冬の恋人 ワンサイドゲーム

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「どうして、わざわざ来たの?」
 病院で二年ぶりに会った妻は、点滴を受けながら、それでも憎まれ口をわたしにたたいた。けれど、変わらぬ気丈さが愛しかった。
 成長した息子は、都内の大学で建築を学んでいると言った。
 面会の時間が切れるまで妻の病室に詰め、夜は息子とふたりで自宅でくつろぐ。
 空白の二年間を埋められるはずはないが、たわいのない会話を交わす。
 想像していたよりも、数段穏やかな休暇に心が和む自分に気づいた。
 あの日の情交のあと、陸は駅までわたしを見送ってくれた。
「お父さんには、帰る場所があるんだね……」
 陸、きみには帰る場所はないのかい。
 もしかしたら、わたしはきみを一人きり置いて来るよりも、酷い仕打ちをしたのではないのかい? 
 もう、会えないのかも知れない。こんどの年末は、ユタカくんと過ごすのかも知れない。わたしもプロジェクトが一段落した。今後の仕事はどうなるのか未だ決まっていない。
 不確定要素と、お互いの素性が分からないことが二人をつなぐ思えば奇妙な関係だ。
 天の采配。あのとき、わたしが声をかけなかったら。陸が応えなかったなら。いくつもの、もしもが、わたしたちの前にはあったはずなのに。
 休暇を終えてまた仕事が始まった。
 二月を前にして妻は療養を兼ねていた病院生活を終え、さっそく仕事に復帰したと息子から連絡があった。
 似た者同士か。わたしも妻も、走り続けなければならない性分なのだろう。
 離れて住む同志の妻に、エールを送りながらわたしもまた仕事に励んだ。
 けれど、噴水広場に陸を探す。
 陸、帰る場所は見つかったかい?
 淋しくて、泣いたりしていないかい?
 頑張りすぎなくてもいいんだよ。
 ……陸に伝えたい言葉があふれてくる。



 初夏を迎えるころ、息子からわたしを尋ねたいと電話がきた。
 こちらの街には、現役の明治時代の建築物が残っているから勉強に見てみたいという、その申し出を断る理由などなかった。
 旅費はバイトをして貯めた、と息子の陸は言った。土木作業のバイトで陸の体は日に灼け、立派な筋肉がついていた。もとより両親ともに体格がいいから、陸も当然その血を受け継いでいる。
 建築家をめざすより、現場の方が似合うんじゃないか、とからかうわたしに、陸は白い歯を見せて笑った。
 現場も楽しかったよ。いいよね、あんなふうにみんなで一つのものを造るのってさ。いつか、自分の設計した家を建てるときには、俺も現場で手伝えたらな。
 それは職種が違うだろう、というと、わかっているけどね、と頭をかいた。
 彼女はいるのかい? とわたしが問うと、陸は苦笑した。
 うん、すごく気の強い子なんだ。俺ってマザコンなのかな? 母さんなみにキツイこと言ったりするけど、その……。
 わたしの前で大いに照れて、陸はむやみにビールを口に運んだ。
 知らぬ間に、真っすぐ大らかに育った息子がまぶしかった。
 家庭を顧みないわたしと、忙しすぎる妻とでろくな子育てができたとは思えない。けれどよくグレもせず、育ってくれたと。
 陸はいい子だな、とわたしが言ったら、なんだよソレ、と顔を赤くした。
 こんな日が来るとは思っていなかったよ。
 だらしがない親父のわたしを、見捨てずにいてくれてありがとう。
 そう言うと、何いってんだよとさらに顔を赤くされた。
 父さんは、いつ戻ってこられる? たまには母さんにも連絡してあげてよ。
 息子の言葉に目頭がふと熱くなる。
 大切な言葉は身近な存在にこそ、伝えよう。
 その晩、妻に電話をした。
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