだ。親父はおまえを買うために、ほうぼうから金をかき集めた」
 売れるものは売ったが、大半は借金だった。
「親父はバカだ。けっきょく、おまえに選ばれなかった。あたりまえだ、ヘタクソだったろう? 残ったのは、多額の借金だ」
 それから、いつか『恋人』を得るためにと繰り返される親父の初物喰い。
「膨れ続ける借金返済のためにおれは仕事に出された。九歳からな」
 ルキノは耳を覆いたかったが、外界用のスーツを着ていては通信を切ることはできない。行動の規制は解かれたが、声は戻してもらってはいない。何も口を挟むことができないまま、ルキノはガンダロフォについてきた。
 ガンダロフォが手動であけた扉の向こうには白銀の世界が広がっていた。
 野菜栽培室、コロニーの左翼の端。外へつながる三枚目の扉は今は開かれている。二枚目の扉はルキノたちの背後で閉ざされ一区間だけ外界に向けてコロニーは口を開いている。さほど大きくはない。床から天井まで四メールほどだろうか。通路の片隅には小型の雪上バイクが置かれている。
 月は満月、固く凍った雪は青白い光りに照らされていた。今夜は風も凪いでヘルメットごしには何の音も聞き取れない。
 コロニーのまわりには、数匹の霜魚そうぎょが泳いでいた。
「おれも高く売れたようだ。なんせ、まだあどけない子どもだったからな」
 ルキノを手に出来なかった父親は、競りに参加し続けた。借金のかたにガンダロフォは毎晩のように『仕事』に出された。
「セントラルは現金マネーだけを流通させて、外からの移民をブロックしている。でも逆の意味もある。現金マネーがなけれは生活できないし、現金があってもポイントがなければ外では暮らせない」
 クラスを分けるための手段だ。さいわい教育は無料だ。
「おれは勉強したさ。なにもできな母親を助けるためにな」
 ガンダロフォは雪原に足を踏み出す。足下の雪の堅さを確かめながら、霜魚の泳ぐあたりに歩を進めた。
 霜魚はなんの警戒心も抱かないらしく、ゆうゆうとガンダロフォの近くを漂っている。手をのばせば捕まえることもたやすいように思えるほどだ。
 右手に鉤のついた長い棒、左に持ったライトが赤い光りを放っているのを、ルキノはガンダロフォの背後から見ていた。
 掲げた赤い光にすい寄せられるように、一匹の霜魚が髪をたなびかせて近寄ってきた。ガンダロフォに身をすりよせる猫のように、なんどもなんども周囲を泳ぎまわる。
 ガンダロフォはライトを放り投げた。ゆっくりとした速度で雪のうえに落ちる灯りに気を取られたように霜魚がライトに手を伸ばした。落ちたライトが目のない霜魚の顔を赤く照らした。
 不意にガンダロフォが棒を両手で持ち直し、刃先を霜魚めがけて思い切り振りおろした。
 がつん。鈍い音をたて鉤の先が霜魚の首筋にくいこんだ。
 霜魚が鉤を外そうともがき暴れたが、ガンダロフォが棒を掴む力には敵わない。顔を真横に横切るかと思うほどの口が鋭い歯を食いしばるのが見えた。
 長い髪と優美な尾がさかんに揺れる。
 ルキノは固唾をのんだ。霜魚の首に鈎は深く突き刺さり、ガンダロフォはまるで水に浮かんだ氷の塊でも引き寄せるように、施設の通路へと移動させてきた。
 ドームの中へと引きこむと、ガンダロフォは扉を閉めた。
 宙に浮かんでいた霜魚は、べしゃりと床に落ちてから二三度、痙攣するようにふるえたがそのまま動かなくなった。
 水風船がつぶれたように、床に液状のゼラチンのようなぬめりが、じわじわと広がる。
 ガンダロフォは持ってきた医療キットからメスを出した。
 医療キットはガンダロフォがジュリオから奪い、保管していたのだ。
「ジュリオも初めはこいつらの観察と実験に協力的だったんだがな」
 足で霜魚を転がし仰向けにすると、ガンダロフォはためらいもなく体にメスを刺した。
「ヘルメットは取るなよ。直にこいつらの体臭を吸うと意識が飛ぶからな」
 コロニーの通路はすでにヘルメットを外しても大丈夫な状況だったが、ガンダロフォはルキノに注意した。
 ガンダロフォはメスで霜魚の胸から尾の部位に達するほどの長い切れ目を入れると、医療キットの中から真空保存ができる輸液パックを出した。
 両手をかけて、腹を広げる。ルキノはそのおぞましさに顔を背けたくなった。
 しかし腹の中のものに気づいてふるえた。
 緑色の透明な球体。小さな粒の集まり。
 ガンダロフォは無言で輸液パックの口をつけると、その球体を吸いあげさせた。
「卵だ」
「!!」
 初めての夜に飲まされたのは、これだったのか。
 ルキノはこみあげる吐き気をこらえた。胸を押さえて体を屈めるルキノをガンダロフォはちらりと見た。
「銀河にこれだけヒトが広がっても、人類と交配可能な生物は見つかっていない。幸いにも、こいつらは使えるようだ。サンプルはおまえで三例目だ。セントラルに戻ったら、もっと本格的に分析と研究ができる」
 ガンダロフォはにやりと笑った。ルキノは凍りついたように動けなくなった。
 卵を採取された霜魚はすでに体のほとんどが崩れ、まるで溶けていく氷のようだ。皮膚も髪も肉も透明になっていく。残っている青みがかった白い骨も見るまに色を失っていく。
「戻るときに、自動洗浄をかければ始末は完了だ」
 ルキノは背後の二番目の扉へと飛びつこうとした。けれど施設に不慣れなルキノには素早く扉を開けることが出来なかった。
「おっと、まだつきあって貰おうか。ジュリオのことが知りたくないか?」
 両腕をつかまれ、ルキノは雪上バイクのところまで引きずられた。
「アレッシオはもうメンバーのところにあるが、ジュリオはおれが『回収』することになっている。迎えの船が来るまでに準備しておかなきゃならないし、回収には人手がいるからな」
 ガンダロフォはバイクのサイドカーにルキノを押し込めると外から鍵をかけた。
「ご案内してさしあげよう。やつらの森へ」
 ガンダロフォはバイクのスタートキーをまわした。
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