時の舟と風の手跡

ビター

文字の大きさ
7 / 36
夏の章

アイスコーヒー

しおりを挟む
 竜幸は、花束を抱えてリビングにいた。Tシャツにジャケットという少し改まった姿だ。
「竜幸さん、なに勝手にあがって……」
 風の声が自然ときつくなる。
「ん? おれ、もとはここに住んでいたし。じぶんみたいなものじゃない。それに、今日はじいさんの誕生日だ」
 おめでとう、と竜幸は大げさなまでの花束をおじいに差し出す。しかし、おじいは受け取らなかった。竜幸は肩をすくめて、花束をテーブルへ置いた。それから、ふとおじいの隣に座る男性に視線を移した。
「凪、おまえは凪か?」
 酔っぱらって、舟をこぐ凪に竜幸は声をかけたが、凪はうつらうつらと返事にもならさないうなずきを返すばかりだ。
「相変わらず、頼りないな。年下の叔父さんは」
 竜幸は凪の長兄の子だ。年は凪より二つ三つ上なのだ。
「竜幸さん、帰ってください。ぼくたちは、あなたに用は……」
「少し黙れよ!」
 竜幸の恫喝に風の体は硬直した。勤めていたとき上司からあびた暴言がフラッシュバックして、冷や汗が流れ体がすくむ。
「いつもつれないな、風は」
 なれなれしく風の肩を叩くと、おじいの向かい側に座る。
「いい話を持ってきたんだ。ここ、売らない? いや、売るって言ってもそのまま住んでいて構わないんだ」
「な、何言ってるんですか、売りも貸しもしません」
 体をかすかにふるえさせながら、風は反発した。
「ひどい話じゃない。まずここを売る。そうすると、風の手元にはそれ相応の金が入る。ここに住むにあたっては、家賃を払うかたちだけど、ずっと住むことが可能。ローンに頭を悩ませることはなくなる。な? いい話だろ」
 それ相応の、と聞いて風の体が揺れた。今現在、経済的に逼迫はしていないが、もしおじいを施設に預けることになったなら、その費用はといつも考えてしまっていたのだ。
「な? これから金が必要になることもあるだろうし、それに」
 と竜幸が言いかけた時、前のめりで寝ていた凪がゆっくりと体を起こした。
「竜幸さん、それリースバックというやつですよね」
 凪は両手で前髪をかきあげた。ついさっきまで閉じていた瞼が、すっと開いてくる。
「たしかに、まとまったお金は入りますね。ちなみに、ここをいくらで買うつもりですか。幹線からず入ったところで道幅も狭い。この家の場所はいわゆる旗竿だ」
 旗竿は、路地の奥にあるどん詰まりの土地の事だ。お世辞にも便利とは言えない。さらにいうと家の敷地には桜の大木があり、駐車スペースも一台くらいしか取れない。
「二千万から二千五百が妥当かと思っているけど。少ないか、少ないならもっと上乗せしてもいい」
「そうなると、家賃として支払うのは年間一割相当ですから月に十六万から二十万くらいですか」
 えっと、風は思わず小さく叫んだ。
「高いですよね。風がいま支払っているローンより高い。それでは意味がない」
「いや、二千万くらいの金が手元に来るなら、悪くないよ」
「家賃の支払いだけでも十年程度しかもたない金額じゃないですか。それなら、風はローンを支払い終える」
「ちょっと待てよ、このじいさんはあと十年も生きて、風と同居を続けるとでも?」
 半笑いの竜幸に、風は心臓を冷たい手で掴まれたように感じた。おじいは小さくため息をついた。
「このお話は、今度にしませんか。うちの銀行から詳しい者を同席させます」
「疑り深いな、叔父さん。別に詐欺でもなんでもないのに」
 からかうような口調で竜幸は凪に返答を返す。
「わたしは、あなたのことを信用していませんから」
 凪はきっぱりと言い切った。さっきまで酔っぱらって居眠りしていたのが嘘のような応酬をタツユキと繰り返す。
 ふっと息をもらして竜幸は椅子から立ち上がった。
「せっかく、じいさんの誕生日を祝おうと思って足を運べば、この仕打ちか」
 タツユキは、ブルゾンのポケットに手を入れた。
「また来るからな」
「そのときは、事前にご連絡を」
 立ち上がった凪がすかさず、タツユキの背中に声をかける。
「そしたら、茶の一杯も出してくれるのか?」
 振り返ったタツユキは、皮肉げに顔を歪めて三人を見渡すと、家から出ていった。
「は……」
 凪が息を吐いて、すとんと椅子に座り直した。
「父さん!」
 風が声をかけると、凪は眠そうに目蓋をこすった。
「凪、よくやった。ありがとう」
 おじいが、凪に礼を言うと、ゆらゆらと頭を左右に揺らした。それから風の目を見てはっきりとした声で話しかけた。
「風、もしおじいが施設や病院のお世話になる時がきたなら、費用は息子であるわたしが出す。それが当たり前なんだ。風には負担をかけない」
 風は目を見開いた。いつもは頼りない父親が、やけに大きく見えた。体の強ばりはとけていた。
「お前には、世話になってる。本当に世話になってる。感謝しているんだ」
 凪は風に頭を下げた。
「父さん……頭をあげて。それで仕事が忙しいだろうけど、たまには顔を出して。毎週金曜日は、茉莉花ちゃんが来て、みんなでカレーを食べてるよ」
 風は父親に、小さなお願いをした。たまに顔を出したなら、自分の親の様子も分かるだろう。残された時間は、あまり多くはないだろうから。
「わかった」
 凪は風の目を見てうなずいた。凪は、いつもの穏やかな下がり目に戻っていた。
「コーヒー、飲もうか」
 風が途中まで入れていたコーヒーを濃い目に変更して人数分淹れた。アイスコーヒーに作り替えて三人は喉を潤した。
「凪、花を持っていってくれ。夏樹さんに渡して家に飾ってもらえ」
 少しは、家の中が華やぐだろうから。
 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

下宿屋 東風荘 7

浅井 ことは
キャラ文芸
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆*:..☆ 四つの巻物と本の解読で段々と力を身につけだした雪翔。 狐の国で保護されながら、五つ目の巻物を持つ九堂の居所をつかみ、自身を鍵とする場所に辿り着けるのか! 四社の狐に天狐が大集結。 第七弾始動! ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆*:..☆ 表紙の無断使用は固くお断りさせて頂いております。

レオナルド先生創世記

ポルネス・フリューゲル
ファンタジー
ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

処理中です...