メイストーム

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 十二インチのピザと一ダースの缶ビールを持って、佐野は時間どおりにマンションを訪れた。スーツ姿しか見たことのない雄高にとって、佐野のチノパンにパーカー付のトレーナーというラフな服装は新鮮に見えた。もっとも、それは佐野も同じだったらしく、コットンパンツに薄手のVネックセーターを着た雄高と、ジーンズに綿シャツの第二ボタンまで外した史彦をしげしげと見つめた。
「いらっしゃい!」
 史彦は満面の笑顔で佐野を迎え入れ、リビングに案内した。その後ろ姿を見ながら、雄高は朝からの史彦のいじましいまでの奮戦振りを思い出した。
 史彦の舞い上がりようは凄かった。普段なら、家事は雄高任せで休日はパソコンにかじりついているのに、今日は自らリビングや風呂の掃除まで買って出た。料理もサラダぐらいならつくれるだろうと、二人で台所に立った。
「俺さ、二十五すぎたら新しい友人なんて作れないって思ってたんだ」
 史彦が雄高にポツリと言った言葉には、嬉しさがにじんでいた。自分たちの生活はいびつなのかもしれない。雄高は料理をしながら、ふとそんなことを思った。
 雄高は知っている。史彦が大学時代、水琴と武市という気の合う友人を一度に失ってどれほど落ち込んだか。お互い社会人になって、職場での人間関係はできたけれど、プライベートでつき合うほど親しい間柄の人物はほとんどいない。
 普通、学生時代に友人を作るものだけれど、二人にはそんな存在はいない。
 高校時代、雄高と史彦とそして安騎野の間に何かがあったことは、周囲にそれとなく伝わっていたらしい。安騎野が自殺を図ったとき、警察から事情聴取を受け、学校側からも二・三質問されたからだ。
 クラスメイトは、雄高と史彦に必要以上かかわらないようにしているように感じられた。卒業してから、没交渉になるのもむべなるかな。
 更に雄高は大学時代はがむしゃらにバイトと学業に励んだ結果、人付き合いが疎遠になりがちで友人らしい友人はできなかった。一方史彦は、学生時代は自分が同性愛者であることをあっさりと公言するため、同性の友人は作れなかった。
 だから、史彦は『男同士の友情』というものに、ある種の憧れを持っているらしい。
 自分たちの関係を知っていて、それでも友人になりたいという同性の存在は滅多にいないだろう。史彦が嬉しがるのも当然なのだ。
 先日の会話から、雄高は佐野への態度を軟化させた。佐野は、史彦と親しくなりたいだけだろう。身の回りに親しい友人を持ちたいというのは、自然な欲求だ。
 そんな淋しさは、雄高も知っていたから。
「ずいぶん広いね。思ってた以上だ」
 きれいに片付けられた台所兼リビングを見渡して佐野は言った。
「三LDK。お互いに個室を持つことが同居の条件だったから、方々探してようやくここに決めたんだ」
 史彦は佐野に席をすすめながら答えた。クッションに腰を下ろすと、佐野は不思議そうな顔をして続けた。
「なんで? 一緒でいいんじゃない。碓氷さんが出した条件?」
「史彦は部屋を散らかすから。自分の勉強するスペースが欲しかったんだ」
「そんなこと言わなくてもいいじゃないか、雄高」
 史彦は赤い顔で抗議したが、聞こえない振りをして雄高はビール用意をした。それぞれプルトップを引くと、部屋に炭酸の弾ける音が響いた。
「んじゃ、えーと」
 史彦はビールをひょいと掲げたまま、口ごもった。わざわざ乾杯の音頭を取ろうとしたが、言葉が思い浮かばないらしい。ふたりの視線にさらされたまま、うーんと唸るとやけになったように言った。
「とにかく、乾杯!」
 雄高は締まりのない挨拶に気が抜けそうだったが、佐野は嬉しそうに笑う。アルミ缶をぶつけ合うと、そのまま一気に飲み会に突入した。
「ウマイ! モトお土産にビールをありがとうな。俺大好きなんだ」
 早速一本飲み干した史彦は二本目に手をかけた。史彦は飲むペースが早い。とにかく一気に飲んで、すぐに酔いが回り寝込んでしまう。そのパターンを知る雄高は、少しセーブさせようと思ったが、今の史彦の耳には入りそうもないので諦めた。
「前から聞こうと思ってたけど、佐野さんは出身はどこ?」
「県内、ってももう隣の県の方が近いな。もうちょい北のN町、知ってる? パチンコ屋と温泉しかないような小さな町」
 雄高は頷いた。M市の正面に腰を据える二千メートル級の山のふもとの町だ。
「碓氷さんたちは、H市なんでしょ? 近いよね。通勤できる範囲」
 雄高と史彦は互いに目配せをした。少し口ごもる二人に、佐野は戸惑いの色を見せた。
「余計なこと言ったかな……」
「いや、構わないよ。僕は高校を卒業してから、家族とはもう絶縁状態なんだ。家族って言っても母親しかいないけどね」
 雄高は高校を卒業して大学に入学して以来、母親には会っていない。
 史彦の父親発史彦経由で母の噂は、時折耳に入る。近いうちに再婚するらしいと、二年前に聞いた。その後のことは聞いたことがないから、実際どうなっているのか雄高には知る由もない。結局、母親とは袂を分かったままだ。それを淋しいとは思わないけれど、時おり永遠に理解してもらえないことの悲しみにさらされて、未だに夢に見たりする。
「俺も家を出たのは早いよ、高校からこっちに下宿してたから」
「あっ、俺モトの正確な歳すら知らないや。一体いくつなんだ? 浪人して留年して留学したんだっけ?」
 史彦が雄高に気を使ってか、不意にそんなことを口にした。そういえば、雄高もはっきりとは知らない。佐野は眼鏡をひょいと押し上げると、気まずそうに言った。
「今年で二十八」
 えっ、と雄高も史彦も思わず声を上げた。自分たちより、年上?
「てっきり、年下だと……俺たち今年二十七だよ。モトって一学年上だったんだ」
「だから、嫌なんだよ。実年令より若く見られるなんて、無責任に生きているようでさ。アメリカに居る時なんか、いつも十代に間違われてた」
 眉根を寄せると、佐野はうつむいてビールをすすった。東洋人は若く見られがちだ。佐野なら、恐らく中校生ぐらいにしか見られなかったのだろう。
「それに訂正すると、浪人じゃなくて一回別の大学に入学して、もう一度こっちを受験し直した。留年はしてないよ。留学とごっちゃになってるらしくて、よく間違われるけど」
「向こうでは何を勉強してたんですか」
「図書館の先進国はアメリカなんだ。図書館の数だって、日本とは比べ物にならないほどあるし、インターネットで結ばれてる。一度目の一年はその勉強。その次は、専門の書誌学の勉強で一年半。明治時代に来日したアメリカ人の、和綴じ本コレクションの目録作りに参加してたけど、時間切れで帰国。まだ半分ぐらいしか手をつけていなかったのにな、あのコレクション」
 悔しげに佐野はため息をついた。感心したように史彦が佐野を見つめている。雄高もまた新たな気持ちで佐野を見た。
「また向こうに行く予定は?」
「うん、要請があれば行きたいけど。今はそんな話しもないな。書誌学はひとまずおいといて、図書館司書で暮らすのも悪くない。好きな仕事には変わりないから」
 佐野はまんざらでもない顔で笑った。本の近くにさえいられれば、それで満足なのかも知れない。佐野は史彦が作ったサラダをうまそうにほお張った。
「高校からはM市っていってたけど、どこの学校? 大学に付属高校があるけど、そこだったの」
 雄高はふと聞いてみたくなった。佐野は箸を置くと、ビールを一口飲んで喉を潤した。
「違う、公立のほうのI高校……」
 佐野の言葉に雄高は凍りついた。I高校……公立のトップ校、そして安騎野の母校だ。何げない素振りを装い史彦を見ると、史彦もビールの缶を手にしたまま顔をこわばらせていた。
 佐野は、一学年上だ。あの事件のとき、在校生だったのか。
「そうそう、高校のとき事件があってさ。碓氷さんたちは知らないと思うけど、俺が高三の夏休みに自殺騒ぎがあって」
「へえ……知らない。初耳だな」
 雄高は素知らぬ振りを決め込んだ。ピザに手をのばしながら、佐野の表情を盗み見る。ビールを飲み何げに語っている様子からは、なんの裏も感じ取れない。
「変な事件だったな。屋上から飛び降りたんだけどさ」
 雄高はゆっくりと頷いたが、佐野には単なる相槌にしか見えなかっただろう。けれど、雄高にとっては意味がちがう、知ってる。そういうサインだ。
 雄高は間に合わなかった。安騎野が一気に柵を乗り越えて、飛び降りるのを止められなかった。あのときの茜雲、夏の夕暮れの湿った空気。安騎野に殴られた傷の痛ささえ、まざまざと思い出せる。
「その人、OBだったらしいんだ。俺のクラス担任が覚えてたんだよ、『また、馬鹿なことをして』とか言って」
「……どういう意味」
 雄高は話題を変えたかった。目の端でとらえる史彦の横顔は、明らかに青ざめかすかに肩がふるえている。
「なんでも、在校当時にも一回自殺未遂をしたとか……」
「……!」
 佐野はそこまで知っているのか。もちろん、その事件に雄高と史彦が大きくかかわっているなどとは、全く予測もしていないだろうが。雄高は頬のあたりから顔が冷えていくような気がした。喉がやたらに乾き、ビールを何度も口に運ぶ。
 佐野は二人の変化に気づいてか気づかなくてか、それでも場の空気が重くなってくのを敏感に感じ取ったようだ。
 雄高が、別の話を切り出そうとしたとき、史彦の部屋の電話が鳴った。けれど史彦の耳には入っていないようだ。雄高が史彦の肩をゆらすと、虚ろな瞳で見返した。
「史彦、電話だよ」
「ああ!」
 我に返ると、史彦は自室の引き戸を開けた。多少は片付けられた部屋がリビングからも見えた。
「電話って、ヒコの所有物?」
 珍しげに佐野が聞いてきた。雄高はとりあえず話題がそれたことに安堵して、頷いた。
「インターネットをやるのは史彦だけだし、僕は携帯でことが足りるからね。あの電話にかかってくるのは、史彦の知り合いや家族。だから、僕が出るわけにはいかないんだ」
 史彦の会話が漏れ聞こえる。多分、実家の父親か妹の誰かだ。
「そう、友達が来てる。雄高もいるよ」
 そう言ってから、受話器の口を押さえて雄高を手招きした。どうやら向こうで代われと言ってるらしい。雄高は腰をあげると、差し出されたコードレスの受話器を耳にあてた。
「今晩は」
 ー雄高くんか、元気かね。
 電話の主は史彦の父親だった。地元で不動産業を営んでいる。雄高の父親とは親友同士で、両親が離婚してしまった今も何くれとなく心配してくれる。かっぷくのいい、史彦の父親の姿を思い浮かべる。
 ーたまにはこっちに戻ってこないか。実家に顔を見せるのも孝行だぞ。
「そうですね……近いうちに」
 お茶を濁すような答え方をすると、雄高は早々に史彦へと受話器を返した。雄高はこんなとき後ろめたさを感じる。史彦は引っ越しの件は知らせたけれど、雄高と同居していることは伏せたままだ。今も、たまたま遊びに来ているのだと振る舞うしかない。 
 その後、史彦は二言三言口にしてから電話を切った。切った後、肩が凝ったように首を数回横にふった。
「悪いな親父の奴、酔っぱらってやんの」
「元気でなによりだよ、おじさん。またてっきり千乃ちゃんかと思った」
「千乃ちゃん? なに、聞き捨てならないな。ヒコは彼女もいるのか?」
 佐野の言葉に史彦は即座に否定した。
「いや、末の妹。俺、四人兄妹で下が全部妹なんだよ。モトは?」
「俺は一人っ子」
「僕と同じだね」
 意外な共通項に、雄高は驚いた。佐野には、どこか末っ子というイメージがあったから。頭のあがらない、姉がいそうに見えた。
「妹さんたちって、大学生?」
「すぐ下のが、大学一年。ああ、入学祝い贈らなきゃな。その次が高二で、千乃は……」
 答えあぐねて、天井を見上げた史彦に代わって雄高が答えた。
「中二だろう」
 史彦はぽんとひとつ手を叩いた。
「うん、そうそう。中学二年。こっちの女子校に通っている。妹の中で、一番俺と雄高になついてるんだ」
 へえ、と佐野は興味深げに史彦の話を聞いていた。
「かわいい? ヒコの妹たちなら、さぞ美人揃いだろうな」
「写真あるけど、見る?」
 佐野は頷いた。史彦も話題が変わったことで警戒を解いたようだ。嬉々としてアルバムを取りに部屋に入った。雄高もまずは、ほっとして胸をなでおろしたい気分だった。
 ほどなく、史彦は何冊かアルバムを手にして席に戻って来た。得意げに広げると、子供時代の妹たちの写真を佐野に見せた。
「これが、すぐ下の十子。真ん中のが百世、百世の日舞の発表会の時だよ。母親に抱かれてるのが、千乃」
 十年以上前の写真だ。こんなもの取っていたのか、と雄高は驚いた。純粋に家族を思う気持ち。史彦は継母とこそうまくいっていないが、異母妹たちをとても大切にしている。離れて暮らしていても、進学や進級、誕生日やクリスマスには、必ずプレゼントを贈ってるし、それなりに連絡も取り合っているらしい。
 異母兄弟……どんなものなんだろう。史彦はそれでも一緒に住んでいたのだから、実感としてわかるのだろうが。
 あどけない、三姉妹の写真。史彦は千乃の中学の入学式の写真や、十子のテニス大会の優勝杯を掲げた写真など、次々に佐野に見せた。
「みんな、可愛いね。いいな、俺って兄弟がいないからこんなのに憧れるよ。碓氷さんは、兄弟は欲しくなかった?」
「えっ……」
 急に話題を振られて雄高は口ごもった。雄高は会ったことのない、半分だけ血の繋がる弟のことを考えていたのだ。血の繋がり……。それはまるで、遠くに灯る明かりだ。どんなに離れていても、その明かりを忘れることや消し去ることはできないだろう。けれど、その明かりが暖かいものとは限らない。
「ああ、そうだね。欲しかったな。でも、実は僕にも弟がいるんだ。離婚した父が再婚してから生まれた弟。会ったことはないけど」
 雄高は自然に見える笑みを浮かべて答えた。
「歳は千乃ちゃんくらいじゃないかな? よくは知らないけど」
「俺ん家も、母子家庭だよ。やっぱ離婚してさ。高校のときに、母親が再婚して家にいるのが面倒になって、こっちに下宿したんだ。なんか似てるよね、俺と碓氷さんって」
 佐野は最後まで話を聞くと、にこりとほほ笑んで雄高を見た。複雑な家庭環境にこだわらず、あえてさらりと反応してくれた佐野に雄高は少しばかり感謝した。
「ヒコたちの写真も見たいな。見せてくれる?」
 史彦はもう一冊のアルバムを開いた。まだ髪が肩ぐらいまでしかない、史彦がいた。バイト先の書店のみんなと、飲み会をしたときの写真。太る前の店長と、今はお母さんになった若林、地元で銀行員になったとい聞いた坂井。どれも懐かしい顔ぶれだ。そして顔を寄せ合ってピースサインをする雄高と史彦の写真。まだ、このころは雄高は説明しがたい史彦への想いを胸の中であたためていた。
「これ、碓氷さん? ずいぶん痩せてるね」
 佐野が指さしたのは、高二の十二月、修学旅行の写真だった。東大寺の大仏殿をバックに、鹿と雄高のショットだ。ブレザーの制服姿の雄高の頬はこけている。今より五キロは少ない体重だった。
「体調を崩しててね」
 そう説明する雄高を、史彦は少し複雑そうな笑顔で見ている。史彦は、雄高の食欲不振の理由を今でも忘れずにいるのだろう。
 しかも、この数週間後に雄高は初めて第三者と関係を持った。そう考えると、写真の自分の笑顔がひどく無責任に見えて、いまさら腹立たしく思った。
「史彦、あれはないのか。学祭のコンテストの」
 そんな感情を押し込めるために雄高が話題をふると、史彦は髪を振り乱してあわてふためいた。
「取ってねーよ、あんなの。だいいちおまえ、えらい剣幕で怒ったくせに!」
「何のこと?」
 佐野が興味深げに聞いて来た。雄高は、その写真のことを思い出してつい吹き出してしまった。史彦が慌てて会話に割って入ろうとしたが、慌てれば慌てるほど、言葉にならない。ただ両手をばたつかせているだけだ。
「女装コンテストで優勝したんだよ、史彦。そのときの写真、売れに売れて実行委員会から感謝されたんだ」
「へー、見たかったな。ヒコの女装」
「見せようか。実は、持ってるんだよ」
 雄高が部屋の机から、パスケースを持ち出した。かつてのバイト先の書店店長の習慣を真似て、大切な写真を普段から持ち歩いている。それは雄高の写真コレクションの一枚として収められている。
「なに! なんで、なんで持ってるんだよ、雄高が。俺は、ちゃんと全部処分したと思ったのに」
 史彦は顔を赤くしたり青くしたりしておたつき、佐野は大はしゃぎだ。雄高は楽しくて、わざと意地悪く史彦を横目で見た。
「……とあるルートから入手しておいたんだ」
「ああ! 武市だろ、武市が水琴に頼んで。そんで……!」
 その通りだった。怒ってはいたけれど、大切な史彦の写真だ。入手しないはずがない。雄高の手から取り上げようとする史彦をかわして、佐野にパスする。途端に、佐野が感嘆の声を上げた。
「すっげー美人! これホントにヒコ?」
「いいから、そんなこと言うなよ。もう勘弁してくれ!」
 今度こそ真っ赤になって抗議する史彦。写真の史彦は、髪をアップにし濃いめの化粧を施して美女に変身している。これなら、由岐よりも美人だと雄高は思っている。
 写真でひとしきり盛り上がり、史彦はゲーム機をリビングのテレビと接続し、佐野とゲーム大会になだれ込んだ。
 雄高はそんな二人を眺めながら、手があいたすきに少しずつテーブルを片した。ビールに変わってウイスキーの水割りを出すと、佐野は勢いよく飲んで行く。それが酒だということすら忘れるほど、ゲームに集中している。佐野はきっと集中力が人並みはずれてるんだろう。以前、見た『二宮金次郎』状態の佐野を雄高は思い出した。
 雄高はゲームには興味がない。史彦はよほどゲーム仲間に飢えていたらしく、はたから見ていて呆れるほど、延々と画面上でバトルを佐野と繰り返している。
 そんな状況がどれほど続いたのか。唐突に佐野の体が傾いだと思うと、コントローラーを持ったままばたりと床に転がった。
「モト!」
 さすがに史彦も慌てて、佐野の肩を揺すると既に寝息を立てていた。
「寝てるよ……」
 史彦は呆然とつぶやいた。雄高は目を真ん丸に見開いた史彦と顔を合わせて笑った。まるで子どもの眠りかただ。限界まで遊んで、電池が切れたようにぱたんと寝てしまう。
 雄高と史彦で、用意して置いた部屋へと運んでやった。見た目のまま、体重もさほどなかった。長身の雄高と史彦に、佐野を運ぶことはたやすかった。
 布団に寝かせて眼鏡を取ると、元来が童顔の佐野はよけいに幼く見えた。よほど楽しかったのか、うっすらと笑っているようにも見える穏やかな寝顔だ。
 起こさないように静かに扉を閉めると、史彦は大きく伸びをした。
「コーヒーでも飲むかな」
 史彦は、髪をほどいてあくびをした。
「うん、じゃあ入れるよ」
 雄高が用意しようとすると、史彦がそれを押し止どめホウロウのコーヒーポットを火にかけた。
「いいよ、後片づけもしてもらっちゃったし。これくらい俺にさせてくれよ」
 雄高は素直にそれを史彦に譲ると、腰を下ろした。テレビの音を低くして、ニュース番組に切り替える。今日最後のニュースをチェックしていると、ペーパードリップで入れた香りのよいコーヒーを史彦が運んでくれた。
 雄高に手渡すと、隣に腰を落ち着けて無言でテレビの画面を見据えた。ニュースは今日一日の国内外の出来事を手短に伝える。首都圏で起こった殺人事件や、銀行の不正貸付に、海外の高速道路での事故。雄高はいれたての芳醇な香りを楽しみながら、コーヒーを飲んだ。史彦のいれるコーヒーはうまい。雄高は気に入っている。
「雄高……」
 史彦が小さな声で雄高を呼んだ。史彦に瞳を転じると、史彦はカップを置いて膝をかかえていた。
「モト、知ってたんだな……あの事件」
「うん。でも、あれ以上のことは知らないだろう、きっと。なにげに思い出しただけだよ。俺たちとあの事件の接点なんか気づかないよ」
 うん、と頷くと史彦は、そのまま自分の膝に額を乗せて、うずくまる格好になった。史彦はさっきまであんなに元気よく振る舞ってはいたが、どうやら空元気だったらしい。
 そういえば、普段よりアルコールをとっていたように見えたが、まだ酔っていないようだ。酔えないなにかが、佐野の言葉に緊張したのかも知れない。雄高は、史彦の肩を抱き寄せた。
「大丈夫だよ。調べようがない、あれは」
「でも、新聞記事にもなったじゃないか。小さくだけど」
 地元の新聞の事件欄にほんの小さく載った記事。雄高も覚えていたが、安騎野の名前は伏せられてあったし、雄高たちのことも『居合わせた男子高校生二名』としか表現されていなかった。
「俺は卑怯者だから……」
 史彦はぽつりと言うと、いっそう体を小さくした。雄高は目を見開いた。
「どうしてそんなことを言うんだ。史彦は違うだろう」
 雄高の言葉に史彦は首を強く左右にふった。長い髪が乱れて頬にかかる。雄高は優しくその髪をなでて、額に唇をよせた。
「殺してやりたいと思うことと、実際に殺すことには雲泥の差があるよ。だから死ねばいいと思うことと、実際にそいつが自殺を図って死ぬのとは……」
「あいつは、生きてる。それに、その件なら史彦に責任はないよ。本人もそう言ったんだから」
 安騎野の病室まで史彦は行けなかった。そのことを今でも気に病んでいるのだろうか。史彦は安騎野を嫌っている、恨んでいるといったほうが正しいのかも知れない。
「それでも、あいつが死にたくなるように仕向けたのは、俺だ。もしも、今の俺があんなふうに職場を追われて雄高にも去られたら、やっぱり死ぬ事を考えるよ。それほど大それたことをやったんだよ、卑劣な手を使って。そうして奴の生活の基盤を根こそぎ破壊したんだ。……足に後遺症が残ったんだろう? そんな体にしたのは、俺じゃないか。誰にも他人の体の自由を奪っていいなんて、権利はない。そんなことをしていいはずがないんだ。でも、俺は雄高とこうしてのうのうと暮らしている。時々思うよ。雄高は安騎野といたほうが幸せになれたんじゃないかって」
「そんなわけあるか!」
 雄高は即答した。史彦と暮らす今ならわかる。安騎野と一緒に生活しても、今のような平穏な精神状態は決して手に入らなかっただろうと。
 安騎野が、雄高ひとりで満足するはずがない。結局もとの木阿弥だ。どんなにそばにいても、安騎野は遠い存在でしかありえない。
 一緒に暮らさないか、といわれて心がぐらついたのは本当だけれど、選ばなくて正解だったのだ。
「だって、雄高はあいつのことが心底好きだったんだろう? あんなことされても。俺はあいつにやられたとき、絶対に殺してやるって思った。絶対に許すもんか、って。あのとき……」
 史彦はいったんそこで言葉を切った。そして雄高から視線を外した。唇がかすかにわななき、史彦は逡巡しているように思えた。が、やがて意を決するように話し始めた。
「あのとき、雄高が部屋から出されて……心細くなった瞬間に、殴られた」
 ここのところ、と史彦が自分のあごのあたりを拳で打つふりをした。
「ぐらってなって、意識が飛んだと思ったら、もうあいつがのしかかっていた。さんざん暴れたよ、でも……」
 雄高はそのときの詳しい状況を聞くのは初めてだった。あのとき、史彦は後ろ手で縛られていた。雄高以上に抵抗したことは安騎野から聞かされてはいたが。
「無理やり入れられて、痛くて叫ぶ口を押さえられて、それでも抵抗したらもう一度殴られた。意識が途切れて、次に気づいたら腕を縛られて、床にうつ伏せにさせられていた」
「史彦……」
 青ざめながら、告白する史彦に雄高の方が脅えた。自分より数段恐ろしい暴力をふるわれたと、初めて知った。たまらず雄高は史彦を抱き締めようとした。けれど、史彦は雄高の腕を拒否し、うつむいたまま続けた。ただ、雄高の肩をつかんだ指がふるえている。
「あいつ、俺の……俺の中に出しやがった……! 覚えてるだけでも、二回」
「!」
「殺したくなるよ、絶対。いっそ、ナイフで刺し殺したかった」
 がくがくと史彦の体がふるえている。雄高は史彦の体を抱いた。
「俺は卑怯者なんだよ。自分の手を汚さずに、あいつを葬ろうとした。雄高が、あいつが自殺するかもって言ったとき、ようやく事の重大さに気づかされた。自分の撒いた種で人の命を終わらせることになる、そう思っただけで怖かった。でも、まだ心の底では『あんな奴、死んで当然だ』と思ってるんだ。俺の中には、そんな凶暴な殺意が潜んでるんだ。今だって、直接顔を合わせたら自分の感情がどう暴走するか分からない。今度こそナイフを手にして、奴の胸に突き立てるかも知れない」
 史彦は雄高にしがみついた。まるでそうしないと、海で溺れてしまう子どものように。
「もう、いいから。史彦は卑怯じゃないよ」
「奴の言うとおりだ。俺は小心者だよ。そんなことをしたなんて、モトに知られたらきっと嫌われる。せっかくいい友だちになれそうなのに、離れていくんだ……」
「そんなことないよ、佐野にはわかりっこない。あの出来事はもう遠い昔のことだ。あいつが二度と史彦の前にあわられることは、絶対にない」
 史彦は雄高の首にだきついた。かすれた声で雄高の耳元で言い募った。
「だから雄高、雄高……離れないでくれ。俺は人一人殺しかねない想いまでしても、雄高と一緒にいたかったんだ。お願いだから、離れないで……」
「離れない。ずっとそばにいるよ、約束する。史彦」
 史彦の癖のない髪に指をさし入れて引き寄せ、雄高は唇を重ねた。雄高は史彦の背中をシャツのうえから優しく撫でた。そのまま史彦を押し倒すようなかたちで、雄高は史彦の鎖骨と鎖骨の真ん中に唇を寄せた。
「してよ……初めてのときみたいに」
 どくん、と雄高の体の奥が脈打った。史彦は静かに目を閉じて、雄高がくるのを待っている。黒髪が床に流れ、かすかに頬を染めた史彦の輪郭を際立たせた。雄高は体の芯がじんとして、そこが熱を持つのが分かった。
 雄高は史彦のまぶたに口づけ、頬と頬を合わせた。史彦の滑らかな肌が熱を持ち、朱に染まる。唇を重ね、上唇を柔らかく噛む。史彦は眉をかすかに歪めて、熱い吐息を吐いた。 シャツのボタンを片手で外し、史彦の胸を明かりのもとにさらす。色白の肌に、筆で刷いたような桜色の乳首が小さく尖っている。雄高は史彦と舌をからめたまま、その突起をつまんだ。
「んっ」
 たまらず史彦が声をもらす。うっすらと目を開けて雄高を見るめつきが悩ましい。
「もう……じらさないでくれよ。そんなとこより……」
 史彦は雄高の手を取り、自身に触らせた。ボタンを外したジーンズのうえからも、その猛りは雄高の手のひらに伝わる。けれど、雄高はあえてそれに気づかぬふりで、史彦の背中に手を回して、乳首を舌先でねぶった。
「雄高の、イジワル」
 潤んだ声で史彦は抗議した。雄高はようやく史彦に手をのばし、下着からすでに熱くなったそれを引き出した。掌中につつんでゆっくりとしごくと、瞬く間にそれはいきり立った。先端から溢れた蜜で雄高の手はほどなく濡れた。
「ぃい」
 雄高は史彦から下着ごとジーンズを脱がせ、開かせた足の間に顔を埋めた。唇と舌を使ってくわえ込み、雄高は史彦の秘所に指をあてがって静かに中に沈めた。史彦は敏感な場所を同時に刺激され、あえぎ声をあげわずかに身をよじった。
 今にもいきそうな史彦から口を離すと、指を引き抜いて今度は舌でそこをなぞった。
「やだっ」
 軽く這わせただけで史彦は達し、白い液を勢いよく雄高に飛ばした。全力疾走した後のように、史彦の胸が激しく上下する。雄高は頬についた精液を手のひらで拭って、なめて見せた。
「史彦」
 雄高も息を荒くしながら、史彦の足首を掴み体を更に大きく開かせた。史彦が顔を歪めてきつく目を閉じる。雄高は、もう一度史彦のすぼまりに指を入れたままで、ていねいにそこを舌で湿らせた。
「やだっ……そんなことまでしなくても」
 涙目で史彦は雄高に頼み込む。そうこう言ってるいるうちにも、史彦は再び力を取り戻し触れられなくとも、物欲しげに雄高の前にそそり立った。
「でも、こっち使うの久しぶりだろう?」
「うっうん」
 史彦は羞恥心からか、口を引き結んで上目使いに雄高を見て頷いた。史彦はされるのにあまり慣れていない。そんな史彦に、ろくな準備もなしに押し入るわけにはいかない。
「でっでも、もう……」
 待たされるのが辛そうに史彦は体をふるわせた。雄高のそれも下着に収めておくにはすでに窮屈で、苦しいぐらいになっていた。
「雄高っ」
 史彦の潤んだ声に促され、雄高にも堰が切れたように情熱が押し寄せる。雄高は下着をおろすと、そのまま史彦の一点に体重をかけた。
「うっ、く……っ」
 まるでナイフがバターにめり込んでいくように、史彦のそこは雄高を飲み込んでゆく。史彦は痛みからか、苦しげに声をあげ、それでも雄高の首に手をまわした。史彦の中は熱く、雄高を締めつける。気を抜いたら、すぐにもいってしまうだろう。雄高はそんな目眩にも似た快感に抗いながら、体を進めた。
「痛い?」
 完全に入れ終わったとき、雄高は体をなるべく動かさないようにして史彦の耳元にささやいた。史彦が白い喉をふるわせている。ごく小さなあえぎ声。いまさら、佐野が泊まっていることを雄高は思い出した。
「声、我慢できる? 佐野に聞こえないよう」
 うんうんと、史彦は何度も頷いた。上気した頬を細い涙が伝う。その表情だけ雄高は背骨がしびれていくような感じがした。
 史彦は、されることに慣れていない。ただしくは、雄高が慣れさせなかった。ごくたまに役割を交替したときに、史彦が浮かべるこんな表情をいつまでも取って置きたかったからだ。初めて肌を合わせたときのように、ぎこちない史彦がたまらないほど雄高は好きだ。 雄高はそんな史彦の顔をつぶさに見ながら、体を動かした。
「あ、っん」
 つないだ部分が熱い。ぬめるものが互いから溢れ、雄高の動きをスムーズにする。史彦を気遣って小さくしていた動きは、いつしか大きなものとなり、そのたび史彦が悲鳴のような声をあげた。さすがに辛くなったのか、史彦が雄高の体を押し返したが、それを無視して雄高は激しく動かし続けた。
 終わりは唐突に訪れた。雄高は予測していた自分の限界よりも速く達し、史彦の中へと
ほとばしらせた。けれど史彦はまだいっていなかった。苦しげに体を折り曲げ、泣きそうな顔で雄高を見上げた。
「ごめん……」
 雄高は史彦の体を抱き起こすと、舌をうなじに這わせた。向かい合った姿勢になり、史彦の膝を持ち上げて急速に回復した自身をもう一度突き入れる。
 史彦の背中が弓のようにしなり、雄高の両肩に力が加わる。その勢いを支え切れずに雄高は押し倒された。史彦は雄高の前に、すべてをさらす。体をそらせ、史彦は雄高の上で自ら動いた。
「さ……さわって」
 言われるまま雄高は史彦のみなぎったものにふれ、力を加減しながら掴んだ。史彦の激しい動悸がそのまま雄高にも伝わるようだ。雄高はゆっくりとそれを先端に向かってこすり上げた。史彦が喉の奥から出るくぐもった声をこらえながら、それでも動きは止めなかった。
 雄高はあいたほうの手で史彦の胸の尖りを摘まんだ。
「うあっ」
 締めつけがきつくなったかと思うと、史彦は雄高の手の中に白いものを吐き出した。雄高もほぼ同時に史彦の中で再び弾けた。
 息を荒くしながら、力が抜けた体を雄高に重ねてくる史彦を雄高はだきしめた。もうろうとした史彦に口づける。夢見るような瞳の史彦が、雄高に口づけを返す。
 史彦、自分の大切な恋人。雄高は腕の中にある『至福』というかたちの史彦をいつまでも抱いていたいと思った。
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