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 だからといって、雄高の怒りが収まったわけではなかった。
 研究室で、教授の手伝いをしながらも雄高は頃合いを見計らっていた。
「すごい人気らしいですよ」
 研究室に入って来た出雲井が声を弾ませて雄高に話しかけた。
「どうした?」
 雄高はワープロを打つ手を止めて出雲井を見上げた。グレーのヘンリーネックの半袖シャツにジーパン姿の出雲井は、カバンをおろしてにこにこと笑った。
「碓氷先生の基礎心理学、受講希望者が受付初日でもうほとんど満員だっていってましたよ」
「当然だね」
 相馬教授は親指をあごに当てて、わざとニヒルに笑って見せた。雄高の隣に座る奥津が吹き出した。けれど、同意するように首を縦に振ることは忘れなかった。
「だってね、学内新聞ももう在庫がないって聞きましたよ。お目当ては、碓氷先生らしいです」
「じゃ、写真撮りなおして売ろうかな。いいアルバイトになる」
「あっ、わたし欲しい! 友だちに頼まれてるの。碓氷先生の話をしたら、写真あったら見せてって熱烈に言われた」
 奥津と出雲井は気が合うらしく、絶妙の掛け合いを研究室で見せる。タブロイドに載せた写真を撮ったのは、出雲井だ。聞くところによると、地元発行の新聞社主催のコンテストで入賞するぐらいの腕前らしい。けれど雄高はそれだけは勘弁して欲しいと思った。
 自分は別にそんな器ではないから。外見で判断されるより、実際に講義をうけて自分のことを評価して欲しいのだ。
 そう思いながらも、普段は自分の外見を利用していないでもないが……。雄高はワープロへの入力が一段落したのをきっかけに、席を立った。
「図書館に本を返して来ます。そのままクリニックへ行きますから、今日はこれで」
「えー、一枚ぐらい撮らせてくださいよ」
 出雲井が懇願するように言ったが、無視した。これ以上ここにいたら、どんなことになるか雄高も想像出来た。雄高は皆に向かって早々に挨拶すると研究室から図書館へと向かった。
 時刻は間もなく正午を指す。市役所から、地元出身の歌人の和歌に節をつけた物悲しいメロディーが鳴るころだ。
 少し汗ばむような陽気の中を、雄高は図書館へと足を運ぶ。緑もいっそう濃くなり、校庭の桜もちらほらとほころび始めている。今日はコートがいらないような気温にまで達するだろう。
 図書館のカウンターは、おそらく新入生たちだろう、手続きや説明やらで、込み合っていた。佐野は、髪を振り乱して以前『ハゲ』と暴言を吐いた係長と対応に追われていた。雄高はカウンターから少し離れた新聞を読むために設けられたスペースの椅子に座り、佐野の手が空くのを待った。
 今朝読みそこねた記事を拾い読みしながら、時折佐野を見る。
 仕事の時は、ごくまじめだ。要領をえない学生の言葉にも真剣に耳を傾け、ていねいに分かりやすく図書館の説明をしている姿からは、普段雄高には見せることのない自然な笑顔もときおり現れる。
 前にも思ったが、佐野は仕事をしているときが幸せそうだ。それがいくら忙しくて、手間の取るものだとしても、嬉々として取り組んでいる。決して、給料のためだけではないだろう。佐野は、仕事を心底愛しているのだ。恐らく天職と感じて。佐野に対して、よい印象はあまりないけれど、この点に関しては雄高も認めざるを得ないものがある。
 学生の波が引けると、佐野は雄高に気づいたらしく、軽く手をあげた。雄高は腰を上げると、カンターへと向かった。
「これ、返却します」
 佐野は、疲れたらしく無言で頷くと返却の処理をした。目の下に隈が出来ている佐野の顔は、いつもより気弱に見えた。
「佐野さん、少し時間があるかな」
 雄高は佐野を冷ややかに見据え、落ち着いた声音で佐野に話しかけた。佐野はすべて分かっているらしく、あっさりと同意した。
「係長、お先に休憩入らせてもらいます」
「ああ」
 愛想のない声で係長は答え、佐野は雄高と一緒に図書館から出た。横を歩く佐野は少しうつむいて、暗い穴蔵から引きずり出されて目がきかなくなったモグラのようだ。目をしょぼしょぼさせ、この陽光が辛いように見えた。
「睡眠不足ですか?」
「ええ。昨夜は本を結局最後まで読んでしまったから。でも碓氷さん、こんなことを聞きに来たわけじゃないでしょう? 俺に」
 顔をあげると、雄高を見て平然と笑った。雄高はかすかに眉をしかめ、不快感を表せて見せたが、佐野にはまったく通じなかった。
「とんだ策士だと思いましたよ。昨夜、史彦から話を聞かされてね」
「策士? 光栄だな、碓氷先生からそんな称号を頂けると。ヒコとはもう話がついていたから、あえて碓氷さんの了解を取らなくてもいいかとも思ったんだけど。言ってたよね、別にそんなに気を使わなくてもいいって。俺は、ヒコの友人としてヒコに招かれて奴の部屋に遊びに行くってことなんだから」
 食ってかかるような、佐野の語気に押されて雄高は言い返せなかった。しかも、いつのまにか佐野まで史彦のことを『ヒコ』なとど呼んでいる。ふたりの親密さを見せつけられたようで、雄高は本気で腹を立てそうになる。
 佐野は雄高の険しい表情を少しの間、挑戦的な目で見ていたが、疲れたようにふっと瞳をそらした。
「碓氷さん、昼飯一緒に食べない?」
 結構だ、と断ろうとした雄高は佐野の顔からいつの間にか刺がなくなっていることに気づいた。そしてどこか寂しげに遠くを見る佐野を拒否できなかった。
 学食は講義が終了する直前だったから、まだあまり込み合ってはいなかった。天気もいいことだし、学食のセルフサービスで各自選んだメニューをのせたトレイを外のテーブルへ運んだ。
 外の一番奥に置かれたテーブルで差し向かいに座ると、佐野は、礼儀正しく雄高に頭を下げて詫びた。
「謝ります。同居人の碓氷さんを無視するようなことをして、すみませんでした」
 昨夜の態度とは全く違ったものだった。冗談半分のようなものではなく、誠心誠意という言葉が当てはまるような、そんな謝罪だった。
「いいよ。このことに関しては史彦とも合意ずみだから。史彦はものすごく楽しみにしているんだ、佐野さんが来てくれるのを」
 昨夜からの怒りは不意に消え、雄高は逆に佐野に気を使い言葉が優しくなってしまう。
「そう言ってもらえると……。嬉しいです」
 雄高はサワラの照り焼きにはしをつけた。佐野もクラブサンドイッチに手をのばした。雄高は和食を、佐野は洋食を中心に献立を選んだようだ。しばし無言で食事は進む。
 徐々に学食は混み始め、外のテーブルから埋まる。勝手のわからない新入生が、仲間同士であれこれと言い合いながらメニューを決めている。雄高と佐野はなにも言わずに、まずは黙々と食事をとった。
「碓氷さんは、恋愛を人生の第一義にする?」
 唐突に佐野が雄高に聞いた。雄高は食後のお茶を口に含んだところだった。恋愛という佐野には不似合いなせりふに少し驚き、戸惑った。
「例えば、灰智さんか仕事かどちらかを選べといわれたら、どうする?」
 佐野は儀式のようにコーヒーをスプーンでなんどもかきまぜている。
「どうって、そんなの選びようが……」
「だから、例えば」
 真剣な佐野の表情に、おためごかしはききそうもなかった。雄高は、逡巡した。どちらを、と聞かれたら、けれど答えは決まっている。
「史彦だよ」
 雄高は湯飲みを置き、テーブルの上にゆっくりと指を組んだ。その答えに、佐野はウェイブのかかった髪をかきあげて、空を仰いだ。そしてそのままで自分の答えを口にした。
「俺は、仕事だよ。いつだって、人生で恋愛が優先順位の一位になったことなんかない。碓氷さんは、きっぱりと言い切れるんだ。ある意味羨ましいよ」
 雄高はつい先程の佐野の仕事ぶりを思い出した。確かに、佐野は仕事を愛しているのだろう。それは分かる。けれど、恋愛を最優先しないというのは、そういう相手にまだ巡り合っていないからとも言えるのではないか。
「僕らは、普通のカップルとは違うから。奇跡だと思ったよ。両想いだって分かったときには。でもそれは、きっと男女の間でもそうなんだろうけれど」
 今までにいちばん胸が高鳴ったのは、史彦から告白されたときかもしれない。夜の公園で抱き合った夏のことを、つい先日のように雄高には思い出される。
「十年て言ってたよね。俺は長続きしないんだ。いつだって、自分のことを最優先させちまうから。自分の為に費やす時間を削ってまで、恋人と一緒にいたいなんて考えないからさ。いつも向こうが愛想をつかして、それで終わり」
 佐野は、ため息を吐いた。佐野の、恋人。こんな佐野も、恋人には優しくしたりしたんだろうか。雄高はその姿が想像出来ずにいた。
「自己中心的だからさ、俺。碓氷さんたちを見てると、羨ましくなるよ。こんなふうに相手を思い合って作っていく人間関係があるんだなって」
「そんなことないよ。けっこう喧嘩もするしね」
「それでも、さ。だって、俺は『アレクサンドリア図書館の鍵をやろう』と言われたら、何もかも捨ててそれを手に入れるだろうから」
「アレクサンドリア? アレキサンダー大王が造った都市の?」
「そう、当時世界全土から書物が集められていた図書館。全世界の英知の結晶といったところかな。もっとも千六百年以上前に焼け落ちて、今はなにも残ってない」
 佐野は、空の向こうに幻の図書館を見るように、遠い目になった。雄高は、そんな目で空を見る人物を不意に思い出して、佐野から目をそらした。
「これから先も、きっと変われない。自分のことが一番で、他人を喜ばせたり、役に立てることなんかしない。自分が、自分がって利己主義のままで歳を取るんだ。それはそれで、俺が選んだ道だから別に不服なんかないけど」
 佐野に、諦めの表情はなかった。むしろ、覚悟を決めたものだけが持つような強さを感じて、雄高は初めて佐野を畏怖した。
「でも、明日には運命の人と出会うかもしれない」
 驚いたように振り向いた佐野は、明るく笑った。演技ではなく、自然に笑った。
「碓氷さんって、冷めてるようで妙に純真だよ。でも俺はそんなのに期待はしていなけどさ。ありがとう。そう言ってくれるだけで、なんか……嬉しいよ」
 照れ臭そうに頬を赤くして佐野は笑った。今日は、青のチェックのシャツだった。ネクタイの柄はあまり見かけないような、凝ったデザインのものだ。留学時代に向こうで買ったものかも知れない。
 雄高は、佐野の好ましい笑顔から目が離せない自分に気づいて慌てた。雄高は焦るように腕時計を見た。もうクリニックに行かないと、出勤時間に間に合わない。
「今日はクリニックに行くので。じゃあ、週末に」
「ええ、楽しみにしてます」
 佐野との会話が平和に終わったのは、これが初めてだった。

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