永遠の伴侶

白藤桜空

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二羽は木陰で羽を休める

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 満月が中天に昇る。
 闇夜はおぼろに照らされて、都城とじょうは眠りに落ちていく。喧騒けんそうは夢へと溶けていき、後に残るは静寂ばかりである。
 けれど王城だけは、まだ爛々らんらんと目を輝かせていた。

 後宮への輿こし入れを終えた美琳メイリンは、あかい絹織りの寝間着を身に付け、松明たいまつともされた寝室の中央に据えられているとこの上に座っていた。
 美琳は寝間着のそでいじくる。丁寧に仕立てられた寝間着は柔らかく肌に吸い付くようである。同じ絹織物でも、輿入れで何重にも重ね着させられた着物は重さしか感じなかったのに反して、それは優しく美琳の体を包んでくれた。
 一方、木製の土台に絹を敷いて作ってあるとこは、美琳の体をしっかりと受け止めていた。絹地は麻の敷き布と違って肌の温もりを逃さず、底冷えする床から体温を奪われるのを妨げてくれた。
 美琳は部屋の中をきょろきょろと見回す。と、この部屋には、村ではもちろん、兵舎でも見たことのないものであふれ返っているのが分かった。
 壁の近くには衝立ついたてが数枚置かれている。その一枚一枚には、牡丹や桃、梅の花など、季節ごとの花を題材にした絵がそれぞれ描かれている。
 更に目を移して壁沿いを見ていくと、いくつかの棚がもうけられているのが見える。その棚にも手の込んだ細工が施され、材木の持つ本来の美しさを際立たせている。その棚の上には、金細工の装飾品や*ぎょくの首飾りが整然と並べられている。
 見るもあでやかな一室。非日常的な贅沢ぜいたく品に囲まれたこの状況は誰もがうらやむものなのだろう。だのに、どことない居心地の悪さが美琳の心の中でわだかまっていた。
「美琳様。失礼致します」
「あッ、はい!」
 突然、戸布の向こうから声をかけられた美琳。慌てて返事をすると、戸口から小綺麗な身なりの三十代中頃の女性が現れた。
「お初にお目にかかります。静端ジングウェンと申します。これから美琳様の部屋付きの侍女となりますので、以後お見知りおきくださいませ」
 静端は胸の前で拱手きょうしゅをし、軽く膝を曲げてうつむく。それに対して美琳は、どう返すのが正解なのか分からず、
「えっと、初めまして……?」
 と、尋ねるように返すことしか出来なかった。
 静端は、にこ、と微笑んで美琳の言葉を受け流すと、そのまま彼女のそばに寄ってささやく。
「美琳様、本日はこちらに〝御渡り〟になるとのことでございます」
「おわたり……?」
 つと、美琳の目が上を向く。そしてそのまま黒目が泳ぎ出す。
「……王が美琳様の部屋へいらっしゃる、という意味でございますよ」
 静端は丁寧に言葉の意味を教える。が、そのげんにはかすかにあざけりの響きが含まれていた。
 しかし美琳は気に留めない。
「それって……!」
 ぱぁッと顔を明るくして期待に胸を膨らませる。と。
「御渡りでございます」
 部屋の外から声が聞こえる。と、静端は〝支度は整っております〟と応じ、美琳に振り返る。
「それでは美琳様。王がいらしたのち、私はに控えさせていただきます。何かございましたらお呼びください」
 静端が部屋の隅をちらりと見やる。美琳は目まぐるしく変わっていく環境に置いてかれ、ただただ困惑するしかなかった。それを知ってか知らずか、静端は淡々と告げる。
「私含め、侍女たちはすべて・・・記録しております。くれぐれも、言動にはお気を付けくださいませ」
 そう言った静端は、物音一つ立てずに美琳の後ろに移動する。そして戸口に向かってこうべを垂れ、拱手の姿勢で訪問者を待つのであった。

 部屋に繋がる戸布が、丁寧に、丁寧に、限界までまくり上げられる。これから通る人物に布が触れてしまわぬようにするために。
 来訪を告げるその物音の方に美琳は顔を向ける。
 視線の先には数人の侍女と、黄色の寝間着を着た文生ウェンシェンがいた。
 輪の中心にいる彼は緊張した面持ちだ。それでいて、喜びを隠そうと口を噛み締めているのがうかがえた。
「ウェンッ……!」
 美琳は満面の笑顔で声を零した。けれどすぐにつぐみ、立ち上がって床に膝を突ける。そして顔の前でぎこちない拱手をしつつ、腰を折ってこうべを垂れる。そのままじっと耳をそばだてて、侍女たちがその場を離れていくのを待つ。
 付き従っていた侍女たちは静端と同じように、するすると流れるような衣擦きぬずれの音だけを残して去っていく。
 その場には二人だけが残され、美琳はそれを感じた。が、辞儀を崩すことをしない。
 ――王からの御許しをいただくまで顔を上げてはいけません。
 そう浩源ハオヤンから厳しく躾けられた。
 ――王という御方は、軽々しく話しかけてはいけない存在なのです。私たちが話すに値する人物である、と様々な形式を経て証明しないといけないんですよ。
 浩源は優しい声色で続けた。
 ――でも貴女ならきっとすぐに…………。
「面を上げよ」
 文生の声に美琳は勢いよく顔を上げる。刹那、二人の目線が絡まり交錯する。
 報告会から一か月。離別してから二年と数か月。
 やっと……二人は本当の再会を果たせた。
 美琳は喜びのあまり文生に飛びつこうと両腕を広げた。少女の無邪気な笑顔は、王の仮面をかぶった文生をほぐし、文生も彼女の抱擁に応えようと両腕を広げた。が、文生は不意に動きを止め、美琳は両手のやり場を失う。
「……文生?」
 美琳は怪訝そうに文生を見上げる。
「えっと、その……」
 口ごもりながら文生は美琳から目を逸らす。正確に言えば、美琳の体から。
 美琳は小首を傾げて文生の言葉を待つ。その姿は小鳥の姿を想起させ、彼女の瞳は愛らしくまたたいていた。
 ごくり、と文生は生唾を呑むと、美琳にバレないように横目で彼女の姿を盗み見た。
 美琳の黒く艶やかな髪は左肩で緩く結ばれていて、首の細さを際立たせている。薄地で紅色の寝間着は、美琳の白く滑らかな肌をなぞって彼女の体を如実にょじつに描く。未成熟な骨格はその時期特有の危うさがあり、けれどわずかに膨らんでいる女らしい肉付きは蠱惑的こわくてきに文生の目を刺激した。
 村での美琳。兵としての美琳。
 そのどちらとも違っていて、それでいて初めて会った頃と変わらない見目。その瑞々みずみずしい一輪の華に、文生は見惚みとれ、頬を赤く染めた。同時に美琳の中に遠い過去を見つけた。
「……君が頑張ってくれたおかげで、もう一度会えたね。これからは僕が頑張る番だ。ずっと、ずっと守っていくよ。だから、どうか僕と一生を共にしてください」
 文生が美琳の両手を握る。と、美琳は満面の笑みを浮かべる。
「もちろんよ! 私の方だって、ずっと貴方を守っていくわ」
 今度こそ美琳は文生の体に抱きつく。すると寝間着にき染められていたこうの匂いが文生の鼻をかすめた。
 瞬間、文生の体温が一気に上がる。
 以前よりも華奢きゃしゃになったように思える体。首筋をくすぐるように触れる髪の毛。背中に回る両腕の温かさ。――そのとき初めて、文生は自分の体が成長したのを感じた。そして、彼女のすべてが愛おしさに包まれていた。
 文生は彼女を力強く抱き締め返すと、そのままゆっくりととこへ押し倒すのであった。






 *ぎょく翡翠ひすい
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