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第18話 ひと時の帰還の夢
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短剣が自分の喉元に向けて、振りかざされるのが視界に入る。
瞬間、頭が真っ白になる。
言葉にならないわめき声を上げながら、両手、両足はもちろんありとあらゆる筋肉を、動かして、必死に防御する。
もみあっている内に、何度か、鋭い痛みが全身を貫く。
それでも、動きを止めずに、体を懸命に動かし、男を押しやる。
そのかいもあってか男が後ろにのけぞって、僅かな距離が生まれた。
その隙をついて、地面に転がっている短剣を手元によせる。
男は、その動きに気付き、鬼のような形相を浮かべて、再び短剣を振り下ろしてくる。
無我夢中で、握りしめた短剣を突き出す。
こちらの刃が男の体に達する方がわずかに早かった。
短剣が男の胸部に突き刺さる。
男は、短い悲鳴を上げて、そのままぐったりと力なく、のしかかってくる。
荒い息をあげながら、上にいる男の体をどかす。
両手を地面につけながら、ノロノロと後ずさりする。
その時になってようやく周りの雑音が——女の叫ぶようなうめき声が——耳元に聞こえてきた。
横を見ると、残った男の一人と修道女——アニサ——とが、もみ合っていた。
影人が男とやりあっている合間にもうひとりの男はアニサに向かっていたようだ。
アニサは、路地に積まれている木箱を盾にして、なんとか男からの攻撃を防御している。
だが、それも長くはもちそうにない。
アニサも、影人の様子に気づいたのか、一瞬、こちらの方に視線を向ける。
目が一瞬合う。
その冷たかった目は生への欲求で熱気を帯びて、すがるような眼差しを返している。
さすがに逃げるわけにはいかない。
それに、興奮状態が続いているせいか、全身を襲っていた不安感は先ほどよりは大分中和されていた。
倒れている男の手から、短剣を拝借し、アニサの方へと駆け寄る。
目の前まで近づくと、男は、こちらの存在に気付き、チラリと顔を向ける。
そして、女よりもまずは、武装した男を始末する方が先決と判断したのか、体ごとこちらに向き直る。
男は、その時ようやく地面に倒れている仲間に気づいたようだ。
驚きと怒りが、入り混じった表情を浮かべて、こちらを睨んでくる。
突然、男がくぐもった声を発する。
そして、その両目が急にグルンと上に寄ったかと思うと、その場にガクンと膝から倒れ込む。
地面に横たわる男を見ると、首の後ろに短剣が深々と刺さっていた。
視線を上に戻すと、アニサが、両手を血に染めて、男を見下ろしていた。
「なんとか……切り抜けたようね」
アニサの声はまだ少し震えていたが、その顔には安堵の表情が浮かんでいた。
緊張状態から解放されたためか、はたまた命を繋ぎ止めたためか、言いようのない多幸感が全身を包む。
だが、そんな気分も長くは続かなかった。
すぐに、全身を強烈な痛みが襲ってきたからだ。
アニサが、こちらの体を見るや、目を見開いて、驚いた表情を浮かべる。
今まで気づかなかったが、全身血だらけだった。
もみ合っている内にいつの間にか何箇所か刺されていたようだ。
痛みはますます強くなっていき、体中が熱くなってきた。
もはや立っていられなかった。
たまらず、その場に膝を着く。
「ちょっと! 大丈夫——」
アニサが、叫びながらこちらに駆け寄ってくるのが、ぼんやりと目の端に映る。
そして、そのまま視界が暗くなる。
天井に映るのは、真っ白な壁。
はっと気付き、あたりを見渡すと、そこには慣れ親しんだ光景が広がっていた。
安物の一人用クッション、ローテーブルに置かれた使い古した端末機器類。
そうか。戻ってきたんだな……。
この場所はあの野蛮で不潔な世界とは違う。
清潔で安定した文明の痕跡がいたるところにある。
視界には、もう一つ見慣れたものが映っていた。
仮想空間に接続するための機器一式がベッドの上に転がっている。
なんだ……やっぱりそうだ。
あの世界は単なる仮想空間だったんだな。
安堵感が全身を包み込む。
でも……何故だ。
おかしい。
動くことができない。
はっとあることに気付き、急に猛烈な不安感が湧き上がってくる。
これは……夢だ。
単に夢を見ているだけだ。
次に目にしたのは、同じく天井だった。
ただ、その壁は石造りで出来た薄汚れたねずみ色をしていた。
ゆっくりと体を起こすと、視界に映るのは不揃いないかにも手製の家具の数々だった。
寝ているベッドも、酷く硬い。
まるで、石のようだ。
戻ってきてしまったのだ。
この不快な現実の世界に……。
自分が置かれていた状況を把握しようと、記憶を辿り、嫌な汗が吹き出てくる。
刺されて、意識を失った……。
恐る恐る体に力を入れると、意外にもいつもと変わらずに動かすことができる。
まだところどころ鈍い痛みがするが、無視できるほどのものだ。
助かったのか……。
とりあえず、自分の肉体が無事であることを確認でき、ほっと胸をなでおろす。
次に気になるのは、ここがどこかということだ。
ベッドから下りて、ヨタヨタと扉の方へと向かう。
扉を開けると、石造りの廊下がロの字型に十メートルほど広がっており、中心には庭が配置されていた。
見上げると、薄雲に隠れた空が垣間見える。
どうやら影人がいた部屋は、建物の中庭に面していたようだ。
建物は、壁や床も含めて、全て石造りで出来ており、今影人が目にしている中庭の部分だけでも、100平米くらいはある。
この世界の基準では、かなりの規模の建物だ。
廊下を歩く何人かの人間——全員女性である——が視界に入る。
みな一様に全身を紺色と白の服で覆っている。
アニサがしていた格好と同じだった。
どうやらここは修道院の関係施設らしい。
さてどうしたのものかとその場でウロウロしていると、修道女の一人がこちらに気づいたのか、駆け寄ってくる。
「……そんな!……」
修道女は見てはいけないものを見てしまったかのように顔を青くして、まぶたを見開いている。
そして、そのまま逃げるように小走りにその場からいなくなってしまう。
修道女は明らかにこちらに対して恐怖を覚えている様子だった。
瞬間、頭が真っ白になる。
言葉にならないわめき声を上げながら、両手、両足はもちろんありとあらゆる筋肉を、動かして、必死に防御する。
もみあっている内に、何度か、鋭い痛みが全身を貫く。
それでも、動きを止めずに、体を懸命に動かし、男を押しやる。
そのかいもあってか男が後ろにのけぞって、僅かな距離が生まれた。
その隙をついて、地面に転がっている短剣を手元によせる。
男は、その動きに気付き、鬼のような形相を浮かべて、再び短剣を振り下ろしてくる。
無我夢中で、握りしめた短剣を突き出す。
こちらの刃が男の体に達する方がわずかに早かった。
短剣が男の胸部に突き刺さる。
男は、短い悲鳴を上げて、そのままぐったりと力なく、のしかかってくる。
荒い息をあげながら、上にいる男の体をどかす。
両手を地面につけながら、ノロノロと後ずさりする。
その時になってようやく周りの雑音が——女の叫ぶようなうめき声が——耳元に聞こえてきた。
横を見ると、残った男の一人と修道女——アニサ——とが、もみ合っていた。
影人が男とやりあっている合間にもうひとりの男はアニサに向かっていたようだ。
アニサは、路地に積まれている木箱を盾にして、なんとか男からの攻撃を防御している。
だが、それも長くはもちそうにない。
アニサも、影人の様子に気づいたのか、一瞬、こちらの方に視線を向ける。
目が一瞬合う。
その冷たかった目は生への欲求で熱気を帯びて、すがるような眼差しを返している。
さすがに逃げるわけにはいかない。
それに、興奮状態が続いているせいか、全身を襲っていた不安感は先ほどよりは大分中和されていた。
倒れている男の手から、短剣を拝借し、アニサの方へと駆け寄る。
目の前まで近づくと、男は、こちらの存在に気付き、チラリと顔を向ける。
そして、女よりもまずは、武装した男を始末する方が先決と判断したのか、体ごとこちらに向き直る。
男は、その時ようやく地面に倒れている仲間に気づいたようだ。
驚きと怒りが、入り混じった表情を浮かべて、こちらを睨んでくる。
突然、男がくぐもった声を発する。
そして、その両目が急にグルンと上に寄ったかと思うと、その場にガクンと膝から倒れ込む。
地面に横たわる男を見ると、首の後ろに短剣が深々と刺さっていた。
視線を上に戻すと、アニサが、両手を血に染めて、男を見下ろしていた。
「なんとか……切り抜けたようね」
アニサの声はまだ少し震えていたが、その顔には安堵の表情が浮かんでいた。
緊張状態から解放されたためか、はたまた命を繋ぎ止めたためか、言いようのない多幸感が全身を包む。
だが、そんな気分も長くは続かなかった。
すぐに、全身を強烈な痛みが襲ってきたからだ。
アニサが、こちらの体を見るや、目を見開いて、驚いた表情を浮かべる。
今まで気づかなかったが、全身血だらけだった。
もみ合っている内にいつの間にか何箇所か刺されていたようだ。
痛みはますます強くなっていき、体中が熱くなってきた。
もはや立っていられなかった。
たまらず、その場に膝を着く。
「ちょっと! 大丈夫——」
アニサが、叫びながらこちらに駆け寄ってくるのが、ぼんやりと目の端に映る。
そして、そのまま視界が暗くなる。
天井に映るのは、真っ白な壁。
はっと気付き、あたりを見渡すと、そこには慣れ親しんだ光景が広がっていた。
安物の一人用クッション、ローテーブルに置かれた使い古した端末機器類。
そうか。戻ってきたんだな……。
この場所はあの野蛮で不潔な世界とは違う。
清潔で安定した文明の痕跡がいたるところにある。
視界には、もう一つ見慣れたものが映っていた。
仮想空間に接続するための機器一式がベッドの上に転がっている。
なんだ……やっぱりそうだ。
あの世界は単なる仮想空間だったんだな。
安堵感が全身を包み込む。
でも……何故だ。
おかしい。
動くことができない。
はっとあることに気付き、急に猛烈な不安感が湧き上がってくる。
これは……夢だ。
単に夢を見ているだけだ。
次に目にしたのは、同じく天井だった。
ただ、その壁は石造りで出来た薄汚れたねずみ色をしていた。
ゆっくりと体を起こすと、視界に映るのは不揃いないかにも手製の家具の数々だった。
寝ているベッドも、酷く硬い。
まるで、石のようだ。
戻ってきてしまったのだ。
この不快な現実の世界に……。
自分が置かれていた状況を把握しようと、記憶を辿り、嫌な汗が吹き出てくる。
刺されて、意識を失った……。
恐る恐る体に力を入れると、意外にもいつもと変わらずに動かすことができる。
まだところどころ鈍い痛みがするが、無視できるほどのものだ。
助かったのか……。
とりあえず、自分の肉体が無事であることを確認でき、ほっと胸をなでおろす。
次に気になるのは、ここがどこかということだ。
ベッドから下りて、ヨタヨタと扉の方へと向かう。
扉を開けると、石造りの廊下がロの字型に十メートルほど広がっており、中心には庭が配置されていた。
見上げると、薄雲に隠れた空が垣間見える。
どうやら影人がいた部屋は、建物の中庭に面していたようだ。
建物は、壁や床も含めて、全て石造りで出来ており、今影人が目にしている中庭の部分だけでも、100平米くらいはある。
この世界の基準では、かなりの規模の建物だ。
廊下を歩く何人かの人間——全員女性である——が視界に入る。
みな一様に全身を紺色と白の服で覆っている。
アニサがしていた格好と同じだった。
どうやらここは修道院の関係施設らしい。
さてどうしたのものかとその場でウロウロしていると、修道女の一人がこちらに気づいたのか、駆け寄ってくる。
「……そんな!……」
修道女は見てはいけないものを見てしまったかのように顔を青くして、まぶたを見開いている。
そして、そのまま逃げるように小走りにその場からいなくなってしまう。
修道女は明らかにこちらに対して恐怖を覚えている様子だった。
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