メイストーム

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 大粒の雨が降っている。路面に激しくぶつかる雨音が、町の騒音をかき消してしまったようだ。人気のない路地を抜け、雄高は佐野の部屋の扉をノックした。
 佐野は今日もまた、明りをつけずに部屋にいるらしい。けれど扉が開くまでにはしばらく時間があった。雄高は雨でけぶるオレンジの街灯を見上げた。
 あんな明りが胸の中にあったはずなのに。今の雄高の体はまるでおが屑でも詰まっているようだ。ただ重く、そして空虚。なにかの物語りにもあった、心臓を持たない人形。
「雄高……どうしたんだ、ずぶ濡れで。傘は? 傘もささないで来たのか」
 佐野を待つわずかな間に、足元へ小さな水たまりができていた。
 佐野は雄高の腕を取ると、部屋に上げてタオルを取りに行った。中途半端に片付けられた部屋。パソコンは立ち上げたままだ。ディスプレイに英文が浮かんでいるのにも、もう見慣れた。
「風邪ひいちまうから、よく拭けよな。シャワー浴びるか? それとも」
 佐野はいつにも増して饒舌だった。雄高が見つめると、佐野はなぜか視線をそらした。気まずげに……顔色もこころなしか青く見える。
「なに?」
 雄高がディスプレイを指さすと、佐野が決まり悪そうに横を向いた。
「なんでもないよ。なんにしろ……俺には全然」
「ジョシュア……?」
 佐野の動きが止まった。腕組みをしたまま横を向くと、そのまま右手で口元を押さえて俯く。なにか重大な知らせがあったのだ、海の向こうから。
「別居したそうだ」
 ああ、そういうことか。
「でも、だからって俺には関係ない。雄高がいるんだから。今さら奴となんて考えてもいないよ」
 手にしたタオルで佐野は雄高の頭を拭いた。まるで取り繕うように、佐野は不自然な笑みを浮かべ、雄高の髪の滴をふき取り額に口づけた。
 雄高は佐野の手を握った。佐野はそれを雄高とは別のサインと受け取ったのだろう。雄高を引き寄せ、キスしようとした。
 が、雄高は顔を伏せたまま声を絞り出した。
「ごめん」
 佐野の動きが止まった。指から力が抜け雄高を解放した。顔をあげると、半分口を開けたままの佐野が雄高を見ていた。
「だめだ、やっぱり俺には……」
「やめろ!」
 悲鳴のような声をあげて、佐野は雄高の言葉を封じようとしたがかなわなかった。
「史彦が必要なんだ。誰よりも」
 雄高は佐野を見つめて告げた。佐野は耳を塞げば、雄高の言葉などなかったことに出来るとでも思ったのか、両手で耳を覆った。
「それぞれの場所へ帰ろう……佐野にだって、本当は帰れる場所があるんだろう? 俺は史彦のところへ行く。もう、許してもらえないと思うけど……でも、戻る場所はあいつのところしかないんだ」
「冗談言うなよ、いまさらどのツラさげてヒコのところへ行くっていうんだ? 俺の好意を受け入れたから、関係を持とうとしてくれんだろう? なあ!」
 佐野はタオルを投げ捨て、雄高の肩をゆさぶった。
「ひかれなかったと言えば嘘になる。俺も佐野にひかれたよ。でも、それはまるで生き別れになった兄弟に巡り合ったようなものだったんだ。だから、ひかれた」
「何いってるのか、わからないよ」
 雄高は今にも泣き出しそうな佐野の顔を見つめ、静かに膝を折った。
「きっと佐野も、望んでも望んでも、手に入れられないものを諦めてきたんだろう? それは親からの愛情だったり、結果的に相手を傷つけて終わった恋だったり……俺たちは確かに似ている。精神的な双子のようだ」
「だからこそ、分かり合える。違うのか? 俺は雄高のすることなら何でも許すよ。他の誰と寝たっていい。それは前にもいっただろう? 俺さえ最後に選んでくれたら、一緒にいてくれたら、それだけでいいんだ。たった、それしか望まないのに。それすらも、俺には大それた願いだっていうのかよ」
 涙を浮かべながら佐野は叫んだ。雄高の思考の中に、佐野の思いが水滴のように落ちて来る。
「そんなに自分を追い詰めなくていい。誰も佐野の不幸は望まない。幸せを選んでも、誰も責めない」
 唇をかみしめる佐野の頬を涙が流れた。
「いやだ、雄高にいてほしい。誰にも渡したくない! おまえなしで、どうして幸せだって言える?」
「……佐野、いちばん恋しいのは、ジョシュアだろう? だからあれほど渡米を望んでいたんだろう?」
「ちがう! あいつなんてどうでもいい、俺には雄高が……」
 佐野の言葉が涙に詰まった。雄高は佐野の顔を見上げた。教授が言っていた。佐野は自分を押さえつけて思春期を過ごしたのだと。何かを我慢し続けて、佐野は声を出して泣かない大人になった。
「俺は、こういう扱いに慣れているんだ。俺を好きになる誰かは、身代わりで俺を好きになる。でも愛情に飢えていた俺にとっては、そんなことどうでも良かった。身近にいて優しくしてくれる存在なら、いくらでも手に入れたかった。のべつまくなしに。さもしいんだ、人の愛情に関して。そしていつも誰かの代用品になることも分かっていて受け入れていた。安騎野にとっては、史彦……佐野にとっては……ジョシュアの代わりだ」
「あんな奴と一緒にするな! 俺は真剣に雄高を」
 雄高は首を横に振った。
「史彦だけなんだ。史彦だけが、このままの俺を好きになってくれた。代用品じゃない、俺を」
 子どもの頃からそばにいた……それだけが理由ではない。安騎野との出来事の後も、雄高を支え続けたのは史彦だった。ただ、それに甘え、慣れ切った雄高は何度か史彦を裏切る行為に走ってしまった。
「ジョシュアは佐野を待っているんじゃないか。海の向こうで」
 佐野は胸を突かれたように、唇をかみしめた。まなじりがかすかに震えているのが見えた。そのまま佐野は口を閉ざした。
 雄高はゆっくりと立ち上がろうとした。その時、うなるような声を佐野があげた。
「行かせない」
「佐野……」
「行かせない。雄高は誰にもやらない。どうしてもここから出て行くって言うなら……!」
 佐野はシンクの下の扉を勢いよく開け、伸ばした手が包丁を握った。
 金属のはじく光が雄高の目に飛び込んで来た。刃先が小刻みに揺れる。
「ふたりして俺をからかいやがって!」
「佐野!」
 逆手に持たれた銀色の刃が鈍く光った。


                                    
「お客さん、このへん? ここの家の前でいいの?」
 無愛想なタクシーの運転手は、目をつぶったままの雄高に容赦なく声をかけた。
 雄高は両腕で体を抱くようにして縮めていた姿勢をゆっくりと正し、外を見た。
 板塀に囲まれた、純日本家屋。塀の向こうには、整えられた庭木が夜のしじまに溶けている。通用門のわきの明かりに照らされて、『灰智』の表札が見て取れる。
「ええ、ここで」
 雄高は身を起こすと、かすかに顔を歪めた。そんな雄高に運転手は、あからさまに不信な眼差しを向ける。
 料金メーターは一万円を越える数字が表示されていた。雄高は財布からクレジットカードを出して、運転手に渡した。
「支払いはこれで出来ますか?」
「そりゃ、出来るけど……困るんだよね。お客さん、ずぶ濡れだったから、シートまで水がしみちゃってるよ」
 雄高は曖昧に頭を下げて、運転手からカードを受け取った。瞬間、雄高のワイシャツの袖口についた染みを目にしたのか、眉が不自然に歪んだ。余計なことを問われる前に、雄高はタクシーから降りると、通用門を抜けて数メートル先の玄関を目指した。
 ガレージには、史彦のセダンがある。きっといる。あの扉の向こうに史彦がいる。
 雨は止んだ。敷石を踏む足がふらつく。わずかな溝に足を取られて転びそうになる体を必死に保って雄高は玄関の引き戸を叩いた。
 呼び鈴も押さず、なんの訪いもなしに、史彦の自宅の戸を叩いた。
「史彦! 史彦!」
 ガラス扉が派手な音を立て、間を置かずに玄関に明かりがついた。駆け寄る人影に瞳をこらす。あれは史彦だろうか? 
「史彦」
 目の前の引き戸が開いた。和服姿の史彦の父親が先頭に立ち、その後ろには家族全員がこわごわと続いていた。
「雄高くんじゃないか」
「おじさん……夜分遅くすみません、史彦は」
 前かがみになりそうな姿勢を無理に起こして、雄高は史彦の父に尋ねた。雄高のあまりの気迫に押されたのか無言で振り返えり、視線の先を追うと史彦が呆然と立っていた。
「史彦……史彦」
 史彦がかすかに雄高の名前を呼んだ。
「史彦、謝る。俺が悪かった。だから」
 頭を下げた途端、目の前が暗くなった。雄高は三和土に膝を折って崩れた。
「雄高っ」
 家族をかき分け、史彦が駆け寄り雄高の肩を支えた。
「……史彦、ごめん。……今までお前に甘えすぎた。全部、ぜんぶ片をつけてきたから」
 両手をついたタイルの冷たさに指がしびれる。いや、体全体がしびれてくようだ。腕から力が抜けていく。無言の史彦が雄高を見つめている。
「もう誰にも振り向かない。史彦がいればほかに誰もいらない」
「雄高?」
 史彦の視線が雄高の右の袖口に注がれる。着ている服が重く感じられる。まるで床ごと世界が沈んでいくようだ。
「なんだよ、これ! どうして」
 耳元で叫ぶ史彦の声が遠くに聞こえた。史彦が家族を振り返り、『救急車を』と言うのが聞こえたような気がした。
「清算したから……」
「もう話すな。父さん、早く救急車を呼んで!」
 史彦が雄高の体を抱きすくめた。史彦の長い髪が雄高の頬にかかる。
「見合いなんかしないでくれ。どんな誓いでも立てるから……俺を束縛してほしい」
 もういちど、史彦が名前を呼んだような気がしたが、雄高は救急車のサイレンの音だけを記憶にとどめた。
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