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夏の章
アイスコーヒー
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竜幸は、花束を抱えてリビングにいた。Tシャツにジャケットという少し改まった姿だ。
「竜幸さん、なに勝手にあがって……」
風の声が自然ときつくなる。
「ん? おれ、もとはここに住んでいたし。じぶん家みたいなものじゃない。それに、今日はじいさんの誕生日だ」
おめでとう、と竜幸は大げさなまでの花束をおじいに差し出す。しかし、おじいは受け取らなかった。竜幸は肩をすくめて、花束をテーブルへ置いた。それから、ふとおじいの隣に座る男性に視線を移した。
「凪、おまえは凪か?」
酔っぱらって、舟をこぐ凪に竜幸は声をかけたが、凪はうつらうつらと返事にもならさないうなずきを返すばかりだ。
「相変わらず、頼りないな。年下の叔父さんは」
竜幸は凪の長兄の子だ。年は凪より二つ三つ上なのだ。
「竜幸さん、帰ってください。ぼくたちは、あなたに用は……」
「少し黙れよ!」
竜幸の恫喝に風の体は硬直した。勤めていたとき上司からあびた暴言がフラッシュバックして、冷や汗が流れ体がすくむ。
「いつもつれないな、風は」
なれなれしく風の肩を叩くと、おじいの向かい側に座る。
「いい話を持ってきたんだ。ここ、売らない? いや、売るって言ってもそのまま住んでいて構わないんだ」
「な、何言ってるんですか、売りも貸しもしません」
体をかすかにふるえさせながら、風は反発した。
「ひどい話じゃない。まずここを売る。そうすると、風の手元にはそれ相応の金が入る。ここに住むにあたっては、家賃を払うかたちだけど、ずっと住むことが可能。ローンに頭を悩ませることはなくなる。な? いい話だろ」
それ相応の、と聞いて風の体が揺れた。今現在、経済的に逼迫はしていないが、もしおじいを施設に預けることになったなら、その費用はといつも考えてしまっていたのだ。
「な? これから金が必要になることもあるだろうし、それに」
と竜幸が言いかけた時、前のめりで寝ていた凪がゆっくりと体を起こした。
「竜幸さん、それリースバックというやつですよね」
凪は両手で前髪をかきあげた。ついさっきまで閉じていた瞼が、すっと開いてくる。
「たしかに、まとまったお金は入りますね。ちなみに、ここをいくらで買うつもりですか。幹線からず入ったところで道幅も狭い。この家の場所はいわゆる旗竿だ」
旗竿は、路地の奥にあるどん詰まりの土地の事だ。お世辞にも便利とは言えない。さらにいうと家の敷地には桜の大木があり、駐車スペースも一台くらいしか取れない。
「二千万から二千五百が妥当かと思っているけど。少ないか、少ないならもっと上乗せしてもいい」
「そうなると、家賃として支払うのは年間一割相当ですから月に十六万から二十万くらいですか」
えっと、風は思わず小さく叫んだ。
「高いですよね。風がいま支払っているローンより高い。それでは意味がない」
「いや、二千万くらいの金が手元に来るなら、悪くないよ」
「家賃の支払いだけでも十年程度しかもたない金額じゃないですか。それなら、風はローンを支払い終える」
「ちょっと待てよ、このじいさんはあと十年も生きて、風と同居を続けるとでも?」
半笑いの竜幸に、風は心臓を冷たい手で掴まれたように感じた。おじいは小さくため息をついた。
「このお話は、今度にしませんか。うちの銀行から詳しい者を同席させます」
「疑り深いな、叔父さん。別に詐欺でもなんでもないのに」
からかうような口調で竜幸は凪に返答を返す。
「わたしは、あなたのことを信用していませんから」
凪はきっぱりと言い切った。さっきまで酔っぱらって居眠りしていたのが嘘のような応酬をタツユキと繰り返す。
ふっと息をもらして竜幸は椅子から立ち上がった。
「せっかく、じいさんの誕生日を祝おうと思って足を運べば、この仕打ちか」
タツユキは、ブルゾンのポケットに手を入れた。
「また来るからな」
「そのときは、事前にご連絡を」
立ち上がった凪がすかさず、タツユキの背中に声をかける。
「そしたら、茶の一杯も出してくれるのか?」
振り返ったタツユキは、皮肉げに顔を歪めて三人を見渡すと、家から出ていった。
「は……」
凪が息を吐いて、すとんと椅子に座り直した。
「父さん!」
風が声をかけると、凪は眠そうに目蓋をこすった。
「凪、よくやった。ありがとう」
おじいが、凪に礼を言うと、ゆらゆらと頭を左右に揺らした。それから風の目を見てはっきりとした声で話しかけた。
「風、もしおじいが施設や病院のお世話になる時がきたなら、費用は息子であるわたしが出す。それが当たり前なんだ。風には負担をかけない」
風は目を見開いた。いつもは頼りない父親が、やけに大きく見えた。体の強ばりはとけていた。
「お前には、世話になってる。本当に世話になってる。感謝しているんだ」
凪は風に頭を下げた。
「父さん……頭をあげて。それで仕事が忙しいだろうけど、たまには顔を出して。毎週金曜日は、茉莉花ちゃんが来て、みんなでカレーを食べてるよ」
風は父親に、小さなお願いをした。たまに顔を出したなら、自分の親の様子も分かるだろう。残された時間は、あまり多くはないだろうから。
「わかった」
凪は風の目を見てうなずいた。凪は、いつもの穏やかな下がり目に戻っていた。
「コーヒー、飲もうか」
風が途中まで入れていたコーヒーを濃い目に変更して人数分淹れた。アイスコーヒーに作り替えて三人は喉を潤した。
「凪、花を持っていってくれ。夏樹さんに渡して家に飾ってもらえ」
少しは、家の中が華やぐだろうから。
「竜幸さん、なに勝手にあがって……」
風の声が自然ときつくなる。
「ん? おれ、もとはここに住んでいたし。じぶん家みたいなものじゃない。それに、今日はじいさんの誕生日だ」
おめでとう、と竜幸は大げさなまでの花束をおじいに差し出す。しかし、おじいは受け取らなかった。竜幸は肩をすくめて、花束をテーブルへ置いた。それから、ふとおじいの隣に座る男性に視線を移した。
「凪、おまえは凪か?」
酔っぱらって、舟をこぐ凪に竜幸は声をかけたが、凪はうつらうつらと返事にもならさないうなずきを返すばかりだ。
「相変わらず、頼りないな。年下の叔父さんは」
竜幸は凪の長兄の子だ。年は凪より二つ三つ上なのだ。
「竜幸さん、帰ってください。ぼくたちは、あなたに用は……」
「少し黙れよ!」
竜幸の恫喝に風の体は硬直した。勤めていたとき上司からあびた暴言がフラッシュバックして、冷や汗が流れ体がすくむ。
「いつもつれないな、風は」
なれなれしく風の肩を叩くと、おじいの向かい側に座る。
「いい話を持ってきたんだ。ここ、売らない? いや、売るって言ってもそのまま住んでいて構わないんだ」
「な、何言ってるんですか、売りも貸しもしません」
体をかすかにふるえさせながら、風は反発した。
「ひどい話じゃない。まずここを売る。そうすると、風の手元にはそれ相応の金が入る。ここに住むにあたっては、家賃を払うかたちだけど、ずっと住むことが可能。ローンに頭を悩ませることはなくなる。な? いい話だろ」
それ相応の、と聞いて風の体が揺れた。今現在、経済的に逼迫はしていないが、もしおじいを施設に預けることになったなら、その費用はといつも考えてしまっていたのだ。
「な? これから金が必要になることもあるだろうし、それに」
と竜幸が言いかけた時、前のめりで寝ていた凪がゆっくりと体を起こした。
「竜幸さん、それリースバックというやつですよね」
凪は両手で前髪をかきあげた。ついさっきまで閉じていた瞼が、すっと開いてくる。
「たしかに、まとまったお金は入りますね。ちなみに、ここをいくらで買うつもりですか。幹線からず入ったところで道幅も狭い。この家の場所はいわゆる旗竿だ」
旗竿は、路地の奥にあるどん詰まりの土地の事だ。お世辞にも便利とは言えない。さらにいうと家の敷地には桜の大木があり、駐車スペースも一台くらいしか取れない。
「二千万から二千五百が妥当かと思っているけど。少ないか、少ないならもっと上乗せしてもいい」
「そうなると、家賃として支払うのは年間一割相当ですから月に十六万から二十万くらいですか」
えっと、風は思わず小さく叫んだ。
「高いですよね。風がいま支払っているローンより高い。それでは意味がない」
「いや、二千万くらいの金が手元に来るなら、悪くないよ」
「家賃の支払いだけでも十年程度しかもたない金額じゃないですか。それなら、風はローンを支払い終える」
「ちょっと待てよ、このじいさんはあと十年も生きて、風と同居を続けるとでも?」
半笑いの竜幸に、風は心臓を冷たい手で掴まれたように感じた。おじいは小さくため息をついた。
「このお話は、今度にしませんか。うちの銀行から詳しい者を同席させます」
「疑り深いな、叔父さん。別に詐欺でもなんでもないのに」
からかうような口調で竜幸は凪に返答を返す。
「わたしは、あなたのことを信用していませんから」
凪はきっぱりと言い切った。さっきまで酔っぱらって居眠りしていたのが嘘のような応酬をタツユキと繰り返す。
ふっと息をもらして竜幸は椅子から立ち上がった。
「せっかく、じいさんの誕生日を祝おうと思って足を運べば、この仕打ちか」
タツユキは、ブルゾンのポケットに手を入れた。
「また来るからな」
「そのときは、事前にご連絡を」
立ち上がった凪がすかさず、タツユキの背中に声をかける。
「そしたら、茶の一杯も出してくれるのか?」
振り返ったタツユキは、皮肉げに顔を歪めて三人を見渡すと、家から出ていった。
「は……」
凪が息を吐いて、すとんと椅子に座り直した。
「父さん!」
風が声をかけると、凪は眠そうに目蓋をこすった。
「凪、よくやった。ありがとう」
おじいが、凪に礼を言うと、ゆらゆらと頭を左右に揺らした。それから風の目を見てはっきりとした声で話しかけた。
「風、もしおじいが施設や病院のお世話になる時がきたなら、費用は息子であるわたしが出す。それが当たり前なんだ。風には負担をかけない」
風は目を見開いた。いつもは頼りない父親が、やけに大きく見えた。体の強ばりはとけていた。
「お前には、世話になってる。本当に世話になってる。感謝しているんだ」
凪は風に頭を下げた。
「父さん……頭をあげて。それで仕事が忙しいだろうけど、たまには顔を出して。毎週金曜日は、茉莉花ちゃんが来て、みんなでカレーを食べてるよ」
風は父親に、小さなお願いをした。たまに顔を出したなら、自分の親の様子も分かるだろう。残された時間は、あまり多くはないだろうから。
「わかった」
凪は風の目を見てうなずいた。凪は、いつもの穏やかな下がり目に戻っていた。
「コーヒー、飲もうか」
風が途中まで入れていたコーヒーを濃い目に変更して人数分淹れた。アイスコーヒーに作り替えて三人は喉を潤した。
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