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M市は住みよい街だ。県都にしては緑が多い。市内を大小三本の川が流れ、その清らかなことは秋に鮭が遡上することでお墨付きだ。
雄高が勤務するI大は、広大な敷地を有している。さすがに市内一カ所に施設のすべては収め切れず、農学部や工学部は校舎の他に実習用施設は数箇所に分かれてあるが。
雄高が所属する研究室は教育学部の一角にある。昭和初期に建てられてた木造の校舎は古いけれど、木造建築独特の落ち着いた雰囲気と昔ながらの『大学』といった風情をいまだ味わえるので、多少の不便に目をつぶってもいいと、雄高は感じている。
いつもどおり、正門からクロスバイクで乗り入れる。大学は新年度を迎えたが、入学式にはまだ間があり、講義も始まっていないから構内で見かける学生の数もまばらだ。院生やゼミに足しげく通う学生も、こんな早い時間にはさすがにほとんどいない。
雄高は自転車を駐輪場に入れて鍵をかけた。鞄を手にしてコートの乱れを直していると、目の前を本を読んだまま歩く人物が目に留まった。
右手に本を開き、左の肩にディパックを背負い、足早に歩いて来る。薄手のペーパーバックに視線を落とした佐野だった。
野暮ったい黒縁の眼鏡には分厚いレンズがはめられている。それに、とりあえずといったスーツ姿だ。図書館長が風紀に厳しいとはよく耳にするが、それの合格ギリギリのラインだろう。シャツはあきらかに間に合わせだ。赤のチェック柄が曲がったネクタイの下からのぞいている。それにしても髪は、寝起きそのままのようにあちこちはねている。
「おはようございます」
雄高は目の前を横切る佐野に声をかけたが、佐野の視線は本に固定されたまま動くことはなかった。そのまま雄高を無視して行き過ぎた。
雄高は佐野の背中を呆然と見送った。ここまであからさまに他人から無視されたのは初めてのことだから。
不快というよりも、雄高のことが眼中に入らないほどの読書への集中力に感心してしまった。……英語のペーパーバックだった。雄高は佐野に米国への留学経験があることをいまさらながら思い出した。
あのままで、正門から一番奥にある図書館まで歩いて行くんだろうか? まるで時代外れの二宮金二郎だな、と雄高は少し愉快に思った。
いつもの廊下を抜けて研究室に入ると、朝早い教授と朝練を終えた出雲井いずもいが時季外れの大掃除をしていた。
「おはようございます」
驚きながら雄高が声をかける。掃除ならつい先月にもしたはずだ。もっとも、それも形ばかりといわれればそうなのだが。
「ああ、おはよう」
と、教授。机の引き出しを全部出して、書類をかき回している。
「オハヨウゴザイマス」
年中半袖の出雲井が、書棚の高い場所をのぞいている。
「なにしてるんですか。こんな朝っぱらから」
「なにをって、捜索だよ、本の捜索」
「本の?」
教授はテーブルの上に乗せられた茶道具の下に挟んである書類を指で示した。アルマイトの盆から抜き取ると、それは図書館からの依頼だった。左肩に『至急』の赤い判が押されている。
「……先日の蔵書点検のおり、所在不明の資料が多数リストアップされ……」
雄高は小さく読み上げながら内容を確かめた。その間も教授と出雲井は研究室内をひっくりかえさんばかりの勢いで捜索している。
「つまり、持ち出された図書館の本がないか今一度、研究室を探せ、と。それで、出て来たものはとりあえず全部図書館へ戻せということですか」
「そういうこと。まあ、どこの研究室でも貸出の期限なんて守りゃしないだろうし、勝手に持ち帰る輩もいるからね。しかし、分かっていてもこれだけ面倒な仕事に着手するなんて、図書館もたいしたものだな」
「ほんと、頭がさがりますよね」
出雲井がやけになったように叫んだ。出雲井が捜し出した本を雄高は受け取り、コートを脱ぐこともままならず、そのまま作業を手伝った。
しかし、いまさらながらこれだけの本が研究室にあったのかと三人で驚いた。テーブルには、厚い辞典の類いからリーフレットのような薄いものまで三十冊近くあった。なかには、三年前の学会用に作ったレポートの資料もあり、教授の苦笑を誘った。
「うん、図書館がうるさく言うのもしかたないか。じゃあ、悪いけど出雲井くんと雄高くんで返しに行ってくれるかな。僕はお茶の用意して待ってるから」
相馬教授のお茶は天下一品だ。言い渡された二人は一にも二にもなく従った。手分けして紙袋に詰め、図書館へと向かった。
「碓氷先生は朝が早いですね」
「うん、まあね。講義のための下準備に手間取って。やることが山ほどあるから」
「ほかにも、クリニックでバイトもしてるって言いましたよね。すごいなあ……。俺なんて大学とバイトで手一杯だ。そのうえ、ついに教育実習が来るし」
大きく息を吸い込んだ出雲井は三年生。教育実習に対して、不安と期待とがないまぜになっているのだろう。年中半袖で、体格も立派な出雲井が目指しているのは体育教師ではなく、社会科の教師というチグハグさもどこか笑える。きっと子どもたちから好かれる教師になるだろうと雄高は踏んでいる。
敷地の西の端にある独立した建物、図書館は雄高が詰める教養学部の校舎とは違って、二年前に建て替えられた近代的なものだ。公立の大学に先を越されたが、中はコンピュータで管理され、その他にも最新鋭の設備が整っている。創立以来の貴重な蔵書が七桁だか八桁分あるということだ。
図書館は開館時間をとうに迎えていたため、中には学生の姿がちらほらと見て取れた。カウンターに座る男は雄高が挨拶するより早く、手にしている荷物を一瞥すると奥に声をかけた。
「佐野、お前の仕事が来たぞ」
カウンターの奥、ガラスで仕切られた向こうから、佐野が額に絆創膏をはりながら現れた。
「おはようございます。心理学研究室ですが」
ようやく挨拶すると、佐野が申し訳程度に頭を下げた。その様子を冷ややかに見つめていた男はそのままガラスの向こうへと消えた。
「けっ、係長のヤツ……ハーゲ」
佐野と男の間に不協和音のようなものを感じ取って、雄高はいぶかしく思った。手にしていた本をそれぞれカウンターに乗せると、佐野はハンドスキャナを手にして本にはられているバーコードをなぞった。
『所在不明図書』
コンピュータが女性の声で告げると、雄高と出雲井は一瞬ぎょっとした。そんな二人の様子を佐野は鼻で笑った。
「音声でも知らせてくれるんですよ。最新機種に変えたからね。お二人ともパソコンには詳しくない?」
どこかからかうような口調に、佐野から自負のようなものが見えた。出雲井はそんな佐野の態度に悪意めいたものを感じたのかも知れない。
「碓氷先生、俺先に戻ってもいいすか?」
「ああ、かまわないよ。僕はついでに資料を探して行くから」
出雲井はそそくさと図書館を後にして、雄高は佐野とカウンターに残された。佐野は無言で次々にバーコードを読ませて行く。そのたびに女性の声が吹き抜け構造の館に響いていく。
雄高は佐野の額にはられた絆創膏を見るともなしに見ていた。パーマのかかった長めの髪で少し隠されている。よく見ると、額ばかりではなく頬骨のあたりにも小さな擦り傷ができていた。
きっと、本を読んだままでどこかにぶつかるか転ぶかしたんだろうー。そう思うと、雄高は自然と笑いが込み上げてきた。
「なに?」
不愉快そうに眉根を寄せて佐野が雄高に声をかけた。雄高は笑いをなんとか押さえようとしたが、なかなか止められなかった。
「……今朝、自転車置き場のところで挨拶したんですよ。でも、佐野さんは本に夢中だったみたいで僕の声には気づきもしませんでした」
「ああ、ちょうど犯人が分かったところでね。止められなかったんだ」
「それで、どこかでケガをしたんですね。絆創膏を見てたら、なんかおかしくなって……すみません」
佐野はスキャナを持ったまま、雄高を上目使いにちらり見た。さして照れるわけでもなく、さりとて怒るわけでもなく、佐野は掴みどころがない表情をした。
「碓氷さん、『メンテ』の灰智さんと知り合い?」
雄高の笑いが止まった。手を休めて、雄高より背の低い佐野は顎を少しあげて雄高を見た。
「ええ。古いつき合いです」
「昨日、学内新聞見せたらなんだか血相変えて帰っていったものだから、あれを忘れて行きましたよ」
佐野は、カウンターの後ろの棚に置かれたコンピュータのマニュアルを指さした。
「会う機会があるなら、彼に渡してほしいんだけど」
「いいですよ」
会うも、会わないも、一緒に暮らしているのだ。昨日はよほど慌てて図書館を飛び出したのだ。ずしりと重いマニュアルを受け取りながら、雄高は史彦がいとおしく感じられた。
それほどまでに、自分を思ってくれている史彦。仕事も大事だけれど、やはり一番は史彦なのだとこんなところでも雄高に教えてくれる。
「特別な関係?」
史彦の姿を思い描いていた雄高は、どきりとして佐野を見つめ返した。
「どういう意味かな?」
雄高はいつもの笑顔を作ると、佐野の出方をうかがった。
佐野は、そんな雄高に臆する事なく目を細めると、薄く笑った。雄高は少なからず驚いた。いままで、こんな反応をする人物会ったことがなかったから。
「彼、ユニークだよ。俺もパソコンが好きだからさ、碓氷さんに彼を紹介してもらえたらって思ったんだ」
再び処理をしながら佐野が話す。なぜだろう、佐野が史彦を『彼』と呼ぶたび雄高の胸には不快なものがよぎる。
「かまいませんよ。いつでも」
「じゃあ、来週。俺はいつでもいいから、灰智さんのスケジュールに合わせるよ」
その強引さに、頷くしかなかった。雄高はどこか落ち着かないものを感じて、佐野から視線をそらした。
「それじゃ」
雄高は資料を探すことを中止して、研究室へと戻ることにした。このままこの場所にはいたくなかった。きびすをかえした雄高の背中に、佐野がまた声をかけた。
「一緒に暮らしてるんでしょう?」
雄高の足が止まった。振り返ると、手元に落としていた視線をゆっくりとあげて佐野は雄高を見た。そして視線が合うと、佐野は不敵に笑った。
「俺のアパートと近いんだ」
顔が青ざめていなければいい、と雄高は思った。
バーコードを読み込んだコンピュータが音声で知らせる。
『所在不明図書』
雄高は取り繕うようにほほ笑むのが精一杯だった。
雄高が勤務するI大は、広大な敷地を有している。さすがに市内一カ所に施設のすべては収め切れず、農学部や工学部は校舎の他に実習用施設は数箇所に分かれてあるが。
雄高が所属する研究室は教育学部の一角にある。昭和初期に建てられてた木造の校舎は古いけれど、木造建築独特の落ち着いた雰囲気と昔ながらの『大学』といった風情をいまだ味わえるので、多少の不便に目をつぶってもいいと、雄高は感じている。
いつもどおり、正門からクロスバイクで乗り入れる。大学は新年度を迎えたが、入学式にはまだ間があり、講義も始まっていないから構内で見かける学生の数もまばらだ。院生やゼミに足しげく通う学生も、こんな早い時間にはさすがにほとんどいない。
雄高は自転車を駐輪場に入れて鍵をかけた。鞄を手にしてコートの乱れを直していると、目の前を本を読んだまま歩く人物が目に留まった。
右手に本を開き、左の肩にディパックを背負い、足早に歩いて来る。薄手のペーパーバックに視線を落とした佐野だった。
野暮ったい黒縁の眼鏡には分厚いレンズがはめられている。それに、とりあえずといったスーツ姿だ。図書館長が風紀に厳しいとはよく耳にするが、それの合格ギリギリのラインだろう。シャツはあきらかに間に合わせだ。赤のチェック柄が曲がったネクタイの下からのぞいている。それにしても髪は、寝起きそのままのようにあちこちはねている。
「おはようございます」
雄高は目の前を横切る佐野に声をかけたが、佐野の視線は本に固定されたまま動くことはなかった。そのまま雄高を無視して行き過ぎた。
雄高は佐野の背中を呆然と見送った。ここまであからさまに他人から無視されたのは初めてのことだから。
不快というよりも、雄高のことが眼中に入らないほどの読書への集中力に感心してしまった。……英語のペーパーバックだった。雄高は佐野に米国への留学経験があることをいまさらながら思い出した。
あのままで、正門から一番奥にある図書館まで歩いて行くんだろうか? まるで時代外れの二宮金二郎だな、と雄高は少し愉快に思った。
いつもの廊下を抜けて研究室に入ると、朝早い教授と朝練を終えた出雲井いずもいが時季外れの大掃除をしていた。
「おはようございます」
驚きながら雄高が声をかける。掃除ならつい先月にもしたはずだ。もっとも、それも形ばかりといわれればそうなのだが。
「ああ、おはよう」
と、教授。机の引き出しを全部出して、書類をかき回している。
「オハヨウゴザイマス」
年中半袖の出雲井が、書棚の高い場所をのぞいている。
「なにしてるんですか。こんな朝っぱらから」
「なにをって、捜索だよ、本の捜索」
「本の?」
教授はテーブルの上に乗せられた茶道具の下に挟んである書類を指で示した。アルマイトの盆から抜き取ると、それは図書館からの依頼だった。左肩に『至急』の赤い判が押されている。
「……先日の蔵書点検のおり、所在不明の資料が多数リストアップされ……」
雄高は小さく読み上げながら内容を確かめた。その間も教授と出雲井は研究室内をひっくりかえさんばかりの勢いで捜索している。
「つまり、持ち出された図書館の本がないか今一度、研究室を探せ、と。それで、出て来たものはとりあえず全部図書館へ戻せということですか」
「そういうこと。まあ、どこの研究室でも貸出の期限なんて守りゃしないだろうし、勝手に持ち帰る輩もいるからね。しかし、分かっていてもこれだけ面倒な仕事に着手するなんて、図書館もたいしたものだな」
「ほんと、頭がさがりますよね」
出雲井がやけになったように叫んだ。出雲井が捜し出した本を雄高は受け取り、コートを脱ぐこともままならず、そのまま作業を手伝った。
しかし、いまさらながらこれだけの本が研究室にあったのかと三人で驚いた。テーブルには、厚い辞典の類いからリーフレットのような薄いものまで三十冊近くあった。なかには、三年前の学会用に作ったレポートの資料もあり、教授の苦笑を誘った。
「うん、図書館がうるさく言うのもしかたないか。じゃあ、悪いけど出雲井くんと雄高くんで返しに行ってくれるかな。僕はお茶の用意して待ってるから」
相馬教授のお茶は天下一品だ。言い渡された二人は一にも二にもなく従った。手分けして紙袋に詰め、図書館へと向かった。
「碓氷先生は朝が早いですね」
「うん、まあね。講義のための下準備に手間取って。やることが山ほどあるから」
「ほかにも、クリニックでバイトもしてるって言いましたよね。すごいなあ……。俺なんて大学とバイトで手一杯だ。そのうえ、ついに教育実習が来るし」
大きく息を吸い込んだ出雲井は三年生。教育実習に対して、不安と期待とがないまぜになっているのだろう。年中半袖で、体格も立派な出雲井が目指しているのは体育教師ではなく、社会科の教師というチグハグさもどこか笑える。きっと子どもたちから好かれる教師になるだろうと雄高は踏んでいる。
敷地の西の端にある独立した建物、図書館は雄高が詰める教養学部の校舎とは違って、二年前に建て替えられた近代的なものだ。公立の大学に先を越されたが、中はコンピュータで管理され、その他にも最新鋭の設備が整っている。創立以来の貴重な蔵書が七桁だか八桁分あるということだ。
図書館は開館時間をとうに迎えていたため、中には学生の姿がちらほらと見て取れた。カウンターに座る男は雄高が挨拶するより早く、手にしている荷物を一瞥すると奥に声をかけた。
「佐野、お前の仕事が来たぞ」
カウンターの奥、ガラスで仕切られた向こうから、佐野が額に絆創膏をはりながら現れた。
「おはようございます。心理学研究室ですが」
ようやく挨拶すると、佐野が申し訳程度に頭を下げた。その様子を冷ややかに見つめていた男はそのままガラスの向こうへと消えた。
「けっ、係長のヤツ……ハーゲ」
佐野と男の間に不協和音のようなものを感じ取って、雄高はいぶかしく思った。手にしていた本をそれぞれカウンターに乗せると、佐野はハンドスキャナを手にして本にはられているバーコードをなぞった。
『所在不明図書』
コンピュータが女性の声で告げると、雄高と出雲井は一瞬ぎょっとした。そんな二人の様子を佐野は鼻で笑った。
「音声でも知らせてくれるんですよ。最新機種に変えたからね。お二人ともパソコンには詳しくない?」
どこかからかうような口調に、佐野から自負のようなものが見えた。出雲井はそんな佐野の態度に悪意めいたものを感じたのかも知れない。
「碓氷先生、俺先に戻ってもいいすか?」
「ああ、かまわないよ。僕はついでに資料を探して行くから」
出雲井はそそくさと図書館を後にして、雄高は佐野とカウンターに残された。佐野は無言で次々にバーコードを読ませて行く。そのたびに女性の声が吹き抜け構造の館に響いていく。
雄高は佐野の額にはられた絆創膏を見るともなしに見ていた。パーマのかかった長めの髪で少し隠されている。よく見ると、額ばかりではなく頬骨のあたりにも小さな擦り傷ができていた。
きっと、本を読んだままでどこかにぶつかるか転ぶかしたんだろうー。そう思うと、雄高は自然と笑いが込み上げてきた。
「なに?」
不愉快そうに眉根を寄せて佐野が雄高に声をかけた。雄高は笑いをなんとか押さえようとしたが、なかなか止められなかった。
「……今朝、自転車置き場のところで挨拶したんですよ。でも、佐野さんは本に夢中だったみたいで僕の声には気づきもしませんでした」
「ああ、ちょうど犯人が分かったところでね。止められなかったんだ」
「それで、どこかでケガをしたんですね。絆創膏を見てたら、なんかおかしくなって……すみません」
佐野はスキャナを持ったまま、雄高を上目使いにちらり見た。さして照れるわけでもなく、さりとて怒るわけでもなく、佐野は掴みどころがない表情をした。
「碓氷さん、『メンテ』の灰智さんと知り合い?」
雄高の笑いが止まった。手を休めて、雄高より背の低い佐野は顎を少しあげて雄高を見た。
「ええ。古いつき合いです」
「昨日、学内新聞見せたらなんだか血相変えて帰っていったものだから、あれを忘れて行きましたよ」
佐野は、カウンターの後ろの棚に置かれたコンピュータのマニュアルを指さした。
「会う機会があるなら、彼に渡してほしいんだけど」
「いいですよ」
会うも、会わないも、一緒に暮らしているのだ。昨日はよほど慌てて図書館を飛び出したのだ。ずしりと重いマニュアルを受け取りながら、雄高は史彦がいとおしく感じられた。
それほどまでに、自分を思ってくれている史彦。仕事も大事だけれど、やはり一番は史彦なのだとこんなところでも雄高に教えてくれる。
「特別な関係?」
史彦の姿を思い描いていた雄高は、どきりとして佐野を見つめ返した。
「どういう意味かな?」
雄高はいつもの笑顔を作ると、佐野の出方をうかがった。
佐野は、そんな雄高に臆する事なく目を細めると、薄く笑った。雄高は少なからず驚いた。いままで、こんな反応をする人物会ったことがなかったから。
「彼、ユニークだよ。俺もパソコンが好きだからさ、碓氷さんに彼を紹介してもらえたらって思ったんだ」
再び処理をしながら佐野が話す。なぜだろう、佐野が史彦を『彼』と呼ぶたび雄高の胸には不快なものがよぎる。
「かまいませんよ。いつでも」
「じゃあ、来週。俺はいつでもいいから、灰智さんのスケジュールに合わせるよ」
その強引さに、頷くしかなかった。雄高はどこか落ち着かないものを感じて、佐野から視線をそらした。
「それじゃ」
雄高は資料を探すことを中止して、研究室へと戻ることにした。このままこの場所にはいたくなかった。きびすをかえした雄高の背中に、佐野がまた声をかけた。
「一緒に暮らしてるんでしょう?」
雄高の足が止まった。振り返ると、手元に落としていた視線をゆっくりとあげて佐野は雄高を見た。そして視線が合うと、佐野は不敵に笑った。
「俺のアパートと近いんだ」
顔が青ざめていなければいい、と雄高は思った。
バーコードを読み込んだコンピュータが音声で知らせる。
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