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第二章 破滅の赤

モーシェ島

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◇ルカリア視点


遡ること一週間ほど前でしょうか。私と兄さまが七歳を迎えコニーとインジーから聞いていた貴族教育が始まるのだろうと思っていた矢先のこと。


「我がマティスロア侯爵家は代々王国の剣としてその力で国を守ってきた。そして君たち次代にもその役目を期待されているのは分かるね?」


父様の執務室に迎え入れられた兄さまと私に問われたのは、立場に伴う義務と役目でした。部屋には私たち以外には誰も居らず、チラリと横に目を向けると真剣な顔をした兄さまがいます。詳しい教育はこれからではありますが、父様の職業やマティスロア家の立ち場から使命を全うする事への責任を感じているのかもしれません。


「マティスロア家の家名を名乗っていく君達には、大きく分けて3つの選択肢がある。騎士団、軍、魔法師団だ」


文官という選択肢を挙げない、挙げる事が出来ないのは父様が騎士として身を立ててきたからでしょうか。武家として名を馳せるマティスロア侯爵家にはそれに連なる貴族と共に、武官として権力を保持してきたそうです。

これはお屋敷にある書庫で知った情報なのですが、マティスロア侯爵家の始まりは建国まで遡るほど長く、歴史に名を残す英雄や上級士官を数多く輩出しているよう。そういった武家の名家において、文官という例外の存在は決して楽なものではないのでしょう。更に言えば武で名を馳せている分だけ、反対にそれ以外の界隈で伝手が無いということにも繋がります。


「でも私はそれだけが君たちの道じゃないと思っている」

「え?」


思わず漏れてしまった兄様の声。この家に迎えられ幾度も見てきた父様の無表情も、見慣れればその分かりにくい感情を正確に理解できるようになってきました。だからこそ、その言葉を放った顔に驚いてしまったのは兄様だけではありません。


「これから3年間、君たちは貴族としての教養だけでなく、騎士としての訓練を受けてもらおうと思う。ただ私はそれだけでなく、文官として身を立てていける程の知識と弁論術、軍に入れるほどの技能と精神力を培って欲しいと考えているんだ」

「質問を宜しいでしょうか?」

「あぁ」


私は以前より聞いていた話との相異について疑問が浮かび質問をすることにしました。


「3年間というのはどういった意図があるのでしょうか?学園へは12歳での入学と聞いています。それまでの間に教育が行われるのだと認識していましたが」

「あぁそれは正しいよ。ただそれは王都で過ごす貴族の場合だ」

「?」

「君たちには領地にある本邸で教育を受けてもらう」


これには兄含め驚きを隠せず、目を丸くしたのが分かったのでしょう。まるでドッキリが成功したと言わんばかりの満足そうな雰囲気を父様から感じます。


「領地にはルカリアとローガン、2人だけ向かってもらう事になる。私やイザベラはここ王都でやることがあって離れられないし、イーサンはまだ幼いからね」

「な、なんで…」


おっと、顔を青くした兄様ですがかなり動揺しているみたいです。いやまぁ私も滅茶苦茶動揺してますけど、横にそれ以上にオロオロしている人を見ると冷静になっちゃいますよね。あーマティスロア家の領地ってモーシェ島と呼ばれる島全て何ですよね~本土から遠いんですよね~インジー達になんて説明しましょうか…


「何故本邸に僕達だけいくのですか!?勉強はここでもできますし、ルカリアも友人である殿下やバーグマン家の令嬢との交流を切るようなことはやめた方がいいと思います!」


おぉ!兄様が遠回しに拒否を訴えています!もっと駄々を捏ねるのです!まぁ7歳の子供にいきなり親元から離れて勉強しに行けと言われても戸惑いが大きいですよね。まして兄様ってこのお屋敷で生まれ育っているらしく、生まれてこの方当主で有るお祖父様や叔父であるお父様の兄弟にも会ったことがないそう。つまり私だけでなく、兄様にとっても未知の場所であるモーシェ島への島流…じゃない帰郷は不安だらけなんですよね…でも兄様、いくら説得しようが無駄だと思いますよ?多分これ決定事項ですし。


「それは…(コンッコンッコンッ)入れ」

「失礼致します」


父様が何か言いかけたその時、ノック音が後ろの扉から響きました。…それは唐突で、能力を普通の人間の幼児並みに抑えている状態とは言え、私がその気配を気づけなかった事に若干の驚きと警戒を持って後ろを振り向きます。


「久しぶりだなクリシュナ。領地から長旅ご苦労」

「えぇ、お久しぶりです兄上」


礼をして顔をあげた男性は、父様によく似た顔立ちに無表情という相似具合。それに先程の会話から推測するに…もう思わぬ展開に私と兄様は置いてけぼりです。ですがそれで済ませてはいけないことは理解しています。素早く礼の姿勢を取ると隣に立っていた兄様も慌てて頭を下げる気配がします。


「この2人が伝えていたルカリアとローガンだ。ルカリア、ローガン、この人は私の二番目の弟でクリシュナだね」

「本家の方に挨拶が遅れたことをお詫びします。この度ご縁に恵まれマティスロア家の養女としてルカリアの名を頂きました、ルカリア=マティスロアでございます。以後宜しくお願いいたします」

「は、初めましてクリシュナ叔父上。私はローガン=マティスロアと申します」

「マティスロア家当主より領主補佐を拝命しておりますクリシュナ=マティスロアでございます。私はこれよりお2人の教育係としてお側に侍る事になる故、これから三年間宜しくお願いいたします」


か…堅い!え?私はともかく兄様と父様にとっては血の通った身内ですよね?それも他家に行ったわけでも無い本家の身内なんですよね?しかも初期の父様並みに表情が死んでいるので圧が凄いです…兄様ビビりまくりじゃないですか。


「堅いな」


ですよねっ!父様今こそこの数年で培ったコミュ力を弟に披露する時です。


「クリシュナ、今は身内しかいないのだから、そう丁寧にする必要はない。2人も伯父として気軽に接してやってくれ」


わ、わぁ~それを無表情の父様に言われても説得力と雰囲気が無いですって。そもそも父様は言葉も足りなければ説明も圧倒的に足りていないんですよ。執務室に4人。緊張で顔を硬らせている兄様と無表情な成人男性2人、その中で微笑み続ける私の異質さですよ。くっ兄様のためにも…


「クリシュナ叔父様とお呼びしてよろしいですか?」

「私は本家の末席に過ぎませんので、ルカリア様のお好きなようにお呼びください」


あ、これダメなやつですわ。私嫌われてません?友好の欠片もなく素気無く避けられた気がするなんですけど。媚びに走ったのがバレたのでしょうか。仕方ありません。兄様GOです!


「叔父上っ」

「はいローガン様」

「あ、えっと…(ジー)」

「その…(ジー)」

「どうして叔父上が僕たちの先生になるのでしょうか」


おぉ!よくあの視線から抜け出せましたね。父様で体制が付いているのでしょうか。そして私も知りたかった情報です。父様の弟ならば直系、それも領主補佐というお仕事をしているほど信頼の厚い立場なはず。それが嫡男とはいえ当主ではない父様の子供に過ぎない私達の教育係?優先順位を間違うことはないと分かっているからこそその意図が見えません。ですがその理由が私達が王都から離れ領地で教育を受けることに繋がるのだと感じます。


「それは代々次代の教育にはマティスロア家の事情に詳しく、下手なことを吹き込まない直系の人間が教育係として選出されているためでしょう。更に言えばお二人が将来マティスロア家を担う人材として、早くから領地で教育を施すべきだと決議されたことも大きいはずです。私は三男といってもセドリック兄上と年の差があり、中継ぎを補佐する立場ですので」


何となく言葉の堅さが抜けたような気がしないこともありませんが、とりあえずクリシュナ叔父様とは長いお付き合いになることが決まっているようです。まぁ主に兄様が相手になるとは思いますが、これから徐々にでも気安い関係になれればと思います。


「そ、そうなんですね。宜しくお願いします」


兄様気付いていますか?これ完璧に本邸に連れてかれる流れですよ。何なら「宜しくお願いします」って言質取られたようなもんですよ。


「顔見せが終わったんだ。明後日には出発するからイザベラとイーサンとお別れを行っておいで。クリシュナもまたすぐに出発するとは言え、長旅の疲れを癒してくれ」

「有難うございます兄上」






こうして父様の執務室を出た私達ですが、脳内は疑問と衝撃で真っ白です。なんかサラッと爆弾投下されたんですけど?「明後日には出発」って夜逃げでもするんですか?何か試されているんですかね?まぁ文句を言って仕方ないですよね…この切り替えの速さがルカリアちゃんの良いところです。怒りは沈めるのですよハハハ。

とまぁそれはそれとして、初期の父様でもクリシュナ叔父様より社交性があったことが発覚しましたね。というか兄様って親族なのにマティスロア兄弟に弱すぎませんか?慣れたとはいえ父様とクリシュナ叔父様に緊張するとか、本邸にいるお祖父様にあったら心臓止まるのでは?いやまぁここで朗らかな好ヶ爺が来る可能性も捨ててはいませんけども。そんな現実逃避をしつつ兄様の手を握っていると、クリシュナ叔父様に話しかけられました。


「…お2人は仲が宜しいのですね」

「あのクリシュナ叔父様、私達は教えを乞う立場ですしもっと気軽い口調で構いませんよ。特に私は養女ですし、本家の方にそう畏まられては恐縮してしまいます」


兄様から「何いってんだお前」と言った視線を感じますが無視です。私だって緊張してるんですってば。


「養子とは当主に認められ、【マティスロア】を名乗ることを認められた者です。ですのでルカリア様は立場で言えば後継者である兄上の次に高い地位を持っている事になります。公私を分けるためにも口調の改定はお許しください」

「あ、はい。わかりました」


撃沈です。完膚なきまでに叩きのめされた気分です。顔には出しませんが思わず兄様の手をギュウギュウと握ってしまっていたようで、強く握り返された掌が汗で湿っていることに気付きます。


「あの、ではっこの後少しだけお茶に付き合っては頂けませんか?」

「申し訳ございません。旅の疲れが酷く、折角のお誘いですが辞退させて頂きたく思います」

「そ、ですか。わかりました。お疲れのところ引き留めてしまい申し訳ございません。ルカリア行こう」

「え?あ、ではクリシュナ叔父様失礼致します」


そういって兄様に手を引かれ叔父様と別れます。兄様の手は依然私の手を握り、力強い足取りで歩みを進めます。そうして辿り着いたのは、兄様の部屋でした。パタンと扉が閉まり、ソファーに2人並んで座ります。

どれくらい時間が経ったのでしょうか…眉間に皺を寄せ何か考えている様子の兄様。その横顔を見つめ成長して丸みの減った頬を突きます。


「……父上は酷い」


呟くように溢れた言葉を拾い、何と返すべきか考えます。


「いきなり行ったこともない本邸に行けっていうし、なのに父上達は一緒に行ってくれないなんて酷い」

「可愛い子には旅をさせよって言いますし…」

「なんで3年なのかとか、そもそも王都の屋敷じゃだめなのかとか父上から説明してないじゃないか」

「クリシュナ叔父様登場タイミング悪かったですよね」

「そもそもクリシュナ叔父上怖すぎる。ヤダ」

「兄様涙目でしたもんね」

「もー!何なんだよ!そうだねって頷いてくれても良いじゃないか!僕が我儘言ってるみたいだろバカ!」


そういう兄様の目からは涙が次から次へと零れ落ち、興奮して赤く染まった頬を流れていきます。私は繋いでいない方の手でハンカチを取り出すと、その雫を掬い上げました。


「ルカリアは嫌じゃないの!?本邸に行ったら虐められるに決まっている。僕クリシュナ叔父上嫌いだ…父上も…きらい」

「兄様の気持ちも分かりますよ…ここから追い出されるんだと感じても仕方ない突き放し具合でした。母様もイーサン君も居ないなんて無理です。先生だって言うクリシュナ叔父様も冷たいですし、本邸にいる他の人達も同じだったら泣いちゃうかもしれません」

「ルカリアも泣くの?」

「兄様は今まで何を見てきたのです?こんなにか弱くて繊細な妹、他に居ないですよ。もっと甘やかしてください」

「寝言は寝てから言うもんなんだぞ」


生意気な顔をして笑う兄様の目からは、もう何も溢れていません。


「不安だらけですが、1人じゃないんです。ならどんな所でも楽しめますよ!だから泣かないでください」

「っ泣いてない!」

「えぇ?隠せないほどお目目が赤いですよぉ?」

「もう、うるさい!ほらそろそろ夕食食べに行くぞ」

やっぱり元気な兄様が一番ですね!それにムキになる兄様はイーサン君とは別の可愛さがあってかまいたくなります。

そうして私は溢れでる笑みを浮かべつつ未だ離れることない手に引かれ、部屋を後にしたのでした。








ーーーーーーーーー
この話が何故か書きづらく、ダラダラと長い会話が続いてしまいました。

次回 訓練生
 
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みんなの感想(3件)

せっきー
2022.09.04 せっきー

主人公視点から他の視点の話になる時は誰sideとか誰視点と入れてほしい

氷菓
2022.09.04 氷菓

ご指摘ありがとうございます。
そのように改善させていただきます

解除
スパークノークス

おもしろい!
お気に入りに登録しました~

解除
四十雀
2020.06.10 四十雀
ネタバレ含む
氷菓
2020.06.10 氷菓

読んでくださってありがとうございます。
分かっていただけて何だか嬉しいです(​ *´꒳`*​)

解除
1 / 5

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