冬の恋人 ワンサイドゲーム

ビター

文字の大きさ
7 / 9

7

しおりを挟む
 今年こそもう会えないのかも知れない。
 なぜかそんな予感がした。だから、いつもの場所で陸に会えたときの驚きはこれまでの比ではなかった。
 すらりとしたプロポーションに、精悍な顔つきの陸は、わたしに向かって軽く手を振った。在り来りのダッフルコートも、陸が着ると数段よく見えるから不思議だ。
 陸は青年への階段を駆け上がる。既にわたしの手の届かない場所までいってしまった。
「わたしたちは、お互いに誰かの代わりを求めていただけかも知れない」
 陸の笑顔が凍りついた。粉雪が街灯にきらめく。陸の肩に降りかかる。改めて知る。なんて美しい青年なんだろう。
「きみは、父親と一日だけの恋人を。わたしは、息子とやはりその場かぎりの恋人を」
「それがなに? あなたはそれが不満?」
 陸は腕を組み替え、わたしをはすに見据えた。彼はあざといまでに自分の魅力を知り抜いている。
「ホントの息子と和解したから、もう俺は用済み?」
 虚を突かれた。陸は何もかも見透かすような目でわたしを見た。まるで、東京で休暇を過ごすことも知っているかのように。
「……夏に、見たよ。二人で歩いているところ。俺には気づきもしなかったよね。『陸』ってさ、恋人の名前かと思ってたけど、息子の名前だったんだね、ばか正直にもさ」
 彼は鼻先で笑い飛ばした。背筋を冷たいものが走る。整った顔が、このうえもなく冷酷にほほ笑む。
「俺はルールを守ったよ。だから、こうして今年も来たんだ」
 言葉もなく立ち尽くすわたしに、陸は小さく呼びかけた。
「タカムラ」
 名前を、なぜわたしの名前を知っているんだ? 血の気が引き、指がふるえた。わたしの反応を確かめ、片頬で笑い彼は続けた。
「俺、あなたの勤め先も知ってるよ。オフィスにいきなり顔を出そうかな。それとも受付で大声で呼べばいい? タカムラって」
 思わず陸の両肩を掴んで揺さぶった。
「やめてくれ、そんなことは……! 金が欲しいなら……」
 陸の表情が凍りついた。
「……いらないよ、なにも」
 長いまつげをかすかに伏せ、陸はつぶやくように言った。
「ゆすり目的って思われて当然だよね」
 薄く笑う陸。わたしは取り返しのつかないことを言ってしまったことに気づく。
「結局は……そうだよ。保身に走るべきだよ、オジサン。お互いゲームなんだ。それ以外に俺とつきあう理由なんかない」
 彼は肩からわたしの手を振り払うと背を向けた。
「さよなら」
 立ち去ろうとする陸の腕をとっさにつかんだ。
「俺、行くとこはいくらでもあるから。別にあなたである必要なんてない。あなたもそうなんだろう? だったら、別の奴を買えよ」
 腕から力が抜けた。もう、終わりだ。陸はそのまま人込みの中へと消えていった。わたしは何も言えなかった。伝えたい言葉は、こんなことではなかったはずなのに。
 陸はわたしでなくても、よかったのだ。
 彼が言ったとおり、これはゲームだった。いささか気の長い、一年に一度の。彼はまたべつの相手を見つけるだろう。わたしでない、誰かを。
 四度目の冬は、そんなふうにして終わりを告げた。



  ゴールデンウイークが終わり、梅雨前の新緑にあふれる一番いい季節に、妻がやって来た。淡いグリーンのワンピースに身を包んだ妻は、若々しく見えた。
「陸に聞いてたけど、いい街ね。県都なのに、緑があふれている」
 妻と川沿いの新芽をつけた柳の揺れる遊歩道をたどる。途中、野の花の絵ばかりを集めた画廊をのぞいたりした。
「よく、休む気になったね」
「たまにはね、休息は必要だわ。わたしも、あなたも」
 遊歩道のベンチに腰かけると駅の方向に、わたしが参加したビルが見える。
 妻が指さしてわたしに尋ねた。
「あれね、あなたが苦心したビルは。どう? 収益は上がってる?」
「うん。予想したよりもね。なんとか」
 テナント集めに苦労したが、無理を言って出店を頼んだブランド店と、あまり名前は通っていないが、良いものを扱うショップを入れた。会員制のミニシアターには、通好みの映画がかかる。学生でも手の届く雑貨から、中高年でも満足出来るような品揃えの店まで幅広く対応できたせいで、床面積あたりの収益は会社がもくろんでいたよりも上の数字をたたき出している。
「でも、それがなんだっていうんだろう。休日もなく、働いて、働いて。なのに、わたしの手には何が残る? ねえ、君はどうしてそんなに仕事中心の生活を送れるんだい?」
 妻は、困ったようにほほ笑み、白く細い指を口元にあてると、考え込むように小首をかしげた。
「きっと、意味なんかないと思うわ。自分が生きて来た証しを残したい、とか、人に認められたいだとか、お金がたくさん欲しい、なんてことはハズレじゃないけどアタリでもない。それは二次的なものであって、目的じゃないもの。きっとね、そういう性分なのよ。辛かったり、傷ついたりすることも多いけど、そのたびに自分の知らない自分に出会えるような気がして、それが楽しいの。働くことで、社会とつながっていることで、わたしはわたしの輪郭を保っていられるのかも知れない」
「そんなの、悲しくないかな。働いていなくても、君は君だよ」
「そうね、そう分かってくれる人がいるからこそ、わたしは安心して戦場に飛び込んで行けるの。ね、カイくん、泣きながらだって生きていけるわ」
 海くん。学生時代の呼び名で妻はわたしを呼んだ。とたんに、隣に腰かける妻が出会ったばかりの年齢に戻ったような気がした。
 キャンパスで、彼女は長い髪を無造作に後ろで結び、男子学生の混じってコンペに出品する模型造りに集中していた。わたしはその姿に釘づけになったんだ。細身のジーンズに包まれた長い足とくびれた腰。なにより外見に似つかわしくないほどの勇ましさ。
 そんなことは、何年も思い出したことなどなかったけれど。
「そうだ、陸がつき合ってる子って誰だと思う? 池部の娘なのよ!」
「池部! あの池部? 俺たちをふったあいつの娘?」
 わたしが笑うと、つられて妻も笑った。大学の先輩で、妻とわたしの想い人だった池部の娘か。世間は狭いな。
「会ってみたいな、その娘に。東京に戻ったら。……緋紗子さん、東京に帰ったらまた一緒に暮らしてもいい?」
「なに言ってるの、当然じゃない。彼氏とでも住む気なら別だけど」
「あ、その節は、ご迷惑をおかけしました」
 素直に頭を下げると、妻はぺしりと軽くわたしを叩いた。
「ようやく謝ってくれたわね。なにが腹立たしかったって、弁解ひとつしないで全部自分でしょい込んで転勤したのが一番許せなかったのよ」
 妻は大きく息を吐き、肩から力を抜いて晴ればれと笑った。
 そうだね。わたしは帰ってもいいんだね。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

ラピスラズリの福音

東雲
BL
*異世界ファンタジーBL* 特別な世界観も特殊な設定もありません。壮大な何かもありません。 幼馴染みの二人が遠回りをしながら、相思相愛の果てに結ばれるお話です。 金髪碧眼美形攻め×純朴一途筋肉受け 息をするように体の大きい子受けです。 珍しく年齢制限のないお話ですが、いつもの如く己の『好き』と性癖をたんと詰め込みました!

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

処理中です...