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少年は王宮という名の牢獄へ、少女は軍という名の地獄へ
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都城の朝は太鼓の音から始まる。
陽が昇り始める頃にトーン、トーン、と王宮から鳴り響くと、町は眠りから覚める。庶人は田畑へ向かい、商人は店を開ける。
もちろん兵舎も例外ではない。
雑魚寝をしていた兵士たちも目覚め、簡単な身支度をする。髪を結い直し、着崩れを直したら食堂へ向かって朝餉を食べる。
食べ終えると当番がある者は兵舎を出て、非番の者は訓練場へ集まる。
訓練場では体を鍛える者、武器の確認をする者、組み手をして仕合う者、各々自分に足りないものを補う鍛錬をする。
むさくるしい男たちの熱気で満ちる中、訓練場の隅に巨躯な男と華奢な少女が向かい合って立っていた。
男、勇豪は手に二本の武器を持ちながら少女に語りかける。
「今日からしばらく、俺が非番のときは直々に鍛えてやる。他の奴らはお前が女だから嘗めてかかるだろうが、俺は一切手を抜かないからな」
少女、美琳は背筋を伸ばして返事を返す。
「はい。よろしくお願いします、勇豪さん」
すると勇豪は眉間に皺を寄せる。
「今日からは護衛長と呼べ。もうお前は文生様の連れじゃなく、一兵士となるんだ。軍の序列は守ってもらおう」
美琳は一瞬嫌そうな顔をしたが、すぐにこくりと頷いた。
勇豪はフン、と鼻を鳴らすと美琳に一本の武器を渡す。
武器の全長は美琳の身長くらいで、青銅の刃が付いている。上部にある片手大の刃は手を軽く丸めたような形状で、柄に対して垂直に括られている。柄の先端には細くて鋭く尖った刃も伸びている。
「こいつがお前の武器だ」
「分かりました」
そうして二人の修行の日々が始まった。
美琳は真剣な眼差しで勇豪の教えを受けた。
「戦では五人一組で隊を組んで動き、五人はそれぞれ役割が違う。一人目が手戟*で敵に突っ込み、二人目が矛*で一人目を援護する。三、四人目が弓で前線の敵の数を減らして、五人目が隊長として戟*と盾で殿をつとめる」
美琳は頭の中で想像しながら、自分に手渡された武器を握る。
「で、多少は察しているだろうが、お前に渡したのは手戟だ」
「……そうでしょうね」
「最前線は戦闘が激しく死ぬ奴が多い。だがお前なら……」
「死なずに道を切り開ける」
「ま、そういうこった」
美琳は合点がいったという風に頷くと、勇豪は淡々と説明を続ける。
「基本手戟は、相手の首を引っ掛けて手前に引いて使う」
「へぇ、鎌みたいなのね」
「そんなもんだな。だが人間の首は稲と違って簡単には斬れんから、手戟を引っ掛けてる間に他の奴に狙われる、なんてこともある。そういうときに矛を持った奴が兵の隙間を縫って援護すんのさ」
勇豪は手に携えていた、手戟に似ているがその長さを優に超えた武器を見せる。
「こいつが戟だ。さっき話した通り殿の奴が盾と併せて使う。だがそれ以外は手戟とほぼ同じだから、俺は慣れたこっちを使う。つーか、手戟は俺には小さくてな。弓でも剣でも教えられる自信はあるが、それだけはどうにもな」
「はぁ」
美琳は一寸も興味がない、といった相槌を適当に打つと、続きを促した。
「そんなことより早く教えてください」
「おッ前は……本当、文生様がいないと一気に、こう……雑になるな」
「あなただって雑じゃない……あ、何でもないです」
「……ぜってぇしごき倒してやる」
勇豪が口角をひくつかせながらも武器を構えたので、美琳も真似て構えた。
初め、美琳は手戟を上手く扱えなかった。細腕で扱うには長いそれに振り回されて、勇豪の動きについていくので精一杯だった。
対して勇豪は、戟を軽々と扱って見せた。美琳より頭二つ分も大きなその得物を、訓練場にいるどの兵よりも素早く、力強く、そして楽しそうに振るった。
美琳はひたすらに稽古した。足がもつれて転んでも、勇豪に怒鳴られても、ただひたすらに。
勇豪は真面目に付いてくる美琳に関心し、指導に熱が入っていく。時間を忘れて教えていたが、次第に違和感を感じ始めた。
(こいつ……全然息が切れなくねぇか?それに汗も掻いてない……ただでさえやばい体なのに、これじゃ本当に……)
「勇豪さ……護衛長?どうしましたか?」
勇豪はハッとする。目の前では美琳が不思議そうに小首を傾げて勇豪を見上げている。
いつの間にか手を止めていたらしい、と勇豪は気づく。荒くなった呼吸を整えつつ汗を拭って、構えを解く。
「一旦休憩にするぞ」
「え?もうです、か……あぁ、もうこんな時間なのね」
先程まで東寄りにあったはずの陽の光が、気づかぬ間に真上から降り注いでいた。周りにいた兵士たちも休憩をしたり、当番を交代するために移動したりしていた。
美琳は得心し、武器を置いて地面にぺたんと座り込んだ。
勇豪も武器を置くと水を飲みに井戸へ向かおうと動きかけて、つと美琳を見下ろす。
「おい、お前も水分取っておけ。井戸まで案内してやるから」
「え?あたしは別に……あ、えっと」
美琳は途中で言葉を止めると、ちらりと周囲を見て逡巡した。勇豪が訝し気に美琳を待っていたら、美琳がすっくと立ち上がった。
「『ちょうど喉が乾いてた』ので助かります。昨日は井戸までは教わってなかったんです」
「おう…?そうか。食堂の裏手にあるから付いて来い」
勇豪は今の妙な間は何だったんだと思ったが、自分の喉を潤す方を優先したかった。
勇豪がずかずかと食堂のある方に歩き始めると、美琳も慌てて小走りで付いて行った。
午前の疲れが和らいだ頃になると、勇豪は自分の仕事をする刻限になっていた。
勇豪は美琳に自主鍛錬の方法を簡潔に教え、サボらずにやるよう言いつけると、宮殿に向かうべく訓練場を離れる。
美琳がその後ろ姿を妬ましそうに見送っていると、これ幸いとばかりに若い兵士が二、三人近づいて来る。
「なぁ、メイリン、だっけか?良かったらおれらが教えようか?護衛長は厳しいだろ、おれらならやさし~く教えてやるぜ?」
兵士らは下卑た笑いを浮かべながら、美琳に手を伸ばした。だがその手は虚しく空を切った。美琳が素早く身を引いて避けたからだ。
美琳は煩わしそうな顔を隠して、すぐに優しく微笑み兵士らを見つめた。
「大丈夫です。護衛長に言われたことをこなさないと、何を言われるか分からないので」
「そんなこと言わずに、まだ始めたばかりで変な癖ついたら困るだろ?だから、さ……ッ!」
そう兵士は追い縋ろうとしたが、美琳の顔を見たら言葉を呑むしかなかった。
美琳は害獣を見るような目をしながら、作り笑いを浮かべていた。パッと見は可憐で従順そうな佇まいなのに、全身からは拒絶の意思が放たれている。
少女の異様な迫力は、兵士たちを黙らせるのには充分すぎた。
「い、いや~確かに大丈夫そうだな、うん。なんか困ったらいつでも聞いてくれよ」
兵士らがそそくさと逃げて行くと、美琳は何事もなかったように訓練を再開した。
早く文生の傍に行きたい。
ただその一心で、夕餉に呼ばれるまで武器を振り続けた。
都城が茜色を身に纏い始めると、太鼓の音が再び鳴る。それを合図に田畑にいた庶人は帰路に就き、商人は店仕舞いする。
月が昇る前には門が閉まり、星が瞬く頃には都城は寝静まる。
男たちの血気盛んな声で溢れていた兵舎も、いびきばかりが聞こえるようになっていた。
そんな中美琳は、こっそりと部屋を抜け出し訓練場に向かう。
武器庫から手戟を取り出すと、昼間教わったことをさらう。息を乱すこともなく、失敗した怪我を残すこともなく、ただただ武器を振り続ける。
そんな少女が背負っている夜空で、一つ、黄金の星が光った。その光は徐々に輝きを強くし、地上へと近づいてきた。
美琳がふと振り返ると、小さくも力強い光の玉が空中を漂っていた。
美琳はぱぁっと笑顔を浮かべると、光に駆け寄っていった。
「こんなとこまで来てくれたの?ありがとう!でも森から離れて大丈夫?」
その言葉に光は頭を振るみたいに動く。
「そうだよね、あんまり長くはいられないよね。あ、良かったらここに乗る?」
そう言って美琳は両手を差し出す。
お椀が作られた掌に光はひょいと飛び乗る。美琳はくすぐったそうに笑いながら光に語りかける。
「うふふ、あなたをこんな風に包めたのは初めてね。『なんだか不思議な気分』ってこういうときに言うのかしらね」
光は優しく点滅する。頷いたような微笑んだような、慈愛に満ちた輝きを放つ。
美琳はその輝きをじっと見つめると、何かを思い出したような口調になる。
「あぁ、婆様を土で覆ってくれたのね。ありがとう。そのままにしてたら『文生が』悲しむものね」
少女は無邪気な笑みで言う。光はただじっと少女を見つめる。
「そうそう、今日ね、また一つ覚えたことがあるの。あれくらい体を動かしたら『喉が渇く』んだって。いつもは文生がくれたのを飲むだけだったから、いつ言うのか加減が分からなかったわ」
光は、母が子の話に耳を傾けるように、穏やかに揺らめく。
「文生といるためにはまだまだ新しいことを覚えなきゃね。早く戦で活躍出来るようにならなくっちゃ。あなたも応援してくれるでしよ?」
光は少女の掌を温かく照らすと、ふわりと浮いて少女の顔の周りをくるくると回る。
「ふふ、ありがとう。嬉しいわ……でも、もう大丈夫。これからはあたし一人で……いいえ、文生と一緒にやっていけるわ。だからあなたも無理してこっちまで来なくていいのよ」
少女は、先程よりも弱まった光を再び手で包むと、そっと夜空に掲げる。
「じゃあね」
その言葉を聞いた光は名残惜しそうに点滅する。と、光の真ん中に一筋の線が現れる。その線は、ゆっくりと開くと、黒い三日月状に形作られる。
三日月はわずかに開閉して、音を発する。
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎」
美琳は目をまん丸にさせるが、すぐに光と同じ三日月へと変える。
「うん。ありがとう」
光は満足気に瞬くと、夜空へと戻って行くのであった。
美琳が光の向かった黒い夜空を眺めていると、下から薄く朱が差し込まれる。
「あ、もうそんな時間か。急いで部屋に戻らないと」
美琳はバタバタと手戟を片付けると、自分の部屋へ駆けて行く。
『寝る』ことが当たり前なのだから、『寝ていない』ことを悟られてはいけない。それだけは村でもここでも変わらないだろう。
美琳は面倒だなぁ、と一人ごちながら朝を知らせる太鼓の音を待ち侘びた。
*手戟、矛、戟…これら三つに加え弓、剣が武器として存在する。武器の全長は、弓を除くと 剣<手戟<戟<矛 となっている。
陽が昇り始める頃にトーン、トーン、と王宮から鳴り響くと、町は眠りから覚める。庶人は田畑へ向かい、商人は店を開ける。
もちろん兵舎も例外ではない。
雑魚寝をしていた兵士たちも目覚め、簡単な身支度をする。髪を結い直し、着崩れを直したら食堂へ向かって朝餉を食べる。
食べ終えると当番がある者は兵舎を出て、非番の者は訓練場へ集まる。
訓練場では体を鍛える者、武器の確認をする者、組み手をして仕合う者、各々自分に足りないものを補う鍛錬をする。
むさくるしい男たちの熱気で満ちる中、訓練場の隅に巨躯な男と華奢な少女が向かい合って立っていた。
男、勇豪は手に二本の武器を持ちながら少女に語りかける。
「今日からしばらく、俺が非番のときは直々に鍛えてやる。他の奴らはお前が女だから嘗めてかかるだろうが、俺は一切手を抜かないからな」
少女、美琳は背筋を伸ばして返事を返す。
「はい。よろしくお願いします、勇豪さん」
すると勇豪は眉間に皺を寄せる。
「今日からは護衛長と呼べ。もうお前は文生様の連れじゃなく、一兵士となるんだ。軍の序列は守ってもらおう」
美琳は一瞬嫌そうな顔をしたが、すぐにこくりと頷いた。
勇豪はフン、と鼻を鳴らすと美琳に一本の武器を渡す。
武器の全長は美琳の身長くらいで、青銅の刃が付いている。上部にある片手大の刃は手を軽く丸めたような形状で、柄に対して垂直に括られている。柄の先端には細くて鋭く尖った刃も伸びている。
「こいつがお前の武器だ」
「分かりました」
そうして二人の修行の日々が始まった。
美琳は真剣な眼差しで勇豪の教えを受けた。
「戦では五人一組で隊を組んで動き、五人はそれぞれ役割が違う。一人目が手戟*で敵に突っ込み、二人目が矛*で一人目を援護する。三、四人目が弓で前線の敵の数を減らして、五人目が隊長として戟*と盾で殿をつとめる」
美琳は頭の中で想像しながら、自分に手渡された武器を握る。
「で、多少は察しているだろうが、お前に渡したのは手戟だ」
「……そうでしょうね」
「最前線は戦闘が激しく死ぬ奴が多い。だがお前なら……」
「死なずに道を切り開ける」
「ま、そういうこった」
美琳は合点がいったという風に頷くと、勇豪は淡々と説明を続ける。
「基本手戟は、相手の首を引っ掛けて手前に引いて使う」
「へぇ、鎌みたいなのね」
「そんなもんだな。だが人間の首は稲と違って簡単には斬れんから、手戟を引っ掛けてる間に他の奴に狙われる、なんてこともある。そういうときに矛を持った奴が兵の隙間を縫って援護すんのさ」
勇豪は手に携えていた、手戟に似ているがその長さを優に超えた武器を見せる。
「こいつが戟だ。さっき話した通り殿の奴が盾と併せて使う。だがそれ以外は手戟とほぼ同じだから、俺は慣れたこっちを使う。つーか、手戟は俺には小さくてな。弓でも剣でも教えられる自信はあるが、それだけはどうにもな」
「はぁ」
美琳は一寸も興味がない、といった相槌を適当に打つと、続きを促した。
「そんなことより早く教えてください」
「おッ前は……本当、文生様がいないと一気に、こう……雑になるな」
「あなただって雑じゃない……あ、何でもないです」
「……ぜってぇしごき倒してやる」
勇豪が口角をひくつかせながらも武器を構えたので、美琳も真似て構えた。
初め、美琳は手戟を上手く扱えなかった。細腕で扱うには長いそれに振り回されて、勇豪の動きについていくので精一杯だった。
対して勇豪は、戟を軽々と扱って見せた。美琳より頭二つ分も大きなその得物を、訓練場にいるどの兵よりも素早く、力強く、そして楽しそうに振るった。
美琳はひたすらに稽古した。足がもつれて転んでも、勇豪に怒鳴られても、ただひたすらに。
勇豪は真面目に付いてくる美琳に関心し、指導に熱が入っていく。時間を忘れて教えていたが、次第に違和感を感じ始めた。
(こいつ……全然息が切れなくねぇか?それに汗も掻いてない……ただでさえやばい体なのに、これじゃ本当に……)
「勇豪さ……護衛長?どうしましたか?」
勇豪はハッとする。目の前では美琳が不思議そうに小首を傾げて勇豪を見上げている。
いつの間にか手を止めていたらしい、と勇豪は気づく。荒くなった呼吸を整えつつ汗を拭って、構えを解く。
「一旦休憩にするぞ」
「え?もうです、か……あぁ、もうこんな時間なのね」
先程まで東寄りにあったはずの陽の光が、気づかぬ間に真上から降り注いでいた。周りにいた兵士たちも休憩をしたり、当番を交代するために移動したりしていた。
美琳は得心し、武器を置いて地面にぺたんと座り込んだ。
勇豪も武器を置くと水を飲みに井戸へ向かおうと動きかけて、つと美琳を見下ろす。
「おい、お前も水分取っておけ。井戸まで案内してやるから」
「え?あたしは別に……あ、えっと」
美琳は途中で言葉を止めると、ちらりと周囲を見て逡巡した。勇豪が訝し気に美琳を待っていたら、美琳がすっくと立ち上がった。
「『ちょうど喉が乾いてた』ので助かります。昨日は井戸までは教わってなかったんです」
「おう…?そうか。食堂の裏手にあるから付いて来い」
勇豪は今の妙な間は何だったんだと思ったが、自分の喉を潤す方を優先したかった。
勇豪がずかずかと食堂のある方に歩き始めると、美琳も慌てて小走りで付いて行った。
午前の疲れが和らいだ頃になると、勇豪は自分の仕事をする刻限になっていた。
勇豪は美琳に自主鍛錬の方法を簡潔に教え、サボらずにやるよう言いつけると、宮殿に向かうべく訓練場を離れる。
美琳がその後ろ姿を妬ましそうに見送っていると、これ幸いとばかりに若い兵士が二、三人近づいて来る。
「なぁ、メイリン、だっけか?良かったらおれらが教えようか?護衛長は厳しいだろ、おれらならやさし~く教えてやるぜ?」
兵士らは下卑た笑いを浮かべながら、美琳に手を伸ばした。だがその手は虚しく空を切った。美琳が素早く身を引いて避けたからだ。
美琳は煩わしそうな顔を隠して、すぐに優しく微笑み兵士らを見つめた。
「大丈夫です。護衛長に言われたことをこなさないと、何を言われるか分からないので」
「そんなこと言わずに、まだ始めたばかりで変な癖ついたら困るだろ?だから、さ……ッ!」
そう兵士は追い縋ろうとしたが、美琳の顔を見たら言葉を呑むしかなかった。
美琳は害獣を見るような目をしながら、作り笑いを浮かべていた。パッと見は可憐で従順そうな佇まいなのに、全身からは拒絶の意思が放たれている。
少女の異様な迫力は、兵士たちを黙らせるのには充分すぎた。
「い、いや~確かに大丈夫そうだな、うん。なんか困ったらいつでも聞いてくれよ」
兵士らがそそくさと逃げて行くと、美琳は何事もなかったように訓練を再開した。
早く文生の傍に行きたい。
ただその一心で、夕餉に呼ばれるまで武器を振り続けた。
都城が茜色を身に纏い始めると、太鼓の音が再び鳴る。それを合図に田畑にいた庶人は帰路に就き、商人は店仕舞いする。
月が昇る前には門が閉まり、星が瞬く頃には都城は寝静まる。
男たちの血気盛んな声で溢れていた兵舎も、いびきばかりが聞こえるようになっていた。
そんな中美琳は、こっそりと部屋を抜け出し訓練場に向かう。
武器庫から手戟を取り出すと、昼間教わったことをさらう。息を乱すこともなく、失敗した怪我を残すこともなく、ただただ武器を振り続ける。
そんな少女が背負っている夜空で、一つ、黄金の星が光った。その光は徐々に輝きを強くし、地上へと近づいてきた。
美琳がふと振り返ると、小さくも力強い光の玉が空中を漂っていた。
美琳はぱぁっと笑顔を浮かべると、光に駆け寄っていった。
「こんなとこまで来てくれたの?ありがとう!でも森から離れて大丈夫?」
その言葉に光は頭を振るみたいに動く。
「そうだよね、あんまり長くはいられないよね。あ、良かったらここに乗る?」
そう言って美琳は両手を差し出す。
お椀が作られた掌に光はひょいと飛び乗る。美琳はくすぐったそうに笑いながら光に語りかける。
「うふふ、あなたをこんな風に包めたのは初めてね。『なんだか不思議な気分』ってこういうときに言うのかしらね」
光は優しく点滅する。頷いたような微笑んだような、慈愛に満ちた輝きを放つ。
美琳はその輝きをじっと見つめると、何かを思い出したような口調になる。
「あぁ、婆様を土で覆ってくれたのね。ありがとう。そのままにしてたら『文生が』悲しむものね」
少女は無邪気な笑みで言う。光はただじっと少女を見つめる。
「そうそう、今日ね、また一つ覚えたことがあるの。あれくらい体を動かしたら『喉が渇く』んだって。いつもは文生がくれたのを飲むだけだったから、いつ言うのか加減が分からなかったわ」
光は、母が子の話に耳を傾けるように、穏やかに揺らめく。
「文生といるためにはまだまだ新しいことを覚えなきゃね。早く戦で活躍出来るようにならなくっちゃ。あなたも応援してくれるでしよ?」
光は少女の掌を温かく照らすと、ふわりと浮いて少女の顔の周りをくるくると回る。
「ふふ、ありがとう。嬉しいわ……でも、もう大丈夫。これからはあたし一人で……いいえ、文生と一緒にやっていけるわ。だからあなたも無理してこっちまで来なくていいのよ」
少女は、先程よりも弱まった光を再び手で包むと、そっと夜空に掲げる。
「じゃあね」
その言葉を聞いた光は名残惜しそうに点滅する。と、光の真ん中に一筋の線が現れる。その線は、ゆっくりと開くと、黒い三日月状に形作られる。
三日月はわずかに開閉して、音を発する。
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎」
美琳は目をまん丸にさせるが、すぐに光と同じ三日月へと変える。
「うん。ありがとう」
光は満足気に瞬くと、夜空へと戻って行くのであった。
美琳が光の向かった黒い夜空を眺めていると、下から薄く朱が差し込まれる。
「あ、もうそんな時間か。急いで部屋に戻らないと」
美琳はバタバタと手戟を片付けると、自分の部屋へ駆けて行く。
『寝る』ことが当たり前なのだから、『寝ていない』ことを悟られてはいけない。それだけは村でもここでも変わらないだろう。
美琳は面倒だなぁ、と一人ごちながら朝を知らせる太鼓の音を待ち侘びた。
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