冬の王女 - 約束の冬 -

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 北の空から、ひと群れの白鳥たちが飛んできました。
 今朝は初氷が張るほどの冷え込みです。四季の塔で『秋』を司っていた秋の王女は侍女たちに声をかけ塔を降りました。
 風を切る羽音、コウコウと白鳥たちが鳴きかわす声が塔のうえを行きすぎると、先頭を飛んでいた一羽だけが弧を描いて戻ってきました。
 ひときわ白く輝く大きな翼、小さな銀の冠を頂いた白鳥はふわりと秋の王女の前に降りたちました。
「冬の王女……お姉さま」
 白鳥は翼をたたみ、体をふるわせると見る間に氷の粒をまとったドレス姿の冬の王女に変わりました。
 銀の髪を腰まで長くおろし、澄み透るような青い瞳は物憂げな長い睫に縁どられています。
「大儀であった」
 秋の王女は右手を胸にあて、膝を折ってうやうやしくお辞儀をします。侍女たちもまた、それにならって頭を下げました。
「では、よろしくお願い致します」
 ぶどう色のビロードのゆったりしたドレスに身を包んだ秋の王女は、姉である冬の王女に笑いかけました。丸い頬にえくぼが浮かびます。
「ええ」
 冬の王女は眉ひとつ動かさず、わずかに赤い唇をふるわせました。侍女たちは主人である秋の王女のかげに隠れて、氷柱のように立つ王女をまっすぐに見ようとはしません。
「気をつけてお帰り」
 しゃらしゃらとドレスの氷の粒を鳴らしながら、冬の王女は塔の中へと入っていきました。
 閉じられた扉は見る間に下から氷の結晶で覆われました。
 王女が階段や廊下をゆきすぎると、赤く色づいた蔦や飾られた秋の花はたちまち枯れ、氷になって砕け落ちました。柔らかな布地のカーテンと厚い絨毯は消え去り、磨かれた氷の冬の王女の居城へと姿を変えます。
 塔の最上階の玉座は王女が手をかけると、たちまち凍りつきました。
 玉座に落ち着くと、帰り支度のをする侍女たちの声が耳に入りました。秋の王女にはたくさんの侍女がいます。果実酒や瓶詰を作るために人手がいるからです。
 白鳥の声で塔のあるじの交代を知ったのでしょう。近くに住む村人がお見送りに来はじめたようで、賑やかな声がします。
 秋のあいだに作られた葡萄酒や栗の蜜煮などが、やって来た人々にお別れの挨拶代わりに振る舞われます。
 あとは秋の王女の住まいである西の館から、迎えの馬車がやってくるのを待つだけです。
 冬の王女はため息をつきました。
 すると空から白い花びらのような雪が降り始めます。人々のざわめきと馬のいななき、車輪がきしむ音。
 馬車が来たようです……。やがて別れを惜しむ声に、御者の鞭の音が聞こえました。そして走り出す馬車。
 王女は立ち上がると、塔の窓を開けました。
 三台の馬車が降る雪の中を遠ざかって行くのが見えました。
 そして村人たちが肩をすくめて帰るところも。中には空を見上げて舌打ちしている者もいました。
 誰も塔を振り返ったりしません。王女はただ一人、降る雪を見つめていつまでも窓辺にたたずむのでした。

 世界の中心には四季を司る塔があります。
 塔には決まった期間、四季の王女が住むことになっています。

 春の王女は末の王女。明るい金の髪をした少女のようなかたです。暖かい風を呼び、草木に目覚めるよう歌いかけます。
 夏の王女は春の姉、小麦色の肌に波うつ黒い髪の乙女。作物や花ばなが育つよう惜しみなく陽の光と雨とを与えてくださいます。夜でも塔が輝いてみえるほど陽気なかたです。
 秋の王女は春と夏の姉。豊穣の季節にふさわしく、ふくよかな体をしています。濃い栗色の髪を結いあげ、慈母のように穏やかです。
 そして冬の王女は……すらりと背が高く、銀の髪に青い瞳。四季の王女の一の姉ぎみで誰よりも美しく、物静かなかたです。
 四人の王女は交代で季節を収め、四季を巡らせます。それは父である王さまが世界を作られたときに決められたことわりなのです。

 四つの季節を廻すのはだれ? 
 花咲く春の王女、陽射しの夏の王女、実りの秋の王女、静寂の冬の王女たち。
 塔から我らを見守りぬ。
 巡り来る、巡り来る。とこしえに変わることなく

 お祭りで人々は歌います。春に、夏に、秋に。
 春は命の目覚め。暖かくなる陽ざしのなかで、王女と人々は踊ります。男女で手を取り、微笑みを交わし。
 夏は短い夜に花火が上がります。楽器を持ち寄り、夜通し弾き歌います。
 秋は収穫の祭りです。おいしい料理を町の広場に持ち寄って皆で囲み、実りに感謝を捧げます。

 けれど、冬のお祭りはありません。
 降り始めの雪に喜ぶ子どもたちも、手や足にしもやけができるころには、雪遊びに飽きて春が待ち遠しくなるのです。大人たちは雪にやり込められ、時には猛威を振るう吹雪から家族や家畜を守るのに身をすり減らします。命を落とすことだってあるのですから。
 命さえうばう冬の王女を冷酷だと人々は忌み嫌い続けました。
 寒さが人々に苦痛ならばと、冬の王女はその昔、冬にあまり雪を降らせませんでした。野も山も、枯れた草がぬるい風にゆられていました。
 最初こそ喜んだ人々も、なんだか気味悪げに空をみあげました。
 草花も動物たちも寒くない冬に調子を崩し、春から秋にかけて、その年のずれを三人の王女が苦労してふだんどおりに直しました。
 冬の王女は父王に呼ばれました。
「冬は冬らしくしてくれないと、皆が困るではないか」
 渋い顔をする王の前で冬の王女は無表情で立っていました。ただ、ドレスの氷は細かくふるえていました。
 雪を降らせても降らせなくても、人々を困らせてしまう……。
 居城である北の宮殿に一人きりで住まう王女は胸が冷えていくのがわかりました。
 そして何もかもあきらめたのです。
 ほかの王女のように、待ち望まれることや感謝されることに。
 自分の存在を消せないのなら、すべてをあきらめて、ただ沈黙していよう……と。

 雪が山も森も村も全てを白く染めてしまいました。
 川や沼にも厚い氷がはり、氷霧のはりついた木々は行く手を阻み、村人たちは家にこもります。
 ある朝、王女は白鳥の声に目を覚ましました。ベッドから起きて窓を開けると、数羽の白鳥がバサバサと塔へ入ってきました。
 白鳥は言葉を話せませんが、王女には分かります。
 ……冬の離宮に、足を踏み入れた者がおります。
 白鳥はそう訴えています。王女はガウンを脱ぎ捨て、やにわに白鳥へと姿をかえました。そして塔にやって来た者たちを引き連れ森の奥深くにある離宮めざして飛び立ちました。

 曇り空のもと、かたく締まった雪原に一組の足跡が点々と続いています。それは村の道から大きく外れて森の方へ、森から森を抜けてさらに遠くの湖の方角までつながっています。
 飛び立った白鳥たちは、たちまち冬の離宮にたどり着きました。離宮は深い森の中の、小さな湖のほとりにあるのです。
 白鳥たちは湖面へと降り、水しぶきをあげ高く鳴きました。王女は湖面を滑って湖畔に立つと元の姿に戻りました。
 小さな足跡の主は森にたたずんでいました。
 木の桶を左手にさげています。黒ずんだ毛糸の帽子から金の長いおさげが背中に一本、着ているものといえば真冬には心もとないボロに近い羊の毛織のオーバー。大きすぎるミトンの手袋がずり落ちそうです。
「おまえ……」
 王女の声におどろき、振り返った少女は薄青の瞳を見開きました。
「どこから入ったのだ。ここは妾(わらわ)の離宮、人にとっては禁忌の場所と知ってのことか」
 少女は王女を口を開けてまっすぐに見つめています。
 王女は少女の顔をよくよく見ました。ひどいあばたが顔じゅうに散らばっています。けれど、本来のはだの色は透き通るように白いことを見抜きました。
「ごめんなさい、王女さま」
 女の子は拙いながら、謝りました。いちど頭を下げると、またまっすぐに王女を見ます。
月虹げっこうの魚をさがしていて、とてもきれいな森をみつけたので……あまりきれいだったので……」
「誰に命じられた。月虹の魚など、おまえたちの住む場所にはいないのに」
 月虹の魚は、冬の満月の夜に滝のしぶきにかかる虹からごくまれに生まれる魚です。月の光の中を泳いで、王女の離宮へと集まるのです。
 手に持つ桶を背中にかくして女の子はうつむきました。こんな真冬に小さな子どもだけで、ありもしないものを探すように使いにだすなどと……この子は体よく追い払われただけではないかと王女は思いました。
「わ、わたし、冬だけは元気にすごせるんです。ほかの季節はにがてで。だから領主さまが、わたしになら見つけられるだろうと、それで」
 お役に立ちたくて……消え入りそうな声で女の子は言いつのりました。
「……春は好きではないのか」
 王女はうつむいたままの少女に問いかけました。女の子はうなずきました。
「春はクシャミが止まりません。目もかゆくて、腫れてしまいます」
「では、夏は?」
「夏は日に焼けて真っ赤になります。それから火ぶくれを起こしてしまうんです」
 あばたのなかには、火ぶくれの痕も混ざっているようです。
「秋は? 秋ならばよかろう」
「いいえ、咳が止まらなくて皆さんといっしょにいられません」
 なんと、とさすがの王女も言葉を失いました。足あとの方角から、女の子はマニャーク家の者と思われました。塔から少し離れた領地です。
「捨て子だったわたしをひろってくださったのに、畑仕事もちゃんとできないのです。ですから……ご領主さまに少しでもご恩返しを」
 もしかしたら、あまり大切にされていないのかも知れません。少女のそまつな服を見て王女は思いました。
「冬は、好きなのか」
「好きです、大好きです」
 女の子は顔をあげ、澄んだ青い瞳を輝かせて言いました。
「雪も氷もきらきら光ります。体は元気になります。ここもなんてきれいなんでしょう。まるで雪と氷の宮殿です」
 それに、と少し頬を桃色に染めました。
「王女さまも、とてもお美しいです。ごめんなさい、こんなきれいなところもきれいな方も初めて見ました……まるで夢をみているみたい」
 王女は首を巡らせました。木々は白く凍りついています。湖の近くに、氷で作られた四阿あずまやがあり、雪の花で飾られています。白鳥たちがいまは静かに湖面を泳いでいます。
 きれい? ここが。王女にはあまりに見慣れ過ぎた場所です。
 にわかに空が晴れて、陽ざしが離宮に差し込みしました。
「わあ……!」
 女の子は歓声をもらしました。王女も思わず離宮を見入りました。天から射られた光の矢は、氷を輝かせました。きらめきはきらめきと呼応しあい、まるで離宮全体が雪原から浮き上がっているように感じられました。
 王女は黙って女の子の手から桶を取り、湖の上を歩みました。そして中ほどへ来ると、紅い唇をかすかに動かしました。するとどうでしょう。飛びはねた魚がみずから桶の中に入りました。
 女の子は目をぱちくりして岸辺でそれを見ています。
「これをもっておゆき」
 女の子に返された桶には、鱗が青白く輝く小魚が入っていました。
「こ、これ、月虹げっこうの魚ですか?」
 王女はうなずきました。
「それを領主に見せなさい。ただし、明日の晩には月明かりの下に桶をおきなさい。魚が月の光を泳いでこの湖に戻って来られるように」
 いいですね、と王女は女の子に念を押しました。
「わかりました。かならずそうします」
 まっすぐな瞳は、王女の目を臆することなく見つめます。
「では、もうお帰り。すぐに陽が落ちてしまう」
 女の子は王女にお辞儀をすると、自分の足あとをたどって森から去っていきました。

「冬が好きだなんて……」
 王女は四阿あずまやの氷のベンチに腰を下ろし、そばに来た白鳥をなでました。
 そして、離宮がとても美しい場所であることに初めて気づいたような気持ちになりました。

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